第二章 ~恵を与える者、恵を求める者~脱サラ農家 田中 の場合~
天使と悪魔の戦いで疲弊する世界。多くの異世界召喚者が戦うこの戦乱。
天使みたいなの の庇護のもと世界の秩序を目指す「聖公国」
特に何の目的もない平和の方が良いとする「黄昏共和国」---俺の国
混沌と自由の中で人間を導く悪魔的存在を崇拝する「自由連邦」
勇者転生召喚の件は後輩に託して、俺オッドアイ・サンダースは新たな召喚をしなければならない。
勇者の様なセーフティーネットは無い。だから戦場より生活を良くするための存在を呼ぶことが「召喚庁」に務める俺の今度の役割。
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#01 新たな大地に降り立ちて
私は田中耕一郎。側溝に落ちた。
あぁ、また恵に叱られるな。そう思って居た。まだ空は明るい。
おしりが濡れてるが、逆に気持ちがいい。
サラリーマン時代はこんなゆったりした感覚無かったな。
ちょっと目を閉じてみた。つもりだったのだが。
ここは何処だろう。眼の前に私と同年代のおじさんがいる。
「《黄昏共和国》だ。そして貴方を《召喚》したのが俺だ。」
おじさんはそう言った。
聞いたことのない国名だ。商社マンとして知らない国は無い筈なのだが、新興国だろうか。でも日本語だ。
「召喚」?どういうことでしょうか。
おじさんは異世界から召喚された私に改革に携わってほしいと言っていた。困ってるとも。
困っていると言われると弱い。農業をはじめたばかりの頃の私は、地元農家さんに随分助けられた。今度は私の番ということか。
まさかこんな形だとは。
おしりが濡れている。お漏らししたと思われてないだろうか。
着替えがしたいと申し出てみようか。
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「《他国では農業の力で魔王を滅ぼした者》や《サラリーマンスキルで魔王の片腕となった者》もいるが、そこまでは期待していないので、安心してくれ。」
逆にプレッシャーを感じる。
一応、農業の専門家ということで、圃場へ案内される。
肥料の基本がなっていない。窒素、リン酸、カリウム。とりあえずこれは必須だ。
連作障害も起こっている。病害や害虫も。農薬はなさそうなので、とりあえず「酢」とか強烈な匂いの植物かな。
いや、そんなことではない。たった数年農業をした私の知識など、それほど重要ではないかもしれない。もっと根本的なことが足りないように感じる。
腕組みをしながら考えを深める。おっと足場がない。
#02 治癒術師チユ=タン
田中が側溝に落ちた。擦り傷とかしてる。俺は彼女を召喚することにした。声で。
「おーい。」
治癒術師チユ=タン。「やまもと」のパーティで世話になった幼女に見える女だ。実年齢は俺と変わらないはず。
「ワシをもとい。アタシを薬草みたいに思ってない?どういうわけか、お主の声を聞くと居ても経っても居られなくなるのじゃ。」
キャラ作りも大変だな。口調が一定してないぞロリババア。
おっと、それより田中の回復を。
「タン先生、有難うございます。嘘のように痛みが消えました。治癒術と言うのはすごいですね。」
「いやん。そんなに褒められたらアタシ⋯」
ロリババアがぶりっ子してる。世界には知らないほうが幸せなこともある。
「それより、その治癒術、人間にしか効かないのですか?」
明らかにしょんぼりしてる《タン先生》を見て俺は笑ってた。
実際、治癒術は植物にも効く。生命力の活性化の術なので当然といえば当然なのだが、田中に言われるまで誰も気が付かなかったのだ。
後に語られる「田中革命」始まりである。
#03 田中革命
田中の農村改革、いや革命といっても過言ではないと。
田中の提案はどれも、目新しい知識を使ったものではなかった。
白の外壁を作る職人に、傷んだ用水路を整備させたり、
水魔法で水やりとか、風魔法で肥料の散布、土魔法で土壌改良。火魔法で焼畑。
挙げ句の果てには、俺の「呼ぶ」能力で犬を呼んで害獣を撃退したり。
なのに当人は
「私、役に立ってませんよね。」
とか言ってる。十分すぎるよ。むしろ持続可能な形で関与してるから、以前の被召喚者以上の働きだ。そして俺の実績にもなるんだ。もっと胸を張れよ。
「オッサンさんは優しいですね。」
俺は優しいわけじゃない。純粋に成果を評価しているのだ。
俺の能力も、犬が呼べるとは思わなかった。ある程度意思疎通が出来る相手なら、俺の下へ現れたくなるらしい。冒険者としてもやっていけるような気がしてきた。
田中は、農村改革に留まっていない。
俺達城仕えの者と職人ギルドの交流会、市中の人々への文化教室の提案など、明らかにこの街、いやアリア藩全体に活気が出てきているのだ。
「自由連邦」の一国とも貿易が始まるらしいが、田中が何かしらの関与をしたというのが定説だ。
#04 望郷。恵をもとめて。
私は役に立っているのだろうか。人々のパイプづくりやちょっとしたアイデアの提供をしただけのに、全部私の手柄のように語られてしまっている。
どれも誰かが数ヶ月本気で考えたらたどり着く筈のこと。
本当に凄いのは私でなく、この世界そのものなのに。
日を増すごとに、私は自分自身の存在意義が見いだせなくなってきていた。
この世界に来て3ヶ月。妻「恵」は私を心配しているのではないか。
私は多くは語らないが、こんな私をずっと見ていてくれた。
オッサンさんも優しいし、同年代で気も許せる。それも召喚師の職務の一つかもしれないし。
もうこの場所で私の出来ることは無い。
帰りたい。
帰れるのだろうか。
私はオッサンさんに帰還出来るか相談しに行くことにした。
#05 今更ですが いってらっしゃい。
今更ですか? いや、はじめに説明しなかった俺も悪いな。なんか自然に馴染んでしまったので説明の機会を逸していたのだ。
結論から言えば、被召喚者は帰れる。他国がチート能力付与の召喚をする変わりに我が国では、被召喚者が望めば帰れるようにしているのだ。
しかし、実績も名声もあり、彼の世界ではたかだか3時間程度。もう少しここに居てくれたほうが助かるんだが。
「今までお世話になりました。何もできませんでしたが本当に有難うございます。」
俺は送還の術式を展開する。田中が教えてくれたこと。
対象を観察すること、自らの願望を映し出すこと無く、対象が何を望むのか。これは愛だ。
魔法陣の上で薄らいでゆく田中を見ながら、俺は決意する。
術式の精度を上げて、ピンポイントでまた田中を呼ぶ為に。ただ、一緒に酒のんで駄弁りたい。
それまで、さようなら、いや。
「いってらっしゃーい。」
#06 恵
おしりが冷たい。私はあの時の姿勢のまま側溝にハマっていた。空が赤くなってる。たった3時間しかたっていないというのは本当だった。
この3時間で私はかけがえのない事を知った。
異世界で私が得たものは、サラリーマンだった頃のものと同じで、成果と評価。
わたしが求めるているのは、それじゃない。ゆったりとした時間と、何が無くともただ私を見ていてくれる妻「恵」の視線。
今日帰ったら、鬼の形相を見せるかもしれないけど、それもかわいいのだ。
#07 酒場「涙」
俺は寂しさを紛らわすため、酒場「涙」で、チユ=タンと飲み交わした。
「いい男じゃったのに残念ね」
「人様の夫に何言ってんの。あと俺といる時は素でいいだろ。どうせ口調安定しないんだし」
「ほんとアンタデリカシーないわね。田中を 見習いなさいな。」
「あ、ソーマハイもういっぱい欲しいから、給仕呼んでよ。」
俺はいつでも「呼ぶ」係だ。
「おーい。」
明日からまた新たな召喚の準備をしなければならない。