柩
挨拶もそこそこに僕は黒い部屋に案内された
床も壁も天井も黒曜石みたいに黒い
部屋の中央にあるベッドも、明らかに布を含む造りの筈なのに同じ色をしていた
壁に一つ姿見が立て掛けてある
僕はそれを視て、自分の髪が思ったより茶色がかっていた事に気付いた
「まあ楽にしてよ」
君はベッドに腰掛けると、隣に僕を座らせる
僕は君を値踏みした
不思議だった
僕と変わらない歳の様に視えるのに、支払えるのだろうか
それでも、これから行われる行為の事を頭の中で考えながら、僕は昂揚も同時に味わっていた
「あの、お金の事なんですけど…」
言い出しづらいだからこそ、僕は最初に金額について切り出した
僕みたいに個人で「売ってる」やつは、乱暴された上にお金も支払われない事だって多い
躰を売る時は、僕は絶対に前金を貰う様にしていた
「そうだった、ごめんね」
君は僕に片手で封筒を手渡す
失礼にはなるが、その場で金額を確認させて貰った
紙幣の数を一つ一つ数える
入っていた額に僕は眼を丸くした
自分の心拍数が上昇する感覚が、いま確かに解る
「こ、これっ…あの……!」
「酷い事とか、しないですよね…」
泣きそうになりながら行為内容を確認する
君は僕の眼鏡を外すと、そっと唇を重ねてきた
「君の嫌がる事はしないよ」
「約束する」
この人はきっと「上手」だ
年齢から考えれば不自然な事だが、所作の総てから僕はそれを感じていた
背中の辺りに暴れ出したくなる位のむず痒さが有る
躰が「この先」を期待する事によって起こる反応だと気付き、僕は赤面した
行為は穏やかに始まり、僕たちは少しの交わりのあと、それぞれ一回ずつ達した
数字にするとそれだけに過ぎないけど、「それだけ」で僕は壊れてしまった
上げた事の無い様な声で僕が乱れるとき、君は嬉しそうにそれを視ていた
一通り終わったあと
僕が君に抱かれて恍惚としていると、君が耳元で囁いた
「もっとすごい事、してみたくない?」
こういった誘いは九分九厘、違法な薬物についてのものだ
僕は青褪めて君から躰を離しながら、「嫌です」と答えた
「僕、そんなの怖いです…」
君は少し意外そうにしたあと、妖しく笑った
「クスリとかだと思った?」
「そういうんじゃないよ」
「ほら、おいで」
僕の警戒を解くためか、君は裸の両手を広げる
僕は枕を抱いて震えながら「じゃあ何なんですか?」と尋ねた
ベッドの上で君が僕に近付き、頭を撫でる
僕から視て、君の後ろに姿見が立て掛けてあったため「その瞬間」が視えた
僕の髪の撫でられた部分の色が喪われ、完全な黒に染まっている
躰が過敏になっていたためか、僕は悦びに声を上げてしまった
何かがおかしい
いくら過敏になっていると言っても、「ただ触られただけで、こんなになる筈が無い」
「気持ちよかった?」
僕の動揺を見透かした様に、君が嗤う
愛撫の様な笑みだった
その後も躰中が優しい指に触れられるたび、触れられた場所から色が消えていった
僕は、まだ触れられていない場所を触って貰うために躰をくねらせた
いつしか僕の躰は眼球や舌を含め、総てが部屋の色と同じ黒曜石色の光沢で染まっていた
──もっと触られたい
渇望が心の内に有ったが、もう僕の躰に色の有る場所は一つとして存在しなかった
喉の内側さえ黒くなった姿で、僕は切なさに苦悶の喘ぎを漏らした
満たされない感情が火災の様に燃え続けている
事実として、僕は既に正気を喪いつつあった
「もっと触って下さい」
僕は乱雑に脱ぎ捨てられた自分の服の、その横にある鞄から護身用の刃渡りの大きなナイフを取り出した
我慢の限界だった
それで自分の皮膚を引き裂く
夜空の様な漆黒の肌に肉の傷口が開き、熱い血がどくどくと溢れ出る
「触って下さい」
「お願いします」
僕は自分の躰を滅茶苦茶にナイフで突き刺した
返り血が君の顔にかかる
その赤色も、静かに黒く染まっていく
僕はその時初めて、『何故この部屋がこんな色をしているのか』に気が付いた