「交差する想い」
翌朝、太白は重い足取りで教室へ入った。
疲れた表情を浮かべ、目の下にははっきりとしたクマができていた。
彼の鈍さと沈黙はすぐに夕娇の注意を引いた。
休み時間、夕娇は水の入ったカップを手に持ち、太白の席へと歩み寄った。
何気ないふりをしながら、そっと尋ねる。
「昨晩、よく眠れなかったの?」
太白は顔を上げ、無理に笑みを作る。
「うん、ちょっとね。」
「もしかして……玉妃のこと?」
夕娇は探るような口調で言い、わずかにためらいが感じられた。
太白の手が一瞬止まる。
彼はすぐに目をそらし、夕娇の視線を避けるようにうつむいた。
「……うん。昨日、会ったんだ。」
夕娇の指が無意識にぎゅっとカップを握りしめ、指先が白くなる。
だが、彼女の声はあくまで平静を保っていた。
「そう……それで、彼女は何を?」
太白は少しの間ためらった後、正直に答えた。
「……やり直したいって。」
夕娇は短い沈黙の後、そっとカップを太白の机に置いた。
それから、何気ない笑みを浮かべる。
「……それで、返事は?」
「まだ……してない。」
太白は夕娇を見上げ、困惑したような目をしていた。
「考えたいって言ったんだ。」
夕娇は何も言わず、ただ静かに立っていた。
彼女の目は深く、複雑な色を帯びていた。
太白に何か言いたかったが、彼の決断に口を出す資格があるのか分からなかった。
「太白……どんな選択をしても、無理だけはしないで。」
夕娇はやがてそう言った。
その声は優しく、けれどどこかに揺るぎない強さを秘めていた。
「過去には戻れないかもしれない。
でも……だからこそ、前に進めるのかもしれない。」
太白は言葉を失った。
彼は夕娇の目の奥に、言葉にならない何かを感じ取った。
それは優しさであり、そして――彼女自身の抑え込まれた感情でもあった。
彼の唇がわずかに動いたが、何も言葉にすることができなかった。
その夜、夕娇は一人で帰宅した。
だが、彼女の心はずっと落ち着かないままだった。
机に向かい、教科書を開いたものの、文字はただの黒い染みのように見えた。
まったく頭に入ってこない。
小さく息を吐き、視線を窓の外に向ける。
夜の帳が降り、街の明かりが遠くで瞬いていた。
夕娇はスマホを手に取り、太白とのトーク画面を開いた。
だが、指は入力画面に触れたまま、一向に文字を打ち込むことができなかった。
「……私に、彼を引き止める資格なんてあるの?」
彼女の目は画面に映る過去の会話をなぞる。
短いメッセージの一つ一つが、まるで彼と自分をつなぐ細い糸のように思えた。
しかし、その糸は今にも切れそうだった。
玉妃――
太白が彼女の名前を口にしたときの、かすかに震える声が蘇る。
それは夕娇が見たことのない表情だった。
苦しさと、そして深い想いがにじんでいた。
「もし、彼女が戻ってきたら……私は彼の隣にいられるの?」
夕娇はそう呟き、目に涙が滲んだ。
だが、彼女はすぐに顔を上げ、そっと涙を拭った。
「どんな結果になっても……私は、太白に無理をさせたくない。」
そう自分に言い聞かせる。
しかし、胸の奥に秘めた切なる想いは、静かに彼女を締めつけていた。
翌日、太白は図書館の静かな隅の席に座っていた。
開いた本のページを見つめているが、視線はそこに留まらない。
玉妃と夕娇――
二人の名前が、頭の中をぐるぐると回っていた。
玉妃の笑顔、夕娇の優しさ。
玉妃の強さ、夕娇の温もり。
どちらも、彼の心に深く刻まれている。
「……どうして、こんなことになったんだ?」
太白はそっと息を吐き、本を閉じた。
指先で表紙をなぞる。
どうすれば、この混乱した気持ちを整理できるのだろう?
「太白?」
ふいに、聞き慣れた声がした。
太白は驚いて顔を上げる。
目の前には、夕娇が立っていた。
手には一冊の本を持ち、彼の様子をじっと見つめている。
「……一人で?」
夕娇は優しく問いかけた。
「うん……ちょっと、資料を探してて。」
太白はそう答えたが、声にはどこか力がなかった。
夕娇は彼の向かいに腰を下ろし、持っていた本をそっと彼の前に差し出した。
「私が前に読んだ本だけど、もしかしたら役に立つかも。」
太白は本の表紙を見つめた。
それは心理学の入門書だった。
しばらく沈黙し、やがて彼は小さく笑ってそれを受け取る。
「ありがとう。」
「最近、すごく疲れてるみたい。考えすぎじゃない?」
夕娇の言葉に、太白はふっと息を飲んだ。
「……そうかもしれない。」
彼は答えながらも、何かを言いかけてやめた。
夕娇は静かに彼を見つめる。
その眼差しには、複雑な思いが込められていた。
「太白……一人で抱え込まなくてもいいんだよ。」
その声は、まるでそよ風のように優しく、けれど確かに彼の胸に届いた。
太白はゆっくりと顔を上げた。
そこにあったのは、いつもと変わらない夕娇の笑顔。
けれど、どこか切なさを含んでいた。
「……夕娇、ありがとう。」
それだけが、今の彼に言える精一杯の言葉だった。
その声には、かすかに震えが混じっていた。




