極悪令嬢の誕生
「クソ、離せ! そんなもん着るくらいなら舌噛み切って死ぬ!」
「それは困るなあ、『大人しくしてて』」
「ぐぅ……!?」
両脇にいる侍女を振り切ろうとしたが、『命令』を下されると身体の動きはユーベルの思い通りにならなくなる。悔しさに目の前の金髪男を睨むが、ソファで紅茶を嗜む男はどこ吹く風。何度か反発しようと試したが、これっぽっちも逆らえない。非常に、本当に、不本意だが。
暴れなくなったユーベルに対し、今のうちにと身支度を始める侍女たちを睨むが、視線に怯えながらもしっかりと仕事は務めるらしい。その姿勢は素晴らしいが、ユーベルにとっては好ましくない。今まで見たことがない華美な衣装を着せられようとしているのだ、抵抗できるものなら早く逃げ出したい。
「……こんな格好させてどうするつもりだ」
「おや、伝えたつもりでいましたけど」
「婚約者云々の話なら、了承した覚えはないからな!」
「逆らうのであれば仕方ありませんね、早速死刑の用意をしますか」
「うぐ……!」
……こういった具合で動きを封じられ、丸め込まれ、王都に連れ戻されたユーベル。
戻って早々に風呂に突っ込まれ、何人もの侍女に身体を磨かれ、今度はこうしてコルセットで締めつけられている。そもそも、さっきまで死刑に処するつもりだった人間を減刑してまで婚約者云々といった戯言につき合わせる意味がわからない。説明しろ、と唸ってはみたが、まずはその格好どうにかしてくださいね、と今に至る。
やはりあのときそのまま逃げていれば……!
ユーベルは唇を噛み締めるが後の祭り。
大した抵抗もできないまま華美な衣装に化粧、髪の手入れまでされて、ユーベルは全身鏡の前に立つ。
「身支度が整いました、グロリア様」
「……誰だ、この女は」
ユーベルは鏡に写る女を見て首を傾げる。
そうすると、同じように鏡の中の女も首を傾げた。
鏡の中の女は濃い紫色の髪、赤の瞳で、先程から侍女に着せられた真っ赤なドレスを身に纏っている──ユーベルとは似ても似つかない貴族然とした女だった。
「……っくく、やはり気付いていなかったようですね」
「おい、どういうことだ!」
後ろにいる男に噛みつくように鋭い声を上げるが、男は心底可笑しそうにくすくす笑っている。
「貴女が『僕のことを覚えていない』と言ったときからおかしいとは思っていましたが……名を聞かせていただいても?」
「……ユーベル。下級市民だ、姓はない」
「僕から見た貴女はカルデロン公爵家の一人娘、グロリア嬢。三大公爵家の中でも最も高貴な血を受け継ぎ、その血統の高さ故に傲慢な態度を隠しもせず横暴を繰り返す問題児。果てには第二王子である僕との婚約を取り付けるために婚約者のアイリーンを呪殺。国家反逆罪として死刑判決が下った身ですよ」
「……なんだって?」
全く身に覚えのない罪状に、流石のユーベルも眉根を寄せる。
そんな大層な犯罪をしていたら確実に覚えているし、これで脱獄成功してたのだとしたら暗殺仲間に自慢できるほどだ。
「悪いが、全く記憶にない。他を当たってくれ」
「それがそうもいかないんですよね」
男の視線が、周りの侍女へと移る。
それが人払いの合図だったのだろう、察しのいい女たちは衣擦れの音だけを残して退室した。
「『兵士が外部の魔術師に操られてる』、先程言っていたことは本当ですか?」
「……? 本当も何も、見ればわかるだろう? 王族ともあろう者が闇魔術に精通した人間を侍らせてないのか?」
「………………」
皮肉のつもりで発した言葉に返事はなく、かと言って『大人しくする』という命令に縛られたままのユーベルは身動きも取れないままに、自らを王子と名乗った男を見つめる。
魔術には5つの大分類と、そこから枝分かれした10の中分類がある。分類が異なれば得意分野も異なる。闇魔術が特化しているのは『精神干渉』だ。催眠、魅了に記憶改竄から精神破壊までなんでもござれ。
ただでさえ魔窟の貴族社会に、対策としてお抱えの闇魔術師がいないなどあるはずが──
「……闇魔術は異教の魔術。それを扱う人間は、この国にはもう存在しません」
「……は? 何言って、現にアタシは──」
「……だからそれがおかしいんですよ、この国の闇魔術師は……先代の国王陛下が全て排斥したはずなんですから」
この口ぶりからするに、国家権力とやらで全ての闇魔術師を『排斥』という名前で殺したんだろう。
なんて馬鹿なことを、と思う反面、そんなお触れ出ていたか? と内心で首を傾げる。
ユーベルが捕まったのだって1ヶ月前だ。
先代というくらいだから、10年や20年前でもおかしくはない。しかし、闇魔術師だからといって追われた覚えは──暗殺関連で追われたことは多々あれど──ない、と言える。
そもそもユーベルは問題なく闇魔術を使えている、と思考を巡らせて、違和感を覚える。
「……おい待て、だとしてもおかしいだろ。この女は|闇魔術を使う素養がある《・・・・・・・・・・・》」
魔術には適性がある。
それは生まれながらに決まっていて、覆ることはない。
適性のない魔術を行使すれば肉体にも影響が出る。軽度なら頭痛、重度なら血を吐くくらいだ。
ユーベルがどうやってこの女の中? 精神? にいるかは皆目検討もつかないが、実際にユーベルは闇魔術を使用できた。ということは、この肉体も闇魔術を元々使えたと考えるのが自然だ。
「……考えたくはありませんが、カルデロン公爵が娘の属性を詐称して報告している可能性はありますね」
「だろうな。排斥なんて馬鹿な真似するからこうなる」
「……それは非常に耳が痛い話ですね」
「まったくだな。じゃあその『排斥』対象であるこの女もアタシも、てめぇの婚約者なんぞには相応しくないってことでいいな?」
「それとこれとは話が別です」
「はぁ!?」
「本題を話していませんでしたね、ここへ『座りなさい』」
「うぐっ、ちっくしょう……!」
従いたくなくても、体がユーベルの意思に反して勝手にソファへと向かっていく。口では悪態を吐くものの、王子とやらの目の前のソファに座ることになる。
せめて目線だけは威嚇しておこうと鋭く睨みつけているけど、効いているのかいないのか涼しい顔のまま。
「……先程の話でわかったかと思いますが、この国には闇魔術師がいません。ただの一人も、です」
「それがどうかしたか?」
「そのせいで、他国からの『内部侵略』に対抗できていない、というのが現状です」
「……内部侵略?」
目の前の男が言うことをユーベルのわかる範囲でまとめるとこうだ。
この国は現在、隣国と休戦中なのだと。
戦争そのものはうちの国が優勢だったが向こうからの停戦協定の打診があり、現在はその調停会議中。……なのだが、隣国はやれ条項が気に入らないだの、やれ休戦中に暗殺されかけただの文句を言い、会議が始まっては中断を繰り返し早半年。
休戦調停するための会議が長引いてるのだという。
「……バカだろ、それ」
「隣国の国王も素直に折れるような人間ではないとわかっていたので、ここまでは想定内ですが……」
想定外なのは、隣国が闇魔術を利用して、こちらの国の内部の人間を次々と手中に入れているということらしい。
最初は一般人が自爆テロを。
次いで商人が流通ルートを封鎖、流通品の制限を。
辺境の領地では街道の通行に急な関税を敷いたり、納めるべき税収を偽造したり。
あちこちで問題が起きる度に首を刎ねたり処分を下したりしているらしいが、頻発するせいでキリがない。しかも、闇魔術師がいないものだから事前に誰が操られていて、誰が味方なのか判断がつけられない。
このまま、もっと上位貴族にまで精神操作の手が及べば国政すらままならなくなるだろう。
「果てには、王家直属部隊にも、ってか」
「ええ、そうです。……このままでは国は崩壊します」
「だからってこんな犯罪者を婚約者に仕立て上げようってか? 頭イカれてんのか?」
「……それで、国が救えるなら」
「………………」
さっきまでの揶揄うような空気はない。
真剣に考えているのだろう、とは思う。
──だからといって、ユーベルには関係のない話ではあるが。
「アタシがそんな善行に力使うと思ってんのか? この、人殺しでメシ食ってる女が」
「ええ、やってもらいますよ。必ず」
美しい笑みを崩さないまま掲げる左手の薬指には、真っ赤な宝石のついた指輪。当然、ユーベルの左手にもついているもので、苦々しく睨みつけるしかできない。
隙を見て外そうと試みたこの指輪だが、全く外せる気配がない。最悪指を切り落とせば、と思っているが、そんな時間を与えてはくれそうになかった。
「……それに、まだ問題は残ってるだろ」
「問題、ですか?」
「この体の女はてめぇの婚約者を呪い殺したんだろ? そんな女を婚約者に据えるなんて、暴動が起きるぞ」
「ああ、それはご心配なさらず」
ぱちんと男が指を鳴らすと、どこからか写真が一枚。
ユーベルに見えるよう置かれた写真には、この体の女──グロリアにそっくりな女が写っていた。
「処刑は行います。代理は用意できていますからね、安心してください」
「んな、じゃ、じゃあアタシはどうなるんだよ! この女が表向き死んだって、解決にはならねぇだろ!」
「落ち着いてください。順を追って説明しますから『黙って』ください」
「んぐ……!」
文句すら言えなくなり、大人しく男の話を聞くしかなくなる。
男は白い手袋のまま机の上にあった菓子類をひとつ、ふたつと並べていく。
クッキーがユーベル、チョコレートがグロリア。説明を加えながら動かしていく。
「まずは、この醜聞の張本人、『グロリア』を処刑します」
チョコレートがぱきり、と真っ二つに折られる。
その立ち位置に、クッキーがすい、と移動する。
「貴女は『グロリア』の遠縁、として婚約者候補に上がります。理由は……そうですね、今回『グロリア』によって拉致された僕を助け出した功績、とでもしておきましょうか」
皿の上から小さなタルトをひとつクッキーの隣へ。
マシュマロをひとつ、少し離れたところへ。
タルトがこの男、マシュマロが公爵らしい。
「カルデロン公爵には少し圧力をかけて、貴女のことを本当に遠縁だと吹聴してもらいましょう。元々の法では闇魔術師は生まれた瞬間死罪、匿ったものも死罪。それを知っていて隠匿したものも死罪ですから、そこをつけば従う他なくなります」
「…………」
本当にやな奴だな、と思ったし口がきける状態なら言ってたと思うが、自動的に口をつむぐことになる。まったく、貴族連中ってのは謀略やら策略やらが好きだよな。そんなんじゃ腹も膨れないってのに。
「貴女に頼みたいのは、城内の精神汚染された人間の摘発、そしてできることなら──その術者の特定、捕獲です」
捕獲でいいのか? の意味を込めて首を傾げる。
そんな輩、さっさと殺してしまった方が後腐れもないのに。
「不思議そうな顔ですね、『喋っていい』ですよ」
「ぷはぁっ! ……それなら殺した方が早くねぇか?」
「ああ、いいんですよ。せっかくですからお土産を持たせて帰っていただきますので」
「……ふーん?」
真意は不明だが、何かあるんだろう。
依頼主からの注文に深入りしすぎない、これは師匠も言ってたことだ。無言が金になることも、無知が良しとされることもある。
「……で、それってアタシに拒否権ないんだろ?」
「当然、そうですね」
「はっ、まったくやってらんねぇよ!」
『大人しく』している分には、多少手も動く。
机の上に置いてあるタルトをひとつ奪って、そのまま口に放り込む。王族が食べるものとあって、ユーベルが知っているものとは雲泥の差がある。
しかし、近いうちに絶対に引きずり下ろしてやる、と心に決める。
「……いいぜ、わかった。この路地裏の女蠍ユーベルが、この任務請け負ってやるぜ」
行動を制限できるからと言って、意思まで縛れると思ってもらっちゃ困る。
ユーベルは自分の意思で、命を対価に依頼を受ける。
これならいつも通りだ。
決して目の前の男の言いなりになったわけじゃない。
──こうして、極悪令嬢はここに誕生したのだった。