予定未調和の断罪
「それでは! 刑を執行する!」
ぼんやりとする頭を持ち上げて、それから違和感に気付く。
確かに私は、死刑を宣告された。
けれど、ただの犯罪者である私──ユーベルに下された刑は市中引き回し。重罪を犯したのだからそれはそうだろう、と納得したのだが。
目の前にあるのはギロチン。
それは貴族やそれに準ずる立場の者を処刑するためのものであって、私のような犯罪者に使うものではない。そのはずだ。
いくつか拷問を受けたせいで頭が朦朧としているのかとも思ったけれど、鈍く銀の光を放つ刃物が確かに見える。
そういえば、手首を拘束する枷も魔法制御用ではなく普通の木板で──
──バキ、バキバキ!
──簡単に壊せてしまうのに気付いてからは早かった。
裏社会で暗殺者として何人もの命を奪ってきた彼女にとっては、この程度の拘束を抜けることなど造作もない。
抵抗しないだろうと踏んでいたらしい両脇の兵士を昏倒させ、腰から下げた剣を奪う。両手に剣を構えると、向かってくる兵士どもの鎧の継ぎ目へ切り込む。正確に狙った隙間へ剣身を柄まで埋め、反対の手で別の剣戟を受け止める。
動かなくなった剣は捨て、そのまま別の剣を拾いながら背後の兵士の喉元に斬撃を叩き込む。振り向き様に剣身を水平に薙ぎ払うと、彼女を中心に囲む兵士たちが半歩後退する。
一瞬だけできたその隙を逃す手はない。
魔力を足に込めて跳躍する。近くの建造物の壁面を駆け上がり、垂直に降り立つと、ようやく全体像が把握できた。
整備された広間に作られた高台。
立派な処刑台とそれを見守る大衆、銀の鎧に黒鉄で施された紋章。貴族社会に疎い彼女でも知っている。
星の光と狼を模した象徴。
王家血族以外が身に着けることが禁じられた光を飲み込む黒。
ここにいる兵士は、王家直属の部隊だ。
だとすればやはりおかしい。
彼女──ユーベルは重犯罪者とはいえ、下級市民だ。
その処刑に王家の兵士が出張る必要性は感じられない。
そもそも投獄されていたのも海辺の街だったし、これほど整備された場所ではなかった。
しかしその疑問を解消する時間を与えてはもらえない。
ユーベルの頬を火のついた矢が掠める。
兵士たちはそれぞれ弓をつがえ、矢尻はユーベルへと向かう。壁面を走って躱していくが、弱っている今の状態で持久戦に持ち込まれれば分が悪い。
次々と飛来する矢をいなしながら周囲を確認する。
打開策は周囲の状況から捻り出すもの。恩師の言葉を思い出しつつ、ユーベルの瞳が1人の人間を捉える。
たった一人、光を飲み込む黒であつらえた黒の鎧。太陽の光を溶かして撫でつけたような金の髪、こちらを睨み上げるアメジストの瞳。あれだ、と直感が告げる。
この空間で最も重要な人物であり、最も人質に適しているのは。
そうと決まれば実行に移すのみ。
壁を蹴り、空を蹴って速度を上げると、一瞬で金髪の青年から剣を取り上げて喉元に押しつける。
「動くな! この男の首が惜しければな!」
広間の喧騒がしんと静まりかえる。
剣を携えた者も弓をつがえた者も、この金髪を盾にすることでたたらを踏んでいるらしい。これは都合がいい。じりじりと包囲網を狭めてくる兵士たちを嘲笑うように口角を持ち上げ、空間転移魔法で姿をくらませる。
広間に残るのは間抜けな兵士と馬鹿な民衆だけだ。
⬜︎⬛︎⬜︎⬛︎⬜︎
男一人を引きずって逃げ回るにはいくら魔法で身体強化をしていても限度がある。
何度か空間転移したところでユーベルの魔力が底をついた。仕方なく道中で拾った農具を壊し、魔法で形状を変えて男の手枷に作り変えた。後ろ手に回した手首を拘束し、ふう、と一息つく。
とりあえず駆け込んだのは、町の外れの倉庫のような小屋。無理矢理鍵を破壊して入ったが、埃の積み具合からしてどうやら使われていない小屋のようだ。これ幸いと、連れてきた男を柱へくくりつけた。もちろん、腰から下げたご立派な剣はいただいておく。
「安心しろ、お前が人質として価値があるうちは殺しはしない」
「……貴女、私が誰かわかった上での狼藉でしょうね?」
「……? 顔に覚えはないが、国王に縁のある人間だろ?」
その鎧を見ればわかる、とユーベルは男の身体を指差す。というか、ユーベルはその男の顔に見覚えがなかった。下級市民とはいえ、流石に国王とその系譜の姿絵くらいは見たことがある。けれど、目の前にいるような男はいなかったはずだ。まあ、姿絵が誇張されているのなら話は別だが。
そう告げると、男は不審なものでも見るような目でこちらに視線を向ける。
「……何を言っているんですか? 頭でもイカれましたか?」
「ああ、そうかもしれないな! あれだけ拷問やら尋問やら受ければ頭のひとつやふたつ狂ったっておかしくはないさ!」
「……拷問?」
「ああ! 高貴なお坊ちゃんは知らないだろうけど、私のような下級市民は罪を犯したら貴族たちにいろんな拷問を試されるんだ、それこそおもちゃみたいにね!」
思い返すのも気分が悪くなるような日々が蘇りかけて、頭を振ってそれを追い出す。
目覚めたときに意識がぼんやりしていたのもそのせいだ。おかげで体力も魔力もいつもより回復が遅い。兎にも角にもまずは食事だ、と小屋にある棚を漁ることにする。保存食の類いがないかと期待してのことだが、残念なことにそのまま食べられそうなものは残っていないようだ。
あるのは僅かな小麦や萎びた芋類のみ。まあ、芋なら焼けば食えるか、とユーベルはいくつか拝借することにする。
どうしてか静かな人質を他所に、今のうちにどこかの家に盗みにはいるべきかを考えていると、男はゆっくりと口を開いた。
「……貴女は自分の罪を覚えていますか?」
「何だ急に、おしゃべりな人質は殺されやすいのを知ってるか?」
「いいでしょう? 僕は縛られていて口しか動かせないのですから」
「知ったところでこちらの死刑は決まってるんだ、無駄口叩いて時間を稼ぐつもりなら残念だったな」
「僕は知っての通り、王に連なる権力者です。私を納得されられたら減刑されるかもしれませんよ?」
「………………」
……意図が読めない。
ユーベルから情報を引き出したところで、罪状の取り調べは既に終わっているはずだ。調書を見ればわかることをわざわざ言わせる必要性が見当たらない。
……とはいえ、真っ当にユーベルと話そうとする人間は久しぶりだった。
暗殺者として仕事をしているときも身分の低さから道具のように扱われ、捕まって拷問されているときなどもっての外だ。……だからだろうか。
少しだけ、芋の皮を剥いている間だけなら、とユーベルは埃を被った木箱に腰掛けた。
「そりゃあ、小さい頃から何でもやったさ。盗みに恐喝、詐欺に殺人。生きるのに必死だったからな。それでも運が良かったのは私に人を殺す才能があったってことだな」
親もなく路上で暮らす子どもがどうなるかなんて想像に難くない。ありとあらゆる犯罪に手を染めて、何とか食い繋いでいずれ兵士に捕まって死ぬ。ユーベルがここまで生きてこられたのも運が良かっただけだ。
そして、今回は運が悪かった。
罪をなすりつけるにはもってこいだ。なんせ、洗えばじゃんじゃか前科が出てくる。
「それもとうとう運が尽きたと思ったところだったが……まだ神に見放されてなかったってことだな」
丁度いい人質を見つけられたのは僥倖。
あとは身を隠しやすいところまで引き連れて、あとはおさらばだ。人質から奪った剣で皮を剥き、器用に芋の芽を取る。掌に炎を作って、ほどよく芋を炙っていく。
「……貴女、ご自分が国家叛逆罪で捕縛されたのをお忘れですか?」
「国家叛逆罪! ははっ! どういうことか知らないが、裏路地の女蠍ユーベルと呼ばれた私も偉くなったもんだな!」
そこまで大層な罪状で処刑なら犯罪者として鼻が高いよ、とユーベルは大笑いする。
最後に彼女が請け負った仕事はもっとチンケなものだった。いつものように貴族同士の抗争で、敵対する相手の息の根を止める。闇魔法が得意なユーベルに取って、闇夜に潜んで暗殺するのは赤子の手を捻るようなものだった。
その暗殺対象が依頼主と組んでいて、別の犯罪の犯人に仕立て上げられていなければ。
炙った芋からいい匂いがしてくる。
そろそろいいか、と炎を片付けると、大口を開けて芋を齧る。味付けはないが、何週間ぶりかのまともな食事の前には全てのものが美味しく感じる。あっという間に平らげると、次の芋に手を伸ばす。
「……では尋ねますが、グロリア・カルデロンという名前に覚えは?」
「さてな、依頼で殺した人間なら覚えてるがそれ以外はさっぱりだ。どこかのお貴族様か?」
手際良く次の芋を剥く。
栄養補給したおかげで少しばかり魔力が戻ってきたらしい。もう少ししたら空間転移も可能になるだろう。ここがどこかは知らないが、包囲網さえ抜ければこちらのもの。身を潜めるのは慣れている。
再び炎を宿そうとして、ユーベルはぴたりと動きを止める。
「……どうやら、最近の兵士も捨てたもんじゃないらしいな」
近くにあった鎌を窓に向かって投擲すれば、鈍い声が響く。
人質から奪った剣を振りかざすと、扉を破って兵士が雪崩れ込んできた。向かってくる敵は十数人。外にはもう少しいるかもしれない。ユーベルは人質を盾にする位置から剣を構えると、にやりと口角を上げる。
「そこの兵士、さっき私に押し負けた奴だな? はは、よくもまあその面下げてこられたもんだ。恥ずかしくないのか?」
こんな簡単な挑発に乗ってくるかは賭けだったが、どうやら安直な性格の人間が何人かいたらしい。統率の取れた陣形から、勢いに任せて突っ込んでくる数人の兵士を剣でいなす。昏倒させるつもりで薙ぎ払ったが、流石は権力者の剣。兵士の鎧が紙のように切れる。
これならそれほど時間をかけずに制圧できるな、と思いながら何人かを相手取っていると、ゆらりと闇の魔力の気配が立ち上る。
ユーベルが視界を巡らせると、後方に控えた兵士の鎧から闇の気配がする。その兵士たちは既に倒れている兵士を踏みつけながら剣を抜き、こちらへ向かってくる。
まずい、とユーベルは目の前の何人かを倉庫の端まで蹴り飛ばす。それに見向きもせず走ってきた兵士は、人間の力とは思えないほどの膂力で剣を振り下ろす。
「くっ……!」
ユーベルもなんとか受け止めるが、ざり、と踵が後ろへ下がる。
……この状態の人間を見たことがある。
闇の魔力によって意識を奪われ、術者に操られている状態だ。こうなると人間には出せない力を引き出すことができるし、その人間の視界や聴覚を術者が遠隔で支配できる。その反面、操られた側は徐々に精神を蝕まれ、いずれは闇に意識を喰われて廃人になる。
一般的には禁忌とされているが、裏では往々にして使われているものだ。
……それが王国直属の兵士にまで横行しているとは思わなかったが。
こうなった人間はもう終わりだ──というのが一般的だがユーベルにとっては違う。
路地裏の仲間が何人も闇に侵され、自分で編み出したコツがある。少しだけ回復した魔力で影を伸ばすと、目の前の兵士の影と混ざり合う。影を足掛かりに兵士の意識へ魔力を潜り込ませ──闇の魔力を喰らう。操るための魔力を奪ってしまえば術は自動的に動きを止めるのだ。
しばらく拮抗していた兵士だが、程なくして不自然な形で崩れ落ちた。
「よし、これで半分くらいか」
ぺろりとユーベルは舌なめずりする。
闇の魔術に侵されていた影響は少なくなく、しばらくは動くことは不可能。そして、喰らった魔力はそのままユーベルの魔力になる。普通の人間には脅威かもしれないが、闇魔法を得意とする彼女にとっては一石二鳥の餌に過ぎない。
残り半分の兵士を身体強化で組み伏せ、切り倒し、闇に侵されている兵士からはちゃっかり魔力を頂戴して、兵士の山を積み上げた。
「ったく、王家直属の魔術師の目は節穴か?」
結局、兵士全体の1/3が闇に侵されていた。
その分ユーベルは回復できたのでラッキーだが、国の兵士がそれではどうなんだ、という気持ちはある。
ともあれ、魔力は充分。
とっとと離脱するのが最善だろう。
「……あんた、王家の権力者だったな?」
……だというのに、おせっかいにも男に声をかけてしまったのが、きっと間違いだった。
「国家の犬のくせに外部の魔術師に操られてるなんてとんだ間抜けだな、一回クビにした方がいいぜ」
自分から権力者だというくらいだ、それなりに王家に近しい血筋なのだろう。
最後に悔しがる顔を土産に立ち去ろうと振り返った先には、その美しい顔が驚いたように目を見開いていた。かと思えば神妙な面持ちになり、ユーベルは思っていた反応と違うことに少しだけ首を傾げる。
「……ちなみに、どの兵士が操られていましたか?」
「あ? なんでそんな親切に教えてやらなきゃいけないんだよ」
「そうすれば、貴女を指名手配するのをやめてあげてもいいですよ?」
「…………そんな権限がお前にあるのかよ」
「ええ、もちろん」
ぐぅ、とユーベルは少しだけ唸る。
逃げるのは得意とはいえ、指名手配されないのは正直ありがたい。いや、本当にこいつがそんな権限を行使できる立場なのか、というのもわからない以上、甘言に乗るべきではない。
「信用ならないな、そんなこと言っても死刑は変わらないだろ」
「ああ、そうでしたね。貴女の罪状も軽くしてあげましょう」
「…………そんな簡単にできることか?」
「ええ、僕なら可能です」
にこりと微笑む表情に揺らぎはない。
……確かに、王家の兵士が攻撃を躊躇うほどの人間であればそのくらい可能なのかもしれない。少し情報を与えるだけで減刑なら儲けものではないか?
相手は拘束されているし、剣はこちらの手にある。
それならば、とユーベルは小さく息を吐く。
「……いいか、一回しか言わないぞ。そこに寝てる奴と、あそこで壁に逆立ちになってる奴と……」
「僕は動けないんですよ? もっと見える位置で教えて頂かないと」
「……急に傲慢だな」
「無理な要求を通そうとしているのですから、このくらいしていただかないと」
はぁ、と今度は大きな溜息を吐く。
仕方なくユーベルは男の方へ歩みを進める。
少しだけ視界を良くしてやれば見えるだろう、そう思ってのことだ。
縛られたまま座っている男を持ち上げようと、腰を屈めたときだった。
「う、わ……!?」
ぐん、と手を引かれて体制を崩す。
拘束していたはずの男が、ユーベルの左手首を掴んで引き寄せていた。咄嗟に膝をつくが、そのまま身体ごと地面に引き倒され、あっという間に男は馬乗りの状態になる。何をする、と身体に魔力を通す前に、男はユーベルの指に金属製の輪を通した。
「お前、何を……!」
「まずはこうかな、『動くな』」
「……っ!?」
文句を言おうとした口が、身体強化しようとした魔力の流れが、右手に握った剣の動きが。ユーベルの意思に反して、動きを止めた。
髪の毛一本ほどの身じろぎも許されず、ユーベルは歯軋りもできずにそのまま真上にいる男を睨め上げる。
「君にはまだ利用価値があるみたいだからね、死刑はやめてあげよう。ああ、もちろん指名手配もなし。求刑も再審してできるだけ軽くすることを約束しよう。その代わりに──」
ユーベルを見下ろしたその男は、その顔を最も美しい笑みの形にする。
「──僕の婚約者兼、奴隷になるのが条件だよ」
まあ、この指輪がある限り君は僕の言うことから逃れられないんだけど。
振ってくる身勝手な要求に、ユーベルは文句を言うことも唾を吐きかけることもできず。
心の中で『このクソ野郎が』と罵ることしかできなかった。