4-08 保健室登校したら異世界召喚されました ~『傾聴力』で世界を救えって本気ですか?~
和佳は絶賛不登校なりかけの中学3年生。その日はなんとか登校したものの、プレッシャーから教室には行けず、代わりに保健室に向かうことを選ぶ。
だが保健室の扉を開けた途端、踏み込んでいたのは謎の異世界。
そこで和佳は『聖女』としてこの異世界に召喚されたのだと告げられる。出来損ないのライトノベルみたいな設定に驚く和佳だが、聖女として神に与えられた特殊能力は『傾聴力』だという。
『傾聴力』? 何、その全く役に立たなさそうな能力は!
しかし追い詰められた和佳は、その『傾聴力』を武器に、地道に聖女活動を始めることとなる。
通学鞄は学校に行きたくないと思うほど、重たく感じるものだ。
和佳はほとんど中身の入っていない鞄を手に溜め息をつく。なんとか気力を振り絞り玄関で靴を履いたのに、鞄が重たくて足がなかなか進まない。
鞄には母親が買っておいた菓子パン2個と、筆箱。ノートが二冊。ハンカチとティッシュと、読みかけのライトノベルと図書室で借りっぱなしの本。お守り代わりのタロットカード一揃え。
もう帰ろうか。一度家を出たのだからいいだろう。
けれど久々の登校にホッとしていた母の顔を思い出せば、後戻りはできない。のろのろと足を進めて行くと、徒歩五分の中学校にはすぐにたどり着く。すでに授業が始まっているため、誰も外にいないのが救いだ。
既に校門は閉まっている。インターフォンで職員室を呼び、門の施錠を解除してもらう。
「三年四組の山本和佳です」
迎えに来た教師に挨拶し、まずは職員室に向かうと、無遠慮な発言ばかりする担任はおらずホッとする。
「……あの気持ち悪いので、保健室、行ってもいいですか」
登校しただけでも学校側は『よく来たね』とばかりに明るい声を掛けてくれる。とはいえ、学校からしても不登校児なんて正直やっかいな存在だろうな、とも和佳は思う。
(生きるのって……面倒だな)
和佳は、周りにこれ以上迷惑を掛けるくらいなら死にたい……とはさすがに申し訳ないし、怖いから言えないけれど、せめてここではないどこかに行きたいと思うのだ。
「そう、じゃあ少し保健室で休みますか?」
担任の代わりに対応してくれた教頭先生の言葉に頷いて、和佳は職員室の前を通り過ぎ、保健室に向かった。
(まあ保健室登校したって、どうせなんだかんだ言っても教室に行かせようとするんだけど……)
しばらく保健室で休むと『ちょっと教室に行って授業を受けてみる?』とかなんとか圧を掛けられるのだ。だが教室に足を踏み入れる瞬間を想像しただけで、和佳は心臓がぎゅっと縮こまるような恐怖を感じる。
教室に行けば、クラスメイトが和佳に擦り寄ってくる。和佳が学校に行けなくなる原因を作ったのは自分達ではない、私たちはいじめには加担してないのだ、何も悪くないのだと主張するように。
貼り付けた仮面のような笑顔を浮かべて近寄ってくるのは、以前仲良くしていたクラスメイト達ではなく、まるで顔だけ一緒のゾンビみたいだ。そのシーンが脳裏に浮かんだ瞬間、吐き気がこみ上げてくる。いつからどうしてそうなったのか、正直和佳もわからないが、本能的にあそこには行きたくない。
「はぁ……」
日が差し込まなくて暗い保健室前に立ち、靴を脱いで保健室に入る扉を開く。瞬間、廊下側から突風が保健室に流れ込み、和佳は咄嗟に下を向いてやり過ごそうとする。だがトンと何かに背中を押されて、顔を下に向けたまま、つんのめるようにして一歩前に進んだ。
「おめでとうございます!」
「召喚成功、おめでとうございます!」
次の瞬間、真っ白な世界にいた。刹那、和佳の耳に飛び込んできたのは、意味のわからない男達の言葉。それなのに、その者たちが発する晴れやかな音の響きと、発した言葉の意味ははっきりと理解できた。
「何?」
次いで鼻先を掠めたのは、ハーブかお線香のような懐かしい香り。辺りが光で覆い尽くされていて、明るさに目がやられ、何が起きているのか見ることが出来ない。
「――え?」
開けたのは保健室のドアのはず。そう思いながらも徐々に目が明るさに慣れてくる。すると和佳の目に飛び込んだものは、真っ白な壁に囲まれた不思議な場所だった。
「おお神よ。感謝いたします」
「ようこそ、おいでくださいました。……聖女様」
歓喜に噎ぶような声を上げ、白い衣装を身につけた男達が両手を挙げて、和佳の元に集まってくる。年寄りや若い人も居るけれど、中には泣いている人もおり、その熱量に正直ドン引きする。
(ここ、どこ?)
さっきまで学校の中に居たのだ。動揺して、あちこちを見回しているが状況が掴めない。
繰り返されている聖女と言う言葉に不安を覚える。一人の男が目の前にやってきて、膝をつき頭を垂れた。伏せられた目は長い睫毛に覆われてはいるが、それでも綺麗な容貌だと思った。
「ようこそおいでくださいました。聖女様」
衣装は真っ白なフード付きのマントのようなものを着ており、年齢は和佳より少し上だろう。整った容姿はまだ少年の面影を残している。柔らかい声で話し掛けられて男性を見ると、彼はゆっくりと顔を上げ、和佳をじっと見つめ返す。
(綺麗な……青い目)
飛び込んで来たのは、グレーでも茶がかってもいない、混ざりけのない純粋な青い瞳だった。日本人では絶対にあり得ない目の色だ。一瞬現実逃避するように、交換留学生でも来ているのかと考えて、そんな問題ではないと気づく。
今の自分の立ち位置を確認するように慌てて後ろを振り向いても、今まで立っていた中学校の廊下は消え失せていて……。
「え……?」
『死にたくはないが、どこかに行きたい……そんな其方の贅沢な望みを、我が叶えてやったのだ』
驚きと衝撃に、ぐらりと体が傾く。激しい頭痛を引き起こす声が朗々と頭の中に響いた。
『其方に与えた天授は『傾聴力』。その力をもって聖女となり、悩める人々を救うがいい……』
「け、傾聴、りょく?」
頭に疑問符が浮かぶ。聞いた事ある言葉だけれど、意味が頭の中で繋がらない。必死で意味を理解しようとするが、頭痛で思考が上手く働かない。それどころか意識を保っていることすら難しくなってくる。
「聖女様っ」
先ほどの男が一歩踏み出して、和佳の体を支える。だが耐えがたい程の神(?)の発する圧力に屈するように、和佳は完全に意識を失っていたのだった。
***
「傾聴力??? って何かと思ったら人の話を聞くだけの能力? どこかの総理大臣じゃないんだから、もうちょっとマシな力を寄越しなさいよ!」
ガバッと布団を跳ね上げて身を起こす。その布団の重さが、保健室の寝具のイメージと一緒で、ほっとしながら布団を握りしめた。
(保健室前で気を失ったのかな……どちらにせよ、変な夢を見たな……)
和佳は白い布団を握ったまま、深々と息を吐く。だが触れているものに違和感を覚えた。そっと撫でるとそこには細かい刺繍がビッシリと縫い付けられていることに気づいて、ゾワリと背筋が震える。
(ちょっと待って。保健室の布団に、こんな刺繍が付いているわけないし……)
保健室の布団はものすごくシンプルな綿素材のカバーがついていたはず。なんだろう、すごく嫌な予感がする。
つまり、ここはいつも通い慣れた中学校の保健室、ではないのかも知れない。背筋に冷や汗が流れる。
次の瞬間、近づいてくる足音に気づき、そちらに視線を向けた。走ってきたのは頭から布を被り、髪を覆い隠した修道女のような格好をした女だ。というかやっぱりここは保健室ではないことに辺りの景色で理解した。
走り寄る女の背景は木と石で作られた素朴な部屋で、まるでそれはアニメや映画で見た、ヨーロッパの昔の家、みたいな……印象だったからだ。
「誰か、聖女様がお目覚めになられました! 大司教様にお知らせください!」
叫ぶ女を見ながら、和佳は先ほどのことが夢ではなく、現実だと思い知らされたのであった。
大司教様がお会いになります。と言われた和佳は、着せられていた寝間着から、一応この世界に来たときに着ていた制服に着替え直す。鞄も一緒に保管してくれていたらしい。一瞬菓子パンの存在を思い出したが、防腐剤がたっぷり入っているから、一日ぐらいは大丈夫だろう。
事情がわからないし、偉そうな人から話を聞いたら、少しは何か理解できるかもしれない。
そしていつも通りの制服を身につけて大司教の前に出る。だがそこに居たのは……。
「貴方が、大司教様、なのですか?」
通された部屋は綺麗に整えられた執務室のようなところだった。ただ作りは木と石を中心にした素朴な物ではあったが。壁には何か宗教的な紋様が細かく織り込まれたタペストリーがあり、その前に座っていたのは、先ほどの青い瞳の若い男だった。こんな若い人が大司教なんていうものすごく偉そうな立場の人なんだろうか。
「……ええ、私はユリウスといいます。はじめまして聖女さ……」
「あ、私の名は和佳です。というか、そもそも聖女って……なんなんですか。それにここはどこですか? 私が突然こんな所に来たの、どうしてなんですか。全部、説明してください」
一気に言葉が溢れ出す。事情を聞かないと納得できそうもない。
「まずここはナルパドス王国正教会の本部です。貴女はこの国を救う聖女として召喚されたのです。実は今年の春から、国のあちこちで、魔物が発生するようになり、瘴気が王宮近くで立ちこめて、国は大混乱に陥っています。そして質の悪い病まで流行り始めています」
男性は和佳の手を取り、ぎゅっと握りしめた。間近で見る美形の威力はすごく、ついドキドキしてしまう。
(ってそうじゃなくて!)
そんなの全部そっちの事情だ。それよりどうしたら帰れるのか聞かないといけない。だが男性はそんな彼女の事情を完全無視して、手を握りしめたまま話を続けた。
「ノドカ聖女様には、この不幸に見舞われた我が国を救って頂きたいのです」
彼から何だか逃げ切れない必死さを感じる。
(っていうか神さま? そんな悲劇的な状況下で、『傾聴力』がなんの役に立つんですかね?)
助けないといけないのならもうちょっとマシな能力が欲しかった。思わず和佳は頭を抱えてしまったのだった。