4-07 AI-NO-YUKUE
高校一年生の古賀有樹と今野陽子は隣の家に住む幼馴染み。二人は同じ高校に通っていた。そんなある日、陽子は交通事故に遭い体を自由に動かせなくなる。
陽子はヘアバンド型の脳機能補助システムを使って、失われた脳機能を補完する。しかし、このシステムはまだ不完全で、日常の動きに苦労していた。
そんな陽子のために、有樹はとあるコミュニティの協力を得て、新しいアプリを開発。このアプリはAIを活用し、陽子の動作を学習してサポートするもだ。アプリをヘアバンド型支援システムにインストールしたところ、陽子の動作は劇的に改善され、再び学校に通うことができるようになった。
陽子が久しぶりに学校に登校するとクラス中に話題になる。さらに、陽子に告白をしようとする男子も現れ、有樹の心情は穏やかではなくなった。追い打ちをかけるように、先生からは市内で活動しているAI排斥運動の過激派に関する警告がなされるのだった。
「怖くない? 痛かったり苦しかったら言って」
部屋の中は薄暗く陽はすっかり暮れていた。部屋の灯りはつけておらず、長い髪にヘアバンドがよく似合うはずだがぼんやりとしか見えない。
ここは幼馴染みの今野陽子の部屋だ。ベッドの上で横たわる陽子の首筋に手を伸ばす。
「だ、大丈夫……でも、ちょっと怖いかな?」
陽子は不安げに俺を見上げる。俺は口元を緩め安心させるように言った。
「大丈夫だよ、陽子」
「うん、信じてるから。だから有樹の好きにしていいよ」
俺はその言葉に心臓が高鳴るのを感じながらも、平静を装いノートパソコンから伸びるケーブルを陽子のヘアバンドの端子に接続した。
「あっ……!」
その瞬間、陽子はビクンッと身体を震わせる。
「どうした? 」
「う、ううん……なんでもない。続けて」
陽子の頬が紅潮しているのを見ながら、ふうと一息ついて俺はパソコンのエンターキーを押した。
キュイーンとパソコンが唸り音を立てながら、画面上の進捗表示が伸びていく。
「どうだ? 身体は動くか? 手足は?」
そう尋ねると、陽子は起き上がって指を折り曲げ、伸ばす動作を繰り返した。彼女が手を差し出すと、俺はその手を取る。
「うん、すごいよ! ほら!」
陽子は嬉しそうに笑った。そして、俺の手を引き、スムーズにベッドから立ち上がる。
「やったー! これでやっと学校に行けるね!」
陽子の喜びに満ちた顔を見て、俺は思わず嬉しくなる。ようやく陽の光の下で生活できるようになったんだ……そう思うと感慨深いものがあった。
俺、古賀有樹と今野陽子は幼馴染みの高校一年生。家が隣同士で家族ぐるみの付き合いを続けている。
同じ高校に通っていたが、陽子は交通事故に遭い、体を思うように動かせなくなった。彼女はヘアバンド型の補助システムを購入して、失われた脳機能を補っていた。
……だけど。
「これね、まだまだ使いこなせてないの。人差し指だけ動かそうとしても全部の指が動いたり、歩くだけでもバランス崩したり……学校に通うのはムリかなぁ」
そう俺に愚痴ったのだ。
彼女のために何かできることはないかと、その補助システムに関する情報を探してみた。そして、アップデートが行われないその補助システムを改善しようというコミュニティを見つける。俺はそこで得た知識と支援をもとにAIを組み込んだだけの新しいアプリを開発した。完成したアプリを持って陽子の家を訪ねたのは、今から約1ヶ月前のことだ。
勝手知ったる幼馴染みの家。陽子は部屋着でベッドに座っている。軽く世間話をして、本題を切り出す。
「そのヘアバンド型端末、ちょっと貸して?」
「うん、いいよお」
そう言って、ベッドに横たわりヘアバンドを外す陽子。これがないと、起き上がることもできないようだ。
「パソコンに繋いでみていいか?」
「いいよお。でも大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。プロテクトかかってるけど、まあこういうのは……」
俺は慣れた手つきで接続を開始する。
「やっぱり、思っていた通りだ」
操作用のアプリを起動する。すると応答があり、操作が行える様子。さっそく俺なりに改良したアプリで、陽子のヘアバンド型端末に接続してあれこれと弄る。
「何してるの?」
「ちょっとな。じゃあ、これ返すから付けてみて」
「うん」
陽子は横になったままヘアバンドを頭に装着。俺はパソコンを操作して、新しいアプリをインストールした。このアプリは俺のノートPCにアクセスし、リアルタイムに通信を行うものだ。
「これでよしっと」
エンターキーを押すと、画面には『OK』の文字が浮かぶ。
「じゃあ陽子、起き上がってみて」
「うん……よっこらせっと」
陽子は前よりもスムーズに体を起こせるようになっていた。
「おおっ!」
「すごい! 楽に動けるよ!」
寝ている状態から体を起こすという動作だけでも苦労していた。当たり前のことが当たり前にできる、それだけで陽子は相当に嬉しかったらしい。
しかし、陽子はベッドから降りようとするが……バランスを崩してしまう。
「きゃっ! 有樹どいて!」
「おっと」
陽子は驚きながら俺の方に倒れ込んでくる。俺は陽子を抱き留めながらそのまま後ろに倒れた。
ドーンと大きな音が聞こえ衝撃が背中に伝わってくる。
「いたた……。ごめんね、有樹?」
陽子は俺の上で抱きついたまま謝ってくる。その表情は申し訳なさそうだけど、どこか嬉しそうでもある。
しかし身動きが取れない。俺はなんとか声を絞り出すようにして言った。
「陽子、重い」
実は重くはないのだけど、胸の膨らみが間近にあるという壮観な風景を前に、思わず口走ってしまった。
「ぶー」
頬を膨めて陽子は俺に抗議の目を向けるてくる。でもたぶん、陽子は俺の言葉が本気ではないことに気付いている。
「ホントに楽になったよ! ありがとう有樹……ほんとうに、ありがとう」
そう言って俺の胸に顔を埋めてくる陽子。俺は彼女の背中に手を回し、優しく抱きしめた。柔らかい感触と体温が伝わってくる。そしてシャンプーの甘い香りが鼻腔をくすぐった。
しばらくそうしていたが、やがて陽子は顔を上げ恥ずかしそうに言う。
「ねえ、そろそろ降りていい?」
「もも、もちろん」
俺は陽子から手を離すと、彼女はゆっくりと身体を起こした。そしてベッドの縁に腰掛ける。
やはり動作は緩慢だ。とはいえ、これでもかなり楽なのだという。
「慣れたら、もっと楽に出来るのかな?」
「それもあるけど、このアプリは俺の特製で、AIがどんどん陽子の行動を学習していくんだ。だから、もっともっと体を動かすのが楽になるよ」
「そうなんだぁ。じゃあ、もっと色々試してみたいなあ」
陽子はワクワクした様子で言う。
「ああ、好きなことをたくさんやろうよ」
「うん!」
俺はそんな陽子を見て、思わず笑みがこぼれるのを感じたのだった。
それからというもの、俺は放課後毎日のように陽子の部屋に出かけた。そして俺の改良を加えたアプリのAIが学習していくうちに、通学ができそうなまでになったのだ。
そして、陽子にとって待ちわびた登校日がやってくる。
「おはよ、有樹!」
「お、おはよ」
俺が家の玄関から出ると、陽子は元気よく挨拶をしてきた。
久しぶりに見る陽子の制服姿はやけに新鮮に感じる。陽の光を浴びて輝くように笑う陽子に、俺は目が眩むほどだ。
「じゃあ行くか」
「うん!」
俺は陽子の手を取り、歩き出した。陽子は嬉しそうに、俺の手に指を絡めてくる。その仕草が可愛らしくて俺の胸は高鳴る。だけど——。
「あっ、これ、恋人繋ぎってやつ?」
「え、いや、これは……その、指が自由に動かせるのって嬉しくって」
ゆっくりと俺の手から離れる陽子の指。少し名残惜しい。
「陽子、一つお願いがあるんだけど」
「改まっちゃって……なあに?」
「ヘアバンド型行動支援システムだけど、俺のアプリを使っていることは誰にも内緒にして欲しいんだ」
「うん、分かってるよ。学習型AIを使ってるからだよね?」
学習型AI、ディープラーニングが持ち上げられたのは随分前のことだけど、今ではこの手のAIが世間に浸透し始めている。便利になる一方で、AIによって仕事が奪われるという話もある。さらには、そういった忌避感から排斥運動も活発になっている。
「うん、その通り」
「大丈夫。誰にも言わないから安心して。有樹との秘密だもん!」
陽子はそう言って笑う。俺はその笑顔を見てホッと胸をなで下ろした。
学校に到着すると、クラスメイトたちの視線が集まる。無理もない、陽子はここ数ヶ月登校していなかったのだから。注目するなという方が無理な話だ。
「今野さん久しぶり! 元気そうだね」
「あー陽子ちゃんやっぱ可愛いなあ」
クラスの女子や男子から、次々に声が上がる。もともと男女ともに人気のあった陽子なので、これは当然の結果なのだろう。
陽子は少し恥ずかしそうにしながらも、笑顔でクラスメイトと会話している。俺はその様子を微笑ましく眺めていた。すると——。
「古賀くん、今野さんと仲良かったよね? もしかして付き合ってたり……?」
一人の女子が俺の名前を出してそんなことを聞くものだから、周りが一気に騒ぎ出す。
「えーっとね、そういうのはまだ……」
「まだ!?」
「じゃあ、そのうち付き合うってこと?」
陽子が曖昧に答えたせいで沸き立つ女子たち。さらに男子も交じり、混沌とした状況に発展してしまう。
俺は否定する気になれない。俺が陽子を好きなのは間違い無いし、今は告白のタイミングを計っている。
だけど——。
「今野さん、ちょっと話があるんだけど……今日の放課後、時間あるかな?」
クラスの陽キャ男子がそう陽子に話しかけた。この感じは告白をするつもりだと沸き立つクラスの男女たち。
同時に俺も動揺する。マジかよ……と。
「おい、お前ら落ち着け!」
学級委員の男子が声を上げるも、一度火がついたものは止められない。結局ホームルームが始まるまでその騒ぎは続いたのだった。
やがて先生が教室に入ってきて、ホームルームが始まった。
先生は陽子の復帰を温かく迎え、喜びの言葉を伝えた。そして、最後に深刻な表情でこう言ったのだ。
「最近、AI排斥運動の過激派が市内で活動しているとの情報があります。直接、私たちに関係があるわけではないと思うけれど一応、登下校の際は気をつけてください」
俺は先生の言葉の真意や背後に潜む危険を理解していなかった。俺の頭の中は、陽子が男子からの告白にどう答えるのかでいっぱいだったのだ——。