4-04 死者が見える男は探偵役を望まない
被害者の幽霊が見える三十路の男、城戸菁。
昔から殺人事件に遭遇しやすい体質であったが、常に傍観者に徹してきた。
それは己の身を守るため、そして、幽霊が見えるからといってそれが事件を解決するものではないと考えているからだ。
下手な推理は身を滅ぼす、それが彼の出した結論だった。
ある日、女子高校生である姪、石蕗すずなから呼び出された彼は、彼女の親友が自殺した事件を協力して推理することを依頼される。
放っておけば暴走しかねないすずなの為に、渋々彼は調査に同行する。
嗚呼。またもや滑稽な劇が行われている。
絶海の孤島。洋館で起こった連続殺人事件。その終幕へ向けて、エントランスに集められた人物たちが語り合う。
それは――犯人によるミスリード。
おそらくその推理が虚構に塗れていることを知っているのは犯人たちと被害者たちと、そして俺だけだろう。
何故なら。
探偵役を務める女を指さす、胸部から血を流す中年男性。最初の被害者。
探偵役のアリバイを証明していた男を睨みつける、首に擦過痕のついた若い女。二番目の被害者。
俺はそんな被害者たちが見えている。見えてしまう。
「――以上のことから、唯一犯行可能であった彼は二人を殺し、大量の睡眠薬を服用し自殺したんでしょうね」
探偵の皮を被った犯人は滔々と告げる。おそらく筋書通りだったのだろう、迷いのない語り口だ。
「だけど、あの人に二人を殺す動機なんて! それに明確な証拠がないじゃないですか!」
犯人に仕立て上げられた青年と親しかった女性が否定するように叫ぶ。
「ええ。ですが、この場には警察もお医者様もいません。今ある情報から可能性を消しさった結果、彼以外には誰も犯行なんてできなかったんですから。はっきりとしたことは警察が証明してくれると思います」
話はこれで終わりだと言わんばかりに犯人は議論を打ち切ろうとする。
「でも!」
それでも食い下がろうとする彼女に俺は声をかけた。
「やめておけ。警察の調査次第ではひっくり返るかもしれないだろ」
俺には彼が犯人ではないと分かるし、探偵たちが犯人だと言える。だが俺にはそれらを証明する手段はない。
犯人である以上、彼らのアリバイや証言が疑わしい。そこから論理的に組み立てて、立証する。そんな頭の良さは俺にはない。
そういうのは警察の仕事だ。
「あら、城戸さんは別に犯人がいるとでもお考えですか?」
真犯人が俺の言葉に反応する。
「俺は探偵じゃないからな。何も分からんよ。ただ、可能性はゼロじゃないって思っただけさ」
俺はエントランスホールを見上げる。
そこに漂うように浮かぶ、青褪めた青年に俺は詫びるように頭を下げた。
孤島の事件から数か月後。
俺は都内のファミレスに呼び出されていた。
平日の真昼間から目の前で三段積みのパンケーキを貪っている姪、石蕗すずな。年齢よりも幼く見えるのは姉貴譲りの大きな双眸のせいだろうか。
「叔父さん! 考えてくれた?」
パンケーキをフォークにぶっ刺したまま、突然話を振ってくる。
こういう唐突なところも姉貴に似てきたなと感慨深い。
「メールの件なら断ると言ったはずだが。というかお前、学校はどうした」
「サボった!」
「姉貴に怒られ――」
「許可済み!」
言葉を被せて押し切ろうとする姪。
色々と言いたいことが出てきたが、とりあえずは黙って様子を伺う。
俺の側にはアイスコーヒー、彼女の側にはパンケーキの隣にクリームソーダが並んでいる。若いっていいなと、どうでもいいことが浮かんで消えた。
「報酬は私の体! しかも処女! おっぱいもあるよ!」
「せめて、声は小さくしろ。あと、その条件でも断るわ」
先ほどから周囲の視線がちらちらとこちらに向いていて居心地が悪い。おそらく姪は気づいていないだろうが。
「何が不満なの! 男の人ってこういう付加価値好きでしょ。同人誌で見た!」
「不満しかないわ。強いて言うなら、そういう考えでいる間は、まだお子様なんだよ。すずな」
高校のセーラー服が似合ってはいるが、未だに幼い風貌と相まってどことなく着られている風にも見える。パンケーキから離れ、クリームソーダをじゅるじゅると飲む姿はやはり子供っぽさが際立つ。
「これでも十七歳だし!」
俺の視線に気づいてか、姪は取り繕うように姿勢を正す。
「あのなぁ。処女ってのはボージョレ・ヌーボーみたいなもんだ。雰囲気を楽しむものであってけっしてよいものじゃない」
そこに価値や意味を見出すかは人それぞれだが。
「お、おぉ……叔父さんが大人っぽいこと言ってる……!」
謎の感銘を受けている彼女を軽く小突く。
「というか近親相姦だろうが。姉貴に殺される」
「ママはオッケーだって。親子丼とかもあるんでしょ! 同人誌で見た!」
「オッケーじゃねーだろ。あとお前、未成年だったわ。教えはどうなってんだ教えは」
姉貴はマジで何を教えてんだ。あとそんな同人誌はとりあえず没収しろ。
「目的のために手段を選ぶな。我が家の家訓です!」
「そんな家訓投げ捨ててしまえ」
義兄貴はこの母娘とどう接してるんだろうか。色んな意味で心配になってきた。
「というか、叔父さんならできるってママ言ってたよ」
「あー……。姉貴、まだ覚えてたのか。二十年以上前なのに」
ガキの頃、死者――当時はお化けだと思っていた――が見えることを姉貴に相談したことがあった。
子供特有の勘違いや空想の類だと笑っていた姉貴だったが、二人で殺人事件に巻き込まれてしまい話が変わる。
この間の孤島のように被害者の霊が犯人を指し示していた。
ただ、ガキの俺にはそれが何なのか分からなかった。
幸いだったのは姉貴がいてくれたこと。姉貴が死者が指さすその意味を察してくれて、俺たちは沈黙することで難を逃れた。
次の被害者にならないように。下手な推理で、敵を作らないように。
その教えのおかげで俺は今日まで生き永らえてきた。
「叔父さんは犯人分かるんでしょ」
犯人だけ分かっても、推理にはならない。
「分かるだけだ」
分かったところで被害者は蘇らない。
「じゃあオッケー」
過去の被害者たちを思い出し、俯いた俺を覗き込むように顔を差し込む姪。
「オッケーじゃねーだろ」
迷推理ならまだマシだ。犯人が可能性を恐れるような推理になってしまったら。無事ではすまないかもしれない。
「犯行推理は私がやるよ!」
爛爛とした彼女の瞳は強い意志を秘めている。俺にはあまりにも眩しすぎる。
「やるよ、じゃねぇよ。なんでそこまでやろうとする」
「親友が殺されて、何もしない。なーんてできると思う?」
「……警察がどうにかするだろ」
アイスコーヒーを啜ると酷く苦みを感じた。
警察が何とかした事例もあった。何とかできなかった事例もあった。
孤島のように。証拠の隠滅や捏造する時間があるならなおさらだ。
俺はこれまで見て見ぬふりをしてきた。これからもそうするつもりだ。
「叔父さんなら自殺か他殺か分かるでしょ?」
「そうだな」
俺が見る幽霊は被害者だけだ。
なんでそうなのかは分からない。俺がミステリめいた殺人事件に遭遇しやすい体質も分からない。
この世に神がいるのなら、俺に探偵をしろという思し召しなのかもしれない。
「それだけでも十分ヒントになるんだよ。だから一度やってみない?」
そんな神の意思が、もしかしたら姪にも及んでいるのかもしれない。
「動機はどうすんだ」
俺はそんな意思を否定するように問いかける。できれば諦めてほしい、そう願って。
「……」
「考えてなかったのか」
「いや。えっと、ほら。なんていうのかな。ぶつかって、こう後は流れでェっていうか。そう! 推理の過程で浮かび上がってこない……かな?」
先ほどの勢いは嘘のように消え、彼女はしどろもどろに答える。
「止めておけ。下手な推理は身を滅ぼすぞ」
俺はここが分水嶺だと思い、強く言い切った。
けれど、毅然とした態度ですずなは言い返した。
「じゃあ、その時は叔父さんが探偵してよ」
その目は、姉貴にやっぱりよく似ていた。
「お前、まさか」
「私だけでもやるから」
そう言って彼女は席を立つ。
いつのまにかパンケーキとクリームソーダは空になっていた。
「本当によく似ているよ」
俺は伝票を握りしめ、姪の背を追った。
都心から離れ、奥多摩の山の中。駐車場に併設された展望台に俺たちはいた。
見晴らしの良いこの場所で、姪の親友は死んでいたという。
既に死体は片付けられ、静かに森の木々がそよいでいる。
ただ、現場と思われる箇所に小さな花束が添えられている点だけがここで何かがあったことを示していた。
「なぁ、すずな」
俺の声は震えていないだろうか。姪に向ける目は同様していないだろうか。
ここまで見えることを後悔したことはないかもしれない。
「どうしたの? 叔父さん」
現場で手をあわせていた姪が振り返る。
その隣には、姪と同じセーラー服を来た少女が、彼女を指差していた。