4-02 記憶の蓋とキーパーソン
「おじゃましまーす!!」
昔のことを思い出せない、いわゆる記憶喪失の青年、レンはサウスクロス領に流れ着く。
その地でなんとか新しい生活を始めたレンはある日、古い建物の調査を依頼される。
そこで出会うことになる存在の正体と、秘密とは。
記憶に蓋をされた青年と、その蓋を紐解くカギ達の物語。
「――って、聞いてなかったんですか!?」
「いや、聞いてた。聞いてたようん」
ざり…じゃらり。
身じろぎをする度に体に巻き付いた鎖が音をたててこすれ合う。身じろぎができるということは、締め付けはそこまで強くない。抜け出すのは決して難しくないはずだ。
はずなのに、体を起こそうとするとその鎖は締め付けを増し、体を強く拘束してくる。
ぎし…がっ。がちゃん!
「くそっ、どうなってるんだ」
悪態と一緒に体から力を抜くと、同時に鎖の締め付けも緩くなる。その繰り返し。
とはいえ、いつまでもこんなところで鎖に巻かれたまま椅子に縛り付けられているわけにはいかない。
「おや、お目覚めかい?」
「……誰だ?」
何とか抜け出そうともがいているうちに、突如としてそいつは現れた。足音も気配もなく、声を駆けられて初めてその存在を認識した。
「『誰』、と……。ふふ、その様子だと蓋はうまく機能しているようだね」
「何を言って…っ」
いるのか、と問い詰めようとした時に力が入ったのか、鎖が再度体を締め付ける。それと同時に、鈍い痛みが頭にも走った。
「ぃ…や、お前、は」
知っている。知らないはずがない。俺は、こいつを知っている。だが、それが誰なのか思い出せない。思い出そうとすると、その記憶に蓋がされる。あるのはただ、『こいつを知っている』という感覚のみ。
「ああ、だめだめ。そんなに乱暴なことしちゃ。とはいえ、うん。この調子なら直に全部思い出せなくなるね」
のんきなことを言っているそいつに、どういうことかと問いただそうとする。
問いただそうと口を開き、そして。
「……」
「おや、どうしたんだい? そんなぽかんと口を開けて」
何を聞こうとしていたのだったか。いやそもそも、なぜ。
こんな誰かもわからない奴に、そんなことを聞こうとしているのか。
なによりもまず、俺は一体…。
「俺は一体…誰、なんだ?」
自然と口から出た言葉に、返事はない。
その代わりに返ってきたのが。
「うん、よし。こんなもんかな。……ではでは、よい旅を。あでゅー」
ひらひらと手を振るそいつを引き留めるべく。立ち上がろうとして初めて、体が拘束されていることに気が付く。
遠くから聞こえてくる水、波の音に本能的な危機感を覚えながら、視界が黒く染まっていく。
そうして、一度俺の意識は途切れた。
「……い、おい! 大……か!? …こがど……わか……?」
次の瞬間、視界は真っ青な空へと変化した。
いまだ、ぼやける視界で隣からの声を確認し、話を聞いてようやく。自分が気を失っていたのだと理解した。
★
「ん……」
ぱちり、と目が開く。さっきまでは暗く、静まり返っていたはずが、明るくなっている。耳をすませば鳥の鳴き声や、既に活動を始めた店の従業員が忙しなく動き回る音が聞こえてくるぐらいだ。
「あさ…か」
まだ少しぼんやりした頭でそれだけ呟くと、起き上がって伸びをする。ぱき、ぱきと手首から出る音を聞きながら、軽く体の調子を確かめる。……どうも問題ないらしい。
よし、と上げた腕を振り下ろして欠伸を一つ。少しは回るようになった頭で今日の予定と、食料の残りを思い出していく。
(今日は確か、シューザさんのところの畑を手伝うって話だったよな。で、昼からは鶏の世話を手伝う約束だったっけ。……鶏と言えば玉子、まだ残ってたよな)
最近は少しマシとはいえ、あまり長持ちしないのでもう使い切ってしまうぐらいでいいだろう。そこまで考え、足早に窓まで向かうとその勢いのまま開け放つ。
途端に、ふわりと入り込んでくる風。磯の香りを多分に含んだその風は、この場所が海に面しているということを強く強く印象付ける。
――サウスクロス。
南風と出会う地、と言う意味らしいこの場所が、今の俺の故郷だ。
程よく調理した朝食を急ぎ過ぎない速度で平らげ、家を出ると、既に太陽は高くなりつつある。
少し急いだほうが良さそうだと、駆け出した。
★
「ほいよ、いつもありがとねぇ」
「こちらこそ。シューザさんも腰、気を付けてくれよ」
手伝いの駄賃を受け取り、その場を後にする。
あの調子なら、今度の収穫期も豊作になりそうだ。……つまりは収穫の手伝いも、重労働と言うことに他ならないのだが。
「おや、レンくん。今日も精が出るね」
「……領主か。まぁ頑張らせてもらってるよ」
そんなことを考えながら歩いていると、不意に横合いから声をかけられた。
少しまるっとした体格に、細くて閉じられているかのような目。ほっほっ、と息を上げながら近づいてくるのは、このあたりを収めるサウスクロス領領主、その人。
そして、俺の保護者を買って出てくれている人。
「もう一年ぐらい前になるかな、君を拾ったのは」
ちょうどお昼時だったこともあって、一緒に食事でもと誘われ、領主と二人して近くの食事処へやって来ていた。
席に着き、一通り注文を済ませた領主が口にしたのは、俺がこの領地にやって来た、いや流れついた時の事。
「あの時は本当に焦ったよ。まさか海岸に人が流れ着いているなんてね」
そう。一年前、俺はこの領地の海岸に流れ着いた。意識を失ったまま、それも記憶喪失というおまけ付きで。
……自分のことながらよく死ななかったものだ。気を失ったまま海を漂流して、助かる可能性がどれだけあるだろうか。
ふと頭によぎった最悪の可能性を、頭を振って追い出す。
「それもこれも領主のおかげだ。あの時拾ってくれたのが貴方じゃなかったらどうなっていたか」
「それは大したことじゃないさ」
運ばれてきた食事を口にしながら、何でもない事のように言われるが、決してそんなことはない。なにせ、身元も何もかも不明の身だ。怪しむべきところしかなかったはずだ。
そんな俺を介抱し、さらには条件付きとはいえこの領内で住まう権利まで用意してくれた。
「それに、一年たってなお、君を拾ったこと後悔なんてしてないよ」
「と…いうと?」
ぱちりと領主が片目を開く。
「領民から聞いてるよ? 雑用を積極的こなしてくれているそうじゃないか」
「……そりゃそういう条件だからな」
領主と交わした条件。それが、領内に住む領民の手伝いをこなす事。力仕事から細かい作業まで多岐にわたる。
とはいえ、それが条件なのだから、やって当たり前のような気もするが…。
「それでも、だよ。何事も続けていく、っていうのは難しいものさ」
うんうんと勝手に頷き始めてしまった領主を横目に、目の前の皿を空にする。この領主は意外と頑固なので、こんな時は何を言っても無駄。聞き流すしかない。
「…とまぁ、そんな君に、私からも依頼をしようか」
テーブルの皿が粗方片付くころ、領主が不意にそんなことを言ってきた。
★
「ここであってる…よな?」
翌日。
領主からの依頼と言う、この領地ではほとんどの事よりも優先度の高い雑用を受け、俺はある建物の前にいた。
外観も、昨日領主から聞いた通り、壁にツタが生えた二階建ての建物。辺りを見渡しても近くに他の建物はなく、ぽつんと建っている。
……どうやら間違いなさそうだ。
『領内にある古い建物なんだけど、どうにも怪しい噂が絶えなくてね……』
曰く、無人のはずなのに夜な夜な声がするとか。
曰く、売りに出すものの数日でまた売りに出されるのだとか。
領主的には、どこかで聞いたことのある類のうわさが大量にはびこっているらしい。もちろんそこは領内であるため、売買の記録はきちんと残っているので、所有者がすぐに手放しているのは本当らしい。しかも今はもう、新しい買い手がつくこともなくなっている。
「ぐ……重いな」
その上、にぎわっている市街地からは少し離れているため利便性もなく、領主の管理も書類上ある、といった程度。であれば当然、壁以上に扉がひどいありさまだった。押してもきしむ程度で、開く気配がない。
『老朽化しているはずだからね、多少乱暴して壊してしまっても問題ないよ』
そうすれば取り壊す手間も省けるからね、などと宣っていた領主を大胆といっていいものかどうか。
ともかく、許可をもらっていることを思い出し、おもむろに足を振り上げる。狙いは取っ手よりもやや外側。
「おじゃましまーす!!」
思いっ切り蹴り開ける。
―――結果から言えば。幸い、扉は開くだけで壊れることはなかった。
長らく積もっていた埃が舞い上がり、差し込んだ日の光に反射して輝く。
そして。
「うへゃあぁ!!!」
聞こえてきたのはそんな、少し気の抜けるような叫び声だった。