4-22 ひつじ雲の空の下で、私の王冠はからまっていく
【この作品にはあらすじはありません】
暮れていく教室で
私はアクリルの毛糸と格闘してる。
白い王冠みたいな型にオレンジ色の毛糸を交互に引っ掛けていくだけなのに、いつもどこかで目が抜けてしまう。
ここから見える、サッカー部がいけない。
本当は、そこに見えるあの部員がいけない。
背が小さいのに、身体を張ってボールを止めに行ってる。
何度も弾かれて、ふっとばされて、グランドに転がっている。
その度に、手が止まる。
私の手の中の網目は、どこだか分からなくなる。
監督の声と共に散らばっていた部員たちが一つの場所に集まっていく。
今日はもう終わりだね。
お疲れさま。
私は心の中で呟いて、開けていた窓を閉めた。
ひつじ雲の空の先が
薄い青から茜色に変わっていく。
日が落ちるのが早い。
サッカー部が終わるのも、早くなっていく。
ふと下を見ると、もう挨拶は終わってグランドの整備に部員が散らばっていた。
じゃれ合いながら器具を取りに行ってる姿を見るのもとても楽しい。
子供みたい、と言ったらいけないんだろうな。
あ、怒られた。
監督の怒号が響いて慌てて掛け声をかけながら整備してる。
きっと、遊んでんな、とかなんとか、言われたんだね。
「がんばれ」
丁寧にグランドを回っている部員に届かないエールを呟いて、私は教室の電気をつけ、またアクリルの毛糸と向き合った。
****
集中して毛糸を編んでいると、バタバタバタ、と階段を上がってくる音がする。
誰か忘れ物したんだな、と思っていると、ガラリと教室のドアが開いた。
「あ、入っていい?」
「……っどうぞ」
緒川くんが教室に入ってきた。あちぃ、と袖で汗を拭いながら教室の後ろにあるロッカーに向かうのを、私は目で追うことなんてできない。
今のいままで遠目で追っていた人が来てしまった。
同じクラスだから普通に入ってくるのは当たり前だけど、でも今は放課後でクラスには他に誰もいなくて、私はひっそりと観葉植物のように生きているから緒川くんとも目があったことも話した事もなくてっ……どうしよう……!
私は、突然の訪問に胸が早鐘のように鳴り出すのを止められず、手を高速で動かしてやたらめたらに編んでいく。
ごそごそと教室の後ろで動いている気配を最大限に感じながら、早く出ていって欲しい、という思いと、同じ空間に居たい、という思いとで頭の中で感情が風船のようにふくらんできた。
「おーい、網目、飛びまくってるけど」
「へぇ?!」
突然頭の上から声をかけられて、手の中の型を思わず離してしまった。
「あっ」
机を跳ねて落ちていってしまう作りかけの白い王冠を追うと、目の端に背後から日に焼けた腕が伸びて床に落ちそうな型をキャッチした。
「あっぶね、汐崎、これずっとやってるけど、いくつ作るの」
「ひ、百個」
「ひゃっこ? 今、何個目?」
「に、二十個」
「文化祭で売るんだろ? あと二週間で八十個かよ」
「う、うん。毛糸、買っちゃったから……編みきりたい」
「あー買いすぎってやつか。分かった。もう一個ないの? この白い編むヤツ」
「ある、よ?」
「貸して、俺もやるわ」
緒川くんはそう言うと私の前の席をこちらに向けて座った。
机に置いてあるカゴの中には、白いプラスチックで作られた、手のひらほどの大きさのリング型がある。
その型は片面だけ毛糸をひっかける為の鍵ぼうがついていて、それに毛糸をひっかけて編んでいくのだ。
緒川くんはカゴの中から型と八十巻きで揃えてある青色の毛糸の束を出した。
短く刈り上げたこめかみから大粒の汗が流れている。緒川くんも私も両手がふさがっているから、彼が自分で拭ぬぐくことも私がふいてあげる事も出来ない。
ていうか、ふいてあげるだなんて、なに考えてるの……ばかあゆ!
「これ、最初どうだったっけ」
「あ……内側にテープで毛糸を止めてから、内側と外側を交互に糸を引っかけていくの」
「おー、なんとなく思い出した」
「やったことあるの?」
「かーちゃんに無理矢理ね。そん時はバザーに出すとかで一ヶ月で二百個。毛糸買いすぎだっつーの」
王冠みたいな型を片手にもちながら、緒川くんはひょいひょいと深い青色の毛糸を編んでいく。
藍色が好きなんて、意外だ。
クラスの男子に人気な緒川くんはいつも明るくて、ひまわりみたいな黄色とオレンジの合いの子みたいなイメージ。
高校になっても背が低いから女子にはマスコット的存在。でも、私からみるとすごく男子っぽいと思う。
あんまりからかわれるの嫌いだし、部活で何回転がってもすぐ立ち上がって向かっていくし、こちらから見ると子供が大人に挑むように見えても、決して譲らない。対等に渡り合って、転がっている。
そういうところ、いいなって、思う。
そんな風にみていたら、胸が高鳴るようになってしまった。
「汐崎ってさ」
「は、はいっ」
「海みてーだよな」
「は、はい?」
海? うみ? 汐だから?
「あ、名前じゃなくってさ。なんつーか。いつも、この辺にいるって感じ。わかる?」
「わ、分からない」
「だよなー」
緒川くんは机に両肘をつきなが、網目から目を離さずに綺麗に編んでいく。
私はウミという言葉が脳裏を駆け巡って自分との関連を探すのだけど、汐崎っていう名字しか思い浮かばくてなんだか気が焦ってくる。
「あ、汐崎、また網目飛んでる」
「わぁっ」
「あ、馬鹿っ」
目の前に形の良い節ばった指が伸びてきて、私は驚いてまた型を手から離してしまった。
緒川くんが手に持った型ごと私の型も捕まえたので、二つとも無事だったけれど、巻き束が落ちてしまい、編むために巻き糸から伸ばしていた二色の毛糸が交互に絡まっていく。
みるみるうちに重なり合うオレンジと深い青の糸。
「……やば」
「うん、やばいね」
私は型は緒川くんに任せて、机の端を片手で握って支えながら座ったまま二つの巻き糸を取った。
「絡まっちゃった」
「あ、ああ」
オレンジは、緒川くんをイメージして選んだ色。
私の好きな青とからんで、ほどくのがもったいないと思ってしまったのは、内緒だ。
私は緒川くんに編むのをストップしてもらいながら、ねじねじと絡んでしまった毛糸を逆に回転させてほどいていく。
緒川くんは私がさらに絡ませないか心配なのだろう、じっと私の手元を見ている。
非常に居心地が悪い。
というか緊張で手汗かきそう。毛糸が湿ったら恥ずかしいし、もうさっきから心臓が鳴りっぱなしだし、正直早くこの場から消え去りたい。
好きな人が目の前にいるなんて、
私には耐えられないよ。
「よ、よし、ほどけた! 緒川くん、ありがとう、今日はここまでにするね」
「お、おお、わかった。もう暗いしな」
下校時間も過ぎて、外は真っ暗だ。
私は文化祭まで担任の先生に許可を貰っているから、職員室に寄って声をかければそれで帰る事が出来る。
私がリュックを肩にかけると、緒川くんはやべぇ、着替えないと、と教室を飛び出して行きがてら、あ、そうだ、と昇降口出てすぐの所で待ってて、と早口で言った。
「え?」
「送ってく」
「や、いいよ、大丈夫」
「汐崎が大丈夫でも俺が大丈夫じゃないから送ってく、じゃ、後で」
緒川くんはそれだけを言うと、すごいスピードで階段を下がっていった、らしい。
足音が、凄まじくて。
ええ⁈ これでさよならじゃないの⁈
私はリュックを背負ったまま呆然と立ち尽くし、途方に暮れた。