4-20 都道府県獣
廃藩置県より100年、藩ごとで管理されてきた封印が解かれ、古代の獣は復活した。大地はめくれ、怪獣となり大海原を跋扈する。周辺海域の気候を変える《道獣ホッカイドウ》離島を遠隔操作する《都獣トウキョウ》人智を越えた神通力を持つ《県獣シマネ》人面鹿《県獣ナラ》騒音の蛸《府獣オオサカ》。日本に残された国土は、三県獣が引っ張り合った末取り残された富士山のみ。都道府県獣を討てばその体は大地に還る。戦え。大怪獣を討つために。戦え。国土を取り戻すために。戦え。その県境を破壊せよ。
富士山五合基地。その2番滑走路から、操縦桿を引き機体を離陸させる。
体に感じる急速なGの上昇。訓練で慣れたものだが、今回こそは訓練ではなく本番だ。
振り返れば海にぽつんと浮かぶ富士山が見える。現在の我が日本に残された国土はたったあれだけ。
攻撃を受けない高度まで上昇し、周りを見渡せば無限に水平線が広がっている。いや、よく目をこらせばユーラシア大陸は見えるか。
そしてポツポツと浮かぶ島のようなもの。よく見れば足が生え、のっそりと動いているソレらは、信じがたいことに日本の元国土だった。
無線からの指示とGPS、計器を頼りにポイントへ向かう。富士山基地からほど近い場所。高度を下げればその姿が見えてくる。
ずんぐりとしたカエルのような姿。しかしその大きさは、全長31km、高さ13.70km以上の馬鹿げた巨体だ。
鼻から目の上を通る二本の飛騨、両白の稜線。凸凹とした上半身と、ヌルリとした濃尾の下半身。
《県獣ギフ》
本作戦の目標である。
海域には無人戦艦が数台砲を構えている。空には俺のような戦闘機と、軍用ヘリ、さらに上空には爆撃機。
──中国やアメリカに多額の借金をして数を揃えた、今の日本が動かせる全戦力だ──
作戦前の上官の激が頭に残っている。
──この作戦が失敗すれば、今度こそ日本という国は滅亡するだろう。しかし我らはやらねばならん──
──必ず我らが国土を取り戻すのだ!!──
『第一作戦、県境把握を開始する。全部隊射撃を開始せよ』
命令とともに全方位から行われる射撃、砲撃。しかしそれらは《県獣ギフ》に当たる前に、透明な壁に燐光を発して妨げられる。
「あれが県境って奴か……」
あの障壁を突破しなければ話は始まらない。
俺も先程から射撃を行っているが、艦砲と比べれば雀の涙のような威力だ。しかしこの作戦における射撃は全方位から行い、効果を図る必要がある。
これでも貢献できている……はずだ。
攻撃を受けているはずなのに、《県獣ギフ》は動かない。第一目標に《県獣ギフ》を定めたのは、取り返せる国土が大きい割に予想される危険度が低く、さしたる特異性がないことにあった。
しかしだからといって、《県獣ギフ》が安全なわけではない。奴は五つの活火山を保有している。
『対象に動きアリ。総員攻撃を継続したまま警戒態勢に移れ』
無線からの声が聞こえるや否や、《県獣ギフ》の頭部に現れる五つの瘤。赤いマグマを垂れ流すそれが、一瞬膨らむのが見えた。
「砲撃来るぞー!!」
全チャンネルで警戒を促した瞬間、飛来する膨大な熱量を伴う巨岩。各火山からそれぞれ十数個の火山弾が放たれた。
「……くそっ」
二台のヘリコプターの反応がロスト。緊急脱出できていたところで、県獣に囲まれたこの海域では救助も絶望的だ。
だが仲間の死を悼んでいる時間はない。《県獣ギフ》の砲撃の連射性は高くないという予想だ。つまり今が好機。
『県境把握は完了した。第二作戦に移行する。スポットは頭部付近。戦闘機部隊は指定した座標へ即時移動せよ』
速度を上げ、あらゆる思いを振り切る。俺たちの役割はここからだ。
県境を突破するのに必要なのは射撃ではない。大陸間弾道ミサイルと、爆撃機による地中貫通爆弾である。射撃による効果測定により県境のウィークポイントを見つけ出し、そこに火力を集中させる。核ではないが絶大な威力だ。
これで破れなければ、日本人に勝ち目はない。
『着弾まで、5、4、3、2──』
閃光。轟音。
圧倒的な熱量に機体内部の気温が上昇する。
爆炎で何も見えないが──。
『突入!』
穴が、空いたらしい。
「っ……! 突っっ込め──!!」
一気に加速し、次々と爆炎に呑まれる戦闘機。
数秒後、視界が開けた俺の眼に見えたのは、脈動する一つの火山。
馬鹿な。
「旋回! 砲げ──!」
視界が何かに埋め尽くされた。
──後からわかったことだが、この火山は焼岳と言う。2021事変の時に記録が消失していたが、硫黄岳とも呼ばれる非常に活発な火山であったらしい。
目の前に海が映り、操縦桿を引き機首を上げるとともに自分が生きていることを確認する。
だがエンジンが損傷しているのか、速度が上がらない。このままでは失速の恐れがある。
「一か八か!」
俺は《県獣ギフ》の体表に突っ込むことにした。速度を落とし、高度を下げ、比較的安全に設計されている脱出装置を作動させる。
とはいえ装置の威力が高かったのか、落ちどころが悪かったのか、俺の意識はここで途切れた。
◇
激しい水音がする。
頬をくすぐる草の葉先に眉をしかめ、次の瞬間ガバッと身を起こした。
見上げれば空はなく、どうも体表に突入したはずが、《県獣ギフ》の体内にまで侵入できたことは想像がつく。
あたりを見渡せば滝があった。大きな滝だ。俺のスーツの表面が濡れている。あれに流されてきたのだろうか。
無線でチャンネルを切り替えながら呼びかけるが、応答はない。県境は電波を妨害するため外部との連絡が取れないのは想定されている。しかし突入したはずの他の戦闘機部隊の面々とも連絡が取れない。
県境内部にまで電波妨害が及んでいるのか、あるいは……誰も侵入に成功できなかったのか。
まぶたを閉じれば、その裏に先刻のおぞましい砲撃の光景が浮かぶ。
前者の可能性を信じたいところだ。しかし作戦に従事する軍人としての自分は、最悪のものとして後者を想定するのが無難であると、無慈悲な判断を下していた。
携行していた食料、水はどこかに行ってしまった。装備は軍用ナイフが一つ。ライフルが一丁。弾倉は半分がロスト。最低限の戦闘能力はあるとわかり、ホッとする。
「あの、気が付かれましたか?」
突然かけられた女性の声に、猫のように身を跳ねさせ身構える。
「えっ、あの……」
服装からして戦闘員ではない、一般人だ。俺は警戒を解いた。突然に声をかけられたとはいえ、かなり危ない行動だった。俺は侵入者だとバレてはいけないのだから。
県獣内には人がいるらしい。彼らは「住民」といい、人間というよりは《県獣ギフ》の血中細胞のようなものに近い。
この《県獣ギフ》内の世界が当たり前と認識しており、外の世界を認識できないため外へ脱出するという発想もない。2021年事変のことなど、名前すら覚えていないだろう。県獣ギフが活動するために従事する存在だ。
《県獣ギフ》が俺という一個人を侵入者だと認識すれば、たちまち彼らは俺を殺しにくる。
だが彼らは《都道府県獣》に取り込まれた元日本人だ。《都道府県獣》を討伐すれば、国土とともに彼らも解放されるとされている。
「いや、すみません。ついさっきまで悪夢を見てたものですから……。失礼、あなたが助けてくださったので?」
「滝壺で浮かんでいたのを見つけたときはびっくりしました……。喉乾いてませんか? こんなものしかないですけど」
差し出されたのは一つの瓶。「養老サイダー」と書かれている。
「サイダー、ですか」
「名物なんです」
飲食物を摂取すれば俺の「住民化」は進行してしまう。その分滞在可能時間も短くなる。
しかしこれを拒否して、侵入者であると《県獣ギフ》に勘付かれる方がリスクであると俺は判断した。
「いただきます」
旧式の金属製の蓋をナイフでポンと開け、弾ける甘い炭酸を喉に流し込む。
「ん、美味い。喉の乾きもあって飲みすぎてしまいそうだ。サイダーはサイダーですけど、三ツ矢サイダーよりちょっと古風な甘さですね」
「今は売られてませんけど、昔は東の三ツ矢サイダー、西の養老サイダーって言われてたんですよ。これはその復刻版なので、懐かしい味がすると思います」
三ツ矢サイダー。懐かしい響きだ。2021年以前の子供時代、愛飲とは行かないまでも時折飲んでいた記憶がある。
「お腹も空いていませんか? 近所におすすめのランチがあるんです」
ずいぶんと親切だが、これはお断りせざるを得ない。旧地図岐阜南部の県民性は名古屋文化だ。つまり安くて量が多い。
一度にそれだけ摂取してしまうと、どれだけ「住民化」されてしまうか想像もできない。
「養老ってことは……ここは養老の滝ですか」
「そうですけど、知らなかったんですか? 観光に来たのでは」
「気がついたらここにいまして」
旧地図の情報を頭に思い浮かべた。《県獣ギフ》内では方角や位置関係はかなり乱れているはずだが、隣接した街はある程度そのまま残っていると思われる。
「県庁……岐阜を目指しているんですが、どう行けばいいでしょうか」
「大垣を通っていくといいと思います。……もしかして、チジ様にご用ですか」
「……失礼、チジ様とは」
「この世界を取りまとめる長です」
ああ、チジって知事のことか。
「どんな方なのですか?」
「民の声を良く聞き、若くも皆を取りまとめる偉大なお方です。……実はお友達でして、たまにお忍びでお出掛けすることもあります。秘密ですよ?」
彼女は人差し指を口元に立て、片目を瞑った。
二人で養老渓谷を進む。
ここが養老の滝であるなら、幸運にもかなり「県庁」に近い位置に不時着できたようだ。
すでに第三作戦は始まっている。俺はこれから《県獣ギフ》の心臓部である「県庁」を目指す。
そして俺は、その知事とやらを討伐しなければならない。