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4-19 月・吸血鬼・好き ーvampiresses in the moon

月面に住む青崎カオルは、十五歳の誕生日を家族に祝ってもらいながら決断の一年を前に悩んでいた。

カオルたち吸血鬼一族は、十四歳までは人間と同様の生活を送り、十五歳の誕生日以降に人間から吸血してはじめて、吸血鬼として身体の組成が完成する。吸血し眷属となった相手は一生を添い遂げる伴侶となり、種の存続をともに担う。もし吸血せずに十六歳の誕生日を迎えればそのまま人間として身体が固着するため、吸血鬼として生きるか人間として生きるか、自身の意志で決める必要があるのだ。

血の誓約に基づき結ばれた眷属とのつながりは、何よりも得難く尊い。カオルは両親のような吸血鬼にも憧れるが、眷属探しに難航していた。意中の相手は同級生の女子なのだ。女子同士でも好きという気持ちは止められない。ただ、自分の気持ちと吸血鬼という種について受け入れてもらえるか、不安。

少し未来の月を舞台に、吸血鬼未満の少女が「好き」を決める一年。

 小ぶりのホールケーキ。純白の生クリームで塗り整えられた側面のカーブは白肌の艶やかな首筋のよう。上面のアメーバのようなベリィソースはどこまでも拡がる呪いよりも深く紅く。去年までの女の子女の子したお誕生日ケーキとは一線を画すような大人びたバースデイケーキが、照明の絞られた仄暗いリビングのテーブルで出番を待っている。


 薄闇に浮かんだ時刻表示が午前零時になると、父親の定春が緊張した面持ちで十五本並んだロウソクに火をつけ始める。普段の姿とのギャップに、カオルは吹き出しそうになるのを半笑いでこらえた。ロウソクの火が先端だけ小さくゆれる。


「十五歳の誕生日おめでとう、カオル」

「ありがとう。わたしのために夜遅くごめんね。で、なんでそんな真面目な顔なの?」


 といいつつも、その理由はカオルも理解している。今日、今この瞬間から「決断の一年」が始まるのだ。定春の隣で母親の理香子がニコニコしながらロウソクを吹き消すよう促してくるが、その瞳は不安気な光を隠しきれていない。いつものエプロン姿もどこかぎこちない。

 普段なら寝ている祖父母まで起きていて、青崎家一同がリビングに集合しカオルの誕生日ケーキを囲んでいる。


 カオルにとっても、家族にとっても、今日から始まる一年間は重く切実なものになる。カオルは生まれてから十四年間かけて、これまで起きたこと、これから起きることを両親に叩き込まれている。小学校に上がって国語や算数を習う前から、カオルは両親の授業を受けているのだ。


 授業内容は、吸血鬼のすべて。


 定春と理香子は月で生まれ育った移住二世で、カオルはそんな二人から生まれた生粋の月の子どもだ。天然の海で裸みたいな恰好で泳いだとか、友達と何十キロも夜通し歩いたとか、小さい頃に祖父から聞いた地球の話は、フィクションだと思っている。カオルにとっては月での生活が当たり前の日常で、変えられない現実だ。


 ただ、カオルにとっては当たり前でも、他の月の住民にとって当たり前でないのが、吸血鬼の存在である。初めて月面に降り立った吸血鬼がカオルの祖父母で、当時の月の移住者は千人に満たなかったという。


  吸血鬼の存在は人間に対して厳秘にも関わらず、なぜ漏洩する危険の高そうな月面に来たのだろう。いつも穏やかに微笑んでいる祖母もきっと、若いころは祖父に振り回されて怒っていたに違いない。


「カオルも十五歳かぁ、おめでとう。なんだか大人びて見えちゃうね」

「ありがとう、お母さん。わたしもこれで大人の女ですよ」


 理香子からのアイコンタクトを受けて、ほほを膨らませ小さくすぼませた口から細く勢いよく息を吐き出し、カオルはロウソクの火を吹き消した。少しのタイムラグで、定春が照明をつける。誕生日のお祝いの時にしか嗅いだことのないロウソクの匂いがリビングを漂う。ロウソクって他に使い道はあるのだろうか?


 明るくなった部屋で、両親と祖父母の少し緊張した顔がより鮮明に見えるようになる。伝播しそうになる緊張を跳ね返すように、カオルはことさら明るく笑った。


「ついにわたしもどっちかに決めないとだね。人間か、吸血鬼か」


 吸血鬼の両親から生まれた子は自然と吸血鬼になるのではない。十五歳になったら自分で決めなければならないのだ。

 定春に教えこまれた吸血鬼の法則が頭をよぎる。


 吸血鬼の子どもは十五歳になると、吸血鬼になるため身体の内側で変化が起こる。細胞単位で体内組成が組み代わり、人間の血を取り入れると、人間用の食糧から得る数十倍のエネルギーを生成することができるようになるのだ。一度人間の血を吸うことで吸血鬼としての体組織が完成する。時の流れと同様、吸血鬼への道は原則一方通行で、一度吸血鬼として身体が固着すると人間に戻ることはできない。


「お父さんは、人間のままでもいいかな、とか考えなかった?」

「お父さんは理香子さんと出会うことができたからなあ。理香子さんと出会うために生まれてきたんだって今でも思ってるよ」

「ちょっと定春さん、そういうことは子どもの前では……」


 血を吸われた相手は吸血鬼の眷属パートナーとなり、その後の一生を共にする。誤解されやすいが、この場合の眷属は奴隷という意味ではなく、自分の血を吸った吸血鬼のいうことをなんでも聞くようになるとか、そういったことは全くない。定春をやりこめる理香子の姿をカオルは何度も目の当たりにしている。


 物語の吸血鬼は欲望のまま眷属を増やしていくように描かれることもあるが、定春の眷属は理香子だけで理香子からしか吸血しない。吸血鬼のイメージといえば美人の血を求めて夜な夜な飛び回る姿が思い浮かぶが、定春は理香子一筋だ。まるで操を立てているかのように。


 そんな定春に応じるように理香子は今でも定春に対して配偶者というより恋人のように接する。自分の親に抱く感情としてどうかと思うが、カオルはそんな両親を微笑ましいと思っている。こんな関係を築きたいとも。


「この人なら大丈夫、っていう候補くらいはいるんだろう?」

「わたしがそう思ってても、相手の気持ちが一緒じゃないとダメじゃん」

「相手を決められなかったとしても、人間のまま生きるだけで死ぬわけじゃないし、ぜんぜん大丈夫」理香子はカオルを勇気づけるように続ける。「別に吸血鬼なんてうちだけじゃないし、カオルがならなくっても誰か別の子が種の存続はしてくれるよ」

「吸血鬼になりたくないってわけじゃないよ。お父さんにとってのお母さんとか、おじいちゃんにとってのおばあちゃんみたいな人が、わたしにも見つけられるか不安なだけ」


 もし誰の血も吸わずに十六歳になった場合、体内に発生した吸血鬼のための組織は喪われ、再び生じることはない。十五歳のうちに吸血鬼にならなかった者は、そのまま人間として生きることになる。


「カオルの人生なんだから、カオルが考えて決めればいい。人間のままの方がよかったー、なんてこともきっと出てくる。人生に後悔は付き物だけど、自分で決めたことだったら、なんだかんだつきあえるものだよ」


 そういって笑う祖母は、もしかしたら祖父の眷属になったことを後悔したのだろうか。もし眷属になってもらえた相手に後悔の念を抱かせてしまったら、自分なら耐えられない。頭に思い浮かべたその人の顔が、ずっと心からの笑顔であってほしいと願う。


「ありがとう、おばあちゃん。これから一年、しっかり考えてから決めるね」


 祖父に寄り添って座っている祖母に笑いかけると、カオルはスタッキングチェアから腰を上げた。


「じゃ、わたし寝るわ。おじいちゃんおばあちゃん、お父さんお母さん、お祝いしてくれてありがと」

「ちょっと! ケーキは?」

「明日食べるー。こんな時間に食べたら太っちゃう」


 カオルは自室に戻ると、ベッドに潜り込んでヘッドセットを装着し、QMN(クォンタム・メンタルフィールド・ネットワーク:量子精神野ネットワーク)を立ち上げた。カオルにとって深夜零時過ぎはまだまだ活動時間帯だ。ネットワークに潜ると同じような仲間たちがあちらこちらでおしゃべりしている。声をかけてくる友人たちに適当に返事をしながら目当ての人物を探す。


 量子コンピューティングと脳科学技術の発展がQMNとして結実し、月面における人類のコミュニケーションは一変した。QMNは接続した者の思考や意識を共有し、AIが仲介することで言葉にしなくても伝えたい情感をネットワークへ適切に流す。脳波センサーが本心を読み取るのでそこに誤解やすれ違いが発生することはない。対面して話をしていてもQMNに接続する者は少なからずいる。QMNがなかった時代にどうやって相手と意思疎通をはかっていたのか、カオルには検討がつかない。


「大切なことはやっぱりQMNを通さないとね……」


 独り言をこぼしながら徘徊していると、この世で最もカオルを蕩かす声が届いた。


「やっほー! 誕生日おめおめ! いぇーい!」


 頭の中に直接響いてきたルリの声に、心が強く掴まれたように一瞬収縮し、お風呂に浸かった時のようにすぐさまほどけてどこまでも解放されていった。緊張とリラックス。QMNを通して伝わってくる、嬉しい、楽しいというルリの感情が、カオルの心をより鮮明にさせる。


 カオルのIDと紐づけられたQMNのAIは、カオルの意図を理解して、好きという気持ちを相手に届かせないようにする。好きという本心、それを隠したいという本心。どちらを優先し相手と共有するのか、的確な判断を下せるようAIは常に学習している。


 今この瞬間、カオルの感じた「大好きな人の声が聴けて嬉しい」という思いがQMNのリンクしている量子コンピュータで情報化され、「大好きな人の」という要素が隠された後「声が聴けて嬉しい」という情動となって、ルリに伝えられているはずだ。


 ロウソクの立ったケーキのスタンプが飛んでくる。匂うはずのないロウソクの匂いまで漂ってきたみたいで、鼻の先をこする。


 ルリが好きだ。


 改めて確認するまでもなく、カオルの気持ちは決まっている。吸血鬼になるなら、眷属はルリしか考えられない。


 でも。女の子同士でもいいのか、定春の授業では教えてもらっていない。ルリが受け入れてくれるかも分からない。血を吸わせて、とお願いしたらどんな顔をするだろう。好きと伝えたら、なんて答えてくれるだろう。


 いま感じている不安も、読み取っても伝えないようQMNの共有レベルは設定してある。いつか不安も期待も願望も、包み隠さず伝えられたら。


「好き」を決める一年が始まる。

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― 新着の感想 ―
[良い点] めちゃくちゃお洒落ですね。 月に住んでるって設定をさらっと流したのが凄いなと思いました。ここに関しては人によって好みが分かれると思いますが、私はテンポが良いと好意的にとりました。 カオル…
[良い点] 要素が多いので混乱するかと思いきや、すんなりと読みこなせるお話でした それだけ過不足ないすっきりとした描写だと感じます 全体的に空気感が透明で、きれいだな、という印象です また吸血鬼に関す…
[一言] 【タイトル】どうやってこのタイトルを決定したのかが気になる。作品を表す要素に英語をいくらか足し合わせた、他で見ない形。 【あらすじ】恋愛要素が強くて、正直読むのをためらう。けっこうな文字数…
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