4-17 郡長運営記
汚職を正したことで郡長へと出世したシャオリン。ところが新たな任地に選ばれたのは、辺境だった。牧羊が盛んな草原ばかりが広がる街は、しかし異国との交易によって賑わっている。シャオリンは横領に塗れた任地にて、綱紀粛正に励む。
軍の食糧を管理する役人が、リベートを受け取っている。
質の悪い糧食に軍の一般兵が文句を言っていたのを聞いて、中央の役人であるシャオリンは、汚職に気付くことができた。
そして、汚職の証拠を見つけると、すぐさま上に報告した。
問題となっていた役人は罷免。
大きな問題となったらしく、厳罰が処されるらしい。
シャオリンは正義を成せたことに機嫌が良かった。
だが、それも上役から呼び出されるまでのことだった。
中央の幹部である男は名をウーハンという。
シャオリンにとって雲の上の人物だった。そんな男がどっしりと座って、爬虫類のような冷たい目で見つめている。
「私が地方に赴任ですか!? どうして!」
「郡長の椅子を用意した。正義感溢れる君に報いようとしているんだ。君のような若さでこの栄達は滅多にないことだよ? 喜んで受けたまえ」
郡長といえば、地方行政のトップの地位だ。その上には群をまとめる州長ぐらいしかいない。
たしかに言葉だけで見れば栄転だろう。
だが、実際は中央から遠く離れた辺鄙な場所で、その後の出世とは切り離されている。
いわば左遷だ。
それならば中央に残っていた方が、長い目で見れば栄達の目は残っていた。
「まさか正式な辞令を断るとは言わないだろうね」
「それは……。謹んで拝領します」
シャオリンは心では拒否したかった。 だが、役人として生きていくならば、正式な辞令を拒絶することはできない。
それが嫌ならば、先回りして辞令を出させないように根回しするか、あるいは自分が辞令を出す側に立つしかない。それが役人というものだった。
深くお辞儀をして、辞令を受けた。固く握りしめられた拳が震える。
そんなシャオリンの内心などお見通しだっただろう。
幹部は冷ややかにシャオリンを見つめながら、口元だけは優しそうに笑みを浮かべた。
「大人しく地方で真面目に取り組んでいれば、お呼びのかかることもあるだろう。精進したまえ」
「了解いたしました。赴任するにあたり、一つお願いがございます」
「聞こう」
「部下として、信頼のおける者を何人か連れていきたいと思います。許可をいただけるだろうか」
「当然の要望だ。後で書類で希望を出せば、叶うようにしよう」
いくつかの希望を出し、それを叶ったのを確認した後は、シャオリンは頭を下げて部屋を出て行った。
燃えるような憎悪を瞳に写しながらも、一欠けらも言動には出さず、抑え込んだ。
靴音も高く廊下を歩き、自分の査閲部へと足を運ぶ。「君がもう少し賢ければ、中央に残れたであろうに」
クソ野郎。
いつか俺がお前たちよりも上役になって、後悔させてやる。
シャオリンはこの感情が月日とともに風化してしまわないように、深く魂に刻み込んだ。
恩も怨も、どちらも忘れてはならない。
辺境の地である五羊郡は牧羊が盛んな草原の続く地だ。
丘陵が続き、農地にはあまり向いていない。
青々とした空が続き、高い位置に柔らかな羊毛のような雲が流れていく。
たくさんの羊が犬に先導されて、ムシャムシャと羊が草を食んでいた。
かろうじて整備された道が続き、その奥に城壁都市が建っている。
五羊郡は、かつて金色に輝く五頭の羊が集まっていたという伝説のある場所で、そのまま名前になった。
主な産業は羊を始めとした放牧だが、道の向こうには異国に繋がっていて、交易による稼ぎはかなり大きい。
雑多な民族が集まるため、賑わいと諍いの絶えない街だ。
その地にシャオリンは信頼できる副官と護衛を引き連れて向かっていた。
役人であることをしめす旗を立てた二頭立ての馬車が、前後に護衛を引き連れて、ゆっくりと進んでいく。
小さな窓から見える景色を楽しみながら、シャオリンが向かう先を指さした。
「ウーヒー、タンタン、迷惑をかける。あれが五羊郡だ」
「小さな街ですね。でも門をくぐる人は多くて、活気はありそうです」
「道ですれ違う顔を見てたけど、あんまり良くない卦を感じるぜ」
「そうか。まあ俺が赴任したからには、最低限度の水準には発展させなくてはな」
ウーヒーは武官の男で、中央でも有数の武道家だった。
槍も剣も弓も上手く扱い、御前試合でもかなり良いところまで勝ち上がった。
鍛え上げられた肉体は無駄が削ぎ落とされ、筋が浮き上がっている。
腕を組んで座っていたが、袖がパツパツになっていた。
タンタンは銀縁眼鏡をかけた若い女性だ。長い紅毛にぱっちりとした瞳、整った顔に惹きつけられる男は多いが、何よりも特徴的なのは諸子百家の書をそらんじてみせる頭脳だろう。
シャオリンは自分の実力に自信がある。
役人としての判断は果断と評されていたし、誘惑や不安を跳ね除けて、常に理性で正しいと思った判断を下せる。
だが護衛のウーヒーの腕前は一級品だし、副官のタンタンの智謀は自分では遥かに及ばないと認めていた。
中央からわがままを言って引き抜いてきた、信頼できる仲間だ。
二人がいなければ、赴任先での成功は覚束ないだろう。
「前任者の評判を聞いて回ったんですが、まあ黒い噂がいくつもすぐに聞けましたよ。癒着だらけだとか。更迭されて当然でしょう」
「とはいえ、諸民族が入り混じって、調停は相当に難しいらしい。その分、大きな商いも多いんだとか」
「全部一掃してやろう」
ニヤリとシャオリンは笑ったが、苦笑を浮かべたのがウーヒーだ。
そんなに上手くいくものか、という疑問があるのだろう。
横領などがバレれば、首と体が泣き別れになることも少なくない。
役人たちも必死に反抗してくるだろうし、暗殺が企てられる恐れもある。
護衛のウーヒーにしたら、油断できる状況ではない。
「シャオリン様、やるなら一挙に一網打尽にするぐらいでなければ、失敗につながるかと」
「では、どうすればいい?」
「このような策はいかがでしょうか?」
タンタンの献策を容れて、シャオリンは深く頷いた。
さあ、もうすぐ馬車が五羊郡に着く。
綺羅びやかな音楽が鳴り響いていた。
美しい着物に飾った女たちが音に合わせて舞を披露し、眺めている男たちが手拍子を叩く。
甘やかな香が焚き詰められる中、山海の珍味が並び、銘酒が杯に次々と注がれる。
ぐいっと杯を傾けると、芳醇な酒の旨味と香りが口の中に広がった。
「さあさあ郡長様、もっとお飲みください! ほら、お酌を頼むよ」
「はい。どうぞお飲みになってください」
「ああ、酒は旨いし姉ちゃんは綺麗し……極楽だ」
「やん。オイタはだめですよ」
多量の飲酒に顔を赤くしたシャオリンが、とろんと溶けた目で呟いた。
手は着物の中に潜りこみ、女の柔肌を楽しんでいる。
どこまでも柔らかく、心地いい手触り。
女が甘い声を上げて、耳朶を震わせた。
接待をしていた男たちは目配せしながら、わずかに笑みを深くして頷きあった。
「郡長様、こちら当家からささやかではございますが、着任祝いでございます」
「うむうむ、君たちの心付けはしっかりと覚えておこう。しかし俺はまだ実務についてはあまり分かっていない。誰の担当だと覚えておけば良いだろうか」
シャオリンは差し出された不動産の権利書や宝石、貴金属の贈り物を気持ちよく受け取った。
そして告げられた役人の名前を帳面に記しておく。
これで後日、郡長の認可が必要な書類や入札で便宜を図ることができる。
「郡長様、宿をご用意しております。良ければこのままお泊りになってください。郡長を泊めたとあれば、私としても誉れでございますので」
「作用か。よい、お前も来い」
「はい。お情けをいただきます」
男の言葉にシャオリンは頷くと、ふらふらと千鳥足で宿の一室へと向かう。
腐敗の告発で郡長に選ばれたシャオリンは、瞬く間に五羊郡で金と酒と女好きの俗物という噂が駆け巡った。