4-15 美少女型巨大ロボットのAIが何かおかしい
突如日本に現れた正体不明の巨大生物。バケモノと仮称されたその存在は自衛隊の攻撃をものともせず、東京に近づいていた。
未曽有の脅威に「異次元の脳細胞」と呼ばれる天城博士率いる「株式会社 科学特別研究対策対応機構」の巨大ロボット「ちぇりりん」が立ち向かう。
全高48メートル、重量510トン。天城博士が孫娘のために造ったフリルドレスの似合う着せ替えお人形ロボットだった。
ファンシーな外見に博士の力で現行技術を遥かに凌駕する技術が詰め込まれたロボットが初の実稼働に挑む。
大型特殊重機扱いで民間ゆえに武器は使えず、制御AIは急きょインストールされたメイド仕様AI。
課長に任命された枯野は戦闘に不向きのAIをなだめつつ、トラブル続出の機体の調整に整備ハシゴを駆け上がり、社の技術力アピールのため、クラファンでの運用資金を確保する業務命令のため、今日も陰に日向に胃の痛い日々を送るのであった。
東京都の沖120キロメートルに位置する伊豆大島全島に警報が鳴り響いていた。
あえて不安を抱かせる音の組み合わせによる電子音。国民保護サイレンと呼ばれるものだ。
核ミサイルやテロなど、住民に重大な危機が迫るときに鳴らされる。
9月初旬の照り付ける太陽と真っ青な空や海には似つかわしくない不気味な音色が、住民が避難した無人の港に響き渡っていた。
岸壁に押し寄せた巨大な波が小さな漁港に叩きつけられた。
取り残されていたトラックにその高さの3倍以上に盛り上がった海水の塊が覆いかぶさってくる。
いともあっさり横倒しになって海に流されていくトラックがぶつかり引っ掛かったのは、同じくらいの太さのヌメヌメとした触手だった。
濃緑色の触手は8本。海中の巨大な影につながっている。ググっと触手がのたうつと、荒れる海をザバリと割って現れたのは、ぶよぶよとしたなめくじのような表面をしたタコに似たバケモノだった。
ゆっくりと上陸したそれは高さ30メートルに達し――その中心に飛来した小型ミサイルが爆発した。
「着弾」
陸上自衛隊の多用途無人ヘリコプターから発射されたハンターボウ・ミサイルの観測員が冷静に報告した。バケモノの上陸地点から20キロメートルほど離れた仮設指令所内が一瞬無言になる。
「対象、被害相当無し」
爆炎が収まると全く傷一つないバケモノの姿が現れた。
「一番から十番まで全機一斉射、開始」「一斉射、開始します」
防衛分隊隊長は重々しく命令すると隣に控える副官に小さく呟いた。
「これで退治できるようなら八丈島、三宅島で終われているわけだが」
「正体不明のこいつが二か月前に青ヶ島で発見されて以来、確実に本土に向かっていますね。自衛隊の現戦力では正直……」
数十発のミサイル攻撃を受けて平然と存在するバケモノの姿をモニタで確認しながら副官が返す。
「そうだな。このままいけば本土に上陸するだろう。実は先ほど本隊から連絡が入ったのだが」
隊長は副官の耳元に顔を近づけた。
「あの科特対から援軍が来るらしい」
「あの科特対からですか?」
「あの科特対だ」
思わず隊長の方を見る副官。
「まあ、あそこなら何かとんでもない物を出してきそうですが……なにしろマッドサイエンティストの天城博士のことだから」
「『異次元の脳細胞』の天城所長だ」
科特対――株式会社「科学特別研究対策対応機構」製のAIを搭載した無人ヘリコプターに目を移して、隊長が言い直す。
副官は期待していいのか、嫌な予感がするのか、なんとも言えない複雑な表情をした。
「でもあそこは世界有数の巨大科学研究所とはいえ民間でしょう? 兵器なんて使用できないですし。しかもあそこ、淡路島じゃないですか。ここまで到着するには……」
「兵器じゃないそうだ」
「はい?」
「自走式の大型特殊重機が来るらしい」
「淡路島からですか?
「淡路島からだな」
「自走式? 陸送ですか?」
「さあな」
二人の会話をレーダー観測員の声が遮った。
「隊長、北西方向から超高速でこちらに向かってくる物体があります。発射元は淡路島。射角の浅いディプレスト軌道で打ち出されました」
「弾道ミサイルか?」
「マッハ2.5程度でミサイルではないと思われます。軌道計算結果が出ました。現在地上空2,000メートルを通過します。到達予定は約7分後の1503」
※※
【あ、えっと……到着予定は約7分後です、たぶん】
周囲をコンソールパネルに囲まれた六畳間程度の広さのコックピットに、おっとりとしたかわいらしい声が流れた。若干動揺しているようだ。
【あの、すみません、わたしこういうのに慣れてなくって……】
「だ、大丈夫、オレも慣れてないから」
【ふえええ……】
枯野 流一はモニタに映る少女の映像に向かってぎこちなく笑みを浮かべた。
押しの弱そうな愛想笑いで我を主張しないタイプの、細身の中年男性だ。生真面目で優しい彼の精いっぱいのセリフがこれである。
ワイシャツにネクタイ、会社のロゴが入ったクリーム色の作業着に白ヘルメット姿で落ち着かなさげにコックピットシートの安全ベルトを握っている姿は、いかにも不慣れな出向現場に駆り出された新人管理者のようだった。
「慣性制御装置は完成しておる。理論的には大丈夫じゃ、理論的には」と、3分前にどさくさの中でこのコックピットに押し込まれてロケットブースターで射出されたのだ、この程度ですんでいるのは彼の一種の才能かもしれない。
モニタの中の少女は半ば泣き出しそうな表情をみせている。20歳前くらいの美少女というより愛嬌のあるかわいらしい女の子だ。明るめのブラウンのロングヘアに、リボンがあしらわれたフリルドレスが似合っている。
【わたし、皆様の日常のお世話をするために開発されたメイド仕様のAIなんです。用途が違いますよー】
少女の映るモニタに割り込む形で寝癖の激しい白髪の老人が現れた。
小さな丸眼鏡に偏屈そうな表情。かなりの高齢に見えるが白衣姿はピンと背すじが伸び、圧もアクも強い。
『こりゃ、智恵理。駄々をこねるんじゃない。お前の高度な情動再現プログラムと好意を持たれやすいように特化したマン・マシン・インターフェイスーーみため と あいそのよさーーは、対人コミュニケーションが重要な仕事だからこそ組みこんでおる。人に好印象を与えるためで、わがままをいうためじゃないぞ」
【天城所長、それならいつものメイド仕様の躯体にインストールしてくださいよ】
『緊急事態じゃからな。『ちぇりりん』に本来搭載予定の制御AIが間に合わんでの。ちょうどいいのがお前だったんじゃ」
【わたし、間に合わせですか……】
『人間型の利点じゃな。手足や可動域、基本のアウトプット方式に差がないから換装がたやすい』
AI相手とはいえ、ぶっとんだセリフに頭を抱える枯野。
『枯野、お前もなんとか言え。智恵理がこうなったら言うことを聞くのはお前くらいしかおらん』
「所長、私もただの総務部の平社員です。もっと適任者が居るはずで……」
『AIのベースにした咲良が一番懐いておったのがワシを差し置いてお前じゃからな。思考ルーチンの根っこにも影響しとるんじゃろう』
「お孫さんをAIの学習ベースになんてするから嫌われるんですよ」
遠い眼をした天城所長を思わず一刀両断する。
その時、ピロンというチャイムとともに枯野のスマホにメールが届いた。
『辞令じゃ。枯野流一。本日付で貴殿を総務部 特殊装備運用課 ちぇりりん係、係長に任命する』
「所長ー」
『部下は二人預ける。メイド型AIの智恵理と、あとから合流する、準備中のAIのチェリーじゃ。部下ができたことじゃし昇進じゃな』
「所長……」
『基本給があがるぞ。役職手当も付くぞ』
「……」
『今回は危険手当と出張手当も付くのう』
「頑張ります」
【枯野さん! 味方だと思ったのに!】
モニタの智恵理が悲鳴をあげる。
「すまん……智恵理ちゃん。嫁と一人娘を抱える34歳、しょせんは俺もサラリーマンなんだ……」
AIに頭を下げる新任係長である。
『枯野係長。貴殿の業務は、大型特殊重機ちぇりりんを使い、日本に迫る脅威を排除すること。智恵理とチェリーをうまく使え。投下ポイントが来るぞ。全世界にワシらの技術力をアピールしてくるんじゃ!』
ロケットブースターとのジョイントが外れる振動がコックピットにも響いてきた。推進力が弱まり、自由落下のベクトルが発生する。慣性制御装置の低い駆動音が大きくなり始めた。
全高48メートル、自重510トンの美少女型大型特殊重機『ちぇりりん』が会敵予想地点に向かって降下を始めた。
金髪のロングヘア、ピンクのリボンが愛らしいフリルドレス状の超硬ファイバー装甲。
くるくるした透き通った翠の瞳、絶妙な丸みを帯びたふっくらした頬。少し笑みを浮かべた愛らしい表情の巨大ロボットが降下体勢を取った。
【落下速度を下げるためのパラシュートを使います。開傘!】
手に持った特殊鋼線ファイバーケーブルで編まれた水玉模様の巨大なアンブレラを開く。
【目標が見えてきました……って、なんですか、あれっ! なに、気持ち悪いベトベトのなめくじみたいなの!! イヤです、あそこに降りるのイヤああああああああっっ!】
メイド仕様AI、智恵理の絶叫がコックピットに響いた。