4-14 蒼銀の園に汚泥を
【この作品にはあらすじはありません】
あの日、もし砂浜で貝殻一つでも拾えていれば
もし、愛した場所でさよならが言えていたら
もし、まっすぐ還れていたら
もし、もっと早く決断をしていれば
同胞を喰い殺した手ごと抱きしめていたら、全ては変わっていたかもしれない
純白な城は一見すると砦には見えない、城内で両脇を掴まれて引きずられている青年にすれ違う者たちは視線こそやるものの、助けようとする者は誰もいない。
彼は約三百年ぶりの魔王討伐に貢献したはずの勇者一行の勇者本人だった。彼、エレクは生まれつき神によって職業が決まる世界で勇者として生まれた。
この世界では誕生してすぐ神から職業をお告げとして与えられ、五歳になるとステータスとスキルボード、可視化された自身の情報が見られるようになる。ステータスには自身の職業と現在使用できるスキル、スキルボードには使用できるスキルとこれから獲得できる可能性のあるスキル、獲得した時に昇格できる職業が表示される。
スキルは成功体験を規定の数回重ねることで獲得できる特技のようなようなものだ。
彼、エレクはこの世界で勇者として生まれた。勇者が生まれた日、世界は喜びと共に不安に包まれた。過去、勇者が生まれる時は必ず戦争などが起きている。そのため、エレクは僅か五歳、ステータスとスキルボードが見られるようになると早くも王城に預けられて戦闘訓練受けるようになった。
エレクは周りから変わり者とよく言われていた。勇者という職業はスキルボードこそあれど、昇格がない。唯一の最初から最上級の職業なのだ、そのためスキルボードに沿ってスキルを獲得する訓練を受けるはずだった。だが、エレクは兵士たちとの実践訓練を望んだ。それではスキルが獲得できないと周りが説得してもなかなか言うことを聞かなかった。周りが必死に連日説得して、スキル獲得のための時間とは別に実践訓練を設けることで決着がついた。
内心周りは本当に大丈夫なのかと心配していたが、エレクは順調に、それどころかスキルを全て獲得する前に十四歳で王の側近の騎士を上回る実力になった。
十五歳になったとき、魔王が誕生した。王と王子、宰相たちが王宮と王城、そして各国にに務める精鋭隊の一部をかき集めて魔王討伐隊を組んだ。エレクは魔王討伐隊と共に魔王討伐の旅に出た。各国から寄せられる魔王とその配下の目撃情報、被害情報を頼りに魔王を目指しながら被害地の救助にもあたった。エレクはその優秀さ、強さ、優しさにより討伐隊との揉め事もなく。順調に進んだ、進みすぎてしまった。仲間を見つけつつ、三年で旅は終わり、平和になった世界で勇者とその仲間はそれぞれ砦を任されることになった。魔王討伐後に原因不明の体調により、砦に着いた日からエレクは寝込むことになった。最初の半年は周りの人間も疲れたのだろうと見守っていた。しかし、三年が過ぎた頃には周りからの目は冷ややかななものになっていた。実際に追い出してしまえという声は一年を過ぎたあたりできていた、それを抑えていたが勇者と共に砦に配属された聖女だった。彼女自ら献身的にエレクを看病する姿は砦の人々の心を打った。
被害が最小限に抑えた故の悲劇、実際に被害にあった人々以外からは勇者の働かず寝ているだけの日々を見過ごすことはできなかった。そして、砦の人々は今日、聖女がいない隙を狙ってエレクを追い出すことにした。
「おらっ、とっとと出てけ!このごく潰しがっ」
「待ってくれ…せめて武器を…」
「いるかよ、こんなガラクタ」
砦からエレクは寝巻き姿のまま、魔王討伐にも使った愛用の武器と共に追い出された。足元はふらつき焦点も定まっていない。かつて最強と謳われた青年は見る影もなかった。それを怠けて体がなまったのだろうと判断した兵士たちが嫌悪感を剥き出しにしてエレクを睨んだ。そして砦の門を閉めた瞬間、
プッツ
エレクは今まで感じた事がない、項から伸びた糸のようなものが切れたような気がした。項に糸なんて無いと分かっていながらも触って確かめるが何もない。だが一番驚いたのは熱や倦怠感が消えていたことだ。
「えっ」
今まで自身を苦しめいていたあの熱も気だるさも何もなくなった事に驚きを隠せなかった。信じられないと思いつつ、急に軽くなった身体を起こす。
この状態なら問題なく砦での任務にあたれるだろう。しかし、どうにもその気が起きなかった。砦から出た瞬間、エレクの体調不良は直った。もし、戻ればまた原因不明の体調不良に襲われるのではと警戒したのだ。
現状、問題は特に何も起きていないことは聖女から報告をもらっている。情報は魔道具を通じて各砦に常に共有されているし、人手が足りない場合は転送することもできる。それでも、聖女に心の中ですまないとわびながら、魔王討伐の旅の途中で拾った愛用の槍を拾って友人がいる別の砦に向かった。
「え、勇者様を?」
聖女ミルアは半年に一度の王城への報告が終わり帰還したところだった。単なる行き来だけなら魔道具を使えば済むが、そうしなかったのは民衆に平和をもたらす象徴、勇者一行の姿を見せるためだった。普段は使わない豪華な馬車を引っ張り出し、ゆっくりな進行は兵士たちに十分な時間を与えた。
「聖女様が日夜眠らずに頑張っているというのに、あの男はっ」
「罰するなら私をっ!」
砦の兵士たちは赦しをこうでもなく、やりきった顔で片膝を床について報告する。それを見る使用人たちは涙ぐんていて、聖女への忠誠心ゆえの行動と今の様子を見て感動している。
反対にそれを見る聖女、ミルアは寂しそうな、悲しそうな表情だった。一息つくと、手で兵士たちを制した。
聖女の言葉を待つ兵士たちを確認してからミルアは話し始めた。
「勇者様は私が出会うずっと前から勇者として励んでおられました。平和で暖かい生活を当たり前と思えるのは勇者様が今までのどの英勇よりも、強かったからこそ被害は最小限に…。場所によっては一切の被害がありません。復興作業にも手をつくして頂いた方を、皆様はどうして…」
泣き出した聖女を見て罪悪感に駆られたのか途端に慌て出した。
「ゆっ、勇者を探してきますっ」
言い切らぬうちに駆け出す一人の兵士を見て一人、また一人と走り出した。
「はいっ…」
メイドに支えられながら部屋に戻った聖女は、民衆に見せる用の全く趣味ではない純白のきらびやかな装飾がほどこされたドレスを脱ぎ捨てた。
「くそ…」
鏡台に拳を叩きつけながら悪態を吐くミルアは先程とはまるで別人だった。
「くそっ!あの役立たずども!あと少しだったのにっ、ようやくっ」
ふと言葉を止め、振り乱した髪の間から狂気的な目が覗く。
「そうだ、糸をたどれば…き、切れて…る?」
打開策を見つけて明るくなった顔は数秒で先程の顔色より酷くなった。
「扉を結界用の魔力で包んでたから…魔力が干渉して糸が…あぁぁぁ!使えねぇ!使えねぇ!使えねぇ!」
叫び過ぎて息を切らした聖女が向かったのは衣装部屋、扉を空けて衣装を両手でかき分けると壁に描かれた装飾のある部分を押した。すると壁が両側に開き、下に続く階段が現れた。狂気的な表情の聖女、ミルアは狂気的な雰囲気のまま下に降りていった。