4-10 偽善の悪魔は正義に嗤う
──今の世界は、反理想郷だと思った。しかし周囲の人々は普通だという。ならば普通であると考えた方が〝良い〟のだろう。──
『善悪』が能力と化した世界で、騒動を起こしながら、時に巻き込まれていく。
「モラル、本当にその行動が正しいと思ってるの……?」
「正しいかどうかなんて、そんなの知りませんよ。ただ、みんなの為に僕がこう動くのが〝もっとも良い〟と思った。それで充分じゃないですか」
こめかみ付近でカチャリと何か構える音など知るところではないと、時代に乗り置いていかれ型落ちとなった我が家の薄型テレビはニュースを流し付けた。
今となっては後の祭りだが、最近流行りの思考操作型のホログラムテレビが羨ましく感じた。
『──今現在、政策への反発を示しテロを起こし続けている指定犯罪グループ『自由の翼』を名乗るメンバー数名は未だ逃走を続けており、続報が待たれる状態です。それでは次のニュースです。政府は今朝の会議により〝GPSナノマシン義務法〟並びに〝環境保全塔設立法〟を可決し──』
「はぁ……いくらなんでも合理社会がすぎるだろうがよ。そう思わねぇか、兄弟?」
ちゃぶ台の対面には、スキンヘッドに浮かぶ微笑みが似合うスカジャンを羽織った大男が寛いでいた。今まさに己の頭を貫かんとする凶弾さえなければ談笑でもしているような静けさを湛えている。
それや背格好に加えて、右眼周りの皮膚が火傷の跡になっているため本来なら威圧感を感じてもおかしくないはずだが、反して優しげな雰囲気を醸し出す不思議な男だった。
彼の顎がクイッと動き話を促され、固く閉ざしていた口を開く。
「仕方ないんじゃないですかね。よく「理想郷」の対義語は「反理想郷」なんて言いますけど、実際はそれも一種の理想郷だと思うんですよ。最低限に生きて、かつ世界を停滞させて維持を続けるのならば最善ですから。今の社会みたいに自由を、個性を、文化を規制して、仕事も、生活も、命でさえも規則立った世界」
「それは誰も満足できない不完全な世界じゃねぇのか?」
「当然じゃないですか。しかしその不満も押し留めて規律を優先させるのが「反理想郷」なんですよ。初対面の僕が言うのもなんですが、多分『自由の翼』の組員のあなたが一番分かってるんじゃないですか」
「あぁもちろんだ、お前さんの意見が聞きたかっただけさ」
眼の前の彼が一息つくと同時に、ポケットから─マイクロホログラム通信装置が世を風靡してからは骨董品扱いである─スマホを取り出し緊急連絡ボタンを押す。
「あ、全部の話、終わりました? じゃあ通報しますね」
「待て待て待て!? そんな薄情な!」
「不法侵入者が何言ってんですか? もう連絡しました」
「あのなぁ……まぁ良いさ。どっちみちそろそろトンズラしねぇとな」
彼が僕から視線を外し、視線を向ける先を追ってみてみれば、ついさっき侵入に使われ無惨に砕けた窓。その外には、マンションの五階ほどの高さにも関わらず、警備用ドローンが数台集まってきていた。
流石にこんな速さで緊急通報が機能するはずもなく、異変を感じた住民の通報の結果だろう。
「長居は不要か。もうそろそろ逃げなきゃなぁ、最後に一つ良いか?」
彼は最後までその笑顔を変えず言い放った。
「俺には視えるんだ。お前はこの腐りきった反理想郷をぶち壊せる、正真正銘の〝悪〟になれる」
そして捨て台詞に、じゃあな、と軽く手を上げながら、窓から飛び降りる。
「……事情聴取とか、あるんですかね」
慌ただしくなり始めた玄関を他所に、突入してくるであろう警察やらの分のお茶を用意し始める。
誰か来客があるのならばそれくらいは準備しておくのが〝良い事〟だろう、と漠然と思いながら。
☆ ☆ ☆
「で、ここは何処ですか。どうして僕がこんな場所に?」
あの後強引に家から連れ出され、挙げ句目隠しに手錠まで嵌められ椅子に座らされていた。
何度目かわからない問いを周囲に掛けると、余りにも無機質な、それでいて透き通った人間であることは辛うじて分かる肉声が返ってくる。
「ここは対特殊能力者戦闘部隊取調室です。貴方には『自由の翼』との共謀の疑いが掛けられています。大人しく待ったほうが身のためです。加えて意を汲み追加の質問への返答。その質問を問いかけるのは計168回目です」
「へぇ、教えてくれてありがとうございます。私はここでどうすれば良いですか」
「私達の指示した行動以外に何もしないことが、良いことです」
「そうですか」
ならば静かにしておこう、そう思い今日やる予定だったことを考える。やるべきことは特になし。人に頼まれたことも全て終わっている。誰にも迷惑を掛けることはないため、良かった。
ならば今日一日拘束されても特に問題はない。
そこまで考え、ここまで二人の息遣いしか存在しなかった部屋のドアが開く。続いて二人分の新しい足音。
すぐに、聞くだけでも爽やかな青年なのであろう、しかし声音が冷徹で恐怖さえ覚える声が聞こえた。
加えて溌剌とした少女の声も。
「ご苦労だった、引き続き頼むサトリ」
「うん、ジャッジとラブもお疲れ」
「サトリっちー、ラブたん大好き愛してる! もう疲れたー! 撫で撫でして!」
「拒否します。ラブは現在の任務を引き続き続行してください」
「そんなー」
どうやら先程まで部屋にいたのはサトリ、という名前の少女らしかった。そして入って来た二人はジャッジとラブ、らしい。
ジャッジ、と呼ばれた男の冷徹な声が問いかけられる。
「では、問おう。【貴様は『自由の翼』と共犯関係にあるのか。明確に答えよ】」
「……いいえ、共犯ではありません。彼とは初めて会いましたね」
「必要以上に答えるな。問おう。【貴様は〝悪〟か〝正義〟か。自己の意識に則り答えよ】」
「正義、だと思っています。少なくとも悪いことはしていません」
「ふむ、分かった」
重苦しいまさしく取り調べと言えるような空気。やっと一段落ついた中、ラブが一言、ジャッジに告げた。
「納得してるとこ悪いけど、この人持ってる側だよ。私ので確認したから間違いない」
「なんだと?」
「マジマジ。サトリっちも何か掴んでたりしないかな」
「手がかりを得ている、と肯定します。これ迄の問答と思考から彼は〝良いか悪いか〟に異常に執着している、と推察します。その証拠に、彼は私の告げた「私達の指示した行動以外に何もしないこと」を最上位の命令として遂行し続けています」
「あー、だから普通なら口答えしたり怒っちゃうこんな状況で反抗一つしないんだ。コワ」
「ふむ……では、問おう。【貴様は初期の命令を遵守し守っていたのは真実であるか。今回に限り、自由に思考し発言することを許す。答えよ】」
「トントン拍子に当事者の僕抜きで会話進めてましたね。まあ……概ね同意します。ここではここのルールがあって、破るのは〝悪いこと〟でしょう? だったら守らないといけませんし。あと説明が欲しいですね、勝手に決められては困ります」
若干言いにくそうに口籠りながらも、やはり淡々と説明する。むしろ今は明確に説明してくれたら有り難い、と思いながら静かに聞く。
「この世には『善か悪』の何らかに異常な執着を示し、それに準ずる能力を得る者がいる。貴様もその一人であり、このまま返すわけにはいかなくなった。私達『正義側』に付くか、軟禁状態になるが自由を得るか、選べ」
「なるほど、危険分子扱いですか。分かりました、こちらに付きます。何となく正義側の方が良さそうですし」
「……構わない、今はそれでもいいだろう」
ジャッジの足音が近づき、目隠しと拘束が外される。
久方ぶりの光が眼に眩しく──なんて事もなく、電球一つが灯った地下室。
眼の前にはジャッジ、と思われる金の短髪に揃えた若干強面の青年。必殺技にエクスカリバーとでも言ってそうなほど主人公然としていた。
奥には女性が二人並ぶ。
大和撫子を体現したような風貌でありながら、その表情と雰囲気から快活な性格が窺える。身長などから推定二十歳前後だろう。
もう一人は車椅子に座りただただ何の表情もなくこちらを見つめてきている、気がするゴシック調のドレスを着た銀髪の少女。両眼に布状の眼帯をしているため見えていないはずだが、何故か視線を感じる。生気が感じられないからか、服装も相まって西洋人形のように見えてしまうほどだった。
ジャッジが一歩下がり二人に並び、人形少女が口を開く。
「コードネームはサトリ。能力は『共感』。以後お見知りおきを」
「サトリっち説明少なすぎ! あ、私の能力は『純愛』で、コードネームはラブね。ここでは少しでも危険な目に合うのを減らせるよう本名は使ってないの。キミは……この前死んじゃったメンバーのだった〝モラル〟のコードネームあげるね! いいよねジャッジ」
「構わない。もう既に分かっているだろうが、ジャッジと呼ばれている。能力は『断罪』だ」
ジャッジは手をこちらに伸ばす。
「期待はしていない、だが形式上言っておく。宜しく頼む。【裏切るなよ?】」
「分かりました。よろしくお願いします」
ラブが近づいてきて、一言。
「じゃあ最初の仕事、言っちゃうねー」
「はい」
「多分悪側の能力『殺人』を持ってる「仭」って人を捕まえてきて♡」
「……はい?」