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夏まつりの帰り途

作者: 印氣
掲載日:2023/08/09

 夏は嫌いだ。


 会社で働いた後、帰りの夕暮れの中、じっとりとした暑さを感じながら、そう思わずにはいられなかった。


 靴裏から伝わる熱されたアスファルトの暑さ。

 汗を吸ったワイシャツが肌に張り付く感触。

 そして、この時期になると毎度思い出すかのように蘇ってくる、首元の痒み。


 この痒みは、汗疹の薬を塗っても、医者に診せても、根本的に解決することはなかった。

 意識せずに首元に手をやり、所在なさげに掻くのが、もはや生来の癖のようになってしまった。


 こういったいくつもの不快要素が集まったのが、私にとっての夏である。

 夏を隈なく楽しめる人間もいるのだろうが、生憎ひねくれ切った私には、そんな悠長な考え方ができないでいた。


 こういう時は、一刻も早く独り身の自宅へ帰り、冷房をつけビールを煽って忘れるに限る。

 鞄を抱える反対の手には、缶ビールの入ったビニール袋を提げている。

 唯一の甘美な慰みを思い浮かべながら、重い足取りに鞭打って帰路を急いだ。


 帰路の途中にある神社の前を通ると、いつもはない喧騒が耳に入ってきた。

 それほど広くない境内に露店がひしめき合い、提灯を被った電球の明かりに照らされている。

 スピーカーから流しているであろう、録音した祭囃子が喧しく響き、古びた鳥居の前には、でかでかと『夏祭り』と書かれたのぼり旗が掲げられていた。


 いつもは静寂につつまれた荘厳な境内も、この日ばかりは老若男女の群れが入り乱れ、暑苦しい混沌と化していた。

 会社と自宅の往復で、すっかり年中行事に無頓着になっていたが、いつの間にか夏祭りの時期が来ていたらしい。

 時刻はすでに夕暮れと夜の狭間に差し掛かり、祭りもたけなわといったところだろう。


 夏と同様、夏祭りも嫌いだ。

 子供も大人も不調法になり、人と物と音が無秩序に入り混じる乱雑な空間は、ひねくれ切ったこの身には耐えがたいものである。


 だからして、余計な負荷を避けるために踵を返そうとして、ふと思い立った。

 これほどに夏祭りを嫌いになったのは、いつごろからだったろうか。


 子供の頃は、そうでもなかったように思える。

 小学生の頃、親友と一緒に屋台をねり歩いた記憶が、おぼろげながら残っているからだ。

 その親友は、当時人気だったアニメのキャラクターがプリントされたTシャツをいつも着ていた。

 当時、親の教育方針で手に入らなかった私にとっては憧れの品で、子供心にかっこいいと褒めた記憶がある。

 無邪気にもてはやす私を見て、親友は満足げに笑っていたものだ。


 だが、不思議なことに、この親友についての記憶があまりにも希薄だった。

 もはや二十年近くの時間の経過がそうさせるのか、夏祭りに伴っていくほど親しかったはずの友人の顔が思い出せない。

 確か名前は―――


「トモキ君?」


 思わずその名前が口から出たのは、目の前を見覚えのあるTシャツが横切ったように見えたからだ。

 あのキャラクターがプリントされたTシャツ。いや、それだけではない。

 子供の頃、大きく頼もしいと思った背中、なんでも打ち負かしそうな日焼けした腕。

 間違いなく、かつての親友の後ろ姿そのものだった。


 目の当たりにしている現実と、記憶の奥底から蘇ってきた懐慕の感情が反発し合っていて、声を出すことも、身体を動かすこともできない。

 親友の姿をしたそれは、こちらをゆっくりと振り返った。

 屋台で売られているような、一昔前のヒーローを象った仮面をつけている。

 顔はわからないが、仮面の奥からのぞく目が、こちらを捉えているのは分かった。


 互いの視線が交差していたのは、数秒か、あるいは数分だったか。

 唐突に、親友の姿をしたそれは視線を外し、夏祭りの喧噪の群れの中へと紛れていった。

 私はというと、呆然とその背中を見送ることしかできないでいた。


 頭の中がいまだに混乱している。

 偶然、同じTシャツを着た子供が、目の前を横切っただけか?

 しかしあの姿は、まぎれもなく小学生の頃に見覚えのある親友のものだった。

 だが、それはありえない、と記憶の片隅が頑なに否定している。

 なぜならその親友は、小学生の頃に、行方がわからなくなっていたはずだからだ。

 そもそも、二十年の年月で、いまだに当時の姿のままという時点で、現実ではありえないはずだが。

 気が付くと、夏祭りの喧噪の中をかき分けながら、見覚えのある親友の背中を必死に追いすがっていた。




 既に夕日は落ち沈み、夏祭の喧噪と熱気も最高潮に達している最中。

 そんな真夏の夜宴の中を、親友とおぼしき背中が、群衆の合間を縫うように、滑らかに進んで行く。

 対して、私の方は何度か誰かの肩をぶつけ、足を踏んでしまい、非難がましい声を背後に感じながら、何とか見失わないように人混みをかき分けて後を追っていた。

 見失うまいと、親友の後ろ姿以外の視界が狭窄し、どこをどう進んでいるのかまでは意識が回らない。

 足場が整った石畳から、丸石が敷かれた砂利道、背丈を超える笹に囲まれた獣道、ごつごつとした太い木の根が張った土の道になったところで、ようやく周囲を見渡した。


 いつの間にか、私は広大な森の中に立っていた。

 神社の御神木ほどの太さがありそうな立派な樹木が、果てしなく広がっている。

 山の麓なのか、木々の間を抜けるゆるやかな風に乗って、どこからか祭囃子が聞こえてくる。

 生い茂る枝葉によって月星の明かりさえ遮られた空間を、木々の間に渡された提灯行列が、妖しげな明るさをもたらしていた。

 提灯で明るく灯された木々の根元には、いくつもの屋台が開かれ、人か獣か判別のつかない影たちでにぎわっている。

 それぞれの屋台に掲げられたのぼり旗には、いくつもの趣向の異なる文字で何か書かれている。

 唯一読み取れたのぼり旗からは、『夏祀り』と書かれていることが読み取れた。


 ここは、神社のどのあたりなのだろうか。

 思わぬ光景に呆気にとられていたが、提灯の明かりが、言いようのない色に明滅し続けていて、目がチカチカする。

 綿菓子か、りんご飴か、頭が痺れるような甘い香りが立ち込めていて、思考が霞がかったようにぼんやりとし始めた。


 心地の良い酩酊のような状態に身を任せそうになる頭を、必死で振り払い、当初の目的を何とか保とうとする。

 あの少年は、この屋台のどれかにいるはずだ。

 馴染み深い屋台から、馴染みのないものが並ぶ屋台まで、さまざまの屋台が並んでいたが、一先ず馴染みのある屋台から話を聞いてみることにした。


「Tシャツを着たガキが来なかっただって?腹を空かせた餓鬼なんざ、そこら中にいるじゃねえか」


 まず訪ねたのは、焼き物の屋台だった。

 屋台の床一面に鉄板が敷き詰められ、お好み焼きにたこ焼き、イカ焼きに焼きそばと、あらゆる焼き物が出来あがっていく。

 屋台の周りには、物欲しそうに光るいくつもの獣じみた眼光が、小柄な影の群れとなって今か今かと待ち構えているようだった。


 少年が訪れた様子がなかったため、別の屋台へ行こうとしたが、匂いにつられて小腹が空いたので、何か食べようと財布から小銭を差し出す。

 だが、どういうわけか、買うことができなかった。

 理由を聞いてみても、さも当然のように言い返されてしまった。


「何言ってんだい、あんた、ここの決まりを忘れちまったのかい。ここでは大切なものでしか物をやり取りできないんだよ。

 その金属のお弾きは、必要なものではあっても大切なものではねぇ。冷やかしなら他所を当たんな」


 どうしても取り合ってもらえず、ちょうど焼きあがったお好み焼きをひっくり返す作業に専念し始めてしまったため、諦めることにした。

 しかし、屋台の天井から蝙蝠のようにぶら下がり、四本の腕で瞬く間にお好み焼きをひっくり返す様は、見ているだけでも圧巻だった。

 さすが職人技だな、と思い、屋台を後にした。


 次に訪れたのは、金魚掬いの屋台だった。

 水が張られた大きく平たい硝子製の盆に、様々な金魚が揺々と泳いでいる。


「Tシャツを着た子供だって?見たような気もするし、見なかったような気もするなぁ」


 この屋台の屋主が、実に気だるげに答えた。

 粘土の塊を大雑把に人型にしたような体に、数十もの目が全身に隈なくついていたので、見かけていないかと思い声をかけたのだ。

 しかし、金魚と同じ数だけ見開かれた目が、泳ぐ金魚の一挙一動を見守るように追っていたので、見かけなかったのも無理はないか、と思った。


 ひょっとしたら、もうこの場所にはいないのではないかと思い、出口を聞いてみたが、またも怪訝な様子で返された。


「まだ何も取引していないのかい?だったら、まだ出ることはできないよ。それがここの決まりだからねぇ。」


 焼き物の屋台の屋主と、似たようなことを言った。

 どういうことなのか、詳しく話を聞くと、また気だるげに答えた。


「そこいらにある屋台は皆、夏神様のものであり、この夏祀りの一部なんだ。

 お客さんも、ここにいる以上は、夏祀りの一部として振舞わなきゃならない。

 振舞ってのは、夏神様に御供えをして祀るってことだ。

 だからお客さんは、夏神様に御供えとして、お客さんの大切なものを屋台で取引しなきゃならない。

 取引が済むまでは、お客さんは夏祀りの一部として、ここからは出られないってことさ。」


 そういわれては、この場所の決まりには従うほかにない、ということを痛感した。

 かつての親友の行方のほかに、この夏祀りからの帰り道まで探さなくてはいけなくなってしまった。

 だが、今の自分はどれだけ大切なものを持ち合わせているか、自信がない。

 途方に暮れる私をよそに、店主は金魚掬いの網を薦めてくる。


「それよりお客さん、一匹掬っていかないかい?そら、そこの動きの鈍いやつなんかが狙い目だよ」


 尾びれが揺らめくたびに、虹色の波紋を残す美しい金魚だったが、飼う手間を考えて、丁重に辞退した。


 その後も、いくつもの屋台を巡り、奇妙な屋主たちから話を聞いたものの、親友の行方も、出口の在り処も、結局分からなかった。

 最後にと思い立ち寄ったのは、仮面の屋台だった。

 この屋台の屋主は、仮面を被っている以外は人と変わらない見た目をしていた。

 客寄せの口上に合わせて、忙しなく仮面を付け替えている。

 ただ、仮面を付け替える刹那に垣間見た素顔は、茹で卵の表面のようにつるりとしていて、何もないように見えた。


「おや、お客さん。今度はどの面がご入り用で?」


 店主はおかめの面を被りながら、気さくに話しかけてきた。

 見失った親友を探しているが、見つからないこと。ここから出たいが、出口が分からないことを告げた。

 今度は翁の面を被りながら、店主が答えた。


「帰る方法なんざ、簡単なこってす。

 自分が心の底から欲しいものを、思い浮かべる。それだけことですよ」


 自分が心の底から欲しいもの。

 生憎、今の私には、これほど縁遠い物はない。

 強いて言うなら、今最も知りたいのは、親友の行方であるが。

 それを考えると、苛立っているせいか、首元が痒くなり始めた。


 ところで、この屋主は先程気になることを言った。

 今度は、というのはどういう意味か、問いただしてみた。


「そりゃあ、ご贔屓いただきましたから、つい先ほど仮面を付け替えた間のように思い出せますとも」


 今度は火男の面を被りながら、愛想よく答えてきた。

 贔屓にした?どういうことだ。

 こんな場所にくるのは、今回が初めてのはずだ。


「あたしゃね、ついさっきのことのように思い出せるよ。あんたがここで取引したときのことを」


 首元の痒さが増し、血が滲まんばかりに掻きむしっている。

 指先でそこに埋もれている何かを掘り起こそうとしているように。

 そして、思い出した。

 この仮面屋には、見覚えがある。

 子供の頃、親友と二人、夏祭りの人波に揉まれた先で、この世界に訪れていた。




 私とトモキ君が、小学生の頃だ。

 互いに両親の目を盗んで、こっそり近所の神社の夏祭りに訪れた。

 そして、人混みが増していくうちに、この夏祀りの世界へと迷い込んでしまった。


 帰ろうとするが、出口が見つからない。

 出口の在処を屋台の店主たちに聞いて回るうちに、ここでの決まり事を知った。

 この夏祀りの世界からは、取引をしなければ出られないこと。

 取引とは、買い物のようにお金を出して物を買うということではない。

 お互いにとっての大切だと思えるものをやり取りすることが、取引なのだということを。

 しかし、その時は取引できるような、大切なものを持ち合わせていなかった。


 帰る術がなく途方に暮れているところで、仮面屋に出会った。

 仮面屋は、客と取引をすることより、顔を張り替えることを至上の喜びとする変わり者で、私とトモキ君の顔を張り替えることで、取引したものとみなされ、帰ることができるといわれたのだ。


 私は、トモキ君のようなかっこいい顔が欲しかった。

 トモキ君は、私の家のような裕福な家が欲しかった。

 そんなお互いの利害が一致して、仮面屋でお互いの顔を交換したのだ。

 夏祭りの最終日に、宝物を持参して、顔を元に取り換えなおすことを約束して。


 仮面屋の手が近づいた時、私は怖くて、思わず目を瞑った。

 首の周りから、まるで仮面が外れるかのようにはらりと剥がされ、しばらくした後に今度は首から上にぺたりと何かが張り付くのを感じた。

 恐るおそる目を開けると、夏祭りで賑わう神社の前で、ぼうっとして立っていた。

 隣に目を向けると、私の顔をした親友が、同じようにぼうっと突っ立っていた。


 顔を入れ替えた私達は、お互いが帰る家も入れ替えることになった。

 お互いに振舞い方が分かっていたので、誰も不自然に思わなかったのか。

 それとも、あの夏祀りで取引をしたことで、世界が書き換わってしまったのか。

 親や周囲の人間は、私達の入れ替わりに気づくことはなかった。


 トモキ君の家で過ごす一日は、それはもう快適なものであった。

 宿題や勉強に追い立てられることもなく、食事の行儀をとやかく言われることもない。

 まるで、世界が広がったような気がした。


 快適な一日はすぐに終わってしまった。

 顔を入れ替えて1日過ごした後、夏祭りの最終日。

 互いに大切なものを持って、私達は神社に戻ってきた。

 私の顔をしたトモキ君は、辟易とした様子だった。

 一刻も早く顔を戻したい、という無言の表情をしていた。


 いざ、神社の入り口で、あの夏祀りの世界へ行こうとしたとき、足が止まった。

 テストの点数と父親の大声、感情を失った母親の視線、きりきりとした胃の痛み。

 またあの日常へと戻っていくのか。

 気が付くと、神社と親友から背を向けていた。

 忘れ物がある。

 もっと大切なものを思い出した。

 取ってくるから、先に行ってて。

 そう言い残して、神社から駆け出した。


 子供特有の無邪気な約束の反故。

 少しでも愉しみを先延ばししたい我が儘。

 今となっては、何をどうしても言い訳にしかならないが、これだけは言える。

 私は、自分の為に、親友に一生許されない仕打ちをしでかした。


 必死で自分が帰ることを切望する家、トモキ君の家へと走り出した。

 自分の顔をした親友が追いすがっているのを想像して、駆ける足が止まらなかった。

 家に辿り着き、自分を見て不審に思うトモキ君の親を尻目に部屋に駆け込み、夏布団をかぶって震えた。

 真夏に布団をかぶって中身は蒸せるほど暑かったが、それよりも親友に見つかることが恐ろしくて、そのまま気を失うまで動けずにいた。


 目が覚めたのは、布団にくるまって熱中症になりかけているのを、母親に見つかった時だ。

 母親はあきれた顔をして、夕食の支度に戻っていった。

 夏祭りはすでに終わっていて、親友も誰も訪ねてはこなかったという。


 翌日、恐るおそる神社へ行ってみたが、屋台は軒並み片づけられ、普段の静かな境内へと回帰する最中だった。

 顔を入れ替える前の私の家へも行ってみた。

 見覚えのない夫婦が暮らしていて、私の顔をした親友も、そもそも私が存在した形跡がどこにも見当たらなかった。

 どうやら親友は、私の後を追わず、かといって私の両親がいた家にも戻らず、神社の入り口をくぐって、あの夏祀りの世界へと踏み込んだのだろう。

 そして今も、あの奇妙な屋台がひしめく異世界で、私を待ち続けているに違いない。


 夏休みが終わり、小学校へ通っても、親友が登校してくることはなかった。

 私が座っていた座席は以前から存在していなかったことになっており、同級生も、教師も、それに言及することがなかった。

 私に親友がいたこと、その親友がいなくなったこと。

 そして、私の存在が消えてしまったことを、自分以外に誰も知らず、気付きもしない。

 誰も信じないような出来事の記憶を、私は自分の胸に仕舞い込んだ。


 この忌まわしい記憶は、年月を経るごとに薄れていった。

 森の静寂の中に瞬く提灯の光も、風変わりな屋台の賑わいも、親友との約束も。

自身の元の顔さえも。

 唯一つ、夏祭りの日に抱いた罪悪感を除いて。


「やあ、大切なものは持ってきたかい」


 不意に、掘り起こされた過去の記憶の層から、夏祀りの賑わいへと戻された。

 懐かしい声だ。

 振り返れない。だが、振り返らなくても正体はわかる。


 二十年ぶりに聞いた声に感動しているはずなのに、背中を伝う冷たい汗が止まらない。

 声をかけようとしても、喉を通った空気が口から漏れるだけで、意味をなさない。


「もうここに来るのは、何度目だろうね?

 まだ、取引できるものはある?」


 まただ。

 この親友も、仮面屋と同じように、私が何度もこの場所に来たと言っている。

 ということは、以前来た時には何を取引したのだろうか?


 そういえば、両親の姿がないのはいつ頃からだろう。

 死別だったか、蒸発だったか?

 婚約した恋人もいたはずだが、最後に会ったのはいつだったか?

 昇進の話もあったはずだが、辞令はいつだったか?


「じゃあ、今度はこれでいいね」


 親友が、何を見つけたのかはわからない。

 だが、親友は昔から、私が気付かないものを探すのが得意だった。


「ばいばい、またね」


 振り返ろうとしたその時、仮面屋の手が伸び―――

 ―――何かがはらりと剥がれる感触がした。




 身体がゆすられるのを感じて、重たい瞼を上げると、見知らぬ中年の顔がのぞき込んでいた。

 夏祭りの関係者で、境内の裏で倒れている私を見つけたので、起こしたとのことだった。


 また、やってしまったらしい。

 夏祭りが嫌なものだと思っているのに、いつの間にか立ち寄って、記憶も残らずこうして寝そべっているところを起こされる。

 これが、夏祭りの度に起こるのだ。


 すでに夏祭りは終わっていて、屋台の明かりは消えて静まり返っている。

 まずい。急いで帰らなくては。

 立ち上がって、神社の出口へと歩き出した。


 しかし、夜だというのに蒸し暑い。

 こういう時こそ、一刻も早く独り身の自宅へ帰り、冷房をつけビールを煽って忘れるに限る。

 だが、生憎手元にはない。

 はて、買っていたような気がしたが、思い違いだっただろうか。

 ため息をつきながら、つい、いつもの癖で首元に手をやって、あることに気が付いた。


 首元の痒みが、治まっている。


 何かを見たはずだ、何かに出会ったはずだ。そして、何かがあったはずだ。


 思い出そうとしても、頭脳がそれを拒否するかのように、全く思い出すことができない。

 思い出すのを諦めて、いつもの仕事上がりの帰り道のように、重い足取りで進もうとして、神社の鳥居の前で振り返った。


 宵闇の中に浮かぶのぼり旗の『夏祭り』の文字が、まるで別れを告げるかのように生暖かい風に揺れている。


 私は、また来年、この場所に来てしまうのだろう。


 そして、何かに出会って、何かを失って、帰路に戻っていくことを、繰り返していくだろう。


 そんな予感を抱きながら、痒みのなくなった首元を一掻きし、帰路へと戻った。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 少しづつ大切な繋がりや記憶を奪って行く疫病神の世界が広がっていて、ぞっとするほどの内容でした。 けっして同じ場所に帰れない帰り道。きっと街から見て鬼門の方角に家があるのでしょう。
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