婚約破棄令嬢は下克上を目論む
「働きたくないでござる」
アルフォンシーノ王国は第一王女であるところの、マリア・ア・アルフォンシーノは呟いた。
マリアは先日、第一王位継承者に就任した、ぴちぴちの二十歳のレディである。
性格は温厚にして控えめ、人付き合いよりは読書を好む理知的な性格で、道理をわきまえた抑制的な人物である……。と、王室報道官は国民に喧伝している。
つまり平たくいうと、人付き合いの嫌いな引きこもりのコミュ障を言い換えたものである。
「おお、働きたくない! おお神よ、この哀れな小魚を救い給え!」
本当に神がいるとしたら、怒って逆に天罰でもくらわしそうなことをマリアが祈ると、御付きメイドのメイリンが呆れて窓を閉めた。無論表にいる、真面目に業務に励む衛兵に聞かれたくないからだ。
「しょうがないですよ、もう諦めてください。ほーら、お見合い写真も来てますよ、見て見てこの人かっこいい!」
キャッキャと浮かれるメイレンのそばによると、マリアは豪華な額縁に収まった肖像画を覗き込んだ。
「この人達と結婚したら、私の代わりに王様になってくれるの?」
「なりません。女王の夫になるだけです。王はあなた」
「オオウオオウ! いややあ〜〜! 王様なんて無理だってエエエ!」
無理であった。マリアには才覚がない。しかしこれまでの彼女には才覚はなくてもよかった。
マリアには弟がいて、先日まで彼が第一王位継承者だったのだ。
そう、思春期特有の思い上がりによりトチ狂い、王立シーブリーム校校内で、婚約者のベアトリスに婚約破棄を言い渡すまでは。
「ミハイのばかあああーなんでなんよばかああーーー!」
「やっちゃいましたね。若い頃の万能感と思い上がりって、時に人の人生を大きく捻じ曲げてしまう。残酷な時期ですよね……」
ミハイ王子が婚約破棄を突きつけた相手は、国内でも有力な伯爵家の一人娘。
彼女の容姿は、なよやかさを美徳とするこの国の文化では、確かに美しいとは言えないそうだ。
だが文武両道、特に頭は突き抜けて良く、脳筋の王子を心底馬鹿にしていたらしいのもまあ、事実である。
問題は彼女が、伯爵の実子ではなかったことだ。
アルフォンシーノ王国が属する、トラスフィッシュ帝国将校の隠し子だったのである。
嫉妬深い正妻の目を憚り、属国にこっそりと養子に出された娘だったのだ。
王子といえど、所詮ただの属国。
帝国将校から見れば吹けば飛ぶような身分だというのに、王子はそれがわかっていなかった。
おかげで王子は突然発症した精神疾患により生涯幽閉とされ、彼の指導教師達も揃って首を切られ、学校教師、校長らは職位を剥奪、平民身分へと落とされたわけだ。
彼らに比べたら、姉のマリアはむしろ逆に得したといえないこともない。
女性の身で入る予定のなかった王位継承権が転がり込んだのだから。
「落ち着きましょうメイリン。今考えるべきは、どうすれば私が王位継承権を拒否できるかということ」
「無理じゃないっすか」
「思考放棄やめて。考えるのよメイリン。そうだわ、ミハイを見習って、私も婚約破棄したらどうかしら」
「ならないでしょう。あれは相手が帝国将校の隠し子だったから起きたことですもん。ほらこれ、見合い相手、国内貴族の子息しかいません」
メイリンが差し出した身上書に並ぶのは、こちらが一方的に断っても問題が起きそうな家の者ばかり。
まあ恨みに思って後々クーデターを起こしたりするやもしれないが、そんな遅効性の毒は今求めていないのだ。
「ああまずいわメイリン。何も思い浮かばないわ。私ちょっと読書が好きな凡人に過ぎないのよ」
「それでいいのですよ。凡人だからマリア様が後継に選ばれたんです。下手に自我のあるやつに王位任せて、これ以いらん騒ぎを起こされたくないのですわ」
「事実を赤裸々に口にしないでくれる。事実なだけに余計ムカつくのよ」
「メイリンは、これだけ言われてムカつくくらいで収まるマリア様が好きですわ」
メイドに好きと言われて、へへっ……とマリアは鼻の頭を掻いて笑った。ちょっとオツムが弱いのである。
チョロい主人って最高よね、とメイリンは思った。
「いいこと閃いたわ」
「やめた方がいいですわマリア様」
「一応話くらい聞いてよおお! ミハイを見習うのよ、私、ミハイが婚約破棄した帝国将校のお嬢さんと結婚するわ」
「おっとお? 予想外なとこ来たのでまあ一応聞いてあげましょう」
「別にそれだけだわ。それから同じように婚約破棄するのよ」
「兄弟揃ってクソなろくでなしですね。仮にその計画が実行できたとして、二度も破棄される令嬢の心や、帝国を敵に回して窮地に立たされる国民はどうなるのです」
「ただただ私が働きたくないのでござる」
「あっすいません。そういや最初からろくでなしの方でしたわマリア様は」
致し方ありませんわ。お手伝いしますけど、私先に国外逃亡するので退職金弾んでくださいよ。
主人に似ず目端のきくメイドは、しかし主人に似て人でなしの心を持っていたのである。
「あれがミハイ王子が婚約破棄した侯爵令嬢、ベアトリス様らしいですよ」
倫理観を持ち合わせないメイドのメイリンの手引きにより、時期女王マリアは隠密に王立シーブリーム校の視察に来ていた。
シーブリーム校の新校長は、先日の騒ぎでだいぶん萎縮していたため、王族の突然の訪問に大汗をかいて迎えた。
渋る校長を脅し、問題の人物を探させる。
日も暮れかけた運動場の片隅で体育着を着、一人剣の形を繰り返し練武する生徒。それがベアトリスだった。
「あ、あれ……? あれがベアトリス様なの? なんか予想とだいぶん違うわ……。でもなんか弟が婚約破棄したの……、納得したわ」
マリアの記憶によると、弟のミハイの好みは弱々しい、いかにも陰気な色気のあるお嬢さんである。
比べたらベアトリスは、好みのまさに真逆を行っていた。
髪も男のように短く、やや大きめな顎の線は凛々しく引き締まり、聞いていた通り美しくはない。ないが代わりに、迸るような覇気があった。
「いやーさすが帝国の高級将校の血を引くだけありますね。女性の身にありながら逞しい!」
メイドのメイリンが感心したように呟いた。マリアは唖然としている。
二人が興味津々で見つめていると、彼女らのそばに立つ校長に気付き、ベアトリスの方がこちらに寄ってきた。
「校長、ご用ですか?」
「いや、ああ、申し訳ない。その、こちら」
「お客人ですか? 案内役を申しつかりましょうか?」
「いや、其方に会いたいとのことで。こちらは王女マリア・ア・アルフォンシーノ様だ」
「マリア・ア・アルフォンシーノ様」
ちらっと配った目線に、言いようのない複雑な感情をのせて、ベアトリスは口の中でつぶやいた。
「ミハイ殿下の姉君様?」
「は、はわあ、そうへふ……」
マリア様! 迫力に負けて腰が抜けそうなマリアに、メイドメイリンが後ろから檄を飛ばす。マリアは背中を支えられ、やや気を取り直した。
「私に御用で?」
「あの、用といいますか、この度は誠に弟が失礼なことをしまして、」
マリア様! 王族が謝るんじゃありません! メイドメイリンがマリアの後ろで囁きながら、その背中をどつく。
「あわあ、つまり、」
「マリア様?」
「わた、わたしと、結婚、破棄が、結婚で」
「はい?」
「ベアトリス様。マリア様はベアトリス様と婚約したいとお望みでございます」
(メイリン〜〜〜!!??? そんな直球で言わないでエエエ!!)
(マリア様に任せてたら、わたしが国外逃亡の準備する時間がなくなっちゃいます!)
涙目のマリアに、メイリンの慈悲のない囁きが飛ぶ。
ベアトリスが怪訝そうな顔をした。それから、ははあん? と意地悪そうに眉を歪める。
「弟殿下の代わりをしようということで?」
「アウアウ、いやその、」
「帝国にいるクソ親父の機嫌を損ねたくないということですか? 必死ですねマリア様。……はは、いいですよ、わたしでよければ貴方と結婚しましょう」
「ぺ、ペヤアア……ひえエエエ……」
(マリア様あなたちょっとどうしたんですか、しっかりしてくださいよ、……マリア様?)
腰が抜けそうになっているマリアに、メイドメイリンは流石に訝しく思い、主人の顔を覗き込んだ。
耳まで充血した赤面の中、目が思いっきりハート形になっている。
アアン……?
とメイリンは2、3秒考えた後、大きく頷いた。
マリアは青春の大部分を不健康に読書に費やしたため、非常にヲタク気質なのだ。
男性に対する免疫もなく、実物の男の人って物語と違って汚いし臭いし怖い……などと恥ずかしげもなく言い出すような、夢見る夢子ちゃんぶりなのである。
そのマリアにとって男装の令嬢など、まさにヲタク心にミラクルヒット、好物中の好物に違いない。
ベアトリスの方も、そこはかとなく自分が見惚れられているのに気付き、マリアに向かって不敵な笑みを浮かべた。
「マリア様には申し訳ないですが、あのクソ親父は私にはなんの情もありません。ミハイ殿下が一方的に破棄したところで、この国に何の不利益もありませんよ。でも、……あなたは、アルフォンシーノ家の方には、わたしと結婚してもらいます」
背後のメイドのメイリンに、もはやぐったり寄りかかるマリアの細い顎を、ベアトリスは剣を振り過ぎて硬くなった指先でつまみ上げた。
マリアの方はもはやされるがままだ。ピヨヨヨと謎の悲鳴をあげる。
「あ、あ、あ、ベアトリスさま……」
「アルフォンシーノ王家は、五代前のトラスフィッシュ帝国家の娘が降嫁されたことがある……。あなたと結婚すれば、私は帝国皇帝と縁続きだ」
「いやまあ一応、そうとも、言えますけど、直系ではない遠縁の一族の方を頂いただけですよっ?」
帝国が版図を広げる前。
まだ一地方の王国に過ぎなかったトラスフィッシュ王が、政略結婚のためあちこちの国や実力者に、自分の血縁の女をやっていたのだ。
そのうちの大半の国は結局滅ぼされ、併合され、確かに残った国は少ない。しかしアルフォンシーノ王国が残ったのは、帝国にとってなんの脅威にもならない弱小国だからなのである。
アップアップするマリアに、ベアトリスはギョッとするほど顔を近づけて、ニンマリと笑った。
「問題ありません。ただ、あなたの血筋が帝国皇帝を継ぐ大義名分になればいいのですよ。私が、いつか下克上を起こし、帝国皇帝の座を奪う時のために」
「は、は、はあ? なんて言いました? ベアトリス様?」
「あの帝国でふんぞり返っているクソ親父を、跪かせてやりたいのです。あいつがゴミのように捨てた娘の足元に。どんな手を使っても」
弟殿下との婚約破棄でその路線を諦めたところを、あなたのほうが言い出したんだ。
今度こそ骨の髄まで利用させていただきますよ、マリア様。
目を白黒させるマリアの緩んだ口元に、剛毅な笑みを浮かべたままのベアトリスは、ちゅっと音を立てて可愛らしいキスを贈った。
目の前でできたての婚約者に抱き抱えられた未来の女王が、ぐんにゃり茹で上がった軟体動物みたいになっている。
損得の判断に定評あるメイドのメイリンは、懐に納めていた退職願いを握り潰した。
なんだかこのままこの国にいた方が、面白そうなことになってきたわ……。
しかしそれはそれとして、退職金は返さないままでおく方法を脳内で算段し始めたのだった。