(23)ナタリアとクラウド、ときどきレオナルド
ナタリアは自室の窓から青々と茂る草木を眺めて、今日何度目とも知れないため息を吐いた。
先日のミレーヌとのお出かけの日。
ナタリアはルーカスの願いもあり、再び二人を引き合わせる手引きをした。
もちろん放置などはせず、何かあればすぐに対応できるよう店内には侯爵家の影を潜ませて少し離れた場所で様子と会話をリアルタイムに伺っていたのだ。
夜会ではクラウドという邪魔が入ったけれど、落ち着いて話をすればルーカスの人と成りもきちんと伝わり、縁が結ばれるかもしれない。
ルーカスは事前に調べた結果、人格的にもナタリアのお眼鏡にかなう人物であることはわかっているし、なによりミレーヌの好みのタイプである。
本人に自覚はないかもしれないが、おそらくミレーヌは逞しい男性、しかも騎士が好きなはずだ。
学生時代に街へ遊びに行くと、ミレーヌは巡回中の騎士を目で追ったり、騎士が表紙に描かれている書籍を手に取ることが多々あった。
一度だけ「ミッちゃんは騎士が好きなの?」とストレートに聞いたことがあるが、困ったようにはにかんで「クラウドがね、騎士学校に通っているから、つい気になってしまって……」と言っていたのを思い出す。
その時は義弟を心配する健気な姉だと思っていたし、騎士には一定数のマニア……いや、ファンが存在するので不思議に思わなかったが、よもや。
こんなことになるとは、思わなかった。
「ミッちゃんっ、なんでよりにもよって、あんな鬼畜シスコン野郎を……!!」
そっちかよ!! と、ナタリアは頭を抱えた。
聞いてしまったミレーヌの自称恥ずかしい秘密とルーカスがズバリと指摘した恋心。
これまでクラウドを引き離そうと画策してきたことが、逆に意識させる効果となってしまうだなんて。
ミレーヌ自身はその想いを否定していたが、よく考えてみればナタリアには腑に落ちるところが多い。
『そう言われてみれば、そうだったかもしれない』と思ってしまう自分が嫌だ。というか、クラウドが嫌だ。
(あんな大人気ない独占欲剥き出しの男とくっ付いたら、ミッちゃんの自由は精神的にも身体的にも皆無。そうなれば、私なんて敵認定されてるんだから二度と会えなくなる可能性大っっ!!)
けれど、大好きなミレーヌの気持ちを無視するわけにもいかない。それこそ、ルーカスのように格好良く送り出せはしないけれど。
(こうなってしまったら、嫌だけど、ものすごく嫌だけど……っ、もうミッちゃんの気持ちを優先するしかないじゃない! 仕掛けたままのアリアナの誤解も解く必要があるけれど、でも、その前に……)
伯爵家では近頃ミレーヌの姿を見ていないという。
これは伯爵家で働く見習いの馬丁からようやく得た情報で、とにかく以前はよく庭にも出てきていた彼女をパッタリと見かけなくなったらしい。
主への忠誠心か、はたまたクラウドの恐怖政治の賜物かは知らないが、伯爵家の人間は口が固くそれ以上の様子は窺い知れないけれど、ナタリアにとっては十分に状況を確信させてくれた。
(おそらくルーカス様と会ったことが、クラウド様にバレたのね)
ミレーヌがカフェの店員に勧められるままテラス席を選んだときには、遅かれ早かれクラウドの耳に入るだろうとは思っていた。
元よりルーカスが来るとは思っていなかったミレーヌに非は無いし、店側としても目立つミレーヌがテラス席にいれば箔が付き、道ゆく人たちへの良い宣伝なると思うのも、まあ仕方がない。
しかし、こうも早くクラウドに知られ、ミレーヌを隠されてしまうとは思わなかった。
監禁は犯罪だ。
いくら両片思いだからといっても片方がこうも拗らせた状態では任せるものも任せられない。
「……私も、腹を括るしかないわね」
ナタリアは机の引き出しから飾り気のない適当な便箋を取り出して、ペンを走らせた。
用件だけを記した貴族とは思えぬ雑な文面を読み返すこともせず、適当な封筒にぶち込んでメイドに託す。
ナタリアがクラウドに手紙を出すなど、最初で最後だろう。
忌々しい思いをすべて吐き出すように、ナタリアは長く重い溜息をもう一度吐いた。
※※※
「こんにちは。ナタリア嬢」
「クラウド様、ご機嫌よう。ごめんなさいね、急に呼び出したりして」
「いいえ、お気に為さらず。けれど、場所と時間だけ指定して呼び出すなんて、ナタリア嬢の名を語った輩からの果たし状かと思いましたが、ご本人で安心しました」
「うふふ。私もいつもミッちゃんには手紙が届かないから心配していたけれど、ちゃんと来てくださって安心したわ。でも、なぜクラウド様には届くのかしら? 同じアドレスなのにとっても不思議ね?」
クラウドとナタリアは「ははは」「ふふふ」とお互いに微笑みを交わしているがその周囲はブリザードが吹き荒れている。
「……俺、帰っていいかな?」
初手で既に入り込めていないナタリアの婚約者であるレオナルドもそこに居た。傍らで遠い目をしてふたりを見遣っている。
「レオったら何を言ってるの? クラウド様と私のふたりで会うなんて、変な噂が立ったら困るのは貴方も同じではなくて?」
「いやまあそうなんだけど……」
「ぜひそうしてください、レオナルド殿。もちろん貴方の婚約者を置いて行かないでくださいね。良からぬ噂が迷惑なのはこちらも一緒です」
「あ、ああ……うん、そうだよね……」
見事なまでの板挟みである。
特にクラウドからの視線は、レオナルドには痛い。
一見穏やかに緩められた瞳の奥で、レオナルドを強く責めているのが分かるからだ。
(テメェの婚約者なんとかしろや)くらいの事は思っているだろう。
ナタリアが指定した場所は、貴族御用達のカフェ。
一階はオープンキッチンと広めのテーブル席が余裕を持って配置され、食事やお茶、お喋りを楽しむマダムに人気の店だ。
ナタリアはレオナルドを伴ってその店の二階にクラウドを呼び出しており、一階とは違って個室であるそこは周りの目を気にすることなく過ごすことができるため密談や密会に使われる場所でもあった。
「ほっ、ほら、立ち話もなんだし、クラウド殿もこちらへどうぞ!?」
非常に好戦的に見えない火花を散らすふたりの間を取り持つように、レオナルドがクラウドを席へと誘う。
クラウドはその言葉に静かに従い席に着いたので、レオナルドはホッと息を吐いた。
(始まり1分足らずでこの心労……。ダイナミン家を継いだ時よりツライ……!!)
年齢も身分としてもレオナルドの方が上のはずなのに、なぜかクラウドから向けられる圧は強い。
ナタリアには秘密にしているが、実はレオナルドは夜会の一件の後にクラウドから壁ドン付きで《二度としません》と誓約させられているのだ。
あの時のクラウドは、怖かった。
暴力を振るわれたわけでも、恫喝されたわけでもない。ただ、出会い頭に壁際に追い詰められ一言二言の言葉を静かに交わしただけなのに、レオナルドは喉元に刃物を突きつけられているかのような錯覚に陥り身が震える思いだった。正直、二度と敵には回したくない人種である。
本来であれば今日ここに来る事も嫌だったが、レオナルドには婚約者であり女帝でもあるナタリアを止めることも、同じくらいの無理難題であった。
(このふたりは、まさに水と油なんだよなぁ。これをいつも中和してたミレーヌ嬢が、ほんとにすごい気がしてきた……)
レオナルドはこの場にいないミレーヌの偉大さを痛感しながら、水と油の間で空気となった。
テーブルに人数分のお茶が用意されたのち給仕が下がると、ナタリアは「さて」と口を開く。
「今日は、腹を割って話しましょう。クラウド様」
「貴女と腹を割って、俺に何の得が?」
ナタリアが友好的に微笑みかけると、クラウドもその綺麗な顔を生かしたキラキラしい笑みを浮かべて生意気な毒を吐いた。
クラウドはミレーヌがいなければ、ナタリアに対する悪感情を隠す気はない。
ナタリアの滑らかなこめかみには青筋が浮かび、このクソガキが……っ、と応酬しかけたところで、レオナルドの小さな咳払いに冷静さを取り戻す。
下らない言い合いをするために、ナタリアはクラウドを呼び出したわけではない。
「そういう牽制が面倒だと言っているのよ。探り合わずに本題だけに触れた方が効率的だし、短時間で済むわ。ここでの会話はお互いに無礼講ということでどうかしら」
「……」
クラウドの無言を『是』と受け取ったナタリアは、気を取り直して薔薇のような赤い唇を引き上げた。
「もうわかっていると思うけど、私はずっとミッちゃんを貴方から引き離したいと思っていたの。そのために色々と頑張ったのよ」
「ええ、その様ですね」
「特にルーカス様を選んだのは、良かったでしょう? おそらく見た目もミッちゃんの好みに近いし、誠実で実直、なによりミッちゃんの幸せを第一に考えてくれる心の広さ」
誰かさんとは大違い、と存外に告げてみる。
だからこそ、ルーカスはミレーヌの気持ちにいち早く気づき身を引いてしまったわけだが、彼の名を出した途端に不快を露わに眉を寄せたクラウドは、恐らくそれをまだ知らない。
その様子を見て、ナタリアは内心ほくそ笑んだ。
この後の交渉を畳み掛けるにはその方が好都合だったからだ。
お行儀悪くもテーブルに片肘をついて、目の前に座る作り物のような精巧な顔をした男を見据えるとニコリと笑って言葉を続けた。
「でも、結局のところ私はミッちゃんが幸せになれるのなら、お相手は誰でもいいと思っているの」
「俺以外なら、と、言いたいのでしょう?」
「いいえ。つまり、貴方でもいいのよ。クラウド様」
ナタリアの答えが意外だったクラウドは珍しく目を瞠り、傍らで聞いていたレオナルドもつられるように「え?!」と声を漏らした。
ナタリアとクラウドはミレーヌの手前、表面上は当たり障りなく接していたが、会話の節々や視線の冷ややかさでお互いに友好的でないことはわかっている。
それをなぜ今更歩み寄ろうとしているのか、クラウドは窺うような視線をナタリアに向けた。
「……また良からぬことを、考えているのでは?」
「まあ! 良からぬことだなんて心外だわ。でも、無礼講だから許してあげる」
剣呑な表情を浮かべたままのクラウドに、ナタリアはわざとらしく肩を竦めた。そして宣誓するように片手を顔の横まで上げてクラウドに手のひらを向ける。
「私は二度と貴方を邪魔しない。むしろ、手助けしてもいいわ。貴方がこれから言う提案にのってくれるなら」
「提案?」
「そう。いますぐ、ミッちゃんを解放してくれる? 知っているのよ、貴方がミッちゃんを部屋に閉じ込めていること。家族間であれ監禁が立派な犯罪なのはご存知よね?」
ナタリアの不躾な言葉に対してクラウドの表情は一切動かなかったが、代わりにレオナルドがギョッと目を剥いてすぐさま声を上げた。
「ナタリア、突然何を言っているんだ! 何の確証もなく、いくらなんでもそれはクラウド殿に失」
「出来ません」
「礼……え?」
「それは出来ないと言ったんです」
(で、出来ないって……? まさかマジで閉じ込めてんの?!?!)
レオナルドは驚愕で開いた口が塞がらないまま、シラっとした顔をしてお茶を飲むクラウドを信じられないものを見る目で凝視した。
元々、積極的な社交は行わないミレーヌなので、茶会等で姿を見掛けなくても不思議ではなかったが、それを誰が義弟によって監禁されているからだと思うのか。
ナタリアもナタリアで、この異常事態を想定内だと言わんばかりに平然と話を続ける。
「クラウド様ったら、随分と余裕がないのね。先日のお出かけのときの事を誰かに聞いたのかしら? あの直後からどんな手を使ってもミッちゃんと連絡が全く取れなくなって心配しているのよ」
「ご安心ください。ミレーヌは元気ですよ」
「元気? 本当にそうかしら。クラウド様がミッちゃんを独占したい、誰にも取られたくないという気持ちはわからなくもないわ。私もミッちゃんが大好きだから。でも、私はミッちゃんを雁字搦めにはしたくないの。あの子には変わらず心のままにいてほしい。クラウド様だって、小鳥の翼を折るような真似は本意ではないでしょう?」
ミレーヌの魅力は、裏表のない素直さにあるとナタリアは思っている。その素直さにクラウド自身が救われてきたであろうことも知っている。
それなのに、自由が奪われることでミレーヌが心を失うようなことになれば本末転倒だ。
「ミッちゃんを、自由にして。その上でミッちゃん自身がクラウド様を選ぶなら、私にふたりを反対する理由はないわ」
ナタリアが真っ直ぐに前を見据えると、視線の先にいた男が短い溜息を吐いて呟いた。
「自由に……ね」
騎士にしては綺麗な指先が答えを迷うようにトン、とテーブルを軽く叩くと、クラウドの頬に自嘲めいた冷ややかな笑みが霞む。
「それは、出来ないと言ったでしょう」
「何故、そこまで?」
男の答えに、反射的に問い返す。
「色々と画策してきた私が言えた立場ではないけれど、誰かを思い通りにしようなんて傲りだわ。そんなものは恋でも愛でもない。貴方は……っ」
頑なクラウドに対しナタリアが苛立ちに任せて声を上げた。
しかし、それを遮るように被せられたのは耳を疑うような内容だった。
「ミレーヌは部屋にずっと籠城している。出ておいでと言っても聞き入れない。困っているのは、俺の方だ」
思わず「は?」という間の抜けた声が、ナタリアの唇から溢れ落ちた。