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全部誤解です。  作者: 雪成
蛇足
23/33

(18)恋ってなんなの


 ミレーヌは先日の騎士団本部で見た光景を思い出し、ほんのりと赤く染まる両頬を掌で覆う。

 騎士達の戦う姿の美しい様と、自分がそれにどれほど感銘を受けたのか。そして、逞しく勇ましい騎士達が如何に魅力的であるかを嬉々としてナタリアに聞かせ始めた。

 

 

「クラウドとルーカス様の模擬戦は本当にすごくって、まだ目に焼き付いているわ。離れた場所で見ていても分かるくらいにとても力強いのよ。剣を打つのも受け止めるのも、ものすごく早いスピードでね、もう……もうっ、ああ! うまく伝えられなくてもどかしい! とにかくナッちゃんにも見せてあげたかったわ! きっとあの光景を見たら誰だって騎士様達のファンになってしまうもの。どうか訓練を広く一般公開してくれないかしら?! 一見の価値ありなのに隠してしまうなんて勿体なさすぎる……っ!!」

 


 ものすごい熱量である。

 こんなにミレーヌが何かを熱く語るところを、ナタリアは初めて見たかもしれない。


 騎士団といえば、制服姿は精錬で社会的地位も高いため一般市民からは憧れる職業だが、細身でスラリとした貴族男性を好む貴族子女の間では、ゴリラのような屈強な男達の巣窟であるというマイナスイメージを持つ者も少なからずいる。

 クラウドのような例外もあるが、実際に職業柄筋肉質で体格の良い者が多く、見た目の圧迫感に恐れをなしてしまう女性がいるのだろう。


 そのような場に、可憐な一輪の花のようなミレーヌが? 

 しかも、ちゃっかり内部の見学までしてきている?

 ナタリアは目眩がしそうになった。

 

(いえ、騎士の方達はとても紳士的だとわかっているけれど……絵面が。絵面がね。野獣の群れに兎が紛れ込むようなものだわ)



「ミッちゃん。楽しかったのは十分伝わるけれど、まさかまた行こうとか思っていないわよね?」

「もちろん行きたいのだけれど、クラウドから出入り禁止にされてしまったの……」

「でしょうね」



 しょんぼりするミレーヌには申し訳ないが、今回ばかりはナタリアもクラウドと同意見だ。

 クラウドもさぞや驚いたことだろう。

 年頃で未婚の女性が頻繁に男所帯である騎士団に出入りしていれば、悪い噂が立つ可能性だってあるのだ。それに、ミレーヌに心を奪われる騎士が出てくるかもしれない。

 


 しかし何故。

 ミレーヌがここまで熱を込めて騎士団に興味を示すとは。何がそんなに気に入ったのだろうかとナタリアが先程までの会話を思い返していると、ふとある人物の名前が出ていたことが気に掛かった。




「そういえば、ミッちゃん。騎士団でルーカス様に会ったの?」

「え? ええ。模擬戦の際に遠目でお見かけしたくらいで、言葉は交わしていないけれど……」

 

 少しだけ気まずさを滲ませたミレーヌは、手元の茶器に視線を落とす。

 ルーカスの話題を出したのは、あの夜会以来である。

 ナタリアには、ずっと気になっていた事がある。

 ミレーヌはクラウドの為にルーカスの申し出を断ったように見えたけれど、もし、あの場にクラウドが居なかったら彼女は何と答えたのだろうか。

 ルーカスは次男ではあれ家柄は申し分なく、派手さはないが容姿も整っている。

 これまで意識していなかったとしても、あのような熱烈な告白を受ければ少しくらい揺らいでしまうこともあるのでは?

 ナタリアは僅かな期待を込めて、ミレーヌに聞いてみることにした。

 

「ねぇ、ミッちゃん。ルーカス様のこと、ミッちゃん自身はどう思ったのかしら?」

「どうって?」

「クラウド様のことを抜きにして、彼は好ましい? それとも、好みじゃなかった? これは、女子会の軽い恋話よ。気軽に答えてみて、ね?」


(憧れの、恋話……!)


 これまで恋愛に縁のない生活を送ってきたミレーヌはナタリアに魅力的なワードで促されて、ルーカスについて思い起こしてみる。

 

 ルーカスは学生時代と見た目がだいぶ変わっていて、夜会で再会した時は当初彼であると気付けなかったほどだ。

 たまに学園の図書室で見かけることのあったルーカスは、目立たない角の席に好んで座り、長く細い指で本のページを捲る物静かな青年だった。

 当時は長い前髪でその表情が隠れており、誰かと話しているところを見た事もなかったので彼がどのような人物かを知る由もなかったが、丸められていた背筋を伸ばせば元々高かった身長が露わになり、騎士団で鍛えられた筋肉質な体はとても頼り甲斐がありそうだった。

 キリッとした眉や鋭さのある目元は男性らしく、きっと今のルーカスなら女性にもモテるだろう。

 


「素敵な人だと思うわ」


 素直な印象をミレーヌがそのまま口にすると、ナタリアはパッと表情を明るくした。


「まあ! やっぱりそう思う? 私もそうじゃないかと思っていたのよ!」

「え、ええ……」

「ミッちゃん、それは恋の第一歩になるかもしれないわ!」

「恋!?」


 声を上擦らせたミレーヌに、ナタリアは大きく頷いた。


「私はね、穏やかで誠実なルーカス様ならきっとミッちゃんを尊重して、生涯大切にしてくれると思ったから彼を貴女に引き合わせたの。お節介だって分かっているけれど、私、ミッちゃんにも幸せな結婚をしてほしいから」

「えっと、でも、まずはクラウドの結婚が……」

「いいえ、ミッちゃんもそろそろ自分の幸せを探してもいいと思うわ。ここまで来たら、弟のお世話はもう終わりよ。あとは貴女のこれからの人生を考えなくちゃ」

「私の?」

「そうよ。クラウド様もこれから幸せになるのでしょ? 義姉離れをするのよね? きっとミッちゃんの心はポッカリ穴が開いたように感じられてしまうかもしれないわ。それなら、ミッちゃん自身も幸せになれるお相手を見つけていきましょうよ」


 ナタリアは優しく微笑みながらミレーヌを諭すように語りかけた。

 ミレーヌはまだ慣れない恋話とやらにドギマギしながら頭の中でナタリアの言葉を噛み砕くけれど、いまいち恋や幸せというものがよく分からない。

 どういうものが『恋』で、それはクラウドがミレーヌに対してよく口にする『愛』となにが違うのか。



「ナッちゃん……。ナッちゃんは、レオナルド様を愛している?」

「えっ?! な、なに、突然。まあ、そうね。結婚するし、そうなるわね」


 ミレーヌの唐突な質問に意外と照れ屋なナタリアは頬を染めながらしどろもどろに答えた。


 

「学生時代、レオナルド様はナッちゃんにずっと恋焦がれていると仰っていたわ」

「はっ!? あのバカ、私のいないところでミレーヌになにを言って……!」

「ナッちゃんは、レオナルド様を愛しているのよね。それはレオナルド様のいう恋と、どう違うのかしら?」

「急に哲学的な話になってきた」


 軽く口にした『恋』という言葉に、思いがけずミレーヌが真剣な表情で根本原理を突き詰めにきた。

 ナタリアは、その点についてたしかにあまり考えたことはなかったけれど、でも、何となくならわかる。

 それは、婚約者であるレオナルドの事を好きだと自覚しているからだ。

 けれどその『なんとなく』をどう伝えるべきか。

 ナタリアは軽く腕を組んで、『うーむ』と考え込み難しい顔をした。その道の重鎮のような厳しい表情と重々しい格言が飛び出してきそうな雰囲気にミレーヌはゴクリと固唾を飲んで言葉を待つ。



「多分だけど、恋の先に愛があるんじゃないかしら?」

「恋の先に……!?」

「ええ、でも説明が難しいわ。考えてわかるというより、感じるものだもの」

「感じる……!?」


 考えるな、感じろ。

 達人のような答えに、恋愛初心者は震えた。


(恋の先に、愛? 家族愛に恋はないのに? あ、そもそも考えちゃダメなんだっけ? 感じ……? ど、どうしろと……!!!)


 ミレーヌは、クラウドとの夜のお散歩の時に感じたあの胸の締め付けられる想いの意味を測りかねていた。

 義弟の事は、姉として愛している。

 なにも変わらないはずなのに、それを素直に口にする事を躊躇してしまう。

 仄かに感じるこの背徳感はなんなのか。

 軽い気持ちで何度も出していたファンレターさえ、もう書けなくなってしまった。

 なぜ、今まで出来ていたことが後ろめたいと思うようになってしまったのか。

 

 クラウドの言う『愛』の意味が無性に気になって、これまでたくさん読んだ本の中に答えを探したけれど見つけられなかった。

 信頼できる友人はもうその答えを知っているらしいが、説明は難しいと言う。

 

(クラウドは可愛い弟だから愛しているし、気になる。恋をせずに存在する愛があるのなら、家族への愛はきっとナッちゃんとレオナルド様の恋を経た愛とは別物なのよね? うん、そう。きっとそうなのだわ)



「じゃあ、恋ってなんなのかしら……?」



 ミレーヌは譫言のように呟いて、ムムムと眉を寄せた。

 


「ミッちゃん、大丈夫?」

「ナッちゃん、私にも恋とやらができるのかしら?」

「ミッちゃん……っ!! 出来るっ! 出来るわ!」

「私、恋や愛の意味をちゃんと知りたいと思うの。どうすればいい?」



 

 ナタリアはテーブルの下で、グッと勝利の拳を握った。

 



※※※



「第27回 使用人会議をはじめます」



 もう定例となりつつある伯爵家使用人会議。

 メンバーはお馴染み、家令のディエゴを中心に第1回クラウド暴走対策会議に参加していた口の堅いよりすぐりの面々である。


 今日の招集人はミレーヌ付きの侍女、アンナ。

 早速と言うように、普段はかけていない伊達眼鏡をこれ見よがしにクイッと上げて話し始めた。



「本日皆様に集まっていただきましたのは、ミレーヌお嬢様に挙動不審な面が見受けられたからです」


 ショッキングな第一声に場が騒つく中で、ひとりの若い侍従が「最近のお嬢様は専ら挙動不審ですが……」と呟くと、アンナが空かさず「お黙り!!」と喝を入れた。



「ひぃっ、すみませんっ!」

「……以後、不用意な発言は控えるように」



 ディエゴが静かに侍従を諫めて、アンナに顎で続きを促す。


 アンナは気を取り直して咳払いをひとつすると「お嬢様のお部屋の書棚に、このような物が……」と議場の中心の丸テーブルに一冊の分厚い書籍を置いた。


「これは?」

「辞書です」

「何の変哲もないようだが……?」

「肝心なのは、辞書の中身です。此方をご覧ください」


 アンナがいくつか付箋がされているページを捲ると、そこには『愛』と『恋』の行に、アンダーラインが引かれていた。



「こ、これは……っ! 誰もが通る道でありながら、後から必ず黒歴史と化すものでは?!」

「俺にも覚えがあるっす。ほんとに忘れた頃に出てきて過去の自分から辱めを受けるやつっすね」

「思春期のあるあるですねぇ」

「《恋》や《愛》だなんて、お嬢様はまだ可愛らしいじゃないすか。俺なんてエロ単語もマーカーしてましたからね。親に『せ』のページを見られる前に証拠隠滅出来たことだけが救いっす」

「それは確かに黒歴史」


 全員が微笑ましいものを見る目で語り合うが、アンナだけは深刻な表情を崩さなかった。

 


「意味を調べたと言う事は、関心があるということです。つまり、お嬢様は……」

「……恋をしている、と?」



 続きを引き受けたディエゴの言葉に、コクンとアンナは頷いた。



「だ、誰にですか!!??」

「うわぁあぁ!! 俺たちのお嬢様がぁあ!!」


 ベテランの侍従は、頭を抱えて膝から崩れ落ちた。

 気持ちはわかる。

 ここにいる者は皆、ミレーヌ推しなのだ。

 若い侍従は、床に突っ伏したままの先輩侍従の背中を慰めるようにそっと撫でた。



「先日、ナタリア侯爵令嬢とのお茶の席で『ルーカス』というお名前が出ているのを耳にしました」

「ルーカス……確か、バルマー侯爵家の次男にその様なお名前の御子息がいたが、まさか」

「ええ、ディエゴ様のお察しの通り、ルーカス様はカーライル侯爵家主催の夜会でミレーヌお嬢様に愛の告白をしたお方でもあります」


 

 誰かのゴクリと息を飲む音が聞こえるほど、場は静まり返った。

 ミレーヌに公開告白した勇者、ルーカス。

 使用人達もその噂は耳にしていた。


 けれど。


「誰であろうと相手の男は地獄を見るだけです。クラウド様は、お嬢様の恋を決して許さないでしょうから……」



 その勇者が、告白の後にどうなったのかを知る者はこの場にはいない。

 行方知れずになったであるとか、不慮の事故で記憶を失ったとか、どの噂も不確定ではあるがとりあえずざっくり不幸になっているのだ。

 


「最近では《ミレーヌお嬢様に告白すると7日以内に高熱に侵されて男性機能を失う》と都市伝説のように囁かれています」

「いや内容怖すぎません?」


 若い侍従は震え上がった。


 こんな不本意で出鱈目な噂によって本来人畜無害なミレーヌが敬遠されるなど許しがたいことではあるが、人の口に戸は立てられない。

 その事を使用人一同が苦々しく思っていたところに、降って湧いたようなミレーヌの恋愛話である。

 上手くいけば良からぬ噂話も払拭出来るかもしれない。



「ディエゴ様、私はミレーヌお嬢様の初恋を応援したいのです!」



 アンナは難しい顔をして口を噤んでいたディエゴに訴えかけた。

 


「私はミレーヌお嬢様を大切に想っております。大変恐れながら、妹のようだとも感じているのです。クラウド様がおそばにいた時はお嬢様が誰かを好きになられる事などないのではないかと思っておりました。だからこそ、この奇跡を無かったことになどさせたくないのです!」



 普段はクールなアンナが、ここまで熱くなること自体が珍しいことだった。


 ディエゴは以前、バルマー侯爵家からミレーヌへ縁談の話が来ていた事を知っていた。

 それがミレーヌの手元へ届く前に、クラウドによって握り潰されていた事も。


 あの時の相手がその次男であったとするならば、本来ならミレーヌは今恋をしている相手と結ばれていた未来があったかもしれないということだ。

 

 



「たとえクラウド様に罰せられようと、私はミレーヌお嬢様の恋を手助けいたします!」


 アンナは目に力を込めて上司であるディエゴを強く見返してくる。

 

 ディエゴは、片手で目頭を押さえて大きく息を吐いた。

 

 


「出過ぎた真似をするな。使用人が、主人のプライベートに口を出す資格などない」

「でもっ、ディエゴ様だって、それでいいんですか!」 


 アンナは尚も追いすがった。

 ディエゴもミレーヌの事は娘のように思っているはずだと信じている。

 ディエゴだけではない。それぞれがそれぞれの立場でミレーヌを思っているからこそ、こうして夜な夜な集まり会議をしているのだ。


 

「ディエゴ様、お嬢様ならたとえ悪い噂があろうとも相手の目を三秒見つめてやりゃあ男はイチコロっす。もしもの時はクラウド様に気づかれる前に、勝ち逃げすりゃあいいじゃないすか」

「私からもお願いします。お嬢様には幸せになっていただきたいのです。お逃げになるのなら喜んで協力いたします!」


 ミレーヌの身を案じながらもいつもどこか中立であるディエゴからの言質を取らなければ、きっとすぐにクラウドに阻まれてしまうことになる。


 それをわかっている使用人達が皆口々にディエゴに言い募り始めると、ディエゴは渋い表情のままチラリと視線を横に流した。

 



「……口を出すなとは言ったが、主人の望む事をお心のままに取り計らうことが仕事である。……我々はミレーヌお嬢様のためにできる事をするまでだ」

「ディエゴ様……!!」


 

 葛藤を滲ませながらも容認したディエゴに、全員が顔を見合わせ強く頷きあった。

 



 

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