(12)騎士道? なにそれ。
「待ってください、姉上殿。折角ここまで来たのですから、クラウドに会って行きませんか?」
ミレーヌには願ってもいない申し出だった。
けれど本当に良いのだろうかと返す言葉に詰まっていると、侍女が代わりとばかりにデジレに答えた。
「恐れながら申し上げます。お気遣いには感謝いたしますが、お嬢様は諸事情によりここで失礼させて頂きます」
「どのような事情なのかは知りませんが、姉上殿は彼に会いたくはないのですか?」
デジレの瞳は答えた侍女ではなく、ずっとミレーヌに向けられている。
「私は……」
「お嬢様、もう行きましょう!」
「私…っ、クラウドに会いたいわ!」
ミレーヌの言葉に侍女が青ざめ、慌てふためいた。
「お嬢様!? ダメです! お約束が違います!」
「ごめんなさい…でも、すぐそこにクラウドがいるんだもの。ねえアンナ、少しだけダメかしら?」
「いけません!!」
どうやらクラウドに会わせたくない諸事情とやらが伯爵家にはあるらしい、とデジレはそっと顎に指をそわせて思案した。
この数日、クラウドが屋敷に戻っていないのも関係しているのだろうか。
彼はずっと苛々している。今日だってそうだ。それはやはり最愛の義姉絡みだったのかもしれない。
何をやらせても涼しい顔で完璧にこなす器用な男の杞憂の種であろう人物を連れて行ったら、何か面白い反応が見られるかもしれない。
デジレは悪戯を思いついた子供のように、密かにニヤリと悪い笑みを浮かべた。
「姉上殿が来てくれたと知ればクラウドも喜ぶでしょうから、是非会っていってください。勿論、彼の場所までは俺が責任を持ってご案内しますよ」
「本当ですか? お仕事のお邪魔ではありませんか?」
ミレーヌは期待に瞳を輝かせてデジレを見上げた。
「邪魔だなんてとんでもない。家族や恋人が差し入れを持ってくる事はままあることです。きっと励みになるでしょうから是非直接渡して差し上げてください。侍女殿もご一緒にどうぞ」
「まあ! ご親切に、ありがとうございます…っ!」
「お嬢様ぁぁ…!」
胸の前で手を組んで感激するミレーヌとは対照的に、侍女が膝から崩れ落ちたのがデジレの視界の端に写った。
(伯爵家の使用人には悪いが、俺はクラウドの反応の方が楽しみなんだ。さあ、一体どんな顔をするかな?)
デジレは人好きのする笑顔を浮かべて、ミレーヌ達を騎士団内部へ迎え入れた。
※※※
デジレに案内されたのは、訓練場だった。
騎士達によって何度も踏まれならされた砂地は所々ひび割れてとても堅そうだ。
ミレーヌが居るのは、その訓練場から柵を隔てて数段高くなった場所である。こちらはきちんと舗装されており、踵の高い靴でも難なく歩くことができた。見学するために作られたようなベンチも設置されている。
てっきり屋内の事務所のような場所にいるのかと思い込んでいたミレーヌは首を傾げてデジレを見上げると、デジレは申し訳なさげに眉を下げた。
「すみません。御令嬢にこのような場所は好まれないでしょうが、実は今、模擬戦をしていまして。クラウドは…ほら、あそこに」
デジレが指差した先に見えたのは、ひらけた訓練場の中央で剣先を向け合う二人の騎士。
そして、それを大勢のギャラリーが囲んでいる様子だった。
だいぶ距離が離れているけれど、ミレーヌはすぐに中央のひとりがクラウドであることに気が付いた。
(クラウド…! そして向かい合うもうひとりは…)
「…ルーカス様?」
ミレーヌが相手の名を呟くと、デジレが「おっ」と片眉を上げた。
「よく分りましたね。正解です。確か姉上殿はルーカス殿とは学園の同級生だったと聞きましたが、仲が良かったんですか?」
「え? いえ、それほどでは…」
「そうですか。クラウドはまだしも、離れたこの距離で認識されたのでお二人は親しいのかと思いました。…失礼、きっと視力がとても良いのですね」
何か含みを持たせたようなデジレの物言いに侍女のアンナがジト目を返すと、彼はくつくつと喉を鳴らすように笑った。
おそらくデジレは夜会の一件を知っている。
それに気付いたミレーヌは居た堪れなくなり、少しだけ頬を染めて長い睫毛を伏せた。
(……この、愛らしい初な反応は彼女の地なのか? これを見た男は『この子、俺のことが好きなんじゃ?』って勘違いしても仕方ないだろうなぁ。まるでルーカスに心を残しているかのようにさえ見えるし)
デジレはこれでも貴族の端くれである。
内心とは裏腹の紳士的な微笑みを顔に貼り付けながら、生暖かい視線でミレーヌを眺めた。
(これじゃ、クラウドも苦労するな……いや、クラウド自身が囲い込みすぎた弊害だから、自業自得か)
今は第二部隊と第五部隊の合同訓練で、選抜された数名による勝ち抜き戦をしているところだ。
デジレ自身も先鋒として健闘したが、二回戦目で敗退。そこからの第二部隊は第五部隊にゴボウ抜きにされて早々に大将であるクラウドに出番が回り、今に至っている。
(だって仕方ないじゃないか。第五は全員ゴリラなんだから! 素手でもいけそうなゴリラが剣持ってんだから!)
部隊の中ではゴリゴリの戦闘員で構成されているのが第五部隊なのだ。技術が同じでも正面からまともに打ち合えば最後は力負けしてしまう。
ちなみに、クラウドやデジレの所属する第二部隊は剣技だけでなく見目の良い騎士が多く、主に王族警備で舞踏会や公務などの人目のある華やかな場に回されやすい。
どことなく透けて見える編成の意図だが、その隊ごとの色と意味があるのは当然だ。
「あの、大丈夫なのでしょうか? 訓練とはいえ剣を使うのは危険では…?」
ミレーヌは太陽を反射して光る剣先に不安を覚え、隣で腕を組んで同じように試合を見守っていたデジレに話しかけた。
「ご安心ください。あのような模擬戦では刃を潰したものを使用しているんですよ。勿論、当たれば痛いですし痣にもなりますが、死ぬ事はありません。たぶん」
(たぶん!?)
何処を安心しろというのか。
デジレの言葉に更に心配になるが、彼のなんでもない風な笑顔に押されて「そうですか…」と納得したような顔をするしかなかった。
「ルーカスは相手側の大将ですから、これが最終戦になりますね。試合が終わればクラウドに声をかけてきますので、今しばらく姉上殿と侍女殿はこちらの柵の内側でお待ちください」
ミレーヌはデジレに小さく「はい」と返事をすると、ハラハラとする気持ちをそのままに視線をクラウドに戻した。
デジレはその様子に少しだけ苦笑いすると、ミレーヌの視線の先を追うように目を向ける。
(……それにしても、ルーカスが相手だとは間が悪かったかなぁ。さすがにクラウドだって姉上殿に負けるところを見られたくないだろうし、ここに連れてきたのはちょっと失敗したかもしれない)
第五部隊の大将戦まで辿り着いた時点で第二部隊としての面子は保てている。むしろ上出来と言っていい結果だ。
周囲に侍る第二の隊員達も『さすがクラウド!お疲れ!もういいぞ!』と、すでに満足気でそれ以上は望んでおらず、あとは消化試合かのようにリラックスして見守っている。
元より自分達が第五部隊に勝てるとは、最初から思っていないのだ。
しかし、そんな事はミレーヌにはわからないだろう。今目の前で行われている一戦が印象の全てとなるはずだ。
デジレの失敗は、職場に最愛の義姉が現れるというサプライズにクラウドがどう反応するのかということに気を取られ、とっくに終わっているであろうと思った模擬戦はクラウドが善戦してまだ続いていたこと。
そして、最後の対戦相手があのルーカスであったことだ。
(ルーカスにとっては挽回のチャンスか。でも、それじゃ余計に俺がクラウドに恨まれるんじゃ……?うわぁ、やだなぁ…)
デジレはミレーヌとは違う意味で、内心ハラハラとしていた。
※※※
クラウドはまさか義姉がこんな場にいるとは思うはずもなく、ジッと目の前の相手を見据えていた。
大将戦とはいえ、クラウドにとってはこれが三戦目。
さすがに疲れは出る。手始めに数度刃を合わせただけで、掌に痺れが走った。
(さすがに筋肉馬鹿と三連戦は体力的にキツイ。もう面倒だから適当に手を抜いて終わらせてもいいが……)
目の前の相手がルーカスでなければ、そうしていたかもしれない。
普段のクラウドは勝敗に拘ることはなく、見栄や外聞を気にするタイプでもない。
自分にとっての必要なものと目的がはっきりしている分、物事の取捨選択が早く不要な事柄には全く執着しないのだ。
しかし。
ルーカスはクラウドにとっての『必要』にまとわりつく危険分子。先日の夜会でのルーカスの行動を許した覚えはないし、潰せるものなら潰したい。
ルーカスの真っ直ぐな剣筋も手本のような構えも、真面目で誠実な人間性を表しているかのようだった。
彼はまさに、清廉潔白な騎士そのものを体現している。それがまたクラウドの癪に障る。
スピードや技術だけなら、今はまだクラウドの方が上だ。
洞察力に長けているクラウドは相手の癖を捉えるのを得意としている。ルーカスは攻撃前に僅かに左足を踏み込む癖があり、それがわかれば動きは単調で読みやすい。
けれど繰り出される一撃が重く、正面からまともに受ければ模擬剣など容易く折れられてしまうかもしれない。
何度か力を削ぐように刃を滑らせて振り下ろされる剣を受け流すが、それでも全てを無効にできるわけではない。
ビリビリとした痺れが肘の先まで伝わり、クラウドは思わず眉を顰め舌を打った。
続け様に打ち込まれた刀身を手首を返して翻す。伸し掛かる重量を分散させルーカスが少しでもバランスを崩せば、すかさずその脇腹に自身の剣を叩き付けて終わらせるつもりだった。
「…っ!」
ルーカスの剣を弾いたと思った瞬間、連戦による影響が握力に出た。
痺れたままの掌が、グリップを滑る。
相手を沈めるはずだった刀剣はキィンと音を立て宙を舞い、見学していた隊員達の合間を滑るように割り行って、数度回転して止まった。
クラウドが、自身の状況を見誤った。
力で、ルーカスに押し負けたのだ。
ルーカスはクラウドが剣を失った事を理解すると、フッと緊張の糸を解いて構えていた腕を下ろそうとした。
その隙をクラウドは突いた。
ルーカスの軸足を自身の足で刈り上げ相手の身体を地面に叩きつけると、虚を衝かれたルーカスの剣を奪い、胸倉を抑えてその喉元に切先を突きつけたのだ。
クラウドが剣を手放してから、たった数秒のうちに起きた出来事だった。
刀剣の刃が潰れていなければ、あと1ミリ、ルーカスが動いたならば、喉を裂かれているだろう。
クラウドはルーカスを冷たく見下ろし、ルーカスは微動だにせずただ背中に一筋の汗を流す。
暴挙とも言える騎士らしからぬクラウドの戦い方に、訓練場はシンと静まり返った。
「クラウド殿…っ」
「トドメも刺さずに、何故剣を下ろす? 俺は降参などしていない」
「丸腰となった相手に刃を向けるのは、騎士道に反する!」
「騎士道……そんなものが何になる。此処が戦場なら俺は今、お前を殺している」
ルーカスはクラウドの言葉に僅かに目を見張り、呟く様に言葉を溢した。
「……貴方にも、こんなに熱くなる事があるのだな」
「熱くなる? 俺が?」
クラウドは「まさか」と皮肉気に鼻で笑い、ルーカスに突きつけていた剣を粗雑に放り投げた。
騎士にとって剣は己そのもの。そのような乱暴な扱いはどうなのかとルーカスはピクリと眉を動かすが、意識をクラウドから外す事はない。
戦いの最中、一瞬だけ見せた彼の獰猛な獣のような瞳は目の前でまだ燻りを見せている。
たとえ剣を手放したとしても、気を抜けば噛み殺されてしまいそうな緊張感は続いていた。
「ルーカス殿は、少し自意識過剰のようだ」
「……」
「俺は、貴方のことなどどうでもいい」
クラウドの口調がいつもの冷静で静かなものへと戻る。
もう興味を失ったとばかりに瞳を細めてゆったりと立ち上がると、ルーカスの胸倉を掴んでいた拘束を解いた。
その言葉通り、ルーカスに見向きもせずに体に付いた土埃を軽くはたき落として場を後にするクラウドを見送ったルーカスは、ここで漸く息を吐くことができた。
(クラウド殿は才能に溢れた恐ろしい男だ。けれど、なぜか一方で餓えた子供のようにも思える。何にも興味を示さない素振りでありながら、彼は何をそんなに欲しているのか……)
未だ地面に尻をついたままのルーカスが遠ざかるクラウドの背中を視線で追っていると、その足がピタリと止まった。
右に向けた彫刻のような綺麗な横顔は、譫言のように何かを呟く。
「…どうして此処に?」
【余談】
その時ギャラリーでは。
第二、第五の隊員達
「…………っ!!!(こ、怖ぇえぇええええぇぇ!!!)」
当初噂のふたりの対戦をニヤニヤしながら見守っていた隊員達ですが、この日以来ルーカスの告白事件をいじる者は居なくなったとか。