(7)アリアナの訪問
今、ミレーヌの目の前には、先日の夜会以来であるアリアナが桃色のふんわりとしたドレスを身に纏い、俯きがちに頬まで桃色に染めてもじもじと組んだ指先を動かしていた。
今朝、仕事へ出掛けるクラウドをいつものように見送ったあと、部屋でグウタラしていたミレーヌのもとに家令のディエゴから予定のない来客の知らせを受けたのだ。
名前を聞けば、アリアナだという。
普段、義姉への来客予定は全てクラウドが管理し、予定外の来客があれば門前で全て断る様にと言われているが、貴族の令嬢が直接会いにきたとなると家令も無碍には出来なかった。
アリアナは知らない相手ではないしミレーヌにしてみれば先日の夜会で義弟とのダンスを邪魔した負い目がある。
もしかして、その事で苦情を言われるのだろうか…と少しの不安が過ったものの直ぐに通してお茶の用意をするようにお願いすると、家令が微妙な顔をして「クラウド様にお伺いを立てなくてもよろしいのですか?」と、何度も確認してきた。
(アリアナ様はクラウドの想い人だから小姑が意地悪すると思われているのかしら。そんな事、しないのに……)
そんな風に見えているのかと、ミレーヌはちょっとだけ凹んだ。
「アリアナ様、ご機嫌よう。お会いできて嬉しいわ。さぁ、こちらに座って?」
「ご機嫌よう、ミレーヌ様。突然の訪問にも関わらず、お会い頂きありがとうございます」
「いいのよ、気にしないで。アリアナ様なら大歓迎だもの」
応接間で向かいの席を勧めながらニコリと笑顔を向けると、アリアナは気まずそうに僅かに視線を逸らした。
「実は…ミレーヌ様には何度かお手紙をお出ししたのですが、届かずに戻ってきてしまったのです。本来なら私なんかがこのように押しかけるような真似をするなんて、叱られて当然なのに…ミレーヌ様はお優しいのですね」
「あら、お手紙をくださっていたの? どうして届かなかったのかしら。それならこちらもお手数を掛けてしまって、ごめんなさいね」
「いいえ! そんなつもりでは…ミレーヌ様は何も悪くありませんから! 私がきっと宛先を間違えてしまったんです。ごめんなさい……っ」
「え? いいの、いいのよ! さあ、お茶にしましょう! 楽しみだわっ」
アリアナの大きな垂れ目がちの瞳はいつもキラキラと潤んでいて、少し伏せられるだけで泣いてしまうのではないかとハラハラしてしまう。
ミレーヌは大袈裟にアリアナの訪問を喜び、使用人たちにも自身が義弟の想い人をいびる悪い小姑ではないというアピールをした。
しかし、相変わらず家令は少し離れた場所から渋い表情のままこちらを見守っている。
(ディエゴのあの顔……私が意地悪しないか見張っているかのようだわ…。アリアナ様はクラウドの未来のお嫁さん候補なのよ! そ、そんなことしないもの! うう、でもあの細められた瞳が試されているかの様で怖い…何かあればクラウドに言いつけるつもりかしら。これは絶対に、絶対に、仲良くならなくちゃ…っ)
ミレーヌは和かに微笑みながら、テーブルの下でグッと決意の拳を握った。
メイドがお茶やお菓子をテーブルに並べて下がったところで、向かいの席のアリアナが小さな唇から鈴の音の様な可愛らしい声で言葉を紡いだ。
「ミレーヌ様、本日は改めましてご挨拶に参りました」
(ご挨拶、ですって……っ!?)
ミレーヌの茶器を持とうと伸ばした指が僅かに震える。
脳内では『ご挨拶=(イコール)結婚』が直ぐに結びつき、目を丸くしてティーカップに指を添えたまま固まった。
まさか冒頭からいきなり弟さんをください的な話だなんて、心の準備が出来ていない。
(ど、ど、どうしたら……)
激しく動揺したミレーヌは助けを求める様にチラッと家令のディエゴに視線を向けるが、彼は先程と変わらず瞳を細めてキツネのような顔をしている。
(そ…っ、それはどういう顔なの?!)
ディエゴは背筋の伸びたイケオジともいえる見た目の初老のベテラン家令である。
ミレーヌの義父である伯爵が雇い主ではあるが、家の中の事に無関心な義父よりも、ミレーヌの事となると何かと注文が多く口煩いクラウドの命に付き従うことが多い。
もちろんミレーヌにも親切に接してくれるが、例えばミレーヌが学園の帰りに寄り道をしてナタリアとお茶をしたり、お菓子を食べ過ぎて夕食を食べられなかったり、侍女とお喋りに夢中で夜更かしをしたりなどの些細な出来事でも、後から家令によって全てクラウドに伝えられていてミレーヌはクラウドからお小言を言われてしまうのだ。
どちらの味方かなんて一目瞭然。今回のことも粗相をすればきっと漏れなくクラウドに伝わってしまうだろう。
とりあえず落ち着かなくてはと、ミレーヌは曖昧に微笑んで首を傾げた。
「え…っと、ご挨拶? あの、アリアナ様。お茶を一口飲んでからでも良いかしら。なぜか喉がカラカラで…」
「ええ、勿論です。私ったら先走ってしまって、お茶を頂く前に失礼を」
「宜しければアリアナ様もどうぞ。お好みに合うと良いのですが」
「はい、頂きます。とても良い香りですね。ハーブティーは大好きです」
ミレーヌは求めていた水分を口に含み、その温かさにホッと息を吐く。
同じようにハーブティーの香りを楽しみながらティーカップに口をつけたアリアナと目が合うとニコリと可愛らしく微笑み返された。
(か、かわいいぃぃ…っ! アリアナ様がクラウドのお嫁さんに来てくれたら、この可愛らしい笑顔を眺め放題なのね。…何も不安に思う事なんてないじゃない……)
胸の奥で理由のわからない燻る思いを押さえつけて、ミレーヌは意を決して先手を切って本題に入る事にした。
「アリアナ様、ご挨拶とのことですが…実は弟から少し話を聞いております」
「え…クラウド様から?」
「はい。先日…とても、驚きましたけれど、その…アリアナ様の御結婚について…」
アリアナは目を丸くすると、ほんのりと紅く染まった頬を隠すように小さな両手で覆った。
「ご存知だったのですね」
照れながらも幸せそうに微笑むアリアナ。
ミレーヌはその隣に立つ義弟を想像して、少しだけ悲しくなった。
(こうして巣立っていくものなのね…。私がお嫁に行く時も、クラウドは寂しく思ってくれるのかしら)
「私には勿体ないお話で…。急なことで戸惑いもありますが、とても素敵な方だとナタリアお姉さまからも伺っておりますので、お話を受け入れたいと思っているのです」
「まあ…」
「ただ、ミレーヌ様とは先日の夜会で一度お会いしたきりで、ゆっくりお話が出来なかったことを悔やんでおりました。折角のご縁ですから、出来ればこれからも仲良くして頂きたいと、こうして厚かましくもご挨拶に押し掛けてしまったのです」
「そんな、厚かましいだなんて…」
「本当ですか? こんな私の事を、お嫌いではないですか?」
「も…っ、勿論よ!!」
なんていじらしい! むしろ好ましい!
ミレーヌが言葉を被せるように肯定すると、頬を桃色に染めたアリアナがフワリと微笑んだ。
「ありがとうございます。あの、もしお許し頂けるのなら、ミレーヌ様のことを、ミレーヌお姉様と呼んでも…?」
「おおお姉様…っ!!」
アリアナの申し出にミレーヌは張り裂けそうな胸を押さえて呻き声を耐えた。なんなら鼻血…いや、吐血しそうなほど、血湧き肉躍っている。
こんな可愛らしい子が自分の事を『お姉様』と呼んでくれるなんて、ご褒美でしかない。
何故気付かなかったのか。
義弟の姉離れは寂しいとばかり思っていたけれど、結婚すれば妹が増えるということだ。
しかも! こんな! 美少女!
ミレーヌは瞬時に妄想した。
一緒にピクニックに行って並んで座ったレジャーシートの上で『美味しいです、お姉様』とサンドイッチを頬張る義妹。
一緒にお買い物に行って『お姉様とお揃いにしたいの』と色違いのリボンを買う義妹。
同じロマンス小説を読み『私の推しもこのキャラです、同担ですね!』と恥ずかしそうにはにかむ義妹。
……これは、良い。実に、良い。
ミレーヌは、途端に義弟の結婚に前向きになりつつあった。
「ダメでしょうか…?」
妄想に勤しんでおり言葉を失っていたミレーヌにアリアナは眉を下げて上目遣いで見つめてくる。
その庇護欲を掻き立てられる表情に、ミレーヌは再び高鳴る胸を押さえて「是非!」と前のめりで返事をしたのだった。