全部誤解です①
虐待の表現があります。不快に思われる方は閲覧をお控えください。
「誤解よ、私は私のために貴方の面倒を見ていただけ。貴方のことなんて何も考えてないの。全ては自分が幸せになるためなの」
「姉さんの幸せ?」
「そうよ、貴方が幸せじゃないと私も幸せになれないんだから」
「姉さん…っ!!」
「うぐぅ…っ!」
ミレーヌは夜会に向かう馬車の中で、何故か感極まった弟に背骨が折れるんじゃないかというほどきつく抱きしめられ喉の奥から淑女とは程遠い声が漏れた。
(違う、そうじゃない。なんでこんなに喜ばれてるの?!)
ミレーヌとクラウドは義理の姉弟である。
年を追うごとに姉を神格化し、崇拝し、なんなら信者の如く献身的に接してくる弟に年々罪悪感と言い知れぬ不安を感じるようになったミレーヌはこれまでの懺悔を兼ねてちょっとだけ本音を吐露してみたところなのだが、これでは如何に自分が利己的で冷たい姉なのか全く伝わっていない気がした。
「離してクラウド、苦しい!」
「!ごめん、姉さん大丈夫?」
義弟のクラウドは拘束を解き、背中に回していた両手をミレーヌの頬に当てて包み込むように顔を上向かせた。クラウドの宝石のような瞳と無理矢理視線を合わせられる形となり、ミレーヌの首の後ろからグキッと嫌な音がなる。再び「ぐぇ!」と声が出そうになったのをギリギリのところで呑み込んだ。
クラウドは立ち居振る舞いは優雅で言葉や表情は優しく、気遣いも出来て紳士的なのに実際やってる事は強引で力加減が少々おかしいとミレーヌは思っている。
伯爵家の次期当主でありながら武闘派集団である騎士団の一員であるということを全く意識してないのだろう。彼は繊細なようで、どこか大雑把なところがある。
「クラウドだめよ。女の子には優しく接しないと貴方よりずっと壊れやすいのだから。恋人ができた時に困るのは貴方よ」
クラウドの両掌にミレーヌのそれを重ねながらそっと外そうと試みるも離れない。これは包み込むというよりも結構ガッチリ顔を掴まれていると言っていい。クラウドが少し力を入れたらリンゴのように潰されるのではないかと嫌な想像を掻き立てられて、ミレーヌはそれ以上の抵抗は諦めて曖昧に微笑んだ。
「ごめんね、わかってるよ。ちゃんと大事にするし優しくする。嫌われて逃げられたら嫌だからね」
(わかってるならいいけれど…いや、ほんとにわかってるならこの手を離しましょうか?)
これではクラウドの顔しか視界に映らない。
まるでお互いに見つめ合って話してるみたいで誰かに見られたら恋人でもないのにおかしいと思われてしまう。
(大体、狭い馬車の中で何故いつも隣に座るのかしら。いくら姉弟でも普通は向かい合わせよね?身体の何処かは必ず触れ合ってしまうし、物理的にキツイのよね…)
「ねえ、クラウド」
「なあに姉さん」
「私は心配なの。巷では貴方がとんでもないシスコンだって噂があるらしいのよ。子供の時ならまだしも、お互い成人してからも常に側にいるでしょう?実際は私の婚約者がなかなか決まらないからエスコート役が貴方になってしまっているだけなのに、不名誉な噂で貴方まで婚期が遠のいてしまったらどうしようって」
「不名誉な事なんてありませんよ。それに俺は姉さんが好きなだけです。何も間違ったことはしていません」
「もう、またそんな事を言って…だから誤解されるのよ。本当に困った子ね」
小さく溜息を吐いて彼を見上げれば、蕩けるような瞳で見つめ返される。それだけで本当にミレーヌが大好きだと強く伝わってきて、彼女はそっと視線を外した。
クラウドは、とても綺麗な子だ。
父親譲りの輝く銀髪に物語の中の王子様のように整った顔立ち。澄んだアイスブルーの瞳には吸い込まれてしまいそうだし、細身でスラリとした長い手足はあのゴリラ集団…もとい、騎士団の中では頼りな気に見えてしまうけれど剣技の腕を騎士団長に買われて一編制を任されているくらいに強いらしい。しかも次期伯爵の地位まで約束されている。
こんなに好物件なのに、適齢期になっても婚約者はおろか恋人のひとりもいないのはやっぱりシスコンだという良からぬ噂のせいではないかと姉は危惧していた。
(毎回夜会やお茶会に出向けばクラウドに熱い視線を送ってくる年頃の令嬢が沢山いるのに、常に私にピッタリとくっついているから実を結ばないのよ)
姉弟仲が良いのは悪いことではないけれど、そもそもミレーヌたちに血の繋がりはない。両親が再婚同士で、クラウドは父の、ミレーヌは母の連れ子である。
母は子爵家へ一度嫁いでいるがミレーヌが3歳の時に夫が亡くなり、同じく妻を亡くした現在の父の後妻として伯爵家に入った。ミレーヌには3つ上の実兄も居るが、兄は子爵家を継ぐために祖父母の養子となっていた。
クラウドはミレーヌの一歳下で、彼の母親はクラウドを産んで産後の肥立ちが悪く儚くなってしまったからクラウドは母親というものを知らなかった。
本来であればミレーヌの母親が義理の息子となったクラウドに愛情を注いでやれば良かったのだが、母が彼に与えたのは愛情とは程遠いものだった。
母は、本当は実子であるミレーヌの兄を伯爵家に一緒に連れてきて次期伯爵にしたかった。けれどこの家には既にクラウドがいて伯爵の実子には敵わない。息子の将来を思い、泣く泣く子爵家の養子に出したけれどクラウドさえ居なくなれば、という思いがあったのか母はクラウドにとても辛く当たっていた。
目に見える暴力はなかったがまだ幼いクラウドの人格を否定するような口撃は日常的に行われていたし、何かにつけて罰だといい食事を与えない事もあった。
頼りのクラウドの実父は元々子供には興味がないようで気付いているのかいないのか何の反応も示さない。
クラウドは日に日に瞳から光を失っていった。
利発だった顔立ちに陰りが差して、言葉も発さなくなり部屋に閉じこもるようになった。
屋敷の使用人達が状況をわかっていながらも女主人には逆らわなかったのはクラウドの姿が無ければ女主人はせいせいしたとばかりに機嫌が良いので触らぬ神に祟りなし、と言ったところだったのかもしれない。
母は周囲にも「クラウドは貴族に不適合。あの子は暗くて陰湿で由緒ある伯爵家を継ぐに相応しくない」と声高に吹聴していた。
それでも、実子であるミレーヌにはとても優しい母だった。そんな母がどうしてクラウドだけを虐めるのか最初はわからず戸惑っていたミレーヌだが、伯爵家へ迎えられて少しした頃、母は兄から来た手紙を抱きしめて泣いていたことがある。思い返せばあからさまにクラウドを厭いだしたのはその頃からで、兄への愛情と後悔を抱えているのかもしれないと気付いたら己の母の愚かな行いを責められなかった。
それに、幼いながらに自分とクラウドへの接し方の差を目の当たりにしてしまうと母に立てつけば明日は我が身かと怯える心も少なからずあったのだ。
だからミレーヌは居た堪れない気持ちを抱えながらも己の保身のために見て見ぬふりをしていた。
いつのまにか自分より小さな男の子は涙を見せることはなくなっていたけれど、こちらに向ける小さな背中はいつも泣いているように見えた。
そんなある日、ミレーヌは夢を見た。
大人になり爵位を継いだクラウドが、ミレーヌと母親を無一文で家から追い出すというやけにリアルな夢だった。しかも追い出された先で何者かに猟奇的に殺されてしまう。ズタズタになったミレーヌ達の死体を見下ろしたクラウドが「家族ではない」と関係を否定したことで身元不明となり、更には追い出される際に母親がこっそりと持ち出していた伯爵家に伝わる指輪が元で盗みを働いた罪人であるとされ、遺体はゴミのように処理される。それをクラウドは仄暗く笑いながら「いいざまだ」と言い捨てるのだ。
汗だくで夢から醒めたミレーヌは「このままではまずい」と思った。
無性にクラウドを幸せにしなければあの悪夢が正夢になってしまう気がしたのだ。
その日からミレーヌはクラウドに構いまくった。
今更現金な事だとはわかっていたがミレーヌは常に自分の保身を第一に考えてきたからこそ、将来、痛い思いをして殺される位なら、今、母の不興を買った方がマシだと天秤が傾いたのだ。
最初は母の反応が気になり目を盗んでこっそりとクラウドに会いに行っていたが、どうやら何故か黙認されていると気付くとクラウドに対する行動にも遠慮がなくなっていった。
食事やおやつを分け与え、綺麗な服に着替えさせて、最新の教材を使い勉強をみてやった。一緒にお茶を飲み、本を読み聞かせ、習いたてのダンスを踊り、時折褒めて、笑いかけ、頭を撫でてやれば、最初はひどく警戒していたクラウドも徐々に心を開くようになっていった。
そして気がついたときには無類の姉さん大好きっ子が爆誕していたのだ。
前述したように、ミレーヌは決して良い姉ではない。
全ての行動はあの日の悪夢から始まり、それに今も怯えているからこそだ。全て保身のために関わってきただけでクラウドの為ではなかったのだから。
成人を過ぎた今や、母と義弟の立場は逆転している。
騎士団に身を置き周囲からも有能だと期待されているクラウドを追い出すことはもはや不可能となり、目論見に巻き込まれそうだったミレーヌの兄アルムートはすでに子爵家の当主となり身を立てている。
アルムートは何も知らないため顔を合わせることがあれば純粋にクラウドと親しく交流していたけれど母はそれを見る度に苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
母のクラウドに対する虐めはもうないけれど、未だにふたりは一切口を利くこともない。何かあればミレーヌを通して物事を伝えることはあるが、今もお互いに存在を認めず無きものとして過ごしている。
姉弟仲は改善されているとはいえ、母親がこの調子では無一文で放逐からの惨殺コースの可能性は消えていないのではないかとミレーヌの不安は未だ消えない。
クラウドはミレーヌにとても優しいけれど、たまに見え隠れする瞳の奥のドロリとした淀みのようなものに悪寒を感じることがあるのだ。
だからこそ、あれはただの悪夢だったのだとミレーヌも割り切れないところがある。
主犯は母かもしれないがミレーヌだって見て見ぬ振りをしていた負い目があり、本当はまだ許されていないのではないか?と時折疑心暗鬼になってしまう。
その位幼い頃のクラウドの瞳の闇は深く『こいつ…ヤりかねない…っ!!』とミレーヌに思わせる説得力があった。
クラウドにはなんとか幸せになってもらって、将来恩赦を与えてもらわなければ。ミレーヌのせいでモテないなんて逆恨みをされて、悪夢のようになってしまったら堪らない。これまでの努力を無にしてなるものか。
「ねえクラウド」
「なあに、姉さん」
「貴方に紹介したい女の子がいるの」
クラウドの眉がピクリと跳ねた。
「それは、どういう?」
言葉の先を促すように硬い親指の腹でミレーヌの頬をゆっくりと撫でるクラウドにミレーヌは思わずむず痒くなり肩を竦めた。
「ナタリアを知っているでしょう?」
「ああ、もちろん。姉さんの親友だよね。彼女なら何度かうちにも来てるのに今更俺に紹介?」
「ちがうわ、今日の夜会にナタリアの従姉妹のお嬢さんがいらっしゃるんですって。とっても愛らしい方らしいのだけどデビューしたばかりで慣れていないから緊張してしまって男性とダンスも出来ないってナタリアが心配していてね?」
「……なんとなく、見えてきたよ」
「あら、やっぱり私の弟はとっても優秀だわ」
目を眇めたクラウドをわざとらしく褒めて頬を撫で返せば、彼は浮かべていた煩わしげな表情を途端に緩めた。
「姉さんの頼みなら仕方ないな。で、俺はその子と踊ればいいの?」
「ええ、そうよ。紳士らしく誘ってリードしてあげてほしいの。男性に慣れていないそうだからダンスが終わってもしばらくは優しく話しかけてエスコートしてあげてね?あ、でも中庭には連れて行っちゃダメよ。なんなら貴方のお友達の輪に入れて差し上げたら?」
「随分と注文が多いな。不慣れな女性を輪に入れて俺が友人と話している内容を聞かせられると思う?きっとその子は男が嫌いになるだろうね」
「貴方いつもどんな話をしているの?」
「姉さんの話だよ」
「…確かにシスコンは嫌われるかもしれないわね。やめましょう。とにかく貴方が微笑めば大抵の女の子はイチコロだからがんばってね」
「……」
急に口を噤み、ジッと見つめてくるクラウドにミレーヌは首を傾げた。
ちなみにまだクラウドに頬を両手で覆われている状況だ。夜会の会場に着く前に化粧が浮いてしまわないか不安を感じながら「どうしたの?」と小さく問えば、フンワリと華のように微笑まれた。
クラウドは綺麗な顔をしていながらも男性的な色気まである。これに落ちない女はいないだろうと思うミレーヌもかなりのブラコンなのかもしれない。
「うふふ、そうそう、その顔よ。クラウドも楽しみにしてくれているのならよかったわ」
「……全然イチコロじゃないじゃないか。姉さんの嘘つき」
「え、なあに?」
「……」
馬車は少しおかしな姉弟を乗せて、会場に到着しようとしていた。