熊吉と兎美の異種婚姻譚
「兎美、準備はいいかい?」
「ええ、熊吉さん。どこまでもあなたに付いて行くわ。」
「これがここで飲む最後の一杯だね。よく味わっておこう。」
「ええ、熊吉さんが淹れてくれた紅茶……本当に美味しいわ……」
©︎遥彼方氏
お互いを見つめ合い無言で紅茶を飲み干すと、どちらからともなく立ち上がる二匹。
「往こう、兎美。僕らのしようとしていることはお山の禁忌に触れる行為だ。それでも僕は兎美、君のことを……」
「熊吉さん、私もよ。例え山神様のお怒りを買うことになっても……私はあなたへの愛を貫くわ。」
そして二匹は手に手をとり、山を下りていきました。行くあてはありません。恐ろしい山の神の目が届かない所ならどこでもいいのです。幸い今は秋、山の神は留守にしているはずです。
朝焼けに照らされながら山を下りる二匹。そしてついに山神の領域を抜けられる所までやって来ました。
しかし、その時でした。
『この愚か者どもめ』
どこからともなく声が聞こえたのです。そして……
©︎遥彼方氏
繁みの中から現れたのは人間、それも若い男でした。
「にんげ……いや、山神様っ!?」
『そうだ。留守ゆえな、この者を依代に我の声を届けておる。さて、熊吉。そして兎美よ。なぜお前達の行動がお山の禁忌に触れるか、分かっておろうな?』
「そ、それは……山神様がお決めになった許婚を蔑ろにしてしまったから……
ですが! どうかお聞きください! 私はこの兎美を愛してしまったのです! 熊子にはない繊細で美しい心に惚れ抜いてしまったのです!」
「山神様! 私もです! 人間の罠にかかった私を! 兎夫さんは見捨てて逃げました! ですが熊吉さんは……いとも容易く罠を壊して、助けてくれたのです!」
『愚か者!』
一筋の雷が地面を焦がしました。
『やはりお前達は何も分かっておらぬ! 残された者、そしてお山の未来を……どう考えておるのか!』
山神様の話は続きます。
心優しい熊子の本質、兎美のために兎夫が逃走した理由。そして山の未来。
『もしも、お前達が異種婚姻の悪しき見本となってみよ。他の者まで異種婚姻に走ってみよ。何が起こるか分からぬか!』
「わ、分かりません……」
「私も、分かりません……」
『お前達は熊と兎、そんなお前達同士で子を成せるとでも思っておるのか? そしてそのような番が増えてみよ! 山は終わってしまうぞ! 残された熊子は傷物だと迫害され! 兎夫は許婚を盗られた半端者の烙印を押されるだろう! それでも良いなら行け! そして二度と戻ってくるでない! このお山以外で生きていけると思っているのならば!』
山神様の言葉も、恋の熱病に侵された二匹には届きませんでした。
「ありがとうございます! 二度と戻らぬ覚悟で兎美を幸せにしてみせます!」
「ありがとうございます! 背中を押していただきまして! 今日までの山神様の御恩は決して忘れません!」
『愚か者め……』
あれから熊吉と兎美がたどり着いたのは三つ隣の山でした。
「ここは良さそうな山だね。木の実もたくさん成ってそうだし。」
「そうね。楽しみだわ。」
『そなた達がこの山に立ち入ることは許さぬ』
©︎遥彼方氏
「やっ、山神様!? いや、でも声が違う……」
『いかにも、妾はこのお山の女神である。そなた達の山の神から破門状が回ってきておる。お山の禁忌に触れた大罪人だとな。そのような大罪人を妾の愛するお山に侵入させるわけにはいかぬ! 早々に立ち去れ!』
「そ、そんな……聞いてください女神様! 僕たちは純粋に愛し合っているのです! 本気なんです!」
「お願いします女神様! 私は本当に熊吉さんを愛しているんです!」
『やはり愚か者か……山神の言う通り、そなた達は何も分かっておらぬ。もはや相手にする時すら無駄じゃ。どこへなりと立ち去れ!』
こうしていくつもの山を巡りましたが、とうとう熊吉と兎美を受け入れてくれるお山はありませんでした。お山の秩序を乱す二匹を受け入れる場所などあるはずがないのです。
「熊吉さん……寒いわ……」
「ああ、兎美……もっとくっついて。とうとう冬が来てしまったね……」
「熊吉さん……冬眠しないといけないんじゃ……」
「いや、兎美をおいて冬眠なんかできないよ。眠る時は一緒だよ。」
「熊吉さん……でも冬眠前の餌を全然……」
「いいんだ……もうお腹が空いてないから……」
「私も……もう寒くないわ……」
二匹は初雪に埋もれるようにして眠りました。二度と起きない眠りです。
こうして各地のお山の神々は安堵しました。異種婚姻の流行を防ぐことができたからです。我が子も同然の熊吉と兎美を追放し破門状まで回したことに、山の神は酷く心を痛めておりました。しかし、それでもやらなければならなかったのです。お山の子孫繁栄のために。
それでも、禁じられれば禁じられるほど惹かれてしまうのは人間も獣も同じです。これから先、第二第三の熊吉と兎美が現れないことを天の神に祈る神々でした。