魔法使いとラプンツェル
昔々、あるところに、小さな魔法使いが住んでいました。
齢十歳である彼は、とある理由から見ず知らずの赤ん坊を育てることになりました。彼はその赤ん坊を、「ラプンツェル」と名付けました。
______それが、今からちょうど十年前のことです。魔法使いは二十歳に、一歳だった赤ん坊は十一歳の少女になりました。高い、高い、塔の中で。
「ねぇ、もう朝よ。起きて、ルーク!」
「んぅ…あと五分…」
「何回目だと思ってるの!」
私は、一思いに目の前の男を布団から放り出した。
私の名前はラプンツェル。十一歳の髪が長い少女で、絵を描くことが好き。でもそれ以外は……分からない。だって私は、まだ一度も塔から出たことがないから。一度もよ!信じられる?そろそろ私、見慣れた壁に飽きそうだわ。
だから私の夢は、いつか塔の外で絵を描くこと。きっと塔の外には素敵な景色が待ってると思うの。けど………。
「…ふふ。おはよう、ツェリ」
ルークが、…この無駄に顔が整った、私の唯一の家族が、「外に行きたい」と私が言うとなぜだか悲しむから、今はまだ、外に行けなくても構わないの。
「今日はね、君の夢を見たんだ。たくさんスイーツが並んでて、なんだって食べれるのに、ツェリったらパンケーキばかり食べるんだよ。…あぁそうだ、今日の朝ごはんはパンケーキにしようか。ツェリ、手伝ってくれる?」
「うん!」
それに、ルークは「外に行きたい」以外のお願いなら大体叶えてくれるの。パンケーキは私の好きな食べ物だし、読みたいって言った本や画材はルークが買ってきてくれる。それに、
「ツェリ?」
「!今行く!」
それにルークは、私をとても大事にしてくれる。…なぜかは分からないけれど。
私の一日は、大抵朝焼けと共に始まるの。素敵でしょ?でもルークはお寝坊さんだから、綺麗な朝焼けが見える時間には起きてこないの。だから私、かわりに絵をかいたのよ!ルークの部屋の壁と天井を朝焼けで埋め尽くしたの!ルークの部屋はいつでも朝でいっぱいなの。
そんなルークの部屋は私のお気に入りだけど、何より嬉しかったのはルークが頭を撫でてくれたことよ。ルークはね、私が良いことをすると頭を撫でてくれるの。
私の一日は、とても忙しいの。ルークと一緒に朝ご飯を作って食べた後は、「仕事」のために外に行くというルークを見送って、私は掃除。その後は洗濯。それが終わったら、お気に入りの本を読むの。綺麗な絵本よ。「外の景色が見たい」と言った私のために、ルークがたくさん買ってきてくれたの。
それから、たまに髪をとかすの。私の髪は魔法の髪なんだって、ルークが言ってた。人を幸せにする力があるそうだわ。でも私の自慢の金色の髪は、一度切ると焦げたパンみたいに茶色くなっちゃうの。だから私、十一年間で一度も髪を切ってないのよ。一度も!びっくりでしょ?
昔、「私もルークみたいな髪だったらよかったのに」って言ったことがあるわ。ルークの髪は綺麗な黒色で、触ると少しフワフワしているの。もちろん、私みたいな長い髪じゃなくて、首元で涼しげに切り揃えられている髪よ。本当に羨ましかったけど、でも、ルークが「僕はツェリの髪、好きだよ」って頭を撫でてくれたから、私はこの金色の髪が大好きよ。
そして次は、壁に絵をかくの。朝焼けの絵だけじゃないわ。絵本でしか見たことがない広いお花畑も、大きい海も、いつか行ってみたいの。でもやっぱり一番は真っ赤な朝焼けね。ルークの目の色なのよ。私の菫色の瞳の方が綺麗だってルークは言うけれど、これだけは譲れないわ。
その後は私が楽しみにしている時間よ。ルークが作ってくれたお弁当を食べるの。中身は開けるまでのお楽しみ、ってやつね。本の中の子供たちは皆野菜嫌いだけど、私は違うの。当然よね。だってルークが育てた野菜が美味しくないわけないんだもの。塔の下の畑が、野菜じゃなくて花だったらいいのにって思ったことはあるけど、それはそれ、これはこれ。
食べ終わったら、ギターを弾いてパズルと編み物をしてキャンドルを作るの。私って実は天才なんじゃないかしら?
あとはルークが帰ってくるのを待つだけよ。とっても楽しみだわ。だって、もうすぐ私の誕生日なのよ!私の誕生日にはね、夜空に小さな明かりが飛ぶの。普段は飛ばない特別な明かりよ。とっても綺麗なの。
そうだ、今年は言ってみようかしら。「空飛ぶ明かりを見に行きたいの」って。
「ただいま、ツェリ」
「おかえりなさいルーク!」
ルークはいつも魔法を使って帰ってくるから、この塔には扉が一つもないのよね。私一人ではとても外には出られないわ。やっぱり、明かりのことはルークに頼まないと。
「ねぇルーク、聞いて!もうすぐ何の日だと思う?」
「ツェリの誕生日、でしょ?ふふ、何が欲しいの?」
「私、私ね、…空飛ぶ明かりを見に行きたいの!」
「…ツェリ、それは、…」
「分かってるわよ。外に行かないで、って言うんでしょ?でも別に、塔の外で暮らすわけじゃないわ。ただ少しの間だけ、町っていうところに行って明かりが見たいだけよ。本の中の子供と同じように」
「…ツェリ……」
案の定、ルークは困った顔をしていた。でも、今年こそは見に行きたいのよ。だって、自分の誕生日にだけ飛んでる特別な明かりなんて、気になるじゃない?
「…でもねツェリ、外の世界には怖い人がたくさんいるんだ」
「怖い人?」
「うん。君の不思議な髪を狙っている、恐ろしい連中さ」
「……でも、見に行きたいのよ……」
「…じゃあ、こうしようか。僕の魔法で、一緒に空中散歩をするのはどうかな?町よりもずっと近いところで明かりが見れるよ。町には、ツェリが大人になってから行けばいい」
「…じゃあ、そうするわ。でも大人になったらっていつよ」
「十八歳になったら、ツェリも立派なレディだよ」
「あと七年…」
「きっと、あっという間だよ」
「そうよね…」
結局私は頷いた。だって私、ルークの困ったように笑う顔、好きじゃないんだもの。頷いて、それでルークがいつもの笑顔を見せてくれるならそれで構わないわ。
でも何となく、何となくだけど、十八歳になってもルークは外に行かせてくれないんじゃないかって、そう思った。
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「やった!」
私は朝起きて開口一番に、そう叫んでしまった。だって仕方ないじゃない?今日は、待ちに待った十八歳の誕生日なのよ!きっともうこれで、ルークも「外に行かないで」なんて言わないわ!
「ねぇルーク、起きて。起きてってば!」
「んぅ……あと五分…」
「何回目だと思ってるの!」
私は、相変わらず目覚めの悪いこの男を、一思いに布団から放り出した。
「ん……おはようツェリ。どうしたの?嬉しそうだね」
「えぇ!だって、今日が私の人生で一番最高の日になるかもしれないんだもの!ねぇルーク、七年前にあなたが言ったこと、覚えてる?今日は私が外に行く日よ!さあ、早く準備して頂戴!」
「あぁ、そっか…。でもツェリ、行くのは明日にしない?僕今日、忙しいんだ」
…何を言っているんだ、この男は。思わず睨んじゃったじゃないの。
「バカなこと言わないで。明かりが飛ぶのは今日だけなのよ。それにあなた、さっきまでぐっすり寝てたじゃない。ちっとも忙しそうじゃないわ」
「……でもツェリ、外に行くのは準備がいるんだよ。僕達、何の準備もしてないでしょ?だからもっとちゃんと準備してから、また来年行けばいいよ。もし外で…」
「怖い人に、会ったらって?あなたはまだそんなことを言ってるの?いい加減にしてよ!!」
あぁ、最悪だ。思わず怒鳴ってしまった。でも、これはルークが悪いわ。
「怖い人がいるから?私がまだ子供だから?そんなことないわ!結局のところ、あなたは私に外に行かせたくないだけよ!!そして来年になったらまた言うの⁉まだ準備が出来てないって!嘘つき!」
イライラして、目の前が真っ赤になって、それでもまだうまく言葉にできない自分にもっとイライラする。悔し涙でぼやけた視界の奥で、ルークが目を見開いているのが分かった。
「……ツェリ、僕は、…」
「言い訳なんて聞きたくない!…今日は私の誕生日なのに…。嘘つきなルークなんて大嫌いよ!」
そう叫び捨てて、私は自分の部屋に駆け込んだ。これ以上、泣いている顔を見られたくなかったから。
ルークはしばらく部屋の前をうろうろしていたみたいだけど、呼びかけを無視し続けていたらいつの間にかいなくなっていた。きっと「仕事」に行ったんだろう。
…今日は、人生で最悪の日になりそうだわ。
しばらくたって泣きつかれた私は、いつものように掃除をすることにした。でも窓を拭いていて、ふと思ったの。もしかしたら、私のこの長い長い髪を使ったら、私でも窓から外に出られるんじゃないかしら。 そう思って窓に目をやった、その時だった。窓からありえない音がしたの。コンコン、と扉をたたくような、そんな音。びっくりしてフライパンを構えてしまった。これは私の武器なの。
「こんにちは、素敵なお嬢さん」
塔の外から声がして、今度こそ本当に私はびっくりしてしまった。だって信じられる?ここ、とっても高い塔の上なのに。
「怖がらないで。私は君を助けに来たんだ。君を、塔の外へ出してあげる」
そんな夢のような言葉とともに姿を現したのは、金の髪に菫色の瞳をまとった青年だった。
「…あなたは、誰?私に何をするつもり?この髪が目当てなの?」
ルークのせいで若干人間不信になっていた私は、八つ裂きに質問してしまった。
「えっ、髪?いや、まさか!というか私の髪と君の髪、長さ以外あまり変わらないと思うけど…」
…確かに。これでは私が自意識過剰な人みたいじゃない。
段々恥ずかしくなってきたわ…。
「君の質問に答えるよ。まず、私は誰か。これは一番簡単。私はこの国の第一王子だよ。それと、目当ては君の髪じゃない。君を、ここから連れ出すことだ」
…そんな、夢のような話が合っていいのだろうか。外に出たくてたまらなくなった時に、王子様が助けに来るなんて。ちょっと信じられなくて、私は思いっきり自分の頬をつねった。痛い。
「可愛いね。安心してよ、夢じゃないから。…君は、毎年この日に夜空を飛ぶ明かりを知っているかい?」
「!」
私は思いっきり首を縦に振った。知っている、なんてものじゃない。焦がれていると言っても差し支えないくらいだ。
「あの明かりは、ずっと僕が飛ばしていたんだ。行方不明になった君を…」
「………?」
「驚くかもしれないけど、これから話すことは全て真実だ。…私の話を聞いてくれないか?」
私は、迷わずに頷いていた。そして王子様は話し始めた。驚くべき真実を__。
「……」
「すぐに受け入れなくても、いいからね」
気づかわし気に私を見つめている王子様は、どうやら私の従兄らしい。
曰く、私はまだ一歳だった頃に、ルーク…魔法使いに攫われたそうだ。理由は、この金の髪。王家の血を引くこの髪には癒しの力があるらしい。私のお母さんが王様の妹で、本来なら私は公爵令嬢だったらしい。王家の子供じゃなくて私を攫ったのは、公爵家の方が警備が手薄だから、と言う仮説を王子様がたてていた。
そして私は、人里から離れたところでこっそりと育てられていたらしい。…はじめは私も少し疑ったけど、王子様が見せてくれた写真を見て、ついに泣き出してしまった。それは、私によく似た赤ん坊が、王子様によく似た少年に抱かれて笑っている写真だった。
「私は君に、本来ならばすべて君の物だったはずの自由を取り戻してほしいんだ。こんなところに閉じ込められた君じゃなくて、外の世界で笑っている君が見たいんだよ」
泣いている私の背中を撫でながら、囁くように王子様が言う。あぁ、逃げなくちゃ。そう強く思った、その時だった。
もう見たくもない顔の男が、部屋に飛び込んできたのは。
「ツェリ!……⁉…お前、何をしている…⁉何でツェリが泣いて……___」
「嘘つきっ!!」
私の髪に触れようと伸ばしてきたルークの手を、私は思いっきりはたいた。もう今は、嫌悪感しかわかなかった。
「ずっとずっと、私を騙してたのね⁉外が危険なんて嘘!本当に危険なのはあなたの方だった!…もう、私に触らないで!」
「……ツ、ェリ……」
「もう、私の名前を呼ばないで!…私はこれから、自由に生きるのよ!小さな野菜畑とは比べられないほど綺麗なお花畑や海を見て、本に書いてあった美味しそうなご飯をたくさん食べて、こんな塔よりも広い家で普通に暮らして、普通に絵をかくの。だからもうこれ以上、私を縛らないで!」
言い切った後、私は髪を使って窓から飛び降りた。うつむいていたルークの顔は良く見えなかったけれど、そんなことはどうだっていい。初めてつま先が草に触れて、私は自由になったのだと知った。
「ねぇ、救世主様。あなたの名前は何ていうの?」
「救世主、ねぇ…。すごいよフィオーレ。私の名前…ハイラント、は、救世主って意味なんだ」
「そうなの?ぴったりね!って、フィオーレ…?」
「君のお母さんが付けた、君の名前だけど…もしかして、知らなかったの?」
「ずっとラプンツェルって言われてたから…。ルークが好きな野菜の名前なのよ」
「女の子に野菜の名前って…」
「…ふふ、今思うと変な名前よね」
「…これからは、私がちゃんと名前を呼ぶから。フィオーレってね、花っていう意味があるんだよ。君は本当に花みたいだね」
そんな会話をしながら、私達は山の中を歩いていた。あっけなく外に出れた事にもびっくりしたんだけど、もっと驚いたのは……なぜか私、あんまりワクワクしてないのよね。
「どうしたの?」
「!いいえ、なんでもないわ。感動してただけよ」
「フィオにとっては初めての景色だもんね。そうだ、さっき花畑が見たいって言ってたっけ。寄っていかない?」
「えぇ…」
ワクワクと言うより、むしろゾワゾワに近いかもしれないわね。何でかしら…。
歩きながら、小さく「フィオーレ」と呟いてみる。ちっともぴんと来なかった。ハイラント様はさっき「野菜の名前なんて」って言ってたけど、花よりかはまだ幾分か、「自分らしい」名前だったと思う。
いえ、そんな辛気臭いこと考えてる場合じゃないわ。私は今から、待ちに待った花畑を見に行くのよ!
そうしてたどり着いた花畑はまさに絶景だった。想像より何倍も細やかで、写真の何倍も鮮やかで美しかった。
なのに……何かが、物足りないなんて、我が儘よね…。
「見て、フィオ。君みたいに可憐な花だよ」
笑顔で話しかけてくれるハイラント様に申し訳ないほどモヤモヤする。
ずっと見たかった景色のはずなのに…。
「フィオ、次は僕が好きなレストランを紹介するよ。きっと気に入ると思う」
「ありがとう、ございます…」
オシャレなレストランで、私はパンケーキを注文した。運ばれてきたパンケーキはびっくりするほど豪華で、ふわっふわで、甘くて美味しかった。結局私は食べきれなくて、ハイラント様にも食べてもらった。ハイラント様が「嬉しいな、フィオと半分個できるなんて」と美味しそうに頬張っている間中、私はずっと考え込んでいた。いつもの私なら、どんなに大きくても二つは食べられるのに……。
「はい、フィオ。君にあげるよ」
そう言って渡されたのはいかにも上質、といったキャンパスと色とりどりの絵具。ルークでも用意できなかったほど鮮やかな絵の具だ。私は早速朝焼けを描こうとして……かけなかった。
…そもそも私、どうして絵が好きだったのかしら。
パレットの上に出した赤色を見ていると、ふと昔の思い出が頭をかすめた。
___________綺麗だねぇ、すごいよツェリ。僕も朝焼けが好きになったよ。
あの、朝焼け色の真っ赤な瞳は、もう二度と見れないのだろうか。
踊っているはずの心が、ジクジクと痛んでいた。
まぁ、感傷に浸っているところで何も変わらないわけで。数分後には、私とハイラント様は王宮の前にいた。さすが国一番の城なだけあって、塔の何倍も大きく、優雅で、隅々まで磨き上げられていた。中にはきっと、広くてオシャレな部屋やフカフカのベットがたくさんあるんだろう。もしかしたら、天蓋付きのベットかもしれない。そして大勢の使用人がいて、私が掃除や洗濯をしなくても、汚れ一つたまらないのだろう。
もう、帰りたい………。
私はもう正直、夢にまで見た外の世界に疲れてしまっていた。例え人攫いであったとしても、ルークが惜しみない愛情で私を育ててくれたのは事実だったんじゃないかと、今は思っている。どうしてハイラント様の話だけを鵜呑みにして、全てルークが悪いと決めつけて、ルークを拒んでしまったのだろう。ハイラント様が見せてくれた写真は、間違いなく本物だろう。でも、だからといって、ルークとの生活が全てまがい物だと決まったわけではなかったのに。
ハイラント様は、ルークが髪の力を求めて私を攫ったのかもしれないと言っていたけれど、ルークが私に「力を使って欲しい」と言ったことなんて一度もない。もしかしたら、私があの時拒んだ手は、髪の力を欲していたのではなく、頭を撫でようとしていたのかもしれない。
だとしたら、私は本当に取り返しのつかないことをしてしまった。
ぎゅっと握った拳の感覚は、もうなくなっていた。
「ねぇ、フィオ。大事な話をしたい。……ついてきてくれないか」
固く握った私の手を包んだハイラント様に案内されたのは…バラ園だった。むせかえるような花の匂いと、強く主張された赤色に、涙がこぼれそうだった。
「可愛いフィオーレ。私の花。…君が好きだ。どうか私と、付き合ってほしい」
頭の片隅でぼんやりと、どこかの恋愛小説みたいだと思った。
「申し訳ありません、ハイラント様。……恋人、というのは、家族より大切な人だと本で読みました。ルークより大切な人なんて、…私、……私には無理です。本当にごめんなさい」
「それは…困る」
「え?」
まさか告白を断って「困る」と返されるとは思っていなかったから、つい素で首を傾げてしまった。
「私は君を諦められそうにないし…。それに、ルークって塔の魔法使いのことだよね?彼ならそろそろ処刑されるはず……」
「………しょけい?_________処刑ですって⁉」
気付いたら、私は駆け出していた。あっけにとられているハイラント様を置いて、とにかく走る。多分、さっきから人の声でにぎわっているところが処刑場だわ。
走る、走る、とにかく走る。お願いだから、間に合って。
ルークは、ルークを失うのは、絶対に嫌だ。
「____っルーク‼」
ほとんど半泣きで処刑場に飛び込んだ私は、衛兵に髪をつかまれた。
「待ちなさい、君。今大罪人の処刑中だから…」
「離してっ!!」
叫びながら、衛兵の懐に収まっていた剣で髪を切る。切ったところから茶色くなっていく髪に衛兵が驚いているすきに、私はまた駆け出した。だが…、
「ルークっ!」
ルークの胸には、何本もの矢が突き刺さっていた。頭が真っ白になる。足元の感覚がなくなってくる。ルーク、ルーク、
「…ツェリ……?」
「ルーク!」
良かった、まだ息がある。私は慌てて矢を引き抜いた。
「ルーク、本当にごめんなさい、私町に行って気付いたのよ、ルークが__」
「ツェリ、……その髪も…綺麗、だね」
「ルーク………?」
ルーク!ルーク、何で動かないの?何で目を閉じているの?ねぇ、どうして、返事してくれないの、ルーク…。
いつの間にか近くに来ていたハイラント様が呟いた。
「君は……彼のことが、好きだったんだね」
その言葉を聞いた瞬間、私の涙は堰を切ったように止まらなくなった。
ごめんなさい、ごめんなさいルーク。嫌いなんて嘘。触らないでなんて思ってない。もう一度、名前を呼んで。お願いよ、ごめんなさいルーク…。
そっとルークの手に触れる。私が拒んだ手。私をいつも守ってくれていた、大好きな手。
そっとルークの顔に触れる。いつも笑顔で「ツェリ」と呼んでくれる、大好きな口。いつも私を見てくれていた、朝焼け色の大好きな瞳。
そっとルークを抱きしめる。ルークと過ごした宝物のような日々。そのぬくもりはもう、戻ってこない。永遠に…。
ごめんなさい。外に行きたいって言って、あなたを困らせてごめんなさい。塔の外で「普通」に暮らしたい、なんて…私の普通はいつもルークの傍にあったのに。
綺麗な花畑も、美味しそうなパンケーキも、立派なお城も、全部全部、ルークがいなきゃ意味がなかった。外の世界で隣にいるのはルークが良かった。「フィオーレ」なんて飾った名前じゃなくていいから、ルークに名前を呼んでほしかった。
小さな野菜畑でいいから、ルークと一緒に見たかった。
ちょっと焦げてしまったパンケーキでいいから、ルークと一緒に食べたかった。
特別な髪なんていらない。大きい城になんて住まなくていい。
でも。
もう二度と、声が聞けない。笑顔を見せてもらえない。
この手はもう永遠に、彼には届かない。
「ルーク、私……、私、明かりが見たいんじゃなくて、ルークと一緒に明かりを見たかったの。外の世界に行きたいんじゃなくて、ルークと一緒に外の世界に行きたかったのよ……」
泣きながら、ルークの唇にそっとキスをした。
ハイラント様が目を見開いている。
「フィオ、君の涙、金色に光って……」
「私はフィオーレじゃない…」
小さく呟くのが精一杯で、今にも壊れてしまいそうだ。
「………誰、かな?ツェリを泣かせているのは……」
弱々しい声に、ハッとした。嘘、何で、どうして…。でも、私を「ツェリ」と呼ぶのは一人だけ。
「ルーク………!」
「おはよう、ツェリ」
ルークが、冷たくなっていたはずのルークが、もう一度私の名前を呼んでくれた。
「…ねぇツェリ、君は髪だけじゃなく、涙にも強い魔力を持っているみたいだ。……多分、ツェリが望めば王妃様にもなれると思うよ。けど、もし自惚れても良いんなら……傍にいてよ、ツェリ。大好きだよ」
幸せでめまいがしそう。
私の答えは、とっくに決まっていた。
__________________________
________昔々、あるところに、小さな魔法使いが住んでいました。
彼はまだ十歳でしたが野菜が大好きで、いつも自分の畑で野菜を育てていました。そんなある日のことです。彼の大切な畑に、忍び込んだ者がいました。
優秀な魔法使いであった彼は、すぐに侵入者を捕まえました。すると、侵入者がこういうのです。「国が大飢饉で、第二王子である私まで餓死してしまいそうなんだ!後で褒美をやるから、この立派な作物を私にくれないか?」と。
魔法使いから見て、王子はとても餓死しそうには見えませんでしたし、褒美だっていらなかったのですが、野菜を褒められて嬉しかった彼は頷きました。彼にとっては、本当に何気ない人助けのつもりだったのです。
そして次の日、彼は自分の選択を後悔しました。
その日、畑には、小さなゆりかごが置いてありました。中には小さな赤ん坊が入っていて、「褒美」とだけ書かれた切れ端が貼ってある他は、何の変哲もないただのゆりかごです。しかし、赤ん坊の輝くような金髪は、見紛うことなき王族の証でした。
彼は考えました。王族であるのに捨てられたも同然なこの赤ん坊はきっと、世間で「いらない」と判断されたのでしょう。一夫多妻制のこの国では、たまにある話です。捨てられたのであればきっと女の子でしょうから、彼は女の子らしい名前をつけようと頭を捻りました。心優しい彼は、自分が見放せば今日明日にでも死んでしまう赤ん坊を育てるつもりでいるのです。
しかし、まだ十歳であった彼は名前のつけ方など分かりません。迷った末、彼がつけたのは野菜の名前でした。自分が一番好きな野菜で、王子に渡した野菜でもあるこの名前が、一番ふさわしい名だと彼は思ったのです。「ラプンツェル」、と、赤ん坊を呼びながら彼は走りました。町から離れるためです。
この国では、無断で他家の子供を育てるのは罪に当たります。しかし、自分が育てなければ赤ん坊は死んでしまい、かといって自分が育てる役目を任されたのだという証拠もないのです。育てるためには、隠れて暮らすしかありませんでした。山の奥の更に奥にある、四方を崖で囲まれたような場所に、彼は高い高い塔を建てました。そして月日は巡り、今二人は_______。
「ねぇ、もう朝よ。起きて、ルーク!」
「んぅ…あと五分…」
「何回目だと思ってるの!」
私は一思いに、目の前のルーク…旦那様を投げ飛ばした。
「今日が何の日か分かってるの?」
「もちろん。可愛い奥さんの誕生日さ。さあ、準備しよう。今日は街へ明かりを見に行く日だからね」
「えぇ!」
____二人は今、とても幸せです。めでたしめでたし