6話『ヤギ人間』
展開的に不都合だったので1話を書き直して仕事を辞めていない設定にしています。他にも色々変えてます。
最初に投稿した1話読み直したらめちゃくちゃ読みづらかったです……
あれを読んだうえで今も読み続けている方がもしいらっしゃいましたらめちゃくちゃ感謝したいです。
河川敷の草むらの中で目を覚ました。
朝方のようだ。川面にチラチラと陽光が反射して眩しい。
昨日の夢の記憶を追おうとしたのだが、体に違和感を覚えて思考が止まった。
……猫じゃなくなってる?
人間に戻った、ではなく猫じゃなくなっている、と感じたのは人間の姿にはなっているようなのだが、明らかに元の自分の体ではないからだ。
すぐ近くにあるカーブミラーに駆け寄って自分の姿を映すと、やはり見覚えのない姿になっていた。
頭はヤギで、腕はアライグマで、それ以外は人間の、宗太と同じくらいの背丈の子供の姿に。
子ヤギなのか顔は幼げで可愛らしいが、アライグマの腕はやたらとずんぐりしていて全体的に見るとただただ不気味である。
「悪魔の使いです」と言われたらすんなり信じてしまいそうな様相だ。
(な、なんだこれ……)
その後「猫に戻れ」と念じてみたり、もう一度眠ってみたり、「人間に戻れ」と念じてみたりしたが、何も起こらなかった。
……まぁ、いいか。
元々人間として何かやりたいことがあったわけでもない。もちろん猫としても。
頭がヤギになっても、手がアライグマになっても、別に……
……いや、一つ困ることがある。食べ物だ。
そうか。また食べ物を探す生活に戻らなければならないのだ。
かと思いきや、食べ物の心配はすぐに解消された。
再び河川敷に降りて草を適当にむしって食べてみたのだが、苦味はあるものの普通にうまい。
猫の時にも思ったが、人間とは明らかに味覚が違う。
そのへんの草を食ってうまいうまい言っていると思うと惨めな気もするが、働いてもいないのに毎日ご飯を食べられると思えば上等な暮らしだろう。
しかし、食べ物に困らないのは良いもののこの見た目でどう生活すればいいのか分からない。
もし人に見つかろうものならUMA扱いまっしぐらだ。人目につかないようにしなければ―――
―――あれ、人がいるぞ?
河川敷沿いの道で犬の散歩をしている人が見える。
(ど、どうしよう……どうしよう……通報されるだろうか?)
こういう咄嗟の状況は苦手だ。頭が真っ白になって何も考えられなくなる。
(とりあえず目立たないように……)
その場でうずくまって草の間に隠れてみるが、このあたりは身を隠せるようなものがないし、頭も腕も剥き出しだ。目を凝らされたらたぶんバレる。
かといって移動するのも恐ろしく、しばらくその場でじっとしていた。
そのうち犬の散歩をしていた人は通りすぎて行ったのだが、今のはただのラッキーだろう。
人に見つからず寝られる場所さえあれば夜にこっそり餌を探しながら暮らしていけると思うのだが、寝床がそう都合よく見つからないことは猫だった頃に骨身に染みている。
良い考えが浮かばずひとまず橋の根本の骨組みに隠れてひと息つく。
ゆっくりこれからの生活のことを考えるつもりで隠れたのだが、余裕ができると思い出したくもないのに宗太が魚肉ソーセージと水筒を叩きつけた時のことを思い出してしまう。
俺はあの時のようなことを二度としないために金属バットで悪い自分を叩き潰した。
あの時はごく自然に宗太とこれからも遊ぶことを前提として考えていたが、よく考えれば宗太と関わるのをやめるという選択肢もあったのだ。そのことにこんな姿になって初めて気がついた。
俺はもう宗太を二度と傷つけないと誓ったけど、同じように宗太の父親が宗太に酷いことしてごめんな、もう二度としないからな、と言っているのを聞いても俺は奴を絶対に信用しない。あいつはそういう人間だ。
同じことを言って宗太の父親はダメで俺は大丈夫なのはどうしてだ?
認めたくはないが宗太の父親と俺の父親、その息子である俺も、人の悪い点ばかり目につくところが嫌になるくらいよく似ている。
俺と宗太の父親が違う根拠なんてどこにもない。
昨日の俺は金属バットで悪い自分を叩き潰したことがその根拠になると思っていたけど、一度失敗した俺が宗太に関わるより元々まともな人が宗太に関わった方が良いに決まっている。
宗太を可哀想だと思い毎日構ったのは俺のエゴでしかない。
……もう会うのをやめてしまおうか。良い機会かもしれない。
それが良い。ここを離れて、別の住み処を探そう。というか、すっかり忘れていたが人間だったときに住んでいたアパートを放ったらかしにしているじゃないか。
換気扇もトイレのウォームレットもつけっぱなしだし、仕事や月々の支払いのことだって確かめなければ。
そうだ。俺にも俺の人生がある。あまり楽しい人生ではないけど、途中で投げ捨てるわけにはいかない。
夜になってから街灯のない道を通って一人暮らしをしていた家に向かった。
1時間ほど歩き続けると一人暮らしをしていたアパートが見えてきた。
(えっ……)
見間違いだろうか。俺の部屋の明かりがついているように見える。
思わず駆け足でアパートに近付くと、やはり俺が暮らしていた部屋に間違いない。
どういうことだ?
誰にも合鍵は渡していないはずなのに。
そのままどうすることもできず暗闇のなか自分の部屋を見ながら過ごしていると、ふっと明かりが消えた。
いつの間にか周りの部屋の明かりもだいたいが消えている。時計がないので分からないが、ほとんどの人が寝るぐらいの時間になったのだろう。
(俺の部屋で誰かが暮らしてる?)
もう訳が分からない。もしも誰かが暮らしているというのなら、とにかく、そいつに話を聞こう。
深夜、アパート近くの工場の陰に隠れて眠りについた。
翌朝、スーツを着た男が俺の部屋から出ていくのを遠目に見た。
俺は一日中ひまだから仕事終わりに話を聞いてやることにする。
夕方、男が帰ってきた。
男に近付いていくと、違和感に気づく。
男の顔にもやがかかったようになっていて、近付いてもどんな顔をしているのか分からないのだ。
(なんだよこれ……)
しかし機会を逃せば明日の夕方までまた待たなければならない。思いきって声をかける。
「(あの!)」
男は一瞬周りを見渡したあと、何事もなかったかのように歩き出した。
「(あの!すみません!)」
男はまた振り返りはするのだが、すぐに歩き出してしまう。
なんだ?無視しているのか?
肩に手が届かないので男の腕を掴もうと手を伸ばす。
「(すみません!お話を伺いたいことが………えっ!?)」
あれ?俺の手が男の腕をすり抜けたように見えたのだが……
(気のせいか……?)
もう一度試してみるが、やはり自分の手が男の体をすり抜けてしまって男の腕を掴むことができない。
ふと猫だった頃に念話で色々と試してみたことを思い出す。あの時はたしか……
「(あの!)」
頭の中で「気付け」と念じながら触れると、男の腕を掴むことができた。男がこちらを振り返る。
「(あの!すみません……!)」
しかし、男はまた何事もなかったかのように去ってしまう。
(俺の姿が見えてないのか?)
男の前に立ちふさがったり、カバンを引っ張ったり、色々試しても男は全く止まる気配がない。
ついには男のあとを追って部屋の前まで着来てしまった。
(どうする……?)
……もういい。ここまで来たら全部確かめてやる。
男が扉を開けた瞬間に無理矢理家の中に入り込む。
男は一瞬戸惑ったような様子を見せたが、やはり何事もなかったかのように家の中に入った。
(俺の部屋だ………)
家具も、置き場所も、何も変わっていない。
男は家に帰ってすぐに風呂に入った。俺がそうやって暮らしていたように。
とりあえず通帳を入れていた棚を開けてみると、やはり通帳も俺が置いていたままの場所にあった。
4月の日付がついた行を探せば、家賃も、光熱費も、携帯代も引き落とされているし、給料もいつも通り振り込まれていた。
ふと通帳の名前の欄を見る。
(まただ……)
名前にもやがかかったようになっている。
指でもやを拭おうとしてもできないし、目をこすっても何も変わらない。
(あの顔も名前も分からない男が俺の代わりに働き、お金を払っているのか)
そういえば、あの男は俺に背格好が似ていた。
あまりの不気味さに手が震えたが、何とか通帳をもとの場所に戻し、家を出た。
とりあえず人目につかないところに隠れてひと息つく。
手を握ったり、開いたり、自分の腕を掴んだりしてみる。ちゃんと掴まれている感触がある。さっきのは一体……
俺は道に出て周りを見渡し、仕事帰りらしき男が歩いているのを見つけた。
「(あの!)」
男は一瞬振り返ったのだが男の手を掴もうとした俺の手はまたすり抜けてしまい、結局何事もなかったかのように通りすぎていった。
(やっぱり他の人でもダメなのか……)
根拠はないが、なんとなくそんな気はしていた。
同じように通りがかった人の腕を掴むのを何度か繰り返すと、同じように掴んでいるはずなのに、全く気づかない人と気付いたそぶりを見せる人がいた。人によって感じ方が違うのだろう。
試しているうちに年若い人の方がよく気が付くことが分かってきた。
(いよいよ妖怪じみてきたな……)
そう思いながら歩いていると、民家と民家の間に猫がいるのを見つけた。
じっと見ていると猫もこちらに気がついたのか毛を逆立ててくる。
少し試してみたいことができた。
「ンメッ……ンメエエェェェ!」
猫は一目散に逃げていった。
初めてやったのだが意外と普通に鳴けるものだ。
それ以上あの不気味な男のそばで生活する気分にはなれなかったので、来た道を戻って河川敷へ帰り、昨日も隠れ場所にした橋の下で夜を明かすことにした。
色々と衝撃的なことがあったはずなのに不思議と気持ちが落ち着いているのは、何となく自分の身に何が起こっているのか勘づいていたからだろうか。
今思えば、一昨日の夜、宗太が魚肉ソーセージと水筒を地面に叩きつけた直後に自分の存在が薄くなったような感覚があった。
あの時は自分が精神的に弱ったからそんな気がするだけだろうと思ったが、実際に強く「気づいて欲しい」と念じないと触れていることにすら気付かれなくなっている。
家のことにしてもそうだ。本来なら俺は心配性な性格のはずなのにこの約1ヶ月間家賃のことなど頭にかすりもしなかったのは、根拠もなく「俺がいなくてもすべて滞りなく廻っている」と思っていたからだ。
実際、俺がいなくても家の掃除も仕事も何もかも今まで通りに行われていた。
それがまさかあの顔と名前にもやのかかった不気味な男に支えられているとは思わず少し面食らったが。
あの男が何者なのかは気になるところだが、自立して生きているというなら別にあそこにいるのが俺でなくても良いな、と思う。別に自分である必要性を感じない。
ただ、親が認知症になったり病気になったときにあの男がきちんと世話をしてくれるかどうかは気になる。兄貴一人に任せるのは可哀想だ。
しかしそれはまだまだ先の話だろう。
だからあともう少しだけ休んでも許されるだろうか。
この先あと何十年も生きていかなければならないのだ。だったら少しくらい……
「……おーい!起きてー!……おーい!…………」
誰かに大声で呼びかけられている。
……………………。
……………。
…………人に見つかった!?
「うわ!」
がばっと飛び起きると俺を起こした何者かは尻餅をついた。
(ん……?)
よく見ると宗太だった。いつものようにランドセルを背負っている。
よほど驚いたのだろう。何もしゃべれなくなってしまっている。
かくいう俺も何を言って良いのか分からず気まずい空気が流れた。
すると立ち直った宗太が口を開いた。
「……あ、あの、僕、黒い猫探してる……。ねぇ、君、もしかして知り合い?」
どうやら俺(猫)を探す手がかりとして声をかけたらしい。
たしかに、言葉を話す奇妙な猫と奇妙な格好のヤギ人間に何かしらの関係があると考えるのは自然なのかもしれない。
「(俺、そんな猫見てないよ)」
「知り合いじゃないの?」
「(いや……全然知らない。今までどこを探してたんだ?)」
「河川敷と、神社と、あと猫がいそうなとこ」
「(猫がいそうなって、公園とか?)」
「うん。あと猫おばあさんの家のへんとか」
あのおばあさんのこと知ってたのか。小学校で噂になってるんだろうな。
「(…あのおばあさんの家にはあまり近づかない方が良いぜ)」
「どうして?」
「(猫のフンだらけだからだよ)」
そう言うと宗太は悪戯をしたときのように声を殺して笑った。
本当はおかしな大人かもしれないから行くなよ、と言いたいがその物言いは猫のフンだらけよりもよほど悪意があるだろう。
それに近寄るどころか敷地内に入ってご飯を貰っていた俺が言っても説得力がない。
「(どうしてその猫を探してるんだ?)」
「心配だからだよ。ネコ君熱中症になったんだ」
「(ふーん)」
「……もしかしたら死んでるかもしれない」
「(ぶっ……いや、だ、大丈夫だと思うよ)」
危ない。思わず笑いそうになった。
熱中症で死亡するケースは珍しくないので宗太の心配はもっともなのだが、本人がピンピンしている目の前でやたら深刻になっているのがおかしくて仕方がない。
「(それで、ネコ君はどこで倒れたんだ?)」
「大山池」
「(大山池ぇ?大山池で倒れたんだったらこんなとこ探してもいないだろー)」
「歩いてここまで帰ってきたんだよ」
「(なんだぁ。もう元気じゃんそいつ)」
「そっか」
ちょっとわざとらしくなってしまったが宗太は特に気にしていないようだ。
「(じゃあ、その猫は探さなくても大丈夫ってことだな)」
「うん………」
…………。
「…………」
「(…………なんだよ。大丈夫だって言ってるだろ。そのネコ君がいないとそんなに困るのか?)」
「…………」
「(……そもそも、ネコ君はどうしていなくなったんだ?)」
「……たぶん、僕がわがまま言って熱中症で倒れちゃったから、僕のこと嫌になったんだと思う」
「(そんなの君のせいじゃないだろ)」
「ううん。僕のせいだよ」
「(何が君のせいなんだよ。ネコ君が自分が熱中症になるって分かってなかったから悪いんだろ)」
「でも、僕がわがまま言ったから、」
「(君とネコ君ってどっちが年上なんだ?)」
「ネコ君。ネコ君はもともと人間の大人だったから」
「(ふーん。ネコ君は大人なんだな。じゃあやっぱりそいつがしっかりしてなかったからじゃん)」
「え。……でも、」
「(君のせいじゃないってば。ネコ君が君のせいだって言ったのか?)」
「ううん……たぶん言ってなかったと思う」
「(だろ?自分が熱中症になったのを子供のせいにするなんて大人げないもんな)」
「…………なんだよお前。ネコ君のこと知らないくせに」
「(…………。……………おいおい、落ち着けよ。君は悪くないって言ってるだけだぜ俺は。ネコ君が悪いなんて言ってない)」
「じゃあ、君はどっちが悪いって言いたいんだよ」
そりゃあ、ネコ君。
……いや。こういう風に宗太のためにと思って刺々しいことを言うからダメなんだ俺は。それは結局自己満足で宗太のためにはならなかったんだから。
もっと、宗太が何を言って欲しいのか考えなくては。
「(どっちでもない。暑いのが悪いよ。暑いのが)」
「えー…?」
そういうことを話したいわけじゃない、という顔をされた。そりゃそうか。
「(ていうか、なんで自分が悪いって思ってんだよ。やっぱりそのネコ君に何か言われたんじゃないのか?)」
「何も言われてないよ」
「(ほんとうに?)」
「ネコ君はそんなこと言わないって。いい人だもん」
「(でも、ネコ君は君に、お前は悪くないよ、気にするなって言ってくれなかったんじゃないのか?)」
「……………………………………………………………………………………………………………………………………」
「言われてないけど……」
言ったけどな。
『人よりも自分の方が大事なのはそんなにおかしなことじゃないだろ。普通のことだ。なんでそこまで泣くのか俺にはさっぱり分からない』
まぁ、この言い方じゃ普通伝わらない。
だから何もかも俺が悪かったんだ。
「(ほら。言われてないんじゃないか)」
「言われてないからなんだよ」
「(つまり君はさ、ネコ君に君のせいじゃないよって言ってもらえなかったから、自分のせいだって思ってるわけだろ?)」
「…………ネコ君のせいじゃないよ。僕が自分で僕のせいだって思ってるの」
「(そりゃ、気にしないでって言ってもらえないと自分のせいだと思っちゃうよ。そんなの当たり前だ。大人なんだからさ、それぐらい…………)」
あ。駄目だ駄目だ。
「(ま、まぁネコ君も良い奴には間違いないよ。しんどい思いしただろうに君のせいだって言わなかったんだからな)」
「そう。ネコ君は良い奴なんだよ」
「(うんうん。その良い奴がさ、君が自分のせいだって思うことを望んでると思うか?)」
「ううん………」
明らかに納得していない顔だ。
「(なぁ、やっぱりネコ君に何か言われたんじゃないのか?)」
「言われてないってば」
「(怒るなって。本当の本当にか?俺には何も言われてないって顔には見えないんだけど)」
「言われてない!」
「(分かった分かった…………じゃあ、)」
「…………」
「(じゃあ……うーん…………ネコ君はずっとニコニコしてたか?)」
「…………」
「(最後にネコ君に会ったとき、ネコ君はどんな顔してた?)」
「顔は分かんないよ。猫だもん」
「(ああそうか。…………えーと、じゃあ、ネコ君怒ってたか?)」
「…………………………………………………………………………」
だいぶ考え込んでいる。
「怒ってた……」
「(へぇ。怒ってたのか。それで、ネコ君なんて言ってた?)」
「えっと………………」
「(うん)」
「えっと…………俺のためにここに来たわけじゃないだろって…………僕は『自分のことしか考えてなくて』、『自分勝手』な人間だから…………『わがまま』で…………」
後半の方は絶対に言ってない。誓って言っていない。
でも、そうだよな。俺が怒ったからそういう風に思ってしまったんだよな。
俺が自分のせいにしすぎる人に怒りを覚える性格だなんて、俺のことを余程知っていなければ分かるわけがない。
怒られれば自分のせいだと思うのは宗太のようなちょっと暗い性格の子供には当たり前のことだ。
「(俺は、君が自分のことしか考えてなかったとは思えないけどな)」
「でも…………」
「(君はネコ君のために何かしなかったのか?)」
「何もしてない……」
「(よく考えずに答えただろ。ほんとに何もしなかったのか?)」
「してない」
「(…………えーっと……………………ネコ君は喜ばなかったけど、君が勝手にしたこととか…………)」
「ネコ君を待ってたよ。あそこで」
宗太は街灯を指差した。宗太がランドセルを背負ってうずくまっていたあの街灯だ。
「(ほら。ネコ君のために色々してあげてたんじゃないか)」
「でも、……全然『ネコ君のためじゃない』よ。『自分のため』だもん」
俺がそう言ったからな。
「(自分のためって、どういうことだ?俺よく分かんないや)」
「『夜に外に出たかった』んだろって……」
「(外に出るの楽しかったか?)」
「うん。楽しかった」
俺が言ったからそう思い込んでるだけだ。
「(…………う~ん……。じゃあネコ君がいなかったら外に出てるか?……えーと、例えば今日は外に出るか?)」
「出るわけないじゃん」
「(じゃあ、ネコ君のためだったんじゃないか?)」
「え……?」
宗太は頭をガリガリと掻いた。
「よく分かんない…………」
「(…………俺もよく分かんないけど、たぶんお前はネコ君のために外に出たんだよ。でもネコ君は自分のために外に出たんだろって言った)」
「え……?……」
「(ネコ君はきっと誤解したんだな。だから怒ったんだよ)」
「じゃあ、誤解を解いたら仲直りできるの……?」
「(ああ。できるよ)」
本音を言うなら、君のために待ってたんだなんて言われたら、人のためにそこまでするなと言いたいけど。
「良かった」
宗太は表情が乏しい子なので嬉しそうな顔こそしなかったが、安心した気配は伝わった。これで良かったのだろう。
「(でも、俺はそこまでして仲直りする必要あるのかなって思うけどな)」
「え?」
「(ネコ君また変なところで君のこと誤解するかもしれないだろ。今日君の話ずっと聞いてたけどさ、結局ネコ君がなんでそんな誤解したのか分かんねぇもん)」
「僕も分かんなかったけど、分かんないって言ってるの君と僕の二人だけだよ」
「(………………)」
「君、もしかしてネコ君のこと嫌い?」
最低な奴だと思うよ。
「(……ちょっと変わってるやつだとは思うよ)」
「その見た目でよく人に変わってるとか言えるね」
「(好きでこんな格好してるわけじゃない)」
また気まずい空気が流れた。
「(君は結局ネコ君を探すことにしたんだな?)」
「うん」
「(そっか。頑張れよ)」
「うん……」
あわよくばここでお開きになるかと思ったが、帰る気配がない。
別れが惜しいのだろう。わざとらしく「忘れ物なかったかな」などと言いながらランドセルを開いている。
「あ。そうだ。水筒」
と思いきや本当に忘れ物があったらしい。
そういえば魚肉ソーセージと一緒に叩きつけたままだったな。一応邪魔にならないところに隠しておいたのだが。
「(一緒に探してやろうか?)」
「うん!」
それから宗太をさりげなく水筒を隠した場所に誘導し、ようやくお開きの流れになった。
分かりやすく何か言いたげだったので「俺に会いたくなったら橋の下においで」と言ったら「うん!」と元気に返事をして帰っていった。
また宗太に関わることになってしまったが、今の俺なら大丈夫だと思える。
やはり宗太を傷つけないことを一番に考えながら話すのが正解だったのだ。これからは自分の思ったことを好き勝手言うのではなく、宗太が言ってほしいと思っている言葉を言うことにしよう。
こうして俺はその日宗太を一時でも安心させることができたというその小さな成功のみで大きな満足感を味わった。
そして次の日の朝、俺は強く念じることで猫の姿に戻れるようになっていたのである。
怯えるヤギ人間の図(左のはカーブミラーです)