5話『金属バット』
字数少ないからすぐ書けるだろと思ったら全然でした。
今度からいつまでに投稿するとか言わないようにします。すみません……。
夢を見ている。親子で住んでいた頃の夢だ。
懐かしいリビングの床に、セミのように縮こまって横たわる自分の姿をした何かがいる。
俺はというと、金属バットを持っている。
それを思いっきり自分のようなものに向かって振り下ろす。それだけの夢だ。
この夢を見始めたのは中学2年生の頃だった。
元々はある妄想から始まった夢だ。
当時、俺は悲しい、苦しいと感じたときには金属バットで自分を殴る妄想をするのが癖だった。
これに関してこういうことがあって、自分はこう思って、と順序だてて振り返るのは難しい。
ただ、妄想を繰り返すうちに夢にまで見るようになり、現在でもそれは続いているというのが、唯一客観的に振り返れる事実だ。
そして今日も、人間の姿をした自分が俺の前に横たわっている。
今の俺は猫のはずだが、猫の姿ではなかった。
理由はなんとなく分かっている。
でも、なんとなくでは駄目だ。
この金属バットを振り下ろす覚悟を決めるには、過去を振り返って自分の過ちをひとつひとつ認めていかねばならない。
宗太に出会った日のことはよく覚えている。
宗太は最初から俺にとって何となく気にかかる子供だった。
どろどろのカッパやずっと一人で遊んでいることなどが気になったわけではない。
変わっているとは思ったが別に普通の子供にもあることだろうと思った。
しかし、あの「変な笑い方」を見た瞬間に俺は宗太から目を離せなくなった。
あの笑い方は子供自身の性格や性根から来るものではなく、経験と学習によって身に付くものだ。
経験というのは例えば、
大人の方は最高に面白いジョークを言ったと思っているけど、自分は本当は傷ついた。
でも笑う。
大人が珍しく機嫌が良さげに近付いてきたけど、もしかしたら自分に意地悪をしようと思ってニヤニヤしているのかもしれない。
でも笑う。
といった嬉しかったから笑う、楽しかったから笑うなどの経験とは質の異なる経験のことだ。
そして学習とは、自分の本心を隠せば大人の感情を逆撫でせずに済む、そして上手に隠すには大人の表情をおうむ返しに返せば良い、と思い込むことだ。
しかし、これは間違った学習だ。
大人の浮かべる「自分にとって恐ろしくてたまらない笑顔」をおうむ返ししても、それは本来意味するところの笑顔とはほど遠い「変な笑い方」にしかならない。
その場、その環境では通用しても、一歩外に出れば逆に人の神経を逆撫でするものに早変わりする。
宗太の笑い方はまさしくそれだった。
でも、こんな風に笑い方ひとつでその人のことを理解した気になるのは俺は絶対に嫌だった。
俺自身はあまりそういう経験をしたことはないが、もし自分のことを分かった気になって偉そうに何かを言ってくる奴がいたら、ぶん殴りたくなると思う。
怒りからくる衝動ではなく、生理的な嫌悪感で。
これが正常な心理なのかは分からないが、とにかく人のことを分かった気になっている人間が気色悪いということは俺にとって絶対だ。
もし無意識にでも自分が人に同じことをしようとしていることに気がついてしまったら、とても正気は保てない。
なのに俺は、出会ったばかりの宗太の言動に何度も過去の自分を見てしまった。
そのとき俺はたしかこんなことを考えた。
自分が気持ち悪い。
人に自分を重ねるなんて例外なく自分のためだ。
まだこの子の名前すら知らないくせに。
本当に、本当に気持ち悪い。
他人に自分を重ねるなんて、人間としての自然な心理の変化に反している。絶対にあってはならない。
なのに、宗太が喋るたびに自分の中から「分かる」と声がする。
これはもう病気だから、脳をまるごと摘出して綺麗に洗ってから異常な部分を切り取ってほしい……
こんな気味の悪い奴がいたら他人ならめった刺しにしている。それが自分だというのだ。
自分に対して生理的な嫌悪感を覚えると、自分自身だから殴ることもめった刺しにすることもできない。
こんなのは俺じゃない、と思いたかった。
そうして猫になってからの俺は努めて「普通」で「常識的」であるように心がけた。
それどころか自分は家族との間に何も問題がなく清廉潔白で健全な人間であると思い込みながら接してすらいた。(記憶の食い違いでときどき破綻したが)
しかし、結局のところ俺は芯から普通の人間ではないから、考えなしにリュックの中に入り熱中症で倒れてしまった。
『本当にごめんねネコ君……僕、お父さんに全部正直に話して、ネコ君を病院に連れていってもらおうって、思ったんだ…………でも……でも、ぼくっ……『ムセキニン』だから……『自分のことに自分でシマツつけれない』から…………お父さんに頼めなくて……』
子供がそこまで考えられるわけないから俺のせいでしかないのに、宗太はしきりに自分を責めて泣いていた。
他の大人だったらこんなバカなことはしなかっただろう。
俺は常識人ぶることすらできなかった。
だから俺は「普通」の俺をあっさりと捨てた。無理をして作ったものだから「普通」の自分を捨てるのは簡単だった。
そうなると残るのは宗太に自分を重ねる気色悪い自分だけだ。
最悪だ。思い出したくもない。
『ネコ君のこと……ぼく、ちゃんと大事に思えてないから……ね、ね、ネコ君はあんなに、ぼく、ぼくといっしょに、遊んでくれて、すごく、やさ、優しくしてくれたのにっ、…ぼく、『オンシラズ』だから、ネコ君、たしけ、あげられな、なくて、ごめんねぇ……』
ありのままの自分、などと自分の思ったことを言うことを良しとする場合も世の中にはあるが、俺がありのままに思ったことを言っても何も良いことはない。
『き、昨日も、お、おとうさんが寝てから、ここ、ここで、ま、待ってたんだけっ、けど、…ぼ、ぼく、『口ばっかり』で、ほ、ほんと、ほんとは、ネコ、ネコ君のことなんて、しっ…しんぱっ…しんぱい、して、ななないからっ…ね、…ね、寝ちゃって、自分ひと、ひとり、『イイオモイ』して……』
俺は正直出会ったときから宗太の親から言われたことをそのまま言っていると思われる言葉を聞くのが嫌でたまらなかった。
『お、おおおと、おとうさんに、な、なんか、なんかいも、いお、言おうとしたんだけどっ、いえっ、いえなかっ………』
宗太は悪くない。『恩知らず』だの『口ばっかり』だの、人のことを決めつける父親が一番悪い。
それは分かっていたが、親の言うことを真に受けてしまう宗太にも腹が立っていた。
『ぼ、ぼく、ちい、小さいとき、から、『自分で人に頼めない』んだ。……で、でも、た、たいせつな、友達の、友達のためだか、ら、が、頑張らなきゃ、いけなかったのに……』
あまりにも大人げなさすぎて自分が嫌になるが、これが紛れもなく俺の本音だった。
『期待してないって分かるか?俺はお前がここにいるのは俺のためなんかじゃないって思ってるよ』
本当はずっと、父親があまり良い人間ではないと知っているくせに父親の言うことを素直に聞き入れる宗太の精神的な弱さにがっかりしていた。
『あんまり人に期待しないでくれ。俺もお前に期待してないから』
父親にすがったって自分の望むものは一生得られないのに。お前はなんてバカなんだろう。
………………。
………。
あまりに醜い。
どうして普通よりずっと辛い目に遭っている子供にそこまで求められるのだろう?
思えば、常識人ぶっていたときにも『父親に頼めば良いだろ』と何度も言った。
それが宗太の家では難しいことだと「分かって」いたくせに。
「分かる」って何だろうか?
本当に「分かって」いるなら、傷つけずに話し合うことができるはずなのに。
俺は宗太を傷つけると「分かって」いながらわざと嫌な言い方をした。
将来自分で自分を追い詰めて破綻するのが「分かる」から。それならせめて今のうちに、と。
じゃあ、宗太を傷つけない言葉は「分から」ないのか?
『無責任とか、口ばっかりとか思わないよ。だって夜中にたった一人で待っててくれたんだろ?』
いいや。俺は本当は「分かって」いたはずだ。
でも言えなかった。
その後ろ向きな考えにひと言言わずにはいられなかった。
もしもう一度同じことがあったなら、絶対に宗太に自分を重ねるなんて気持ちの悪いことはしないし、絶対に宗太を傷つけるような言葉は言わない。
こんな可哀想な子供をさらに追い詰めたいだなんて、人でなしなことを思う自分は自分じゃない。
宗太に自分を重ねる自分を黙らせるだけでは不十分だったのだ。
宗太に自分を重ねる自分も、宗太を傷つける自分も、まとめて粉々にしてしまわなければ。
自分の中から悪い自分を追い出して、徹底的に叩き潰して、俺は次こそ普通の大人として宗太に会いに行く。
もしもう一度同じことがあったなら、
『待っていてくれてありがとう』
今度はそう言える自分になる。
金属バットを強く握った。
次からはイマジナリーフレンドも出てきて明るい話になるので自分でも楽しみです!
暗い話書くと気分がめちゃくちゃ沈みます。
暗い性格だからこういう話向いてると思ってたんだけどなぁ…。