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97.王太子は詰まる

(一体何なのだ……あのメイドは……)


 茶会を開いている内庭から離れたことを確認したフリッツは、大きく息を吐いた。


 デボラには通りすがりだと答えたが、本当は彼女の言う通り、リーゼロッテと聖殿に用があった。


 だからこそ供の一人も付けずに声をかけるタイミングを窺っていたのだが、それをデボラに阻まれた形だ。


 一介のメイドがまさかフォークを投げてくるとは思わず、狼狽えて逃げるのがやっとだった。


 しかし、不審者だと思っていたとしても王太子を傷つけようとしたのだ。


(本来ならばあの場でメイドを捕らえるべきだったか……)


 従者を付けていないことが仇となった。


 思い出しただけでも怒りが込み上げてくる。


 フリッツは壁をどん、と叩いた。


「おや、こんなところに君がいるなんて珍しいね。いつも聖殿にいる時間じゃないのかい?」


 不意に廊下の向こうから、癪に触る声が聞こえてくる。


 できることなら今一番聞きたくない声だった。


「……兄上……今から向かうところです」


 悔しさで歪んだ顔に笑顔を貼り付けると、フリッツは平坦な声で答えた。


「そうか。それは忙しいところ引き止めてすまなかった。そうそう、聖殿といえば……」


「……なんです?」


 思わせぶりな視線を向けてくるテオに、先程まで感じていた苛立ちが顔を出す。


 上機嫌に見える彼の姿に、密偵から受けた不埒な報告を思い出して更に苛立ちは募った。


(私でさえマリーに手を出すのは我慢しているというのに……この人は……!)


 いっそのこと聖女付きを解任してやろうか、と意地の悪い考えが浮かぶが、リーゼロッテを聖殿に上げた功績から与えた地位だ。


 適当な理由がなければ解任などできない。


 フリッツは憮然とした顔で兄の言葉を待つ。


「いや、これはちょっと……事が発覚すれば大問題になりかねないからね。僕の方で処理しておくよ」


 そういうと、問題は解決した、とばかりにテオは去っていこうとする。


(大問題……ま、まさか……)


 フリッツは過剰なまでに狼狽えた。


 彼の脳裏にあったのはもちろん、彼の手によって聖殿に幽閉した国王の所在とその処遇についてだ。


 それが露呈されればたとえ王太子といえどただでは済まない。


「な、なんです? その大問題とは……い、今は私も聖女付きです。聖殿や聖女に関わることなら私にも知る権利がございます」


「えー………ま、そうか」


 振り返ったテオは、フリッツの反応を確かめるように顔を覗き込む。


 自分とよく似た少し垂れ目の赤い瞳に見つめられ、居心地が悪い。


 フリッツは引き攣った表情を見られまいと顔を背けた。


「これはここだけの話なんだけど……」


 満足そうに微笑むテオは声を潜めた。


 誰にも聞かれまいとしたその声に、自然と二人は寄り添う形になる。


 それこそ、フリッツの喉が鳴る音が聞こえる程に。


「聖女の部屋の天井裏にネズミがいるみたいなんだ」


「ね、ネズミ……ですか……?」


 勿体ぶったテオの言葉に、フリッツは拍子抜けしたかのように声が裏返る。


(な、なんだ、父上のことではなく……そっちか……)


 天井裏のネズミ、というのは密偵のことだろう。


 兄が密偵に気づいているかは分からないが、幽閉がバレるよりは遥かにいい。


 内心ほっとしたフリッツに対し、テオは深刻そうに大きく頷いた。


「ああ、ネズミ。しかも結構大きめの。この間ちょっと……まぁ色々あった時に()()()()()()が天井裏の物音に気づいてね。彼女がネズミだと騒ぐものだからこちらも色々と集中できなくてねぇ……おかげでおあずけを食らってしまったよ」


「は、はぁ……」


(色々……おあずけ……呼び捨てまで……これは相当あのリーゼロッテに御執心と見える)


 下世話な話題に、フリッツの笑顔が引きつる。


 あくまでもマリーに紳士的に接していると自負しているフリッツは、女性を力づくで手に入れる兄のやり方が気に入らない。


 しかし、この話が本当ならば、情事を確認した密偵の立てた物音に気づかれたことになる。


 ネズミと勘違いしてくれたのは幸いだが──。


(しかし……ネズミが大問題か?)


 不自然な表情のままのフリッツを尻目に、テオはなおも続けた。


「で、だ……こちらも邪魔されたままというのは気分が悪い。ということでネズミの駆除でもしようかと天井裏の大掃除を提案しようと思ってるんだ。聖殿の設計図を書庫に取りに行くところだよ」


「せ、設計図、ですか?」


「ああ、聖殿もかなり昔に建てられたし、僕も最近出入りし始めたばかりでよく分からないからね。ネズミが天井裏にいるってことはどこか老朽化してて出入りする穴でもできてるのかもしれない。そうしたら大問題だ。一応聖殿内の全部の部屋を確認しておこうと思ってね」


「全部……」


(不味い……密偵に気づかれるどころか父上の居場所もバレてしまう)


 フリッツは舌を巻いた。


 そう簡単には見つからない場所に幽閉しているとはいえ、聖殿を隅々まで見られたら流石に発見されてしまう。


 昔からどういうわけか鋭い勘を持つテオに、設計図など見られたらすぐに見つかってしまうだろう。


(ここはなんとか……切り抜けなければ……)


 冷や汗を隠しながら、フリッツは考えを巡らせた。


「君やマリー様は気にならなかったのかもしれないけど、今度はリーゼロッテがあそこの主になるわけだし……」


「……兄上、ネズミ駆除は私に任せていただけないでしょうか?」


「君が? なんで?」


 突然の提案に、テオは大袈裟に驚いてみせた。


「それは……一応まだ私がいるわけですし……」


 後ろめたい思いがあるからか、いい理由も思い浮かばずフリッツは口ごもる。


 テオはそれを揶揄うような薄い笑みを浮かべ見つめた。


「いやいや、王太子である君の手を煩わすわけにはいかないよ。今だって公務に国王代理に父上の見舞いにマリー様との婚儀、忙しいでしょ?」


「え、いや……そ、そんなことは。私の最後の仕事として……聖殿の掃除は相応しいかと思いまして」


(我ながら苦しい言い訳だ)


 しどろもどろになりながら、フリッツは内心毒づいた。


 しかしテオが隠匿している国王の所在を探していようがいまいが、聖殿内部を調べられることだけはなんとしてでも回避しなければならない。


 そんな祈りが通じたのか、テオは肩をすくめると


「……ふーん、そう。じゃあおまかせしようかな」


 と、にっこりと微笑んだ。


(助かった……)


 いつもの兄の相手をする時とはまた違った疲労感に、フリッツは額の冷や汗を拭う。


 安堵の息を吐いた直後だった。


「あ、そうそう、父上のお加減はいかがかな?」


 テオの問いに、不意打ちを食らったフリッツの肩は僅かに震えた。


(もしや知られている……いや、探られているのか?)


 テオは相変わらずの笑みを浮かべている。


 意図の見えない質問をフリッツはただの世間話だと結論づけた。


「…………残念ながら、変わりなく」


「そっか。じゃあ色々と急がないとね」


「……ええ、まぁ……」


 曖昧な頷きに、テオは満足したらしく満面の笑みを浮かべた。


「じゃ、僕はこれで失礼するよ」


 機嫌良く踵を返したテオの後ろ姿を苦々しい思いでフリッツは見つめた。


(……色々と急がなければ、それはこちらも同じことだ。なのに……なぜだ)


 唇を噛み締める。


 滲み出る血の味に、フリッツは眉間の皺を深めた。


 国王の病状は日々刻々と快方に向かっている──見舞いと称して毎日観察しているフリッツにはそれが分かっていた。


 彼が国王に仕掛けた病は衰弱死を目的としたものだ。


 暗殺、まして自分が疑われぬようにと用心に用心を重ねて練った策だ。


 原因不明の病で食事も喉を通らず逝去した国王の跡を継ぐ。


 国王の病の前に力及ばず、打ちひしがれていた癒しの聖女をフリッツは慰め、恋に落ちた二人は結ばれる──それが彼の描いた表向きの筋書きだ。


 ところがここ最近、衰弱死するどころか手足が微かに動き、生気が戻ってきている印象すら受けた。


(早く、しなければ……)


 フリッツは歩みを書庫へと向ける。


 病が治ってきた原因はわからないままだ。


 最悪の場合、強硬手段も辞さない。


 最低でも国王の死亡までは邪魔されないようにしなければならないだろう。


 となると聖殿の設計図やその構造を示すものは全て回収し、人目に触れぬところに保管すべきだ。


(密偵は……聖女に気付かれた以上解くしかないか……もしネズミ駆除が行われていないと気付かれたら私の立場が危うくなる)


 彼は内庭でフォークを投げてきたメイドを思い浮かべる。


 聖女が気づくほどだ。


 おそらくあのやり手のメイドも気づいていたに違いない。


 兄の目的も分かった以上、密偵を付け続けるのはデメリットの方が多く感じられた。


 リーゼロッテ単独ならばそこまで脅威にならないだろう。


 ただのディートリンデによく似た不愉快な女だ。


 ふと、書庫に向かっていたフリッツの足が、速度を緩めた。


(……まてよ、あの聖女……使えるかもしれないな……)


 立ち止まった彼の口元は大きく醜く歪んでいた。

昨日活動報告でもお伝えしましたが、ストックが切れました。

毎日更新は一旦停止します。

再開は12/3夜です。

ご迷惑をおかけし、申し訳ございません。

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