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95.聖女は絶望の涙を流す

「……報告ご苦労。任務に戻れ」


「……御意……」


 気配が闇に消え、フリッツは大きくため息をついた。


 密偵には新しく来た聖女と兄の監視をさせていた。


 そこかしこの女性と一夜を共にし、その全てに執着しない奔放な兄がこと聖女に対しては違う。


 自ら聖女付きを申し出たのだ。


 面倒ごとを嫌いそうな兄が、たった一人の女性に尽くすなど何か裏があるに違いない、と睨んだフリッツは密偵を放った。


(もしや父上の所在を探るため、かと思っていたが……)


 蓋を開けてみればただリーゼロッテと結ばれたいがためだけだった。


 密偵が言うには、彼女が抵抗する素振りを見せたらしい。


(元から恋人同士ではない……聖殿に潜り込むためにリーゼロッテに協力を仰いだ可能性も消えるな)


 ある程度予想はできていたとはいえ、些か拍子抜けな結果に安堵のため息が漏れる。


(兄上は好色が過ぎる……友人の婚約者すら寝取るか……)


 元婚約者と瓜二つなリーゼロッテを欲するなど理解し難い。


 それならばディートリンデを寝取ってくれれば話が早かったのに、とすら思った程だ。


 フリッツは鏡の前で襟を整える。


 赤みがかった金髪を撫で付け、ジャケットを羽織ると笑顔を作って見せた。


 兄と似た張り付いたような笑みに虫唾が走るが、それも今日なら許せる気がしてくる。


 念入りに身だしなみをチェックし部屋を出る。


 従者の一人も付けないのは、彼が今から赴く所が男子禁制の聖殿であるからだ。


 もちろん女性の従者がいないわけではないのだが、どこから情報が漏れるか分からない。


 それにマリーとの時間を誰にも邪魔されたくなかった。


 白亜が眩しい聖殿に入り、真っ直ぐに進んだ中庭に、その人はいた。


「マリー、待たせた」


「……フリッツ様」


 振り返ったマリーは控えめな視線を送る。


 上目遣いに見上げてくる彼女がたまらなく愛おしく、フリッツは彼女の手を取った。


「さて、と……何の用かは分かる、よね?」


「……」


「マリー、近い内挙式を上げる」


 意思確認でもなく懇願でも、まして求婚の言葉でもない。


 フリッツの口から出たのは決定事項だ。


 マリーに断られるはずがないと確信している彼は、彼女の反応も確かめることなく言葉を続ける。


「すぐにでも聖殿は引き払い、私の部屋の隣に。新しい聖女のお披露目と私たちの婚約の段取りも組まなければね。これからは仕事も私と一緒にする以外はずっと部屋で過ごそうね。ああ、それと子供は世継ぎが生まれたらそれでいいよ。君との仲を子供なんかに邪魔されたくないし。だから私と同じ髪の子を産んでね」


「……へ、陛下は、聖女とは婚姻できないと……」


 ようやく絞り出せた抗議の言葉とともに大粒の涙が溢れ、マリーの歪められた顔を流れ始める。


 フリッツは目を見開くと、その涙を掬い取った。


「そうか、泣くほど嬉しいんだね。そんなに感激してくれるとは……私も嬉しいよ」


 彼の無邪気な微笑みに、マリーは青ざめた顔で声を失った。


 彼女の本当の思い以前に、声や表情すらフリッツには届いていない。


「大丈夫、君は安心して婚儀の日を待ってくれればいいよ」


 彼の紡ぐ愛の言葉が、呪詛のようにマリーを絡め取る。


 呪詛だけでは飽き足らず、彼は嬉しそうにマリーの身体を抱きしめた。


 感激のあまり抱き潰す勢いで抱きしめられた彼女は、その痛みで軋んだ声を上げた。


 その声すら気にも止めず、フリッツはふわふわのピンクゴールドの髪をうっとりしながら撫で始める。


 髪に手を通される度、マリーは自尊心が引き裂かれる思いだった。


「ああ、愛するマリー。ついにこの日が来たね……君はずっと私のものだよ。誰にも渡さない」


「……」


「返事はどうしたのかな? マリー」


 無反応が気になったのか、フリッツは彼女の顔を覗き込んだ。


 テオに似て非なるその軽い笑みの奥に、重苦しい愛を感じ取ったマリーは身を強張らせる。


「……はい……フリッツ様……仰せの通りに……っ……」


 どう足掻いても逆らうことが()()()()──。


 フリッツの腕の中で項垂れたマリーの瞳から、何かが零れ落ちるように地に落ちた。













 相も変わらずクリスタは茶会を開いていた。


 招く相手はただ一人──リーゼロッテだ。


 とはいえこの茶会で出された茶の殆どがリーゼロッテの淹れた茶だ。


 最近では茶菓子すら彼女が作ったものだったりする。


(……悔しいけど……どれも美味しいのですわ……)


 クリスタは目の前の皿に乗せられた菓子をじっと見つめた。


 ふっくらと焼いたパステルカラーの菓子の間にクリームが挟まり、なんとも可愛らしく美味しそうに見える。


 下手すると侍女が淹れ、料理人が作ったものよりもリーゼロッテの方が上だ。


 ここ数日、リーゼロッテに無理難題をふっかけてはその悉くを完璧にこなされてしまっている。


 少し困らせるつもりが、その実力を見せつけられているようで、クリスタは面白くない。


 彼女が文句ひとつ漏らさず難なくこなす姿に、難題を出しているつもりの自分の矮小さを思い知らされるような思いだ。


 クリスタは何度ほぞを噛んだか分からない。


「あの……クリスタ様……?」


 菓子を見つめたまま沈んだ表情のクリスタに、リーゼロッテが心配げに声をかけてきた。


 悪意のなさそうな声色が余計にクリスタを苛立たせる。


「……何でもありませんわ。お茶のおかわりをいただけません?」


 苛立ちを隠すようにリーゼロッテを追いやると、クリスタは小さく息を吐いた。


 彼女といると調子が狂う。


 これだけ嫌がらせをしても、自分が冷遇されていることなど何でもないかのように振る舞う彼女の胆力に腹が立つ。


 侍女たちが、戸惑いながらも陰で「クリスタ様は聖女様に嫉妬しておられるのでは」と噂されているのも知っている。


 それが王族としてみっともない行為であっても。


(……分かっていますわ……でも……)


 クリスタはふと、テーブルに這い上がってきた蟻を見つめた。


 甘い匂いに誘われてやってきたのだろうか。


 その爪の先程もない小さな生物が、菓子に辿り着こうと右往左往している。


(……こうなったら……お菓子に虫が入ってたことにすれば……)


 どうにかしてリーゼロッテを困らせたい。


 いつもなら侍女に払ってもらうところだが、クリスタはそれを躊躇いつつも摘んだ。


 彼女の指の間でもがいているのだろうが、目に入れるのも(おぞ)ましいと素早く菓子の間に挟み込んだ。


 早くしなければ──その一心で行動した彼女は、背後にできた影に気づかなかった。


「それはいただけないね、クリスタ」


 聞き覚えのある声に、彼女は身体を震わせる。


(ま、……まさか……)


「……お、お兄様……っ!?」


 ゆっくりと振り返ったそこには、彼女の最愛の兄が呆れた笑みを浮かべていた。

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