94.リーゼロッテは聖女を知る
「……どういうことでしょうか……? 聖殿の主は聖女なのでは……?」
困惑するリーゼロッテにテオは自嘲気味に笑った。
「そうだよ。でもフリッツはそれを逆手に取った……マリーを籠絡させてね」
声を低くした彼は珍しく大きなため息をついた。
苛立ちを隠すように笑うテオは、リーゼロッテの顔を覗き込むように見つめる。
「リーゼロッテさんは、聖女って何だと思う?」
「……この国の安寧のために神に祈りを捧げる人知ならざる能力を持つ乙女、でしょうか……?」
「うーん、半分当たりかな」
教科書通りの答えに、テオは曖昧に首を振った。
正直言って、リーゼロッテ自身もこの答えは違うと感じている。
何が違うのか明確には分からないが、ここへ来て小さな違和感が燻り始めているように思えた。
マリーの言う、やりがいのなさも関係しているのだろうか。
「じゃあもう一つ質問。聖女が祈ればこの国は平和なの?」
「それは……」
問われて彼女は答えに詰まった。
それだけではない。
リーゼロッテの中のぼやけた違和感が何なのかがはっきりしてくる思いがしたからだ。
マリーは言っていた。
『昔、戦争が起きたのも私の祈りが足りないからだ、とかまだ幼いからだ、とか散々言われて……』と。
思えば物心ついてから、聖女がいるにも関わらずこの国は平和な世とは程遠い時代を歩んできている。
しかしリーゼロッテを含め民の間で、それを聖女のせいにしている風潮はない。
「聖女の祈りで戦争に勝った」と良いように捉えている声がほとんどだ。
それほどに、聖女の力と神との繋がりを信じている。
人々が何の疑問も抱かぬ存在に、テオは明確な答えを持って逆らおうとしている──リーゼロッテには少なくともそう見えた。
答えがないことを否と受け取ったテオは頷く。
「うん、そうだよね。僕が調べた限り、過去この国は聖女の有無に関わらず戦火や災害に見舞われている。マリーが就任してから隣国との戦争もあった。もっと最近で言えばリデル家の反乱騒ぎもそれに当たるよね」
「……でもそれはもしかしたら」
「マリーが祈ってたからその程度に済んだ、とも取れる、かな?」
テオは言いながら、「確かにそうとも取れるかもね」と彼女の内心を否定しなかった。
しかしその表情は物憂げにリーゼロッテへと向けられている。
「マリーから聞いたことがあるけど、祈りに魔力は必要ない。もちろん、どこかで支援要請がかかれば聖女の魔力を披露することもあるだろうけどね。ならなんで、特殊な魔力を持つ者を聖女だなんて言って聖殿に囲うのか」
まるで聖女と呼ばれる彼女を憐れむような視線に、これ以上先を聞くべきではないと彼女の中の何かが警告する。
彼女の──いや、この国全ての人間の根幹を揺さぶるような何かを暴かれるような思いがして、思わず耳を塞ぎたくなる。
(でも……私は何も知りません。聖女のことを……知らなければならない)
恐怖心を押し込めたリーゼロッテは「続けてください」とテオを促すと、彼は憂いを帯びた笑みのまま頷いた。
「それはね、国……もっと言えば王族の権威を高めるためだよ。君だって感じたはずだ。ハイベルク家を火事から再生させた時、やたらと人に拝まれただろう? すごい力の人間を王は従えてるんだぞっていうね。君たち……聖女は王族のアクセサリーみたいなものさ」
「そんな……神は……」
想像以上の真実にリーゼロッテは驚きを隠しきれない。
縋るように呟いた神という単語に、テオは一瞬不快そうに目を細くした。
「神なんていないよ。もっと言えば祈る必要もない。聖女が国の安寧をもたらすなんて真っ赤な嘘だよ。じゃなきゃ戦争なんて起きてないし、君だってこんなところにいないはずさ」
「神が……いない……そんな、じゃあ私は……マリー様は……?」
愕然としたリーゼロッテはベッドに手をついた。
シーツの皺が波紋のように彼女の手を避ける。
聖女は神に祈る者で、捧げられるべき供物だ。
だからこそリーゼロッテは、ユリウスと離れなければならないと思っていた。
ユリウスには必ず助けると言われ、今もそれを信じている。
が、それまでの間、何もしないわけにはいかない。
国のために祈ることがユリウスのためにもなると信じて、ここにいる。
しかしそれが全くの出鱈目だったとなると、やり場のない怒りを覚えずにはいられない。
(私はまだいいです……マリー様は十年も……)
真実をマリーは知らないだろう。
たとえテオが早い段階でこの真実に辿り着いてたとしても、マリーの孤独や努力を思うと、さすがに伝えるのは憚られたに違いない。
(……もしかして、だからテオ様はマリー様のことをずっと気にかけていらっしゃった……?)
はっとしたリーゼロッテはテオの横顔を覗き見る。
いつもの斜に構えたような相変わらずの笑みが、僅かな寂寥を帯びていた。
「……かつて聖女の存在に疑問を抱いた方がいた。僕の父だ」
「国王陛下が……?」
「ああ、戦争の発端となった孤児のおかげでね」
テオの言葉に、紫電の瞳を携えた彼の姿が脳裏に浮かぶ。
「ユリウス様……」
リーゼロッテの呟きを肯定するようにテオは頷くと、話を進めた。
「そう。外国に目を向ければ聖女なんて役職がある国の方が珍しい。そこへユリウス……彼との出会いで元々聖女に懐疑的だった父上は考えを改め、聖女を廃そうとした。だがそれに真っ向から反対したのがフリッツと宰相さ」
リーゼロッテは目を丸くした。
マリーへの執着を見せるフリッツは分かるが、宰相まで反対するとはどういうことだろうか。
彼女の表情にテオはふっと笑うと、おどけたように肩をすくめた。
「ま、宰相の気持ちもわからないでもないけどね。国王が急に国の根幹に関わる部分を変えろと言い出したら、普通は乱心を疑って止めようとするもの。元々彼は保守的なところがあるし。ところがフリッツは君も知っての通り、マリーしか……いや、自分しか見えていない」
芯を突いたテオの言葉に、リーゼロッテは深く頷いた。
マリーに笑いかけるフリッツは、彼女の微妙な表情などはなから無いように振る舞っている。
そこには彼女への気遣いなど全く感じられなかった。
「当然、父上は二人を説得しようとしたよ。宰相が納得してくれた矢先、半年前に病に倒れ……こともあろうにフリッツは、父上を僕らの手出しの出せない場所に幽閉したのさ」
「……幽閉ってまさか……」
「そう、ここだよ。聖殿のどこかに父上はいる」
重々しくも神妙な表情で言い放ったテオに、リーゼロッテは一瞬息を呑んだ。
「で、ですが……マリー様のお力を陛下に使われてるのなら聖殿にいらっしゃるのは自然なのでは……?」
「おそらく、父上は治療されていない」
首を横に振るテオは、苛立ちを吐き出すように息を吐いた。
「医師と称して何人か出入していたけど、その医師の名前も出身もフリッツは教えようとしない。マリーも口裏合わせしろと言われているか、マリーの癒しの範疇にないのかもしれない。彼女は多分、真実を語れないようにされている」
リーゼロッテはもはや何から驚いていいかわからない。
先程、演技とはいえテオに襲われかけた怒りなどとうに吹き飛ぶ勢いだ。
それほどに衝撃的なことばかりテオの口から飛び出してきている。
しかし、フリッツがここまで用意周到となると一つの疑惑が彼女の胸を掠めた。
「……陛下はご病気、なのですよね……?」
リーゼロッテの疑問に、テオは微かに目を見開くも首を捻った。
「それすら怪しい、かな。正直、倒れたタイミングが良すぎるからね。フリッツが何か仕掛けた、と僕は見てる」
断定はできないものの疑惑はある──テオはそう言うとリーゼロッテを真正面から見据えた。
今なら分かる。
真紅の瞳のその奥に、隠しきれない正義の炎が立ち上っているのが。
「……助けようにも僕はここに入れない。神官も僕に靡くような子たちではないからね。困っていたところにハイベルク家炎上と君が聖女だって報せだった、というわけさ」
「じゃあ……」
「聖女付きになったのもこの聖殿に入るためだよ。君の不幸を利用した形になるけど……」
申し訳なさそうに小さく頭を下げた彼は、自嘲気味に微笑んだ。
「君が聖殿に上がる前に言っておこうとも思ったんだけど、フリッツに怪しまれたら逆に危ないと思って黙ってたんだ。ごめんね。女の子をこんなことに巻き込んじゃいけないとは思ってたんだけど……」
「ですが、フリッツ様はその……テオ様と私の仲を勘違いされるのではないでしょうか? 聖女の恋はご法度なら……テオ様は聖女付きを降ろされてしまうのでは?」
リーゼロッテの問いに、テオは問題ないというように手を横に振った。
「それに関しては心配ないよ。フリッツ自身が聖女と結婚しようとしてるのもそうだけど、歴史上でも聖女と良い仲だった男性はいるらしいからね」
「そうなのですか?」
「うん、結婚はできないけど独身を貫く代わりに男性を所望した聖女がいたらしいよ。あ、これは秘密ね。禁書庫の歴史書にしか載ってない記述だから」
軽く言ってのける彼に、リーゼロッテは感心の眼差しを向ける。
この国は何百年も続く国だ。
その国の中枢である王城の禁書庫ともなると数えきれないほどの本があるに違いない。
その中でどこにあるかも分からない聖女に関する記述を調べ、それを覚える──並大抵の労力ではないだろう。
今披露した知識の他に、リーゼロッテの魔力を見破ったのもテオだ。
おそらく、歴代聖女の記述をほとんど覚えているのではないだろうか。
何が彼をここまで駆り立てるのだろう。
リーゼロッテの視線に、照れ隠しのように目を瞑った彼は「それに」と付け加えた。
「権力を利用して友人の婚約者を奪った人でなしだと勘違いしてくれたままの方が、こっちも動きやすくなるからね。いい目眩しだよ」
テオは悪戯っぽく笑う。
確かに、リーゼロッテをユリウスから奪うために聖女付きになったと思われた方が、国王を探しているテオにとっても良いだろう。
上手くいけば監視も取れるかもしれない。
「それよりも、君こそ僕なんかの話、信じちゃって大丈夫? もしかしたら全部嘘かもよ?」
冗談めかした彼の軽い口調に、僅かながら試すような声色が混ざる。
(嘘かもしれない……確かに、言われてみるとそうですが……)
「……テオ様は……嘘はつかない方、だと思います。隠し事はされますが」
「あはは。痛いところを突くね」
「それに……ユリウス様のご友人ですから」
リーゼロッテは沈みかけの夕陽のようなテオの目を見つめた。
その目が微かに見開かれる。
リーゼロッテは気づいていなかったが、『ユリウスの友人』という意味には二つの意味がある。
ひとつは、信頼するユリウスの友人が信用できないわけがない、という意味。
そしてもうひとつが、『直感』を持つユリウスが選んだ友人が悪人なはずがない、という意味だ。
彼女はもちろん、前者の意味で言ったつもりだろう。
裏のなさそうな曇りない深海色の瞳が、それを物語っている。
「…………なるほどね。確かにそうだ」
テオはユリウスがどうしてこの女性を選んだのか、今更ながら分かった気がした。
「……その、いつから、このようなことを計画を……」
「うん、君に会った時からかな」
あっけらかんと言い放つテオに、リーゼロッテは口をぽかんと開けかけた。
(そ、そんなに前から……?!)
テオと出会ったのはユリウスの屋敷で働き出してやっと慣れだした頃だ。
となるとかなり前から目をつけられていたことになる。
「正確には君が魔力を暴走させた時からだね。あの時フリッツに君のことを言って聖殿入りさせてもよかったんだけど……ユリウスが君のことを気に入ってたようだったからね。さすがに友人の恋路を邪魔なんてできないだろ?」
「そう、なのですね……」
「あのタイミングで入殿してもどうにもならなかったから、結果的にはよかったよ」
「え?」
リーゼロッテの声など聞こえなかったかのようにテオは微笑んだ。
その微笑みにどことなく拒絶の色を感じ取った彼女は、今まで一番聞きたかったことを口にする。
「ですがそこまでして、どうして……テオ様の目的は一体何なのですか?」
「目的かい?」
彼は微かに口端を上げる。
冷笑のようにも見えるが、その瞳が灼熱の炎のように燃え上がり、幾分か情熱的な色を帯び始めた。
「この国からの聖女の解放……それが僕の目的だよ」
「か、解放……そんなことができるのですか?」
「できるよ。陛下さえ押さえることができればね。陛下の幽閉の証拠を掴み、フリッツを引き摺り下ろす。そうすれば君は……君達は自由の身だ」
リーゼロッテは首を傾げた。
確かに、幽閉されているという国王を探し出し、治療の有無を証言してもらうのが良いとは思う。
しかしそれだけではまだ「原因が分からず治療が始められなかっただけ」という言い逃れができてしまうのではないか。
それ以前に国王は声も出ない手足も動かない昏睡状態だ。
証言どころか意思表示すらできないのではないか。
不安げに見つめるリーゼロッテに、テオはいつもの軽い微笑みを返す。
その視線は遠く、別の誰かを見ている気さえした。
(……もしかして、テオ様は……)
「長話をしてしまったね。そろそろネズミも戻ってくるだろうし、お開きにしようか」
「あの……」
ベッドから立ち上がったテオに、リーゼロッテは声をかけた。
振り向いたテオは若干困ったように微かに首を傾ける。
「テオ様がここまでされるのは、国王陛下の意思を継いでのことでしょうか……? それとも……」
「ははは。そんな立派な話じゃないさ」
マリーのため、と聞きかけた言葉を彼の笑いで遮られる。
まるで指摘されるのを嫌がるようなその不自然な笑い声を打ち消すように、テオはいつもの微笑みを作ろうとした。
「君が……君たちが手放せないものを、僕は手放す。ただそれだけの話だよ」
じゃあね、と部屋を出て行くテオの声が、いつもよりも寂寞を潜ませているようにリーゼロッテには聞こえた。




