93.ユリウスは時を待つ
騎士団の詰所で仕事に没頭していたユリウスは、ふと一枚の羊皮紙を認めると微かに口端を上げた。
(仲良くやっているようだな……)
羊皮紙に書かれているのはリーゼロッテからの近況だ。
聖殿に上がってから聖女マリーと話したことやエルたちとの再会などが、優しげで慎ましさを感じさせる嫋やかな文字で綴られていた。
ユリウスの身体を気遣う言葉で締められたそれに、彼女の細やかな心遣いが感じられて読むたびに彼は目を細めずにいられない。
リーゼロッテと離れてからというもの、彼は仕事にかかりきりだ。
彼の姿を見た使用人は「リーゼを忘れようとされているのでは?」と憐れみの目を向けてくるが、そうではない。
彼は辺境伯だ。
領地を疎かにするわけにはいかない。
彼女を助けに行くその時までに、二、三日は彼がいなくても良いような体制を整える──彼はそのために働いていた。
(仕事は粗方片付いてはいるが……あとはいつその時が来るか、だな)
「ユリウス様、馬の準備ができました」
いつの間にそこにいたのか、騎士団長が扉の前で敬礼をしていた。
「ああ、今行く」
ユリウスは羊皮紙を懐に入れると席を立った。
団長の先導で薄暗い階段を降りる。
詰所はいつ来ても少し埃っぽいな、と咳払いをすると、前を行く団長が軽く笑った。
「……なんだ」
「いえ、英雄ユリウス様でもあんな表情するんだなとね」
「あんな表情……?」
首を傾げたユリウスに、団長は肩をすくめた。
「自覚ないならいいですよ。でも女子供の前であんな顔されたら仕事にならないんで集中してくださいね」
気安い口調で返した団長は、騎士には珍しく平民出身だ。
先の戦争でユリウスの実力に真っ先に目をつけ、それを利用した作戦を見事に嵌らせた経験がある。
戦術に長けている点を買われただけの平民と罵られることもあるらしいが、それを全部実力で黙らせてきた豪傑でもある。
そんな彼に表情を指摘され、ユリウスはたじろいだ。
「……そんなにだらしない顔はしてなかったつもりだが……」
気を引き締めるように顔に力を込めるユリウスを、団長は苦笑しながら見つめた。
──逆ですよ、逆。あんな別嬪な顔で笑ってたら女子供に囲まれちまって仕事にならねぇってんだ。
などと考えながら。
ユリウスが詰所を出た頃、リーゼロッテはテオにベッドに押さえつけられていた。
見上げたテオの顔はいつも通りだ。
むしろこんな状況でもいつもの笑みを浮かべたままの彼が、恐ろしい。
それ以上にいくら軟派な人物とはいえユリウスの友人の彼が、こんなことをするはずがないと、リーゼロッテは目の前の現実を信じたくない気持ちでいっぱいだった。
それを裏切るように、テオは薄い笑みのまま口を開いた。
「いやー、君がすんなりユリウスの元から離れてくれてよかったよ。さすがに白の軍神とやり合うのは僕でも骨が折れるからね」
「な……にを……」
リーゼロッテは抵抗しようと平手を打った──しかしそれも、テオの手に腕を取られ叶わない。
むしろ拘束するように両腕を掴まれ、身動きが取れなくなった。
必死に首を振る彼女を前に、テオは動じない。
「……でもこうして君は聖殿に入ってくれた。君は僕のものだよ」
そう言って彼はリーゼロッテの首に唇を寄せる。
「や、やめてください! テオ様!」
しかしその唇は首には押し当てられず、耳元に寄せられる。
「……これ以上は何もしないから、しばらくじっとしてて」
「……え……?」
小さく目を見開くと、テオのくすり、と笑う声が聞こえた。
確かに、鼻先が付くほどに彼の顔が近づくもそれだけだ。
まるで誰かに見せつけるように身体中に口付ける振りをしている。
リーゼロッテは訳もわからず、ただテオに言われた通りじっと待った。
しばらくして、テオの動きが止まり手首の拘束が取れた。
「……行ったか……もういいよ。ごめんね、変なことして」
身体を離した彼は、ベッド際に腰掛けると頭を下げた。
「……どういうことかご説明いただけますか……?」
唐突に襲われ、突然謝罪されるなどいいように弄ばれて流石にいい気はしない。
身体を起こしたリーゼロッテは、今まで出したこともない低い声でテオに詰め寄る。
しかしテオは慌てて両手を前に出した。
「ごめんって。そんなに怒らないで? 天井裏にネズミがいたから追い払っただけだよ」
「ネズミ……?」
「ああ、監視だよ。多分フリッツのね。情事を覗き見るような下衆な趣味はなかったみたいでなんとかなったけど」
「お、お待ちください……! 監視ってどういう……?」
「決まってるじゃないか」
戸惑うリーゼロッテに、テオはいつもの笑みを消して答える。
「フリッツは君や僕に知られたくないことがここ……聖殿にあるからだよ」




