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91.第四王女は悔しい

一部加筆しました。

大筋は変わってません。

 唖然とするリーゼロッテに、クリスタはさも当然のように続けた。


「聖女の勤めは国の平和を祈ること、国民の幸福を願うことでございましょう? ならば国民の一人である私の幸福のためにお茶を淹れていただけませんこと?」


 気づけばクリスタのあどけない顔に敵意が滲み出ている。


 やはりあの時感じたのは気のせいではなかった、とリーゼロッテは一瞬背筋を伸ばした。


(……でも、どうしてでしょうか。怖くない……気がします)


 リーゼロッテは視線を外したクリスタをまじまじと見つめた。


 優男の系統の兄達とは違い、微かに上がった目尻や細い眉からどこか冷たい印象を受ける。


 その彼女から出される敵意が、どういうわけかリーゼロッテに害をなすものではないように感じた。


 ディートリンデやダクマーの、全身から醸し出された悪意の方が余程脅威に思える。


 どちらかというと、クリスタのそれはリーゼロッテに挑みかかるようなものに感じられた。


(……お茶は聖女の勤めに含まれる……の、でしょうか……?)


 いささか疑問はあるが、もしかしたらマリーがいなくなった先、これから国を担う聖女として相応しいか試しているのかもしれない。


 ならばそれに応えないわけにはいかないだろう。


 リーゼロッテはゆっくりと頷いた。


「承知いたしました。少々お時間をいただきたく存じます」


「ええ。お願いいましますわ」


 さして期待していない表情でクリスタは淑やかに返した。


「リーゼ……」


 踵を返したリーゼロッテをデボラが呼び止める。


 心配そうに眉尻を下げる彼女に、リーゼロッテは笑いかけた。


「大丈夫です、デボラさんは何かあった時のために控えておいてください」


「でも……分かったよ」


 何かを言おうと口を開きかけたデボラはそれを飲み込み頷いた。


 出会ったばかりのおどおどとした彼女ならば、無理にでも止めるか、こっそり自分の淹れたものと差し替えるかしただろう。


 しかし今のリーゼロッテは非常に落ち着いている。


 それに彼女には使用人が元々少ないユリウスの屋敷で奉公人として働いていた経験がある。


 それこそお茶の淹れ方から掃除洗濯に至るまでなんでもこなしていたほどだ。


 堂々とした立ち振る舞いに、デボラは引き下がった。


 そのままクリスタのパラソルが見える位置につくと、二人を視界に入れて様子を伺う。


(さて……どうしましょうか)


 茶器を前にしたリーゼロッテは思案する。


 お茶を淹れるなどユリウスと辺境を出て以来だ。


(そういえば、以前ユリウス様に淹れていただいたお茶は美味しかったわ……たしかやり方は……)


 懐かしむように目を細めると、リーゼロッテはユリウスに教えられたように淹れ始める。


 ユリウスが添えた手の感触を思い出す。


 頭上から直接耳に響かせるような低く落ち着いた声や、背中に染み渡るような彼の温もり──そのひとつひとつを思い出しては、リーゼロッテはそれらを慈しむように微笑んだ。


 あの頃は少し触れられただけでも胸が高鳴り、くすぐったい気持ちになったが、今は彼に触れたくて触れたくてたまらない。


 離れても身体が、記憶が覚えている。


 簡単に忘れたりなどできない。


 リーゼロッテはただそれが嬉しかった。


 ややあって、彼女はワゴンを伴いクリスタの元へと戻ってきた。


「どうぞ、お召し上がりくださいませ」


「…………」


 クリスタの前に音もなくティーカップを置くと、数歩下がって控える。


 ふわり、とお茶のいい香りが漂う。


 カップを手に香りを楽しむと、神妙な顔つきのクリスタは口をつけた。


 微かに細眉が上がるのが、デボラには見えた。


「……お上手、ね」


「ありがとうございます」


 頭を下げたリーゼロッテを軽く一瞥すると、クリスタはカップを下に落とす。


 あ、とデボラが声を上げた時には既に遅し。


 ぱしゃり、と音を立て彼女の黄色のドレスの裾に赤錆色の紋様を描いた。


「……あら、お茶が跳ねてしまったわ。どうしましょう。お兄様からの()()()贈り物ですのに。聖女様」


 わざとらしくリーゼロッテに見せつけるようにクリスタはドレスを摘み上げた。


「承知いたしました」


 すぐさまリーゼロッテは歩み寄ると、懐からハンカチを取り出した。


 その一部を水魔法で湿らせると、お茶の染みに押し当てる。


 ドレスを挟み込むように乾いた面を裏側に当て、ややあって彼女はハンカチを広げた。


 ハンカチにお茶の染み以外は移っていない。


 ドレスも色落ちしていないようだ。


 これなら大丈夫だろう。


 しばらくハンカチを押し当てると、ドレスからお茶の染みは完全に消えていた。


「……これでひとまずは。あとは風に少しさらせば良いかと思います」


 リーゼロッテは立ち上がると、再びクリスタの背後に控えた。


「………………」


 クリスタは染みの取れた、少し湿り気のあるドレスをじっと見つめている。


 その表情は相変わらずの澄まし顔だが、ほんの少し瞳が動揺で揺らぐのをデボラは見逃さなかった。


「あの……クリスタ様……?」


 何も言わないクリスタを不審に思ってか、躊躇いがちなリーゼロッテの呼びかけに、はっとしたクリスタは椅子から立ち上がる。


「……お茶会はお開きにいたしましょう。お片付けもお願いしますわ。聖女様」


「は、はい。本日はお招きいただきありがとうございました」


「……いえ。それでは失礼いたしますわ」


 素直に頭を下げたリーゼロッテに、僅かに表情を曇らせたクリスタはその場を後にした。


「……ただの伯爵令嬢かと思えば……あの聖女……一体何者……?」


 去り際に悔しそうに呟いたクリスタの声は、リーゼロッテやデボラには聞こえなかった。


 クリスタと侍女の姿が完全に見えなくなったところで、デボラは片付けを始めるリーゼロッテに駆け寄る。


「リーゼ、大丈夫かい?」


「え、あ、はい」


 大丈夫かと問われた理由がわからず、曖昧に頷いたリーゼロッテに、デボラは安堵のため息をついた。


「しかし王女も……なんだってリーゼにこんな雑用みたいなこと……」


「……でも、辺境にいた頃のことを思い出して少し……不謹慎ですが、楽しかったです」


 くすり、と笑ったリーゼロッテに、デボラは驚き思わず口をあんぐりと開けた。


「え? で、でも王女はかなり無茶振りしてたんだよ? どう考えても嫌がらせじゃないか。テオドール様に言って辞めさせてもらった方がいいよ」


「そうでしょうか……でも、もう少しだけ私に任せていただけませんか? 多分……大丈夫だと思います」


 リーゼロッテの自信に満ちた表情を浮かべている。


 クリスタの振る舞いは明らかにおかしかった。


 国王ですら聖女を敬い『様』を付けて呼ぶというのに、王女が聖女を使用人や下女扱いするなど聞いたことがない。


 そんな王女の悪態をものともせず、向かってきた彼女をリーゼロッテは撃退した形だ。


 しかも本人はそれに気づいていない。


 それどころか楽しかったと(のたま)うほどだ。


 随分と強くなったじゃないか、とデボラは感心した。


 半ば諦めたように息をつくと、デボラはリーゼロッテの肩を叩く。


 軽く叩いたつもりだったが、細い身体には結構な衝撃だったのか彼女は数歩たたらを踏んだ。


「そうかい……でも何かあったらすぐ言うんだよ?」


「わ、分かりました」


 肩をさすりながらにっこりと笑ったリーゼロッテが、デボラはとても頼もしく思えた。

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