90.ユリウスは戻ってきた
「おかえりなさいませ、ユリウス様」
出迎えたザシャに、ユリウスは微かに眉根を上げた。
いくら屋敷に使用人が少なくとも、従僕のロルフではなく、料理人のザシャが主人の帰りを出迎えるなど珍しい。
エルが聖殿に召集されるのを受け、後ろ髪引かれる思いで帰宅を急いだ彼は、道中食事もろくに取らなかったせいか少しやつれて見える。
元々白い肌がさらに透き通ってどこか青く頼りない表情が浮かぶ。
王都に出かける前とは全く違う主人の様子に、ザシャは眉をひそめた。
「……メシ、作ったんで着替えたら早く食べてくださいよ」
「……分かった」
彼なりの励ましなのだろう。
素っ気なく言い放ったザシャの声に、気遣いが垣間見える。
「……あいつは戻らないんですか?」
「……ああ」
ユリウスは頷くと、ハイベルク家にテオが訪ねてきた時のことを思い返していた。
テオはあの日、主にディートリンデについて聞きに来ていた。
騎士団に拘束された彼女は、供述に一貫性はあるものの、異世界や転生など突飛な話が多く報告書の作成すら難航していたという。
責任逃れか審判を遅らせようとしているのではという声が上がるほどには、ディートリンデの話を理解しがたいものだったらしい。
そこで彼女と関わりのあった人間に、彼女の人となりを聞くことになったようだ。
もちろん、それは数日の付き合いであるユリウスも例外ではなかった。
「何か思い当たる点はないかな?」と問うテオに、ユリウスはすぐさまずっと引っかかっていたことを伝えた。
すなわち、「この世界は作り物で、ディートリンデはこの世界を作った神と同じ世界の人間だ」と。
強気で自己中心的な彼女の性格ならば、「神にも等しい」などと回りくどい言い方をしない。
端的に「自分が神だ」と言うだろう。
酔っ払いの戯言としてひとまず置いてはいたが、改めて考えてもおかしいと思った。
そういった趣旨のことを伝えた時のテオの瞳は忘れられない。
まるで宝物でも見つけたような、歓喜と好奇心とが入り混じった少年のそれだった。
その瞳を携えたまま、テオは口端を上げる。
「なるほどね。それが本当ならば……本当の鍵はディートリンデ嬢になるね」
呟かれた言葉の意味は分からないが、以前のテオの言葉が何故か脳裏に浮かぶ。
『企むも何も、彼女をあるべきところに帰そうとしているだけさ。聖女ならばそれが運命だ……聖女という理由だけで全てを神に捧げなくてはならない。それがこの国の安寧のためだからね。非常に残念だけど』。
あの時は軽く流してしまったが、彼の口振りは聖女が聖殿に上がることを良しとしない物だったように思える。
(となると……テオの目的は……私の目的と一致する可能性が高い)
俯き加減の紫電の瞳が強い光を放つ。
「……必ず連れて帰る」
決意に満ちたその表情に、一瞬気圧されたザシャはやれやれと両手を上げる。
──なんだ全然落ち込んでねぇじゃん、と彼は内心苦笑した。
「……分かりましたよ。何か協力できることがあったら言ってください。つっても飯作るくらいしかできねぇけど」
「十分だ」
(……まずは……地盤を固めなければなるまい)
ユリウスは部屋へと向かいながら、来たるべき時に備えるため考えを巡らせていた。
その日の昼下がり。
リーゼロッテはデボラを伴い王城の内庭に来ていた。
クリスタのお茶会に招かれたためだ。
エル達が到着してしばらくした後に、ヘッダがお茶会の知らせを届けてきた時、リーゼロッテは一瞬戸惑った。
挨拶の時に彼女から向けられた視線や食事会での冷たい態度から考えるに、あまり良い感情を持たれていないのではないか。
リーゼロッテには、そんな相手の懐に入った経験がない。
今まで敵意を向けていた相手を避け、ディートリンデのように悪意をぶつけてきた場合は嵐が過ぎ去るのを待っていた。
しかし相手は王女だ。
相手が納得できる理由なく断るのは角が立つ。
クリスタが何故、敵意を向けてきたのか、それともリーゼロッテの勘違いだったのかを確かめるためにも避けるわけにはいかなかった。
それ以前に、ここで王女を避けてしまったらいざ再会を果たした時に、ユリウスに顔向けできない気がする。
全く成長していない自分を見て、彼はガッカリするのではないか。
(……強くなると決めたのです……しっかりしなくては)
自分に言い聞かせ、彼女は地を踏み締め歩みを進めた。
白亜の噴水の奥の開けた一角に、白のパラソルが大きな日陰を作っている。
その下に数人の侍女を従え、椅子に腰掛けているクリスタがいた。
大人びた所作の彼女は、九歳という年齢を感じさせない程優雅に振る舞っている。
「本日はお招きいただきありがとうございます」
リーゼロッテが恭しく礼をすると、クリスタは立ち上がった。
「……こちらこそ、ご足労いただきありがとうございます。一度聖女リーゼロッテ様と二人きりでお話ししたかったので」
クリスタの声に若干刺々しさはあるものの、責めるような敵意は鳴りを潜めている。
(あれは気のせい、だったのかもしれませんね……)
やはり王女とはいえ、目の前の少女が鋭い敵意を向けるとは到底思えない。
「まずはそうね……お茶を淹れていただけませんこと? 聖女様」
「……え……?」
ほっと息を吐いたのも束の間、澄まし顔で言い放ったクリスタにリーゼロッテは呆気に取られた。




