88.リーゼロッテは夜風に当たる
なんとも気まずい雰囲気のまま食事会は終了し、各自部屋に戻っていった。
皆に倣い部屋に戻ったリーゼロッテだったが、どうにも落ち着かない。
フリッツはどうも時の魔力を使わせたくなさそうなのは分かる。
が、テオもまだ使って欲しくなさそうな様子だった。
二人の息子に回復を望まれていないようで、国王が気の毒に思えた。
リーゼロッテの知る限り、国王は基本的に穏やかで義理堅い。
先の戦争も、水面下で戦争回避のために隣国と交渉していたらしいが、それも突っぱねられていたため、やむを得ず開戦に踏み切った経緯がある。
そんな国王も子供に対しては寛容ではなかったのか、それとも──。
(……お二人は何か企んでいらっしゃる、のかも)
その計略が何なのかは分からないが、いずれにしても自分が鍵となりそうなことだけは分かる。
二人の王子の間でどう立ち回っていいものか、社交場すら得意ではなかったリーゼロッテには考えても答えが出ない。
ベッドに横になっていた彼女は身体を起こした。
(……少し外の風にあたりましょう)
リーゼロッテはヘッダに断ると、聖殿の中庭に来た。
ヘッダもついてくるかと思いきや、「いってらっしゃいませ」と送り出されてしまった。
聖殿は城の中にある。
夜間でも兵が警備を怠らない王城だからこそ、ついていく必要がないということなのだろうか。
一人になりたかったリーゼロッテにはちょうど良かったが、若干無用心な、と思う気持ちもなかったわけではない。
僅かな月明かりを拾う中庭の噴水が、控えめに飛沫を上げている。
心地よい風が吹き、噴水の描く放物線が軽く揺れた。
その奥に、何か動くものが見えたリーゼロッテは一歩後退る。
誰かしら、と息を殺して目を凝らす。
「あ…………」
奥にいたのはピンクゴールドのふわふわの巻毛に、リーゼロッテと同じ純白の長い法衣を身につけた人物──マリーだった。
赤みを帯びた瞳が、飛沫を受けたように濡れている。
どうやら泣いていたらしい。
あまりじろじろ見るのも良くないと思い、リーゼロッテは軽く会釈するとその場を立ち去ろうとした。
「待ってください」
微かに鼻にかかったような声で、マリーは彼女を引き留めた。
マリーの方からは月光に照らされたリーゼロッテがよく見えたらしい。
真っ直ぐに彼女はリーゼロッテを見据えていた。
「あの……少し、お話ししませんか?」
細く噴き上がる噴水越しに聞こえた声に頷いたリーゼロッテは、暗がりにいるマリーの元へと歩み寄った。
暗がりの中に白亜のベンチがあり、彼女はそこにちょこんと腰掛けている。
その隣にリーゼロッテが座ると、マリーは顔を上げて口を開いた。
「リーゼロッテ様……あの……卒業パーティーの時は申し訳ございませんでした。私が……どちらが犯人か断言できたらよかったのですが……」
マリーの謝罪に、リーゼロッテは何のことだか分からず微かに首を傾げた。
その謝罪が、聖女迫害の冤罪の件だと思い当たり、彼女は慌てて首を振った。
「……あ、ああ、そんな、良いのです。姉と見分けがつかないと両親からもよく言われていたので」
(忘れていました、とは言える雰囲気ではありませんね……)
リーゼロッテは内心ひとりごちると、曖昧な笑みを浮かべた。
「ですがそのせいでリーゼロッテ様は辺境に追放されたと聞きました。とても辛い日々を過ごされたのではとずっと気がかりで……」
「いいえ」
可哀想なくらい眉尻を下げたマリーに、リーゼロッテはゆっくりとかぶりを振る。
「ユリ……辺境伯はとてもお優しいお方でした。大切にしていただいて……辛かったことなどありません。テオ様ともその時に知り合えましたし。ですからマリー様がお気に病むことはございません」
隣に座るマリーに向き合う。
リーゼロッテは真にそう思っていた。
追放された当初は不安でいっぱいで、どうにか追い出されないようにと必死だったが、追い出される気配など微塵もなかった。
それどころかユリウスを始め使用人の面々が彼女に優しく接してくれ、認めてくれたことで追放される前よりも今の自分の方が自信に満ちている気さえする。
(ユリウス様と出会わなければ、今の私はいなかったと思うと……)
彼女は頬をうっすらピンク色に染めると、マリーに穏やかに微笑んだ。
その表情に思うところがあったのか、マリーは微かに目を見開き、微笑み返す。
「リーゼロッテ様……お優しいのですね」
「そ、そんなことは……」
「……ありがとうございます。肩の荷が少し降りた気持ちです」
マリーはそう言うと、思い悩むように眉を寄せる。
とても肩の荷が降りたとはいえないその様子に、リーゼロッテは小首を傾げた。
「あの……っ……」
やがてマリーは、意を決したように裏返った声を上げた。
思い詰めた表情に、リーゼロッテは思わず居住まいを正す。
「はい」
「その……て、テオドール様とは、どんなご関係なのでしょうか……っ!?」
「え?」
「……その……すごく、親しげに見えた、ので……」
(親しい……のでしょうか……?)
必死に言葉を紡ぐマリーに、リーゼロッテは考え込んだ。
リーゼロッテがテオに対して抱く感情は、この国の王族に対する畏怖の念がもちろんある。
しかしそれ以前に彼はユリウスの友人だ。
いうなれば想い人の友人でしかない。
テオも気安い態度で接しては来るが、ユリウスやフリッツ、クリスタとの接し方を見るに、大体の人間に対して似たような態度を取っているのだろうことは想像に難くない。
親しい、と言い切れるものか判断がつかず、リーゼロッテは思考を巡らせながら答えた。
「テオ様は……ユリウス様、辺境伯のご友人であらせられます。なのでたまたま辺境にいらっしゃっていた時に知り合いまして……」
「そうなのですか……? ですが、愛称で呼ばれているので相当深い仲なのではありませんか?」
猜疑の色が濃いマリーの声に、リーゼロッテは再び考え込む。
よくよく考えてみたら、ユリウスでさえ敬称付きだ。
彼女は今まで愛称で呼びあうような相手などほとんどいなかった。
その中で愛称呼びのテオとエルは例外とも言える。
(エル様は『長い名前で煩わしいから』とおっしゃられてましたが、テオ様は…………)
「……辺境では身分を隠されているお立場でしたので、あえて愛称で呼ばせていたのだと思います。テオを愛称に持つ名前はいくつかありますし……」
思いつく理由を述べると、マリーは毒気を抜かれたように瞬きを二、三回した。
「そう、なのですか……?」
「はい。私にとってテオ様はユリウス様のご友人ですし、テオ様にとっての私は友人のこんや……」
婚約者、と言いかけて飲み込んだ。
結局、ユリウスとの婚約は父には認められないままだった。
(ユリウス様と私は……恋人?……いやそんなの烏滸がましすぎる気が……でも奉公人もそれはそれで足りないような……)
「……時の聖女、だと思います」
「そうなんですね……」
真っ赤な顔を両手で挟みながらようやく言葉を発したリーゼロッテを、どこか得心がいったような声でマリーは微笑んだ。
ほっとしたように息を吐いたマリーもまた、頬が微かに染まる。
「あの……私は実は、テオドール様を……お慕い、しているんです」
「え! あ、そうなのですか?!」
「だからその……新しい聖女が見つかって、聖女付きにテオドール様がなると聞いて羨ましくて……ちょっと嫉妬しちゃいました」
「マリー様……」
(全然気付きませんでした……)
驚いたリーゼロッテはマリーとテオの様子を思い返してみるも、そんな素振りは全くなかった。
しかしテオのことを突然聞いてきたりと、そう言われてみればマリーの行動に理由がつく。
確かに、意中の相手が他の女性に仕えるとなると心配にもなるだろう。
言葉の出ないリーゼロッテに、呆れられたと思ったマリーは肩をすくめた。
「子供っぽいですよね、ホント」
「そんなことは……私も誰かを羨ましいと思う気持ちはありますから」
首を横に振ったリーゼロッテはマリーの手に自らの手を重ねた。
涙で冷えたマリーの手がじんわりと温まっていく。
その手をじっと見つめていたマリーは顔を上げた。
「リーゼロッテ様……こんなこと、初めて人に言いました。今までずっと、神官さんやフリッツ様しか話し相手がいなかったから、とっても嬉しいです」
ふと漏らした彼女の本音に、リーゼロッテは彼女の境遇を慮った。
四歳で癒しの魔力を発動させた彼女は、聖殿に連れてこられた。
見た限り、聖殿に子どもはいない。
大人ばかりの中、しかも公爵家の養女となった彼女は親とも会えず、同年代の人間はフリッツしかいなかった。
学院に通っていたときも、なんだかんだフリッツが彼女に近づく人間を遠ざけていた気がする。
聖女として国内の儀式や支援要請に応じるために、礼儀作法なども覚えなければならなかっただろう。
そんな閉塞感の中でたった一人、心細いどころの話ではない。
(でも……)
「マリー様は……フリッツ様と……」
「……婚約するのか、ですよね?」
言い淀んだリーゼロッテの言葉の続きを、マリーはやや沈んだ表情で口にする。
フリッツの求婚はまだ正式なものではない。
断ろうと思えば断れる段階だ。
聖女を解任されようが元聖女として市井に下り、活躍した者も少なからずいる。
テオへの気持ちを考えると、マリーが取る選択は婚約の辞退しかあり得ない──と、リーゼロッテは考えていた。
しかし、沈痛な面持ちのマリーは俯き加減に口を開く。
「……私には選択権がないのです。あの方がこう、と言ったら従うし、やっぱりこっちがいいと言ったら意見を変えないといけない。だから婚約してほしいと言われたら婚約……しなきゃならない……」
「そんな……」
(そんな、言う通りにしなければならないって……)
涙を堪えながら声を絞るマリーに、リーゼロッテは締め付けられる思いだ。
熱のこもった息を吐くと、マリーは自重気味に続ける。
「聖女解任は嬉しかった……でも解任されたら聖殿にはいられなくなる。テオドール様にももう、二度と会えなくなる。だからって城にいたいがためにフリッツ様と結婚するのも……」
「マリー様……」
「あはは、私……どうしたらいいんでしょうね……」
力なく項垂れたマリーに、リーゼロッテはかける言葉が見つからない。
マリーがフリッツの言いなりになっている理由はわからない。
聖女と聖女付きの関係性から来るものなのか。
それともそうしなければならないとマリーが思い込んでいるだけなのか。
何も分からないままに、無責任な慰めなど口にできるはずがなかった。
何故、と聞けば答えてくれるだろうか。
安易に踏み込めばただ悪戯に傷つけてしまいそうで、理由を聞くのは躊躇われた。
「リーゼロッテ様は……辺境伯がお好きですか?」
「えっ!」
急に槍玉に上がったリーゼロッテは裏返った声を上げた。
顔を上げたマリーは少し悲しそうに微笑んでいる。
「だって辺境伯のことを話す時は表情が全然違うから」
くすり、と笑う声が聞こえる。
学院の同級生とはいえ、マリーとは初対面にも等しい。
そんな彼女にすら見破られてしまうとは、自分はどれだけ締まりのない顔でユリウスのことを語っていたのかとリーゼロッテは赤面した。
「……………はい……」
観念したように頷く彼女を、マリーはしばらく儚いものを見るように眺めていた。
「……離れるのはお辛かったのではないですか……?」
「それは……」
マリーの問いに、リーゼロッテは答えに詰まった。
正直に話すべきか、正直に話せば神官やフリッツの耳に届いて不敬だと思われてしまわないか、と思考を巡らせる。
しかし、目の前のマリーの紅の瞳は暗がりの中でも真っ直ぐに、そしてどこか縋るようにリーゼロッテを捉えている。
「……はい。できることならば離れたくはなかったです……ですが自分で決めたことです。辺境伯も……それを認めてくださった。だから私は……自分の意思でここにいます」
「……自分で」
マリーは噛み砕くように反芻すると、法衣で隠れた腹部を触った。
彼女のきめ細やかな白い腕は、法衣に皺が寄るほど強く腹部を押さえている。
どことなく悲壮感があふれるその表情に、リーゼロッテは会食の時のマリーを思い出していた。
「……辺境伯はリーゼロッテ様のご意向を尊重する素敵な方なのですね」
「……あの……」
弱々しく微笑んだマリーに、リーゼロッテは躊躇いがちに声をかける。
夜の闇が漂う中ではマリーの顔色は分からないが、それでも先ほどより血色が良くないことは分かる。
「マリー様、お腹……痛むのですか?」
「え……?」
リーゼロッテの指摘に、マリーは微かに目を見開く。
「先ほどの会食でも途中から撫でていらしたので……それに、少し顔色が優れませんが」
「大丈夫です」
語気を強く言い放ったマリーは、顔と腹部を見せまいと身を翻した。
弾かれたように後ろ手をついたリーゼロッテに、一瞬申し訳なさそうな視線を向けたマリーはベンチから立ち上がる。
「……少し夜風に当たりすぎたのかもしれませんね。部屋に戻ります。あの、さっき私が話したこと、忘れてください」
ごめんなさい、と逃げるように立ち去るマリーの後ろ姿を、リーゼロッテは心配そうに見つめていた。
(大丈夫……でしょうか……?)
変わらず飛沫を上げ続ける噴水の音が、朧月夜にそぐわぬ雑音のように響いた。




