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87.リーゼロッテは居心地が悪い

 部屋で一息つく間もなく、テオが迎えに来た。


「あの……ありがとうございます。服とバレッタ……」


「ん? ああ、気にしないで。いいものも見れたし」


 開口一番、頭を下げたリーゼロッテに、テオは愉快そうに笑いながら手を横に振った。


(いいもの……?)


 首を傾げる彼女にさらに笑みを深くしたテオは、彼女の耳に顔を寄せる。


「大事に保管しておくからね」


 後ろに控えるヘッダに聞こえない程度の声で囁くと、すぐさま顔を離した。


 ヘッダが軽く咳払いをしたからだろう。


 リーゼロッテは咳払いが聴こえなかった振りをして、テオに微笑んだ。


 彼に預けておけば大丈夫だろう。


 ユリウスとの思い出は保全される。


 それだけで、この誰もがよそよそしく心細い聖殿でもやっていける気がした。


「夕食には少し早いけど、ちょっと紹介しておきたい子がいてね」


 と、彼は悪びれもなくウインクすると城の中の内庭に彼女を案内した。


(子……ということは女性……でしょうか……?)


 一瞬マリーの姿が思い浮かぶが、学院で会話こそあまりしたことがないものの有名だった彼女をリーゼロッテは知っている。


 今更紹介されるとも思えず、戸惑いながらもテオの手に引かれて歩く。


 白薔薇のアーチから伸びる白煉瓦(レンガ)の道の向こう、噴水の前にその人はいた。


 テオが手を降った先にいるのは、歳のころは十ほどの少女だ。


 リーゼロッテよりもやや背丈の低い彼女の黄色のドレスが、腰から可憐にふわりと広がる。


 腰までのびたやや赤みがかった金髪は、ややウェーブがあり夕日に溶け込むように煌めいていた。


 まだあどけない笑みを浮かべる顔が、リーゼロッテの姿を認めた途端にかしこまった空気を纏う。


 青くころりと丸い瞳が真っ直ぐこちらを見ていた。


「リーゼロッテ様、こちら、第四王女のクリスタ。今年で九歳になる。兄の僕が言うのもなんだけどなかなかの才女だよ。クリスタ、こちらは聖女リーゼロッテ様。仲良くね」


 にこやかに紹介するテオの横で、クリスタはしずしずと淑女の礼をする。


(クリスタ様……お噂に違わず可愛らしい……)


 第一王女から第三王女は全員、国内外の王侯貴族の元に嫁いでいるため、現在この国に残っている王女はクリスタのみだ。


 そのクリスタも、そろそろ婚約者を決める大事な時期なのだが、肝心の国王が臥せってしまい婚約者候補を絞る段階で中断している。


「よろしくお願い致します」


 リーゼロッテが頭を下げる。


 瞬間、クリスタから刺すような視線を感じたリーゼロッテは身体を強張らせた。


(なに……?)


 顔を上げようとも思ったが、まさか目の前の少女から発されるものだと確認したくなくて、リーゼロッテはその視線が解かれるのを待った。


「……こちらこそ、よろしくお願い致しますわ。お兄様、聖女様にその言葉遣いは距離が近すぎるのではなくて?」


 矛先を兄に向けたクリスタに、リーゼロッテは内心ほっとする。


 あの類の視線は記憶にある。


 睨め付けるような殺気にも似た強い視線──敵視だ。


 が、会ったばかりの彼女から向けられる覚えがなく、リーゼロッテは困惑した。


「はは、クリスタはしっかり者だなぁ。極力気をつけるよ」


「そういうことではなく……」


 リーゼロッテとクリスタの心の内を知ってか知らずか、朗らかに笑うテオをクリスタはため息混じりに見つめた。















「新たな聖女、リーゼロッテ様の入殿を祝して、本日はささやかながら食事を用意させてもらった。ゆるりと楽しんでほしい」


 フリッツの挨拶を終え、会食は始まったのだが──。


(楽しむ、と言われましても……)


 リーゼロッテは食事に集中する振りをして周囲の様子を伺った。


 必要以上に長いテーブルの一番奥にフリッツが、機嫌良さげにマリーと何かを話している。


 マリーはそれににこやかに応じてはいるが、どこか愛想笑いを浮かべているようにも見えた。


 継承順位の順で並んでいるのだろう。


 その向かいにはクリスタが澄まし顔で食事を行い、少し離れてテオとリーゼロッテがいる。


 どことなくクリスタから視線を感じるような気がして、テオに話しかけるのは躊躇われた。


 かといって他の者に気軽に話しかけられるほど、リーゼロッテの神経は図太くもない。


 しばらくフリッツの調子の外れた声と、食器の音が響いた。


 あらかた食事が済んだ頃、切り出したのはテオだった。


「そういえば、陛下には婚約解消と時の聖女の件、お伝えしたのかい?」


 テオの問いかけに、デザートを掬うフリッツの匙が止まる。


 微かに下を向いたフリッツは、その匙を置くと視線を横に逸らした。


「……いえ、まだ。お加減が良くないようなので」


「マリー様の治療を受けているのだろう? そろそろ良くなってもいいのではないかな?」


 テオの言葉にリーゼロッテは気付かされる思いだった。


 国王が病に倒れられてからかなり経つ。


 リーゼロッテのみならず、国民のほとんどが全く表に出てこない国王の病状を気にかけていた。


 しかし、よく考えてみれば癒しの聖女がこれほど近くにいるのだ。


 その力を国王に使っていないわけがない。


 矛先を向けられたのを感じたのか、マリーが視線を宙に巡らせる。


「その……私」


「マリーは良くやってくれています。父上のお加減がそれ以上に悪いだけです」


 彼女を庇うように言葉を遮ったフリッツは、テオを若干鋭い目で見つめた。


 マリーは続く言葉を飲み込むように口を閉ざすと俯く。


 その様子を、クリスタがさして面白くもないように黙って見つめていた。


「原因不明()()()しねぇ」


「それはマリーのせいではありません」


「いや、僕はマリー様を責めてないよ? ただ、これだけいろいろやっても原因すら掴めていないなら、別のアプローチを考えなきゃいけない時期なんじゃないかなぁ」


「あの……そんなに陛下の病状は悪いのでしょうか……?」


 フリッツの歯軋りが聞こえてきそうな兄弟の応酬に割って入る形で、リーゼロッテはテオに聞いた。


 クリスタを除く全員の視線がリーゼロッテに向かう。


「……お兄様、リーゼロッテ様にもご説明するべきでは?」


「ああ、そうだったね」


 クリスタの取りなしでテオはいつもの調子を取り戻す。


「もう半年ほどになるかな? 最初は声が出なくなった。それが次第に手足に広がり、最終的には寝たきり……昏睡状態になって今は僕すらも会うことができないんだよ」


「会えない、のですか?」


「うん、そう」


 継承順位が低いとはいえ第一王子すら会えないとなると病状がかなり厳しいところまで来ているのか。


 それとも──。


「あの……」


「マリー、どうした?」


 そこまで考えたところで、口を噤んでいたマリーが躊躇いがちに言葉を発した。


「……時の聖女……リーゼロッテ様に陛下の身体の時を戻してもらうのがよろしいのではないでしょうか?」


 マリーの提案に、フリッツは目を見開いた。


 テオとクリスタは相変わらず。


 そしてリーゼロッテはほんの少し頷いた。


 先程国王の病状を詳しく聞いたのは、時の魔力が役に立つのではないかと彼女自身も考えたからだ。


 しかし、自分から申し出たらそれまで治療に当たっているマリーやその他医師が快く思わないかもしれない。


 故に現状把握だけに留めたのだが、まさかマリー自身から提案されるとは思っても見なかった。


「……………リーゼロッテ様はいかがでしょうか?」


「私は……」


 若干冷たい眼差しのフリッツに問われたリーゼロッテは、僅かな逡巡ののちテオを見る。


 リーゼロッテの目から見ても、フリッツがマリーを大切に思っているのが見て取れる。


 しかしフリッツは、そのマリーの案をどうも歓迎していない様子だ。


 父を治せる可能性があるのにそれを試さない理由がわからないが、不穏な空気の王太子を前に「できる」と頷いてもいいものか──。


 リーゼロッテの迷いを読み取ったように、代わりにテオが口を開いた。


「うーん。たとえ時を戻しても原因が分からない以上、また罹るかもしれない。当面の付け焼き刃にすぎないかな」


 一息ついたテオは、それに、と付け加えた。


「リーゼロッテ様はまだ御父上の喪に服されて間もないからね。時の魔力の制御にかなり時間がかかったと聞くし、精神的に安定しないと暴走しかねないって聞いたよ。さすがにその状態で陛下に時の魔力は使えないかな。国民への聖女お披露目もまだだし、やるにしても万全に、ね」


 意味ありげにウインクするとテオは微笑んだ。


 テオの弁を聞いて、フリッツの顔から不穏な気配が消えていく。


(……やはり、フリッツ様は快く思われてない……でもテオ様は……?)


 小さく息を吐いたリーゼロッテは、再びテオを盗み見る。


 相変わらずの軽い笑みが浮かんでいるだけで、この状況に何を思っているのかは読めない。


 確かなことは、テオが時の魔力のお披露目を遅らせたことと、テオとフリッツは対立しているらしい、ということだけだ。


「そうなのですか?」


 マリーの声で我に帰ったリーゼロッテは、数度瞬く。


「は、はい。申し訳ございません、せっかくご提案していただいたのに……」


「いえ、私も配慮が足りませんでした。こちらこそ申し訳ございません」


「二人とも謝りすぎだよ? 僕は女性の恐縮した顔より笑顔の方がいいなぁ」


 謝罪しあう二人の聖女を前に、テオは冗談めかした。


 マリーが微かにはにかんだように笑うと、隣で見ていたフリッツが刺々しい視線をテオに向けた。


「ところで兄上、先程から時の魔力について聞いた、とおっしゃっておりましたが、一体どなたからお聞きになられたのですか?」


「ん? ああ、言ってなかったっけ? エルメンガルト様だよ」


 テオの答えに、フリッツは微かに息を呑んだ。


「エルメンガルト……あの最強の呪術師の……? ですが彼女は王族嫌いなのでは……?」


「うん。今は魔法医をしているって話だけどね。たまたま辺境に行った時に知り合ったんだ。ちょうどリーゼロッテ様に魔力制御を教えていらっしゃった頃だったからその時に聞いたんだよ」


「……なるほど……呪術師から魔法医に……」


 フリッツはやや圧倒されたといった表情で呟く。


 微かに顔が引き攣っているように見えるのは、リーゼロッテの気のせいだろうか。


 そんなフリッツの反応を楽しむように、テオは上機嫌で続ける。


「ちょうどいいからリーゼロッテ様の療養に付き合ってもらおうと思って、明日からこの聖殿に来るよう頼んでるよ」


 テオの言葉に、一瞬全員の動きが止まった。


 黙々とデザートを食していたクリスタでさえ、その匙を持つ手を止めている。


「……兄上、今なんて……」


「うん、だからエルメンガルト様が明日から聖殿に滞在されるからよろしく。そうだな……部屋は五の宮がいいか。ちょうどリーゼロッテ様の部屋の隣だし、使ってないからいいだろう?」


「いや、兄上、私はエルメンガルト様の件は聞いておりません」


 勝手にどんどん決めていくテオを止めるようにフリッツは声を上げるが、テオはそんなことはお構いなしだ。


「うん、今言ったからね」


 有無を言わさないにっこりとした笑みに、フリッツは閉口した。


「それに、必要なものは聖女付きの裁量で決めて取り寄せられるはずだよ。それこそ必要だと思った人間すら呼び寄せてた。今までフリッツもそうしてきただろう?」


「……そう、でした、ね……」


 思い当たる節があるのか、フリッツの返答が歯切れ悪いものになる。


 テオの言葉はフリッツを囲い込むように追い詰めている──まるで貴族で流行りのボードゲームのようだ、とリーゼロッテは思った。


「マリー様の聖女解任も考えてるんだろう? となると君はマリー様と共に聖殿を去ることになるんだ。君がいる内に君のやり方を少しでも踏襲しないとね」


「え……?」


 寝耳に水だったのか、マリーの呆けた声が出る。


 微かな喜びが混じる困惑の表情は、複雑そうにテオを見つめた。


「そ、そうです。リーゼロッテ様の国民へのお披露目が済み次第、長年聖女の勤めを果たしてくれていた彼女をその任から解きます」


「良かったねえ、マリー様。ようやく家に帰れるね」


「は……はい……」


 微かに頬を染めたマリーの声をかき消すように、フリッツは高らかに宣言する。


「いえ、兄上。彼女は私の妻に、と考えております」


「え……」


 フリッツの言葉に、マリーの顔がみるみるうちに青ざめていく。


 震える手でコルセットで引き締められた腹に手を当てると、すぐに顔を隠すように俯いた。


「あれ? でも彼女は公爵家の養子とはいえ元平民だよ? 元平民の彼女が国母、となると国内貴族の反発を喰らいそうだねぇ。正妃を別に娶るとか考えないと」


「彼女以外あり得ません」


 リーゼロッテにさえ分かるほどの呆れ声で苦言を呈するテオの声をフリッツは遮る。


 そのまま彼は席を立つと、マリーの膝下に跪いて手を取った。


 なされるがままのマリーは片手で腹部を押さえたまま俯き続けている。


(マリー様……お辛そう……)


 リーゼロッテは率直にそう思った。


 どうも先ほどから見ているに、フリッツとマリーはどこか噛み合っていない。


 フリッツは気にしていないようだが、マリーが無理に合わせているように見える。


 マリーの意思などどうでもいいと思っているのか、それとも──。


「……マリー、僕と」


「ダメだよ」


 恍惚とした表情のフリッツを、今度はテオが遮った。


 珍しく一段低い声が、怒気を孕んでいるように聞こえたリーゼロッテは、思わずテオの顔を見た。


 テオは相変わらずの笑みを浮かべているが、その目がちっとも笑っていない。


 冷笑、と言うよりも激怒しているようにも見えた。


「大事なプロポーズをこんなところでやられちゃ、マリー様も困っちゃうよね? フリッツももう少し女心とシチュエーションを考えないと」


「そうですわ。テオドールお兄様の言う通り、他所でやってくださいまし」


 テオの言葉に同意したクリスタがぴしゃりと言い放つと、さすがに分が悪いと感じたのか、


「……分かったよ」


 と、フリッツは立ち上がり、不貞腐れたように膝の埃を軽く払った。

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