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86.リーゼロッテの当惑

お待たせ致しました。

5章開始です。

誤字修正しました。

 リーゼロッテは聖殿を眩しそうに目を細めながら見上げた。


 城の中で玉座の奥に位置すると言われる聖殿は、思っていたよりも全体的に背の低い建物だ。


 それでも小柄なリーゼロッテが見上げるほどには大きい。


 荘厳な造りの入り口の扉を中心に、左右対称に回廊が連なり、四方を突き上げるように細い塔が伸びる。


 ところどころ弧を描く意匠が凝らされているのは女性らしさを表現しているのか、白さと相まってまさに聖女の住処といった様相だ。


 無言で見上げていたリーゼロッテの手をテオが取る。


 いつもの地につきそうなほどの黒マントはなく、髪色と同じ赤を基調とした詰め襟付きの服を着ていた。


 マントがあった頃から垣間見えていたが、身体のラインに沿ったその服の下から頑強そうな筋肉が時折主張する。


 彼の言動のように軽快な動きを可能にさせるためのものであろう。


 継承順位が低いとはいえ、仮にも王子がここまで身体を鍛える意味は分からないが、意外と勤勉な性格なのかも、とリーゼロッテは歩みを進めながら思った。


 聖殿の中も外観に負けず劣らず白い。


 床から天井まで混じり気のない白大理石で固められ、それが回廊の奥や中庭の噴水にまで及んでいる。


 寒々しい純白のせいか、空気もどこかひんやりと厳かに感じられる。


 色のあるものといえば、天井から吊られるリーゼロッテの両手を広げても足りないほどの金のシャンデリアと、中庭を彩る木々の緑、そして彼らを出迎えた空色の法衣に身を包んだ神官たちだけだ。


「聖女リーゼロッテ様、おかえりなさいませ」


 恭しく跪いた彼女らは叩頭する。


「これより私どもがリーゼロッテ様の身の回りの御世話をさせていただくことになります。まずは清めの湯浴み、その後お召し替えをさせていただきます」


「……わかりました」


 リーゼロッテの頷きに、神官たちは顔を上げず両手を彼女の前に突き出した。


「ではまずお召し物をこちらに。俗世で身につけていたものは全て捨てていただきますようお願い致します」


 まるでその場で全てを脱げとばかりに、抑揚のない声で身動きひとつしない彼女らに、リーゼロッテは戸惑った。


「今、全部……ですか?」


「はい。俗世のものが混じりますと聖殿の気が澱みますので」


 色のない声で用意されていた台詞を読むかのようにすらすらと述べた神官は、態度も姿勢も崩さない。


(でも……これは……)


 リーゼロッテは視線を落とした。


 白のワンピースに輝石のバレッタ──今身につけているもののほとんどはユリウスとの思い出が詰まっている。


 これは渡せない。


 婚約を考えていた人に貰ったものだ、と主張しようものならそれこそ根こそぎ取り上げられてしまうだろう。


 かといって素直に渡しても、テオの目の前で脱げと言うほどの者たちだ。


 即座に捨てられてしまいそうで、それも躊躇われる。


 どうしたものか、とリーゼロッテは暫し考えると口を開いた。


「……では、テオドール様に差し上げるのも障りがございますか?」


 彼女の言葉が思いがけなかったのか、神官たちはゆっくりと顔を見合わせた。


 表情から微かな戸惑いの色が見える。


(だ、ダメだったのかしら……?)


 目をしばたたくリーゼロッテの横で、一連の流れを見守っていたテオは笑みを含ませながら答えた。


「障りはないよ。ね? 神官殿」


「……ですが」


「聖女付きで第一王子でもある僕が構わないって言ってるんだ。もう一度言うけど、()()()()よ」


 テオはにこやかな表情を崩さず念を押す。


 いかにここが神官たちが取り仕切る聖殿であっても、仕えるべき聖女の保護者である聖女付きの言葉は絶対的だ。


 神官たちは諦めたように両手を下げた。


「……承知いたしました。では後ほどテオドール殿下の元にお届けいたします」


「そうしてくれると助かるな」


 あらかた話がまとまったところで、リーゼロッテはほっと胸を撫で下ろした。


 身につけられないのは辛いが、テオに預ければユリウスとの思い出が完全に失われるわけではない。


(テオ様のお手を煩わせることになりますが……)


 勝手に巻き込んだことで、少々申し訳なさを感じたリーゼロッテはテオに目をやる。


 しかし予想に反して、テオはいつもの貼り付けたような笑みを取り払い、心底可笑しそうな笑みを浮かべているように見えた。


 テオの微妙な変化に気づいた彼女が僅かに首を傾げると、彼の笑みもまた深くなる。


「じゃあ僕はしばらく出ておくよ。夕食は君の歓迎のために聖女マリーも招いて豪勢にやるようだから、その時にまた迎えに来るよ」


「は、はい。ありがとうございます」


 戸惑いながらもリーゼロッテは、その場を後にしたテオを見送った。


 聖殿を出たテオは後ろを振り返った。


 既に硬く閉ざされた扉の向こうでは、湯浴みの準備が行われていることだろう。


「……あの鉄面皮の神官たちの困った顔が見れるなんてね……」


 テオの含み笑いが深くなる。


 その紅蓮の瞳が愉しそうに躍る。


「これなら……」


 彼の呟きは口の中で収められ、誰にも聞かれることはなかった。











 湯浴みが済んだリーゼロッテは神官に聖殿の中を案内してもらっていた。


 彼女の前を行く神官はヘッダと名乗った。


 空色の法衣に映える真っ青な髪をおかっぱに揃え、他の神官たち同様に表情の動きが乏しい。


 この聖殿で中堅に当たるのだろうか、リーゼロッテだけでなく他の神官に対しても常にピリついた雰囲気を纏っている。


(なんだか気恥ずかしいわ……)


 身体が透けるほどの薄衣の上に、聖殿に溶け込むような純白の長い法衣を羽織らされたリーゼロッテは頬をほんのり赤く染めた。


 湯浴みから今の衣装に着替えるまでずっと彼女が全て担ってくれていたのだが、生まれてこの方、ここまで至れり尽くせりにされたことなど無かった。


 王族やリーゼロッテより位が高く裕福な貴族ならば、湯浴みの全てを従者に任せることなど普通のことなのだろう。


 が、今までそんな経験などない彼女にとっては、他人に身体を洗われるなど羞恥の極みだった。


 さすがに身体の隅々まで見られた相手と気軽に会話などできそうにない。


 端的に聖殿内を案内するヘッダに無言でついて行くだけだ。


 その彼女が、とある部屋だけは素通りした。


 真っ白な聖殿の中で唯一、黒く重厚な扉の部屋だ。


 他の部屋は神官が時折顔を出し機械的に礼をするだけだったが、その部屋だけは屈強そうな女性の兵が扉の前に仁王立ちし、物々しい雰囲気を醸し出している。


 緩やかに時が流れる聖殿の中で、その存在は明らかに異質だ。


「あの……あちらは……?」


 躊躇いがちに前を行くヘッダに声をかけると、彼女はぴたりと立ち止まった。


 動作の一つ一つを丁寧に行うようにゆっくりと振り返った彼女は、微かに眉間に皺が寄せられている。


「……あちらは歴代国王の廟所(びょうしょ)となります」


「廟所……」


(ということは、あれはお墓……)


 リーゼロッテの呟きに、ヘッダは小さく頷いた。


「穢れが濃い場所となりますので、聖女様はお近づきになりませんよう」


「……わかりました」


 リーゼロッテの返事を待って、ゆっくりと身体を戻したヘッダは再び歩き出す。


 まるでその場から早く立ち去りたいとばかりに無言で歩みを進める彼女に、リーゼロッテは違和感を感じつつもついて行くしかなかった。

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