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84.王太子は妬む

 目を覚ました翌日、早速登城要請が来たリーゼロッテはアンゼルムと共に馬車に揺られていた。


 馬車の中は気まずい沈黙が流れている。


 窓の外を眺めるリーゼロッテの瞳は陽の光のせいか緑が少し強い。


 その瞳は街の風景を眺めるというよりも、心ここに在らずといった様子だ。


 アンゼルムは、そのままどこかへいってしまいそうな彼女を繋ぎ止めたかった。


 話しかければ会話はできるだろう。


 リーゼロッテも笑ってみせてくれるだろう。


 が、その笑みが空笑いになるだろうことは容易に想像できた。


 明らかに無理をして笑う彼女を想像すると痛々しくて、アンゼルムの胸にじわりと無力感が押し寄せる。


 ユリウスとこれから離れ離れになる彼女を支えようにも、アンゼルム自身もそばに居れなくなるためどうしようもない。


 むしろこれ以上そばにいられないからこそ、今なんとかしてあげたいのに何もできない不甲斐ない自分が情けない。


 憂いを帯びた姉の横顔を見つめながら、アンゼルムは鬱陶しい馬車の揺れに抗うように拳を握りしめた。















「リーゼロッテ・ハイベルク、だな? 二人とも面を上げよ」


 王城の謁見の間──。


 入り口から玉座にかけて、長く伸びた赤い絨毯のちょうど半分ほどのところにひれ伏していた二人が顔を上げた。


 一人は見習い騎士になったばかりの優秀な少年、アンゼルム。


 そしてもう一人はフリッツもよく知る人物と見間違うほどの女性だった。


 周囲には近衛兵たちが等間隔に立ち並び、二人の行動を一挙一動を見逃すまいと視線を集中させていた。


 彼らの前にはいつも通り余裕の笑みを浮かべるテオと、この国の現国王代理であり、王太子でもあるフリッツが玉座から彼らを品定めするように眺めている。


「…………ディートリンデとそっくりなのだな」


 思わずそう声をかけたが、リーゼロッテは視線を玉座の床あたりに落としたまままったく反応を見せない。


 にこりともびくりともしない様子に、フリッツは少々眉を上げた。


 自分を冤罪に追いやった女の名を聞いても、ここまで無反応を通す胆力が彼女にあったのだろうか、と。


 リーゼロッテとそこまで深く関わったことのないフリッツは、学院時代を思い出してみても分からない。


 しかしその態度がディートリンデの横柄なそれとは違い、静かな圧力を持っているようで彼は気に入らなかった。


「……まあいい。今から沙汰を申す。まずはディートリンデ・ハイベルクについて」


 この場にはいない罪人の名を呼ぶフリッツの声に、視線が集中する。


 酷くのっぺりとした表情で二人に見られているような気がしたが、緊張しているのだろう、とフリッツは大して気にしなかった。


「私との婚約を白紙に戻す。しばらく騎士団の取り調べを受けた後、処罰を下すつもりだ」


(ようやく……ようやく婚約を撤回できたのだ)


 湧き上がる歓喜を押し込めるように、フリッツは声を抑えた。


 自分には落ち度のない婚約解消が、彼のここ十数年来の夢だった。


 王太子として身勝手に婚約を破棄するなどあり得ない。


 いつかあの悪女が尻尾を見せてくれるのではないか、と長年待った甲斐があった。


 いの一番にこの場にいない者の処分を言い渡したのも、早く婚約を解消したかったのに他ならない。


 フリッツが内心浮かれているように見えたテオは、誰にも気付かれることなく鼻で笑った。


 罪人への順当な申し渡しに、二人は微動だにしない。


 空虚な視線を這わせる二人に、フリッツは小さくため息をついた。


「次に……リーゼロッテ・ハイベルク」


「……はい」


 名を呼ばれたリーゼロッテは、一歩前に出て小さく頭を下げた。


「聖女として力に目覚めたのがつい先日のことだとしても、それを秘匿していた罪は重い。それはアンゼルム・ハイベルクやユリウス・シュヴァルツシルトにも言える」


「…………」


 ユリウス、の一言で頭を下げたリーゼロッテの大きな瞳が二、三、瞬く。


「……しかし、時の聖女として此度の騒動を収めた功績により特別に許すこととする。今後はここにいるテオドールの元、聖殿で聖女の勤めに励め」


「……かしこまりました。謹んでお受けいたします……」


 恭しく礼をしたリーゼロッテは一歩下がると、視線を一瞬だけテオに向けた。


 近衛兵やフリッツはおろか、アンゼルムすらも気付かない一瞬の眼差し。


 彼女の流れるような視線に気付いたはずのテオは、微笑みをたたえたまま動じない。


 前までの気弱で他力本願なリーゼロッテならば、ここでテオがなにかしらの助け舟を出しただろう。


 しかし、元婚約者の身勝手さや父の狂気、不幸な火災を経験した今の彼女には、内に秘めた静かな気迫と慎ましさの中に凜然とした光が瞳に垣間見えた。


 自身でどうにかするつもりがある人間ならば、成り行きを見守るのも悪くない──彼は沈黙を選択をした。


「次、アンゼルム・ハイベルク。前当主、ヘンドリック・ハイベルクの使用人の殺害と妻への禁呪使用の疑いで、本来ならば爵位返上を命ずるところなのだが……」


 意味ありげに一息おいたフリッツは、その碧眼をアンゼルムに向ける。


(ディートリンデの生家など、潰せるものなら潰しておきたいが)


 禁呪は呪術師や魔道士の間で危険視されているだけでなく、法律で使用を禁止されている。


 使用した者は強制労働を課されるほどの犯罪だ。


 家から短期間に二人も犯罪者を出したハイベルク家は、本来ならお家取り潰しが適当だろう。


 しかし──。


(……なに、ディートリンデは自滅した。今潰す必要性はない。それに、潰そうと思えばいつでも潰せる)


 残酷な考えを悟られまいと、彼は極力アンゼルムに柔和な笑みを向ける。


「……聖女には後ろ盾が必要だ。歴史ある名家、ハイベルク家ならば十分その務めを果たせよう。よってハイベルク家は存続。これよりアンゼルム・ハイベルクを当主とし、一層貴族の務めに励め」


「……謹んでお受けいたします」


 アンゼルムはどこか悔しそうな声色で頭を下げた。


 彼に興味をなくしたようにフリッツはリーゼロッテに視線を移す。


 その目は二つの意味で聖女を得られるという喜びに満ちていた。


「以上だ。リーゼロッテ・ハイベルクはこれより聖殿へ」


「お待ち下さい」


 恐れおおくもフリッツの言葉を遮って、リーゼロッテが声を上げた。


 不遜な彼女の態度に近衛兵長が非難の声を上げかけるが、それをフリッツは横目で制する。


「……発言をお許しいただけませんか」


「……許可しよう」


「ありがとうございます」


(なにせ今は気分がいい。リーゼロッテ・ハイベルクのおかげでね……)


 厳粛な雰囲気とは裏腹、フリッツの心の内は躍る。


 笑みを浮かべたフリッツを真っ直ぐ見据えると、リーゼロッテは口を開いた。


「……一日だけでいいのです。猶予をいただけませんか?」


「……聖女は速やかに聖殿にお連れする決まりなので」


 彼女の要望に一瞬固まったフリッツは、視線だけをほんの少し鋭くした。


(……いくら聖女だからといってそんな我儘は通らないぞ、ディートリンデの妹よ)


 彼の庇護下にあるマリーですら、聖女だと分かった時には即日で聖殿に上がったのだ。


 それこそ、両親への最後の挨拶など満足にできないほどに。


 ここでリーゼロッテの要望を通せば、マリー以上の扱いをすると示したようなものだ。


 それに、ディートリンデと姿形や声が一緒だからか、僅かでも意にそぐわない言動を取られると冷ややかに見てしまう癖が出てしまう。


 フリッツの冷淡さに負けじと、リーゼロッテもまた冷静に言葉を紡ぐ。


「ですが……まだやり残したことがございます。それを終えたら必ず入殿いたします。ですから」


「……その、やり残したことが達成されたとして、ここに戻ってくる保証がどこにある?」


「保証は魔法紙を」


「なければ許可できない」


 彼女の言い分を皆まで聞かず、ぴしゃりと言い放ったフリッツの声がこだまする。


 険のあるその声は、どうあってもリーゼロッテの要望を通すまいとする厳しさを含んでいた。


「……私が」


 成り行きを見守っていたアンゼルムが、リーゼロッテの前に出る。


「私が、責任を持って姉上を……聖女様をこちらへお連れいたします」


 アンゼルムの言葉に、リーゼロッテは小さく息を呑んだ。


「もし聖女様をお連れできなかった場合は……その時はこの命をもって償いを」


「アンゼルム……!」


「…………」


 フリッツは彼女の弟をまじまじと見つめた。


 騎士らしく使命感に燃える瞳を携えた彼は、忠誠心もなかなかに高そうだ。


 ただし、その忠誠はどちらかと言えば姉に向けられたものなのだろう。


 リーゼロッテへのアンゼルムのひたむきさを垣間見たフリッツは、不快そうに微かに眉頭を歪めた。


「……殿下、私もよろしいでしょうか?」


「……兄上……」


 横で愉快そうに微笑んでいたテオが口を開く。


「二人もこう言っていることですし、特別にお認めになられては? これから一生を聖殿で神に捧げる身となれば、おいそれと知り合いに会うこともできなくなりますし」


 テオはこっそりと、「それに、彼女の代わりに暇を与えられる人物もいるわけですしね」と付け加えると、にっこりと邪気のない笑顔を作る。


 暇を与えられる人物、と言われフリッツはマリーを思い浮かべた。


 確かにマリーを聖女の任から解放できるのはリーゼロッテの存在のおかげだ。


 その労に報いるのも王族としては必要なことだろう。


(あの女の妹など、どうでもいいがマリーのためだ)


「……分かった。一日だ。明日の日没までに入殿せよ。話は以上だ」


 玉座を離れたフリッツを、それ以外の者は頭を下げて見送った。


「……ディートリンデとはまた別の意味で我儘な女だ……」


 謁見の間を出たフリッツは憎々しげな表情を作る。


 国のために祈りを捧げてくれている聖女の希望を叶えることは、これまでもしてきた。


 しかし、慣習を破ってまで叶えてきたことはない。


 マリーはその点、慣習を破らない範囲で(わきま)えていた。


 慎ましく、素朴で立場も理解している()()()彼女を思い浮かべ、フリッツの胸に熱い思いが込み上げてくる。


「マリー……もうすぐだね……」


 口の中で呟くと、フリッツは恍惚とした表情で聖殿の方角へ視線を向けた。

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