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82.リーゼロッテは寝込んでいた

 リーゼロッテは人の気配にうっすらと目を開けた。


「……んん……」


 いつもと変わらないリーゼロッテの寝室。


 ナターリエの配合した精油がほのかに香り、どこからか鳥のさえずりが聞こえてくる。


 清々しい目覚めに、父に襲われたことや火事は悪い夢だったのではないかとさえ思えてくる。


 目の前の輪郭がぼやけたその人物が、目覚めたリーゼロッテに気づきにわかに騒がしくなる。


「……姉さん……?!……継母上、姉さんが!」


「リーゼロッテ!」


「……継母様……? アンゼルムも……」


 何度かしばたたくと、顔を覗き込んでいるナターリエとその背後に心配そうに佇むアンゼルムがはっきりと見えた。


「……ごめんなさい、あなたがまさか聖女で……その力をあんな大勢の前で使わせてしまうなんて……」


「……お継母様……お気になさらないでください。私は……後悔などしていません」


「リーゼロッテ……」


 頭を下げたナターリエに、リーゼロッテは戸惑いつつも謝罪を受け入れた。


 彼女の困り眉がさらに可哀想なほど急傾斜を描き、昨日までの出来事が嘘でも夢でもなかったと証明しているように見えた。


 押し黙ったリーゼロッテを気遣うように、アンゼルムはナターリエを彼女から離す。


「継母上、姉さんもまだ本調子じゃないだろうからその話はまた後でしよう……あのことは僕から伝えておくから」


「ええ……そうね、アンゼルム。私は辺境伯に目を覚ましたと伝えてくるわ」


「うん、頼んだよ」


 ナターリエは何度もリーゼロッテの方を振り返りながらも、部屋から出て行った。


 リーゼロッテはゆっくりと身体を起こした。


 寝過ぎたのか身体中が動かしにくく、伸びをしようにも腕が痛くて上がらない。


 無理をし過ぎた代償は大きい。


「……あれから、どのくらい経ったの?」


 アンゼルムに支えられながら、やっとのことでベッドに座ると彼に問いかけた。


「二日、かな……姉さんが寝てる間、ややこしいことはユリウス様と継母上が全部やってくれてる」


(二日も……)


 体感では一晩寝込んだだけだと思っていたが、かなり時間が経ち過ぎてしまった。


 家族間の揉め事をここまで大ごとにしてしまった上に、つい先日ハイベルク家と関わりを持ったばかりのユリウスに事後処理を任せてしまったのはかなり心苦しい。


「あの……ユリウス様は……」


「……元気だよ。でもまだ忙しいから、会えるのはもう少し先かも」


「そう……」


 リーゼロッテは視線を上掛けに落とした。


 真っ白な上掛けは、いつか辺境の店の店主に贈られた白いワンピースのようだ。


(あの頃は楽しかったわ……)


 こんな時でもユリウスと共に過ごした日々が懐かしく思い出される。


 アンゼルムは彼女に肩掛けをかぶせると、ベッドぎわの椅子に腰掛けた。


「……姉さん……ごめんよ。僕が考えなしにディートリンデ姉さんを助けに家に入ったばかりに」


 俯いた彼女の手をそっと握ると、彼女は顔を上げ首を振った。


「……ううん、アンゼルム。あなたが無事なら良かったわ……他の人はどうなったのかしら……?」


「……僕とディートリンデ姉さんは助かったよ。コルドゥラは……最初の爆発の時にはもう……」


「え……」


 呆然としたリーゼロッテに、アンゼルムは悲痛な表情で首を振った。


(うそ…………)


 時の魔力は確かに作用したはずだ。


 その証拠に、ハイベルクの屋敷は火事の前と変わりない。


 炎にのまれたアンゼルムも今元気にここにいる。


 しかしコルドゥラだけは時が戻らなかった。


(でも……そうだとしたら……)


 真っ青なリーゼロッテの頭によぎった考えを、アンゼルムは肯定するように重々しく頷いた。


「多分、時の魔力じゃ死んだ人を生き返らせることはできないんだと思う」


「なら……お父様のしたことは……」


 ヘンドリックは時の魔力で死んだ妻を生き返らせようとしていた。


 その過程でひとり、なんの罪もないメイドの命が犠牲になっている。


 そこまでしたというのに結局時の魔力ではどうにもならないということなのか。


「……ユリウス様から聞いたよ。禁呪を使って母上の遺体を保存してたって……それらも全部無駄だったんだと思う」


「そう……だったの……じゃあお父様とお母様の遺体は……?」


「……見つからなかった」


「え……?」


 予想外の言葉に、リーゼロッテは思わず聞き返した。


「と言うより、地下道が崩落したままなんだ。時の魔力が及ばなかったみたいで……あの温室も崩れたままだよ」


 アンゼルムはそう言うと、視線を逸らした。


 時の魔力で元に戻せば、二人の遺体は見つけられるだろう。


 しかし、リーゼロッテはそのままでもいいのではないかと思っている。


 両親はやっと二人になれたのだ。


 特にエルーヴィラは、ヘンドリックに付き合わされてずっとあの地下室でひとり横たわっていた。


 今更掘り起こして騒ぎ立てるより、もう二人には安らかに眠りについてほしい。


 しかし、ハイベルク家の当主であるヘンドリックが失踪したとなれば大騒ぎになるだろう。


 地下道の復元はするべきだと、倫理と感情の狭間でリーゼロッテは揺れた。


「……ごめん、まだ起きたばかりなのにこんな話して」


「……いいえ。知りたかったことだから……ディートリンデは……?」


 姉の名前に、アンゼルムは眉をぴくり、と跳ねさせた。


「…………騎士団に捕らえられてる」


「え……どうして?」


「火事はなかったことになったけど、コルドゥラの遺体はある。目撃者もたくさんいるし……それに、彼女は自分が火をつけたって認めたよ」


「……お姉様が?」


 リーゼロッテは思わず耳を疑った。


 何においてもリーゼロッテのせいにしていたあのディートリンデが、自らの非を認めるなど今までの行動から考えてありえないことだ。


 リーゼロッテの表情に、アンゼルムは苦い表情で答えた。


「うん。驚くよね……それだけコルドゥラが死んだことがショックだったのかもしれないけど」


「そう……だったの……お姉様……」


 わざわざダクマーとコルドゥラを入れ替えたほどだ。


 実際のところは違うにしても、余程ディートリンデはコルドゥラがお気に入りだったのだろう、とリーゼロッテは素直に思った。


 どこかに思いを馳せた二人の間に、沈黙が流れる。


「……あと、さ……」


 重々しい沈黙を破り、アンゼルムは言いにくそうに切り出した。


「王太子……フリッツ殿下には既に姉さんが聖女だってことが知られてるらしい。近く、登城要請が来るかもしれない……」


「……そうなの……」


「…………ごめん、僕のせいで」


 リーゼロッテはアンゼルムの頭を上げさせた。


「アンゼルムのせいではないわ……私がそうしたいと思ったの。だから自分を責めないで」


「……でも……」


 言い淀むアンゼルムに、リーゼロッテは静かに首を振った。


 こうなることは分かっていた。


 聖女として召し上げられる可能性も納得した上で、力を使ったのだ。


 しかし、分かっていても現実となるとやはり気は沈む。


「ごめんなさい……少しひとりにさせてほしいの……」


「……わかった」


 アンゼルムは頷くと後ろ髪引かれる思いで扉へと向かった。


 部屋を出る間際、閉まりかけの扉の隙間から、姉が膝を抱えて顔を埋めるのを彼は黙って見つめることしかできなかった。

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