81.王太子は企む
「おや、フリッツ。こんなところで奇遇だねぇ」
聖殿から出たところで、フリッツはテオに声をかけられた。
こんなところ、と言いたいのはどちらかと言えばフリッツの方だろう。
なぜなら聖殿は許可のある者以外、男子禁制だ。
マリー付きのフリッツは自由に入れるからいいとしても、入殿許可のないテオが聖殿の入り口にいるなど不審以外の何者でもなかった。
白亜の壁に背を預け、まるで誰かを待っている様子のテオは誰に対してもこんな感じだ。
人好きする笑みを浮かべ、相手の懐に瞬時に入り込む。
そんな兄に、フリッツは苦手意識を持っていた。
「……兄上……こんな夜にあなたこそ聖殿の前で何をしておいでですか?」
「いやーちょっと気になる女の子がいたから追いかけてきたんだけど、さすがに聖殿の中までは入れないからね。出待ちってやつだよ」
(またか……)
軽薄そうに両手を上げたテオに、フリッツは内心毒づいた。
兄の女好きは王城では有名だ。
毎夜違う女の元に足を運び、婚約者もおらず独身なのをいいことに、王城内で浮名を流している。
気に入った女がいれば、数日間その者の寝所に留まることも少なくない自堕落な遊び人──と、フリッツは思っている。
実際は女の所に寝泊りなどしておらず、辺境やその他の領地を見回っているだけなのだが。
とにかく、この何を考えているのか分からない兄のことが、フリッツは苦手だった。
「……そうですか、王族の品位のためにも程々にしてください」
「はいはい。……君こそ、今日もこんな時間まで聖殿でマリー様と逢引かい?」
へらり、と笑ったテオに、フリッツはムッとしたように眉根を歪ませる。
「……人聞きの悪いこと言わないでください。辺境を回って疲れただろう彼女に差し入れをしただけですよ。それに彼女は聖女ですし、私には婚約者が」
「そういえばそうか。創環の儀も終えてあとは婚儀のみ、だったね。いつにするつもりだい?」
テオの何気ない問いかけに、フリッツは答えに詰まった。
いつにするか、など、彼は全く考えていない。
むしろディートリンデとの婚儀など一生来ないように画策しているというのに。
「…………まだそこまでは」
一段声を落したフリッツにテオは気付かないフリをしながらも、なおも彼にとって耳が痛いことを言い連ねた。
「父上の病状も思わしくないらしいし、そろそろ急がないと国も多少混乱するかもねぇ」
「……兄上にご心配いただかなくとも私は」
「フリッツ殿下!」
反論しかけたフリッツの元に、近衛兵長が慌てた様子で駆けてきた。
聖殿に入る時は連れていけないので、離れた所に待機させていたのだが、どうも様子が変だ。
「どうした」
血相を変えてやってきた近衛兵長に、フリッツは発言を許可する。
「はっ。それが……王都のハイベルク家が火事に見舞われたと……」
「……ハイベルク家が?」
「フリッツの婚約者の生家じゃないか。大変だねぇ」
揶揄うようなテオを、フリッツは睨みつけた。
「兄上は少し黙ってていただけませんか。……それで、どうなった」
「はっ。そ、それが……火事になったことは確かなのですが……騎士団の魔法部隊が向かったところ、屋敷で火事など起きてない様子だったようで……」
「……誤報だった、と?」
「いえ、そうではなく……」
「……はっきり申せ」
しどろもどろの近衛兵長の様子から大体のことは察したテオは、少し考えるように口元に手を置いた。
「……火事は起きたけど聖女が現れて火事が起きる前に戻してしまった、かな? 君の言いたいことは」
「!……は、はい。テオドール殿下のおっしゃる通りで……」
言い当てられたことに驚いた近衛兵長に、テオはにっこりと微笑んだ。
「……聖女……が……二人……まさか二人目の癒しの聖女……?」
「いいや、癒しの聖女はヒトは癒せても物は直せない。二人目の聖女は時の聖女さ」
半ば呆然と呟いたフリッツに、テオは首を振った。
目配せをするように視線を動かすテオを見て、フリッツは
「……報告ご苦労。下がれ」
と、近衛兵長を下がらせた。
「……兄上はどこまでご存知なのですか? その、時の聖女についてまるで全部知っている様子ですね」
誰もいなくなった聖殿前で、フリッツは声をひそめ、テオに聞いた。
得体が知れないテオにものを聞くのは、これが初めてかもしれない。
「ああ、よく知っているよ。彼女はリーゼロッテ・ハイベルク。君の婚約者の双子の妹だ」
「リーゼロッテ……ああ、あの……ですがどうして……」
なんてことはなしに頷くテオに、フリッツは曖昧に頷いた。
リーゼロッテ、という人物名は知らないが、ディートリンデの妹と聞くと分かる。
彼の中でリーゼロッテはその程度の認識だった。
(でもあの子が聖女だって……?)
ディートリンデに罪を着せられて、辺境送りになったと聞いた。
その彼女が聖女だったとはつゆにも思うまい。
「ああ、たまたま辺境に美人がいるって聞いて辺境伯家にお邪魔した時に知り合ったのさ」
「……もしや、兄上は聖女だと知ってて秘匿していたのですか?」
「僕が聖女だと知ったのはつい最近だよ。辺境伯ももちろんね……でも知った時にはもう辺境伯と婚約済みだったからねぇ……友人としては引き裂くわけにはいかないじゃないか」
テオは嘘も方便、とばかりに前々から考えていた言い訳を口にする。
「……辺境伯の……」
「まぁ、おいそれと説得はできないよねぇ。彼は英雄。しかも既に聖殿には聖女がいる。ならば一人いればいいだろうと言われたらそれまでだ」
「…………」
(一人いればいい……)
押し黙ったフリッツは、テオの言葉を反芻した。
その様子を、テオは変わらぬ笑みで見つめる。
「……でも僕なら説得できるよ? 確実にね。彼は僕の元従僕。両親が亡くなった時に一時的に世話をしたのは国王であり、この僕だ。僕なら説得は可能だよ」
自信満々なテオの言葉に、フリッツは考え込む。
フリッツには聖女リーゼロッテへの冤罪を見抜けず、辺境へ追放を許してしまった前科がある。
とてもそのフリッツからの説得には応じないだろう。
婚約まで考える相手ならば余計に。
しかし、もし仮に、リーゼロッテが聖女として聖殿に上がることを了承したとして、もう一人の聖女マリーを聖女の任から解くことも可能なのではないか──。
『一人いればいいだろう』
フリッツの頭の中に、テオの言葉が反響した。
「ならば兄上、早急に辺境へ向かってください」
「いいけど、条件がある」
テオは人差し指を立てると、フリッツの方に突き出した。
「君がマリー様付きになったように、僕もリーゼロッテ様付きにならせてほしい」
「!?」
テオの妙な条件に、思わず怪訝な顔を作る。
フリッツが聖女付きになったのは特別だ。
養女となった公爵家に、たまたま幼い子供がいなかったための特別措置だった。
それを十七歳の、しかも伯爵令嬢としてそれなりに立ち振る舞い方に研鑽を積んできたリーゼロッテには必要がない。
後ろ盾も名家のハイベルク家がいれば問題がないだろう。
(何を考えている……)
その考えを推し量ろうと、兄の顔を真正面から見据えるが、のらりくらりとした微笑みに受け流されてしまう。
「……分かった」
兄の考えは分からない。
しかしそれを差し引いても、この申し出は魅力的だ。
フリッツの頷きに、テオは満足そうに口端を上げた。