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80.リーゼロッテは覚悟を決めた

「…………っぎゃ!?」


 短い悲鳴が聞こえた時にはもう、ヘンドリックの胸を見慣れた白刃が貫いていた。


 振り向きざまに投げたのだろう。


 少しの狂いもなく正確に貫かれたそれは、いかにユリウスが手加減をする余裕がなかったかを示していた。


 くるりと、踊るように足をもつれさせたヘンドリックはエルーヴィラの眠るベッドに倒れ込んだ。


 衝撃で持ち上がったエルーヴィラの髪が、ヘンドリックの頬に触れる。


 柔らかな感触に、彼の険のある表情がいくらか和らいだ。


「……エルー……ヴィラ……ようや…………お前……元へ………ける…………」


 途切れ途切れに言葉を紡ぐと、彼は息絶えた。


 父の最期の言葉に、リーゼロッテは思わず息を呑む。


(もしかして……お父様は……)


 しかしその思考は中断した。


 彼女の目の前でユリウスが膝をついたかと思うと、ゆっくりと倒れ込んだからだ。


「ユリウス、様! 大丈夫、です、か!?」


 まだ香の影響か、うまく言葉が出ない。


 リーゼロッテは背中のナイフを刺激しないよう、ユリウスの身体に触れた。


 先ほどまで温もりを持っていた彼の身体が、急速に冷えていくのを感じる。


「……すま、ない……御父上を……」


 リーゼロッテは首を振った。


 ユリウスの口から一筋の血が流れる。


 白髪(はくはつ)に赤い点がぽつり、と落ちた。


「血が……!」


「おそらく毒……だ……即効性の……」


 血を触るな、とばかりに彼女手をやんわりのけると、その紫電の瞳をゆっくりと閉じた。


「……ユリウス……様!」


 震える手で彼の頬に触れるが、血の気の引いた白肌は温もりを取り戻してくれそうにない。


 呼吸は浅く、今にも止まりそうなほど微かな吸い込む音しか聞こえない。


(どうしたら……)


 狼狽る彼女はふと、ヘンドリックの言葉を思い出す。


『兵士の時を巻き戻し、魔道士の魔力にも干渉する』


(……お父様はお母様を生き返らせようとしていました……時を戻せばもしかしたら、毒も傷も消える……?)


 日記の通りならば確実に消えるだろう。


 リーゼロッテはユリウスの背中に手をかざした──が、何一つ変化は起きなかった。


 金色の光すらも発しない手を、リーゼロッテは悲痛な表情で見つめる。


(…………もう、魔力が……)


 意識を保つために魔力を使い切った彼女には、時の魔力を扱えるほどの力はもう残されていなかった。


 こうしている間にもユリウスの顔色は真っ青になっていく。


(……ううん、諦めてはダメよ。ユリウス様はここまで来てくださった。今度は私が助ける番……でも、どうやったら……)


 リーゼロッテは落ち着こうと彼の顔を見つめた。


 端正な顔に陶器のような肌、(たお)やかな白髪を濃淡のある二本の髪紐が束ね──。


「髪、紐……!」


 何かあった時のために、と時の魔力を込めたそれを解くと、彼の傷口に当てた。


(お願い……!)


 早く効くようにと祈るような気持ちで目を瞑る。


 髪紐の留め金が淡い金色を帯びると、みるみる内にナイフは消え、傷口が塞がっていく。


 心なしか、頬に当てた手がほんのり熱を帯びていくのが分かった。


「…………リーゼ……」


 ユリウスが声を上げるのと同時に、留め金はパリン、と音を立てて割れ、髪紐は二つに分かれて落ちた。


 頬に置いた手に、彼の手が重ねられる。


 その手は雪解けのようにだんだんと温かさを帯びてくる。


「ユリウス、様っ……!」


 緊張が解けたのか、声が掠れる。


 リーゼロッテは感極まって、彼の顔に覆いかぶさった。


 背中に回される手は優しく、安心させるように軽く撫でた。


「ありがとう……」


 慈愛に満ちた声色に、リーゼロッテの瞳に涙がたまり、落ちた。


 途端、地鳴りとともに天井が揺れ始める。


「……不味いな。崩れる。立てるか?」


 リーゼロッテは立ち上がろうとしたが、元々香に耐えるため体力を削った上に、ユリウスが倒れたことによりどうやら腰を抜かしてしまっていたらしい。


「きゃっ……!」


「すまない、時間がない。このまま走るぞ」


 首を横に振る彼女を彼は軽々と抱き上げると出口に向かう。


 ヘンドリックとエルーヴィラの亡骸を一瞥すると、彼は何かを呟き、脱出するため駆け出した。














 断続的に続くその揺れは、微かに天井の砂を振り落とし、徐々に大きくなってきた。


 抱え上げられたリーゼロッテは、ふとユリウスを見上げた。


 髪紐は解かれ、白い長髪が駆けるたびに彗星の如くたなびくのが分かる。


 整ったその顔にほんの少しの陰りが見えた。


「ユリウス様、助けに来ていただき、ありがとうございます」


「礼はいい」


 進行方向から目を離さない返答は、短く硬い。


 紫色の瞳は仄暗い地下道で濃く深い色を帯びていた。


「お父様は……父は、あれで良かったのです」


「…………」


「父はきっと、十三年前に自分を殺してしまったのです。そこから幽霊のように生きたために、こんなことを考えてしまった。きっと……本当の父の願いは……母の元に行くことだったのだと、思います」


「…………リーゼ……」


 リーゼロッテは父の死際の言葉を思い出す。


『ようやくお前の元へ行ける』。


 彼はそう言いたかったのではないだろうか。


 リデル伯爵の件では、法の元で裁きを、という彼女の言葉にユリウスは剣を収めた。


 今回もおそらく、ヘンドリックを弑するつもりはなかったのだろう。


 でなければあれだけ執念深くユリウスを追ってこようとしたヘンドリックなど、リーゼロッテの捕らえられていた部屋に辿り着く前に始末されていたのではないだろうか。


 リーゼロッテはユリウスの肩に回した手を力強く握った。


「……だから、それも含めて、ありがとうございます。ユリウス様のおかげで……父は願いを叶えられました」


(ユリウス様がお気に病むことは何もないのです……)


「…………ああ」


 リーゼロッテの気持ちを受け取ってか、ユリウスはゆっくり頷いた。


 長い階段を駆け上り、徐々に視界が明るくなってきた。


 ──しかし。


「出口だ……が、やけに明るいな。それに熱い」


 ユリウスは一足先に出口から顔を出すと絶句した。


 その彼の様子から、リーゼロッテは彼の腕の中でほんの少し上を見上げてみる。


「……これは……!」


 曇りガラスの及ばない虚空の先に、激しく燃え盛る炎に包まれた生家の姿を、彼女は茫然と見つめるしかなかった。













「お継母様!」


 正門前に集まった人だかりの中に、ナターリエを発見したリーゼロッテとユリウスは彼女に駆け寄った。


「リーゼロッテ……!」


 飛び込んできたリーゼロッテを抱きしめると、ナターリエはユリウスに視線を送った。


 躊躇いがちに首を振った彼に、ナターリエは全てを察したように一瞬視線を落とす。


 しかし、すぐに火事が起きている屋敷を強い瞳で見つめた。


「これは一体、どうして火事が!?」


「分からないの。突然何かが爆発する音がして……なんとか逃げ出せたのだけど、まだディートリンデとコルドゥラが中に……アンゼルムも二人を助けるため中に入ったきり……」


「え……!?」


 リーゼロッテはナターリエから身体を離すと、依然として炎の収まらない屋敷を振り返った。


 月もない夜の闇の中で、ハイベルク家最期の輝きとばかりに屋敷全体を炎が取り囲み、黒煙がもうもうと立ち昇っている。


 その手前にいる数人が水魔法を放つ姿が見えるが、火の勢いが強いのか魔法が弱いのか、一向に消し止められる気配はない。


 ナターリエはリーゼロッテの肩を引き寄せた。


「リーゼロッテ、水魔法を! 使用人たちに水魔法を使える貴族を探してもらってるけど、まだ足りないのよ……! 騎士団にも早馬を走らせたけど、こちらに到着するのはいつになることか……」


 ナターリエの懇願に、リーゼロッテは継母の顔と屋敷を交互に見つめた。


「アンゼルム……」


 彼女には今、魔力がない。


 ユリウスの魔力を吸えば水魔法を使うことはできるだろう。


 時間はかかるが消し止めることは可能だ。


 しかし──。


(水魔法では……三人を助けることはできない……)


 所々大きく崩れ、窓や開き戸のほとんどから火が吹き出し、燃え盛る屋敷を前にして分かる。


 三人がもし生きているのならば、さぞ辛いだろう。


 煙に巻かれて苦しい思いをしていることだろう。


 もはや一刻の猶予もない。


 今までのことを思い返す。


 枯れたと思っていた木が花をつけ、ユリウスの致命傷を跡形もなく治したあの力──。


 時の魔力を使えば、屋敷内で怪我をしてるであろう三人を癒し、屋敷を火事が起こる前に戻すことができる。


 しかし、火がこれだけ大きくなった今、ハイベルク家の関係者だけでなく近隣に住む貴族たちも集まってきている。


 そんな人だかりの前で、この力を披露したらどうなるか──リーゼロッテは思い直すように首を振った。


(……私に……私にしかできないこと……)


 彼女はナターリエから離れると、ユリウスに歩み寄った。


「……ユリウス様、私に魔力をいただけませんか」


「リーゼ……?」


 深海色の瞳が揺るぎない光を帯び、彼の白い顔を真剣に見つめている。


 彼女が何を決意したのか、瞬時に理解したユリウスは、それを拒否するように後ずさった。


「私が、三人を救います」


「…………分かった」


 真っ直ぐなその瞳に、ユリウスは躊躇したものの頷いた。


 ──リーゼの決心の通り、火事と救助を同時にするには時の魔力しかないと彼も思っていたからだ。


「……申し訳ございません」


「……謝る必要なんてない。リーゼが決めたのなら……」


 少ない言葉でも、二人は理解していた。


 見つめ合う二人の間に、寂寥が流れる。


 ゆっくりと近づいた彼らは短く口付けを交わした。


 見る者には一瞬の出来事でも、リーゼロッテの魔力が満たされるには十分だった。


「愛しています……今も、これからも」


 唇を離したリーゼロッテは囁くと、屋敷に近づいていく。


 彼女が近づくにつれ、火事の熱気でやられた植物たちは生き生きとしていき、黒い煤が消え、炎が弱まっていく。


 屋敷の目の前にたどり着いた彼女は、水間砲を放っていた貴族たちを下がらせると、祈るように胸の前で手を組み合わせた。


 瞬間、リーゼロッテを中心に金色に輝く魔力が放たれる。


 屋敷全体を包んだ光が、炎の揺らめきと相まってさらに眩く輝き始めた。


「これは……」


「この光は……?」


「見ろ! 屋敷が!」


 周囲がにわかに騒ぎ始める。


「火が消えて…………いや、元に戻っていく……?!」


「俺の火傷も治ったぞ……!?」


 屋敷は見る見るうちに火事になる前の姿に元に戻った。


 皆一様に不思議がる中、ユリウスだけが沈痛な面持ちで彼女を見つめていた。


「リーゼロッテ……あなた一体……?」


 金色の光が収まる頃、ナターリエはリーゼロッテに駆け寄った。


 振り返ったリーゼロッテは混沌とした闇夜の中で未だ淡い光を宿し、憂いを帯びたその微笑みはその場にいる誰もに聖なる御使のような印象を与えた。


「聖女だ……聖女様だ!」


 誰かの叫びに呼応して、皆口々にリーゼロッテを褒めそやす。


 ある者は拝むように手を合わし、ある者は神々しい姿を見て涙する。


 誰も彼もが彼女を聖女として認め、崇められれば崇められるほど、リーゼロッテの気持ちは沈んでいった。


「……アンゼルムを探してください。三人ともまだ、この中にいると思います」


 ナターリエに告げると、急激に襲われた眠気にリーゼロッテはその場に膝をつきかけた。


「ユリウス様……」


 ユリウスに抱き上げられた彼女は、うとうとと大きな瞳を閉じては開く。


 どうやら体力の限界を超えたらしい。


「……リーゼ……よくやった。ゆっくり、休んでくれ……」


 彼の声に安心したように息をつくと、彼女はゆっくりと瞳を閉じた。

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