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8.妹君は笑わせた

誤字修正しました。

ご報告ありがとうございます。

 病床のユリウスの世話係というのは、一言で言えばかなり神経をすり減らす仕事だった。


 戦争の英雄といえど、一度(ひとたび)こうなってしまっては腕を上げることすら難しいという。


 当然呼び鈴を鳴らすこともできない。


 食事は受け付けず水分のみで、下世話な話だが、下の世話や力仕事は従僕のロルフがする。それ以外の仕事がリーゼロッテの担当だが、それが二、三日昼夜問わず続くという。


 その間リーゼロッテは昼はユリウスの部屋で、夜は隣の部屋で扉を開けて過ごさなければならなかった。


(嫁入り前に付きっきりで男性のお世話……いいえ、奉公に来てるのだから当たり前よ。ご主人様のお役に立たなければ)


 そんなリーゼロッテの複雑な心情を(おもんばか)ってか、倒れた翌朝、水を飲み終えた彼は珍しく声をかけた。


「来て早々、すまない。奉公人とは言え、ご令嬢にこんなことをさせるつもりはなかった。いつもならロルフに全て任せているところなのだが、デボラにああ言われるとな」


 許してやってくれ、と申し訳なさそうに頭を下げるユリウスに、リーゼロッテは彼の身体を起こしながら慌ててかぶりを振った。


「い、いいえっ、そんな……ご主人様がお気になさるところではございません。私はご主人様に仕える奉公人、いえ、使用人なのですから、好きに使ってくださって構わないのです」


 リーゼロッテのどこか必死さを感じさせる様子に、ユリウスは少し困ったようにふっと笑った。


 陶器のように白い肌に、花が咲いたような華やかさを彼女は感じ、その眩しさから彼の顔を直視できない。


(ご主人様が笑った……いえ、人間なのだから笑わないわけがないけど、初めて、かも……)


 どぎまぎする彼女の表情を確かめるように、ゆっくりと勿体(もったい)ぶった動作で彼女の顔を覗き込む。


「そのメイド服、よく似合っている」


「は、い……デボラさんに繕っていただきました。それもこれもご主人様が気にかけてくださったおかげです。ありがとうございます」


 リーゼロッテは頭を下げるが、ユリウスは「むう」と唸り、どこか不満げな表情だ。


 しばらく思案した彼は、少し言いにくそうに切り出した。


「……リーゼ。ご主人様はやめてほしい。ユリウスと呼べ」


「は、はい……かしこまりました……?」


(最初に好きに呼べ、とおっしゃってたような……?)


 頭の上に疑問符が浮かんでいる彼女をよそに、ユリウスは満足げに「よろしい」と口端を上げた。


 珍しく饒舌(じょうぜつ)な彼に対して(いささ)か疑問が浮かぶが、こちらの緊張をほぐしてくれてるのかもしれない、とリーゼロッテは少し嬉しく思った。


 と、思ったらすぐに笑みは消え、硬い口調が飛んでくる。


「現状を把握したい。デボラからはどこまで聞いてる」


「現状……とは使用人の仕事についてでしょうか?」


 ユリウスは首を振った。首から上の簡単な動作ならばできるようだ。


「それについては大体把握できている。私の病状についてだ。どこまで聞いた」


 彼の瞳が鋭く光り、リーゼロッテは身体を小さく震わせた。


(そうだったわ。ユリウス様のお身体のことは社交界でも出回ってないお話のはず。しかもそれが辺境伯……国防にも関わる情報を、部外者の私が知っているとなればただじゃすまない……)


 最悪、死か失踪扱いで幽閉か──少なくとも、彼女の一番身近なハイベルク伯爵ならばそうするだろう。


 しかしそれもいいのかもしれない。


 リーゼロッテの目に諦めの色が浮かぶ。どうせ追放された身だ。遅かれ早かれ野垂れ死ぬ運命だ。


 ただその時がまさに目の前に来た、それだけのことだった。


 彼女はかいつまんで説明した。


「……そうか。わかった」


 ユリウスのいつも通りの短い返事がひときわ素っ気なく聞こえる。もうどうにでもなれ、むしろやるならひと思いにやってほしいという気持ちでいっぱいだった。


「わかっていると思うが、この話は他言無用だ」


「はい……」


 リーゼロッテはユリウスの二の句をじっと待つ。が、待てども待てどもその時はやってこない。


 彼は彼女の気など知らず、優雅に窓の外を眺めている。焦燥感がじわじわとせり上がってくる。


「あ、あの……っ」


「なんだ」


「その……こ、殺さないのですかっ……!?」


 勇気を出して振り絞った声に、ユリウスは「……は?」と間の抜けた音を発した。







 くっくっと、肩を震わせるユリウスの横で、リーゼロッテは俯いていた。その耳は赤く染まっている。


「シュヴァルツシルト辺境伯が本当は子どもの姿だということは、世間では全く知られていません。隠匿されるほど大事な情報を知っている私をなぜ処分しないのですか?」と鬼気迫る表情で聞いてきた彼女に、思わず吹き出してしまったのだ。


(まさかそんなことを聞く令嬢がいるとはな。悲観的すぎると評価すべきか、存外頭が回るというべきか)


 ひとしきり笑った彼は、仕切り直すようにこほん、とひとつ咳払いした。


「……すまない、あまりに突拍子もない話だったので笑ってしまった。結論から言えば、処分しない。する必要がない」


「こ、こちらこそ、申し訳ございません。とんだ早とちりを……」


「いや、いい。社交界で流れる私の噂からして冷血漢と思われても仕方がないだろうからな」


 頭を下げ続けるリーゼロッテの姿に、ユリウスは少しだけ罪悪感を覚える。


 噂を放置したのは訂正する必要がないと思ったからだ。


 奉公人を追い出したのも、女性に大して興味を持てなかったのも、大体は事実だ。わざわざ否定する必要性もない──そう思っていた。


(たかが噂など実績で黙らせれば良い、と思っていたが……)


 目の前の恐縮しまくっている令嬢の姿に、それは間違いだったと思い知らされる。


「申し訳ございません……っ」


「いい。そんなに気に病むな」


「でも」


「もう一度この件で謝ったら処分を考える」


 ちらりと見やると、リーゼロッテは口をパクパクとさせていた。


 もちろん処分など考えていない。言葉の綾である。 


 再び笑いがこみ上げてくるが、流石にそう何度も笑い転げてはご令嬢に失礼だろう。


(しかし、久しぶりに笑った気がするな)


 ユリウスは水を一口含み渇いた喉を潤す。


 丁寧に吸い飲みを傾けた彼女は、神妙な面持ちを崩さず口を開いた。


「……その、いくつかお聞きしてもいいですか?」


「なんだ?」


「国王様はご存知なのですか?」


「知っている。私の身体について知るのは国王含む一部の王侯貴族と、この屋敷の人間だけだ」


 当然の疑問だろう。


 国王に拝謁(はいえつ)する場では小手先の誤魔化しは効かない。ならば先手を打って知らせようと、事実を話したのが七年ほど前のことだ。


 そのころちょうど社交界デビューしたリーゼロッテとは入れ違いという形で、彼が社交場に姿を見せる機会は減った。


 彼女は少し身を乗り出し、口を開いた。


「今まで他の貴族にどうやって隠してたのですか?」


「それなら……こうした」


 ユリウスはひとつ瞬きすると、彼の姿が一瞬ぼやける。


 それはすぐにおさまったが、白い長髪、紫電の瞳はそのままに、精悍な顔つきに均整の取れた長身のユリウスが現れた。


(私の願望もやや入っているが)


 驚きを隠せないリーゼロッテに、彼は内心、青くなったり赤くなったり驚いたり忙しいご令嬢だ、と苦笑した。


「幻影魔法だ」


「げんえ……い? 聞いたことがありません」


「それはそうだ。私が編み出した。今のところ全属性魔法を扱う私のみが使える魔法だろう。……と言っても、成長が止まってからは制御が難しくてな。動かなければ夜会に行って帰るくらいは持つが、ダンスなどは消耗が激しくて幻影の維持ができなくなる」


 はぁ、と若干釈然としない様子でリーゼロッテは頷いた。


 夜会で黙っていたのも幻影魔法だとバレないようにするためだ。


 ダンスよりはまだなんとかなるが、口の動きは時差が発生するためどうしても音声とズレる。万一、触れられでもしたら一発でバレる。


 幻影魔法は低位の魔法の合わせ技でなんとか扱えるのだが、彼は今、全盛期は使えていた高位の魔法がほぼ使えない。魔力が弱体化しても剣技があるので大して困ってないが、それでも魔法があれば、という局面に使えないのは痛い。


 青年のユリウスがかき消え少年の姿に戻ると、リーゼロッテは目をぱちくりさせる。その小動物のような動作に、ユリウスの口元には自然と笑みがこぼれた。


「今までの奉公人の方々に対しても幻影魔法で?」


「いや、このままで会った。もっとも、会ってすぐに叩き出したようなものだからな。先方からもからかわれたと後々お叱りをいただくこともあったが、()()()私の姿に関しての噂は広まらなかったようだ」


 ユリウスはとぼけるように肩をすくめた。実際は帰還したご令嬢の素行が悪く、「辺境伯が少年だった」と訴えても周囲に信用されなかっただけだ。万一、噂が広まったとしても王家が手を回して揉み消していただろう。しかし、それらをこの場であえて言うほど、ユリウスも先方の事情を熟知しているわけでもない。


「あの……いつからお身体の成長は止まったのでしょうか?」


「……明確な時期はわからん。両親が死に、戦争が終わり、王から再び領地を賜った頃には思うように魔法が振るえなくなっていたからそのあたりだろう」


「ご両親が……」


「ああ……馬車の事故でな。優しい人たちだったよ……」


 トーンの下がった彼の声に同調するかの如く、彼女もまた口元に手を当て悲痛な表情を浮かべる。息を呑む音が響いた。


「………そういえば、母はちょうどリーゼの髪の色によく似ていた。母は、遠目で見ると黒に見える深い紺色だったが、リーゼは漆黒か。とても珍しい色だな」


 彼はそう言って、懐かしむように微笑んだ。


「は、はい。父も母も姉と私が生まれた時に驚いたみたいで」


 急な話題転換についていけてない様子の彼女は、ほんの少し首を傾けた。かっちりと(まと)めた髪は見るからに(つや)やかで、窓から差す光に当てられ環状に輝いている。眩しそうに目を細めたユリウスは


「……美しいな」


 とポツリと洩らした。


 首を傾けた姿勢のまま固まってしまったリーゼロッテの様子に一歩遅れて、自分が何を口走ったのか自覚したユリウスは思わず顔を背けた。


「……他意はないぞ」


 耳まで赤くした彼の言葉が果たして彼女に届いたかどうかまでは、彼にはわからなかった。

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