78.二人は抱き合う
ユリウスを見下すように見つめていたヘンドリックは、堪えきれず笑い出した。
「返す……ははは……これは失礼。私は娘を嫁に出したつもりはありませんよ。ハイベルク家に戻すのです。元あったところに戻すのですから返すも何も」
円形の空間に、彼の不躾な笑い声が残響する。
ユリウスは不愉快そうに眉を微かに上げた。
「ほざけ。娘をあのように扱う父親がどこにいる」
「……心外ですな。貴族の子供など親の駒以外なんの存在価値が?」
笑うのをやめたヘンドリックは、恐ろしく冷たい視線を彼に向ける。
その言葉に、態度に、父親としての情は全く感じられない。
「ある。少なくとも私には」
(言ったところで理解は得られないだろうが)
ユリウスはひとりごちた。
そんな彼の内心を知ってかしらずか、ヘンドリックは小馬鹿にしたように笑う。
「どうせあなたもあれでしょう、あの子の力目当てで婚約したいのでしょう? あの子がいれば辺境の騎士は無敵になれますものねぇ……」
「黙れ。私は彼女の力などなくとも婚約していた」
「結果論でしょう?」
ヘンドリックは薄気味悪い笑みを浮かべている。
何を言おうが彼の凝り固まった思想は変えられないだろう。
彼にとってもはやリーゼロッテは、妻を生き返らせる鍵でしかない。
十三年も妻の遺体を保存し、いつどこで生まれるかわからない時の聖女を待つなど正気の沙汰ではない。
娘に対する言動からも、そこにいるのはただの無慈悲な指揮官──いや。
(……我儘な狂人か)
「子供を利用して死んだ妻を復活させようとしている男には分からないだろうな」
ユリウスの言葉に、ヘンドリックは肩を微かに動かした。
それまで冷徹でどこか侮蔑するような彼の瞳に、初めて激しい感情を伴った色が宿り始める。
「……お前には分かるまい。若くして愛するものと別れるなど……復活を願う私は異端か? 間違っているのか? 私は妻に置いて行かれたのだ。そこに時の聖女がいたら死んだものの復活を願ってはいけないのか?」
怒りに震え、まるで自分ば違っていないと言い聞かせるように言い連ねる彼に、ユリウスは遠い過去に思いを馳せる。
彼の両親の在りし日を。
(……だが……)
「…………その願いは、死に別れた者が誰しも通る。私にも……覚えはある……」
「だろう? ならば……」
「だが」
理解者を得られたようなヘンドリックの声色を、ユリウスは真っ向から否定するように鋭い視線を向けた。
「……死んだ者は生き返らない。生き返らせてはならない」
紫電の瞳が強い光を帯びる。
低く凄みのある声に、思わずヘンドリックはたたらを踏んだ。
「置いていかれた、と言ったな?」
ユリウスは僅かに動揺したヘンドリックから視線を外さず続けた。
「お前が妻を生き返らせた時点で、妻は世界に置いていかれたように感じるのではないか? 復活させたお前を恨むのではないか? 妻の苦しみを理解した上でそれでも、それを願うのか?」
「……はっ。娘と同じことを言うのだな」
ヘンドリックは心底がっかりしたように鼻で笑った。
「私がいれば彼女は苦しまない。感謝こそすれ、私を恨むなどエルーヴィラはしない」
自信満々に断言するヘンドリックに、ユリウスは深いため息をついた。
「……もういい、悪いが、そこを通してもらう」
平行線どころではなく、相手はこちらの言い分を理解しようと言う気がさらさらない。
これ以上は議論の無駄だ、とユリウスは剣を引き抜いた。
彼の凄まじい気迫を前に、ヘンドリックは呑気に細剣を構えることなく、相変わらず薄い笑みを浮かべている。
「いいですよ……ここを越えられれば、ですが」
余裕綽綽なヘンドリックの様子に、ユリウスは微かに眉をひそめた。
隙だらけの彼がここまで余裕になれるということは、何かある。
ユリウスは慎重に間合いを詰めようとにじり寄る。
ある程度近づいたところで、ヘンドリックの余裕の理由が分かった。
「……なるほど、強化ガラスか。通りで余裕があるわけだ」
頭上で光らせていた魔法光が、微かに強くなったのが分かる。
(おそらく、もう二歩先にガラスがあるな)
「それが分かったところで、魔法と剣が主力のあなたにはどうすることもできない」
ヘンドリックの笑みが深くなる。
(たしかに魔法は反射、生半可な剣では太刀打ちできない……が……)
ユリウスは視線を方々に巡らせた。
この場から出る道は前に一つ、ユリウスが来た道が一つ。
来る途中、怪しいと思われた隠し扉は全て発見してきた。
(……となれば)
ユリウスは片手を天に突き上げた。
途端にその手を中心に空気が動き、たちまちそよ風の渦を作る。
「バカめ! そんな風など起こして何になる!」
高笑いするヘンドリックをよそに、ユリウスは静かに目を閉じた。
(…………魔力ではなく、風の流れを感じる……だったな)
過去の誰かの言葉を思い出し、彼は少しばかり苦笑する。
そよ風は反射され、ユリウスだけでなく部屋全体に風が吹き荒れた。
床や壁、天井の埃が舞い、苔がこそぎ落とされる。
ふと、絶え間なく反射され続ける風の中に、僅かな違いだが一部風が弱くなる部分を見つけた。
(……そこか!)
ユリウスは頭上の魔法光を思いきりガラスにぶつけた。
「な……?!」
眩い光が部屋全体を包み込む。
あまりに突然のことに、悠長に構えていたヘンドリックは目を焼かれ悶絶した。
「目が……! くそっ! どこだ!?」
「ここだ」
声は狼狽るヘンドリックの背後からした。
光に焼かれた瞳を向けようと、振り向いた時にはすでに遅し。
「がっ……!」
首の裏に鋭い衝撃が走りヘンドリックは倒れた。
回り込んだユリウスが剣の柄を首に叩き落としたのだ。
彼が風を起こしたのは、隠された道を確認するためだ。
今まで進んできた道に脇道がなかったことから、この部屋の中に道があると考えた。
しかしそれらしい場所はない。
となると怪しいのはガラスだ。
ガラスの中で一部分だけ人が通れる道があるとしても、分かりやすくぽっかり空いている訳がない。
魔法を反射する特性上、魔力を使うような解錠方法は考えられない。
引き戸か開き戸か──原始的な形状だが、とにかく扉状になっていることが予想された。
そこで風だ。
扉ならば風を僅かでも通すはず。
その読みが見事に当たった。
(駄目なら駄目で耐久力限界まで魔力を叩き込む方法もあったが……地下道の崩落を招きそうなことは避けるべきだろう)
先ほどの揺れも気になる。
これ以上、地下を形成する石に負荷をかければ簡単に崩落を起こすだろう。
白目を剥き、伸びているヘンドリックをユリウスは光の帯で拘束した。
懐を探ってみたが、リーゼロッテを拘束している鍵らしきものは見当たらない。
(……彼女を外に出す気すらなかったのか……?)
一瞬目の前が赤くなった彼は、手にした剣をヘンドリックの首元に向け──下ろした。
(…………今はリーゼを早くあの部屋から出すことが先だ)
そのままヘンドリックを床に転がすとユリウスは先を急いだ。
ユリウスはさらに進み、突き当たった扉を開いた。
雑多な印象の部屋の奥は、不自然に広く感じる何もない部屋。
微かに残る香の匂いを風で霧散させると、彼は部屋の中へと踏み出す。
──いた。
その部屋の中ほどに、リーゼロッテは肩を上下させうずくまっていた。
なぜかその周りが水で濡れている。
「リーゼ!」
「……ユリウス……様……」
ユリウスの呼びかけに、彼女はたどたどしく応える。
重い鎖を引きずりながら彼に近寄ろうとする彼女を、ユリウスはその腕で受け止めた。
お互いの温もりを確かめるように、ひしと抱き合う。
濡れた彼女の身体は氷のように冷たく、ぶるぶると震えていた。
黒く長い髪も、水分を含んで薄暗い地下室の中でもいくらか艶めいて見える。
ユリウスは魔法で彼女の衣服を乾かすと、温めるように彼女の背をさすった。
二人の口から安堵のため息が漏れる。
「ご……無事で……なにより……で……」
「……遅くなってすまない。よく耐えた」
彼女はゆっくりと首を横に振った。
気力も体力も底をつき、どうしようもなくなった彼女は、それでも気を失うまいと水魔法で自身に冷水を浴びせ続けていた。
おかげで魔力はほとんど底をついたが、ユリウスの温もりだけでも生き返るような心地がする。
ユリウスはおもむろに身体を離すと、彼女を縛る手枷に剣を立てた。
それを軽く突き立てると、手枷はいとも簡単に割れた。
軽くなった両手で再びユリウスに抱きついたその時。
低く長い、地響きのような音が頭上から響いた。
「リーゼ!」
ユリウスは彼女を庇うように抱きすくめると、自身も身を低くした。
机の上の実験器具がカタカタと揺れ、そのいくつかが落ちて割れる。
本棚もゆらゆらとゆり動き──やがてその動きは止まった。
「また揺れたな……早くここを出よ……」
ユリウスはリーゼロッテから身体を離し、途中で静止した。
その端正な顔が、僅かに苦痛で歪みゆっくりと背後に振り返った。
「……!」
彼の背には一本のナイフが深々と刺さり、その根本からは鮮血がナイフを伝っている。
ぽたり、とその一滴が床に落ちた。
「ユ、リウス様っ……!」
弾かれるように叫んだリーゼロッテの目は、ユリウスの奥にナイフを投げ放った形で悍ましい笑みを浮かべるヘンドリックを、確かに捉えていた。




