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77.二人は触れたい

 アンゼルムと別れた後、暗い石造りの地下道を、ユリウスは手元に浮かばせた魔法の明かりを頼りに慎重に進んでいた。


 堆積した苔が角に生え、どこからか黴臭い匂いが漂ってくることからも、安易に換気ができるような構造でないことが分かる。


 しかし、地下道は()()が頻繁に出入りしているのか、苔で滑って歩けないといったほどではなかった。


 誰か──十中八九、ヘンドリックが。


(……しかし、リーゼを欲しがる理由がわからない)


 ユリウスは足を止めることなく考える。


 婚約に反対したのも追放を解くつもりだったのも、リーゼロッテを手に入れるためだろう。


(こんな騒ぎまで起こして、そこまでしてリーゼが欲しい……あるいは)


 ふと、ユリウスは足を止めた。


 石造りの壁と同化しているが、ほんの少し色の違う壁が目に入る。


 ちょうど人ひとりほどの大きさだ。


 彼はその壁を、温室の時の要領で溶かすと中を窺った。


 入り口の割には案外広い部屋だ。


 こちら側は不自然なほど何もないが、部屋の半分向こう側は本や実験器具が所狭しと──。


「……リーゼ!」


 煩雑に置かれた物の中心に、長い鎖に繋がれたリーゼロッテがベッドの縁にもたれるようにうずくまっていた。


「……ユリウ……ス、さま……!」


 霞む目をしばたたき、彼女はよろめきながらユリウスの元に近寄る。


 ユリウスもまた、彼女を受け止めようと近寄るが、ちょうど部屋の中央──見えない壁に阻まれた。


 彼はいくつか魔法を使ってみるが、全くびくともしない。


 それどころか全て反射され、ユリウスに襲いかかってくる。


「くっ……強化ガラスか……! こんなものまで……」


 ユリウスはほぞを噛んだ。


 魔法を反射する強化ガラスは硬さも一級だ。


 剣すらも弾くと言われている。


 咳き込みながら肩で息をするリーゼロッテを彼は眉を下げ見つめた。


 顔色は悪くない。


 むしろ熱にうなされるように上気して、とろりと潤んだ瞳でユリウスを見上げていた。


「……何か盛られてるのか……?」


 明らかに様子がおかしい。


 無言で目を瞑り、微かに頷いた彼女の様子に、ユリウスは拳を震えさせた。


 その手を縛る手枷でできた傷が痛々しい。


(実の娘になんてことを……早く……助け出さなければ……!)


 焦るユリウスの目に、リーゼロッテの背後の扉が映る。


「リーゼ、少し待っていてくれないか。そこに扉があるならその部屋への道があるはずだ」


「いけませ、ん……!」


 リーゼロッテは咳き込みながらも必死に首を振って彼を引き止める。


 焚きしめられた香の煙が肺をこれでもかというほど締め付けている。


 息をするのも辛い、意識を手放せたら楽になれるだろうことは、彼女にも分かっていた。


 しかし手放してしまったら、ユリウスはきっと自分を助けに来てしまう。


 ──そうしたらお父様に……。


 彼女は喘鳴と共になんとか声を振り絞る。


「お、父様は……正気では、ありません……! おかあ、様を私のちか、らで……生き返らせるつもり、です……!」


「…………!」


 リーゼロッテの言葉にユリウスは息を呑んだ。


 彼女の背後を見やれば、妙齢の女性が横たわっている。


(あれがおそらく、リーゼの母……か……? どうやって時の聖女について知った……? いやそんなことはどうでもいい)


「ユリウス、様……殺されて、しまいます……! 逃げて、ください……! 私は……大丈夫、です……」


 ガラスに寄りかかるように座り込むと、彼女は弱々しく微笑んだ。


 少しでも彼が安心できるように、と。


 ユリウスは眉根を寄せ、しゃがみこんだ。


 白の軍神とも言われる彼には、国内外通して敵う者などいない。


 そのことはリーゼロッテも承知のはずだが、もはや香のせいで意識を保つのがやっとな彼女の記憶からはすっかり抜け落ちていた。


(……こんな……自分の方が辛かろうに、私の心配ばかり……)


 ガラス越しに彼女の苦しさが伝わるようで、僅かでもその苦しみを除けるようにと、彼は彼女の背の部分に手を当てる。


 ひやり、と無機質な感触に、眉間の皺をより深めた。


「……こんな状態のリーゼを置いて逃げられるわけがないだろう……っ!」


「私は、だいじょう、ぶです、から……どうか」


「リーゼ!」


 堪らず彼はガラスを拳で叩いた。


 拳の震えを誤魔化すように、彼はガラスに額をつける。


(……頼むから、大丈夫だなんて強がらないでくれ)


 驚き目を丸くした彼女に、彼は優しく語りかける。


「……リーゼがいないと、私が大丈夫ではない」


 思いの外気弱な声音に、リーゼロッテはさらに目を見開く。


「言っただろう。私のそばにいて欲しいと……」


「……ですが……」


「片時も離れたくない……リーゼ、だから諦めないで欲しい。私は必ず君を助け出す」


 ユリウスは力強く頷くと拳を開いた。


「……ユリ……ウス様……」


 彼の眼差しに、リーゼロッテの頬を一筋の涙が伝う。


 ゆっくりとガラス越しに手を重ねると、額を合わせた。


 碧玉の瞳と紫電の瞳とが絡み、二人の息遣いだけが響いた。


「……待っててくれ」


「……はい……お気をつけて……」


 名残惜しそうに額と手を離すと、彼は地下道を再び進み始めた。












 しばらく道なりに進むと、ユリウスは開けた場所にたどり着いた。


 リーゼロッテの捕まっている部屋よりも広く、天井も高い。


(まるで小さな闘技場だな……)


 向かいには通路が伸びているが、鉄格子がはまり、これ以上は進めなかった。


 その手前に、彼がいた。


「……やはり来たか……ユリウス・シュヴァルツシルト……」


 琥珀色の瞳に狂気を宿し、痩身の身に似つかわしい細剣をぶら下げているヘンドリックを前に、ユリウスは剣の柄を握る。


「リーゼを返してもらおう、ハイベルク伯爵……いや、ヘンドリック」


 二人は互いを睨み合うように対峙した。

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