76.お姉様は追い詰められていた
使用人たちの報告を聞いたアンゼルムは、ユリウスに意見を求めた。
「ユリウス様、やはり……」
ディートリンデが逃走した後、ユリウスはすぐ使用人たちを集めヘンドリックを見たものがいないか聞いた。
その結果、ヘンドリックの姿を見たものがいないことが分かった。
そして今、屋敷中を使用人たちが探しているが、未だ二人は見つかっていない。
右往左往する使用人やアンゼルムたちの耳に唐突に何かが弾けるような音が聞こえた。
皆が不思議がる中、ユリウスは立ち上がると険しい表情であたりを見回す。
「……アンゼルム」
周囲を警戒するような彼に、アンゼルムは怪訝な表情を作る。
アンゼルムも視線を巡らせてみるが、赤を基調とした見慣れた玄関があるだけで、不審人物がいる気配もない。
「今からこの場は貴君に預ける」
帯剣していることを確認すると、ユリウスは足早に外へと向かおうとする。
「ユリウス様……? どちらへ」
「……」
声をかけられたユリウスは、逡巡したのか足を止めた。
彼は言うべきか迷っていた。
つい今し方、リーゼロッテの指輪に仕掛けられた障壁が発動された。
魔力感知や探索魔法は完全に遮断されるが、それが分かればいくらでもやりようがある。
指輪の魔力が発動されたと同時に、特定の音を発するように仕掛けていたのだ。
(……障壁が発動したということは、リーゼが身の危険を感じたということ……急がなければ)
アンゼルムのことだ。
状況を説明すればついてくると言いかねない。
しかし屋敷の方にも、信頼できる誰かが統率として残っていて欲しかった。
(音からしてかなり遮蔽物がある……建物の中、と言うよりこの感じは……)
いずれにせよ急がなければならないことには変わりない。
しばし佇んだ二人の間に、彼女が現れた。
「……私がこの場を預かります」
「……継母上?!」
驚くアンゼルムに小さく微笑むと、ナターリエはユリウスの背中に毅然とした態度で話しかけた。
「私の前夫は騎士でした。有事の際に家を預かるのは騎士の妻の務めでございます。当主がいないならば、私がこの場を取りまとめるのが道理でございましょう」
「……継母上……」
「代わりにリーゼロッテ……娘を必ず助け出してくださいませ」
継母の凛とした声色に、アンゼルムは背筋を伸ばした。
彼は正直、彼女のことを侮っていた。
父や長姉の様子ばかり伺うしかできない弱い人間だとばかり思っていた。
しかし、今目の前にいる彼女は非常に堂々と、覚悟を持ってユリウスに申し出ている。
それを察してか、ユリウスも彼女に向き直ると頭を下げた。
「……こちらこそ、お願いいたします。必ず御当主と御令嬢をお連れいたします。アンゼルム、行くぞ」
「はい。ですが……どちらへ?」
アンゼルムは眉をひそめた。
「立ち入り禁止の場所だ」
ユリウスの言葉に、以前話した場所が思い浮かぶ。
「温室……! こちらです!」
アンゼルムは言うが早いか、庭へと駆け出した。
目的の場所は玄関から真裏に当たる。
煉瓦造りの花壇に小ぶりの花が規則正しく並ぶ。
植え込みの奥にはガラス張りの小さな温室があった。
半分より下は曇りガラスなのか、中の様子は外からでは全く見えない。
「こちらです」
「……」
(先程の音もこの辺り……ならばここで間違いないだろう)
きぃ、と微かな音を立ててドアが開く。
中は一見、普通の温室だ。
石畳が伸び、中央に円形の空間が小さく空いている。
それ以外は全て何かしらの植物の鉢が所狭しと置かれていた。
貴族が観賞するためや、茶会を開くための温室もあるが、こちらは本格的に植物を育てるための温室なのだろう。
様々な種類の植物が煩雑に置かれている。
安全な植物もあれば、その隣に猛毒のため触れることすらできない植物もあった。
おそらく、育成方法で置き場所を分けているのだろう、とユリウスは構えながら思った。
「初めて入りましたが普通の温室……ですね……」
「ああ……しかし……」
ユリウスは石畳の上を数回、行ったり来たりを繰り返した。
アンゼルムの目には奇行に映るかもしれないが、あまり説明している時間はなかった。
やがて中央付近でぴたり、と立ち止まると、
「……ここか」
石畳に剣を突き刺した。
弾かれる、と思いきや、すんなりと石畳の隙間に剣身が入る。
「……ユリウス様?」
「集中させてくれ」
不思議がるアンゼルムにそう言うと、彼は剣に魔力を込め始めた。
淡く白い光が剣から石畳へと吸い込まれるように流れる。
次第に剣を中心にずぶり、と沈むように石畳が崩れた。
ユリウスが剣を抜き取る頃には、深い闇に誘うような地下への階段があらわになっていた。
「……これは……」
「地下室……だろうな。おそらくかなり広い。気をつけろ」
二人は頷き合うと、ゆっくりと階下へ降りていった。
使用人たちがヘンドリックを探し、慌ただしく駆けずり回っていた頃、コルドゥラもまた自身の主人を探して回っていた。
ヘンドリックの部屋から戻ったディートリンデはコルドゥラに酒を持ってくるように言うと、それを浴びるほど飲んだ。
今まで見たこともないほど彼女は荒れた。
それこそ部屋のありとあらゆるものを投げ、壊し、濡らし、引きちぎるほどの荒れようだった。
彼女が止めようが、ディートリンデはお構いなしに飲み続けた。
そうして思い立ったように「お父様……リーゼロッテ……」と呟き、コルドゥラに片付けを命じるとふらりと部屋から出ていった。
大方、ヘンドリックに気に入らないことを言われたのだろう。
片付けを命じる時は大抵ついてくるなと言うことだ、どうせすぐ帰ってくる、とタカを括っていたのだが、一向に部屋に戻る気配がない。
それどころか、当主とリーゼロッテが行方不明になったと言うではないか。
ディートリンデもいないことをユリウスに伝えたが、「先程リーゼロッテの部屋の前で会った」とにべもなく言われてしまった。
しかし、コルドゥラは何とも言えない胸騒ぎを感じていた。
(最近、辺境伯ともやり合ったようだから、彼女のプライドもボロボロなのでは……変な気を起こしかねないわね)
コルドゥラから見たディートリンデは非常に幼い。
幼くて短絡的で周りのことがまったく考えられない。
令嬢として見ても対外的には繕えているが、おそらく他に劣っているだろう。
よくこんなもので王太子妃に推挙されたな、というのが正直な感想だった。
とはいえ、そんな彼女でも今は一応、コルドゥラの主人だ。
急ぎでひとり、探し回っていると、とある一室の扉が半開きになっているのを見つけた。
古い家具やナターリエのあまり使わなくなった精油を一時的にしまっておくだけの、普段使われていない物置部屋だ。
そっと中を覗けば、家具の前でいじけたようにうずくまるディートリンデの小さな背中が見えた。
「お嬢様、こちらにいらしたのですね」
コルドゥラの声に、ぴくり、と肩を震わせたディートリンデはゆらり、と立ち上がった。
「ああ……あなた……なんなの? 邪魔しにきたの?」
「……御当主の姿が見えなくなったそうです。今使用人総出で探しております。お嬢様の姿も見えなかったので……」
「……」
ディートリンデは振り返ろうとしない。
その背中がどこか危うく、不気味さを感じさせる。
「……なにを……しておいでですか……?」
思わずコルドゥラは聞いた。
よくよく見てみると、ディートリンデの手元あたりだけ妙に明るい。
燭台を手にしているからだろうが、それにしては大きな光に見える。
そもそもこんな燃えやすいものばかり置いた部屋に、火のついた燭台を持ってうずくまるなど不自然だ──。
ハッとしたコルドゥラは悲鳴に近い声を上げた。
「お嬢様! おやめください!」
駆け寄る気配を感じたのか、ディートリンデは素早く振り返ると、燭台を勢いよく古い家具へと放り投げた。
「五月蝿いわね! 私に逆らわないでよ! 私は伯爵令嬢よ!? あんたみたいな名無しモブに命令なんかされたかないわよ!」
「お嬢様!」
ゆっくりと燃え上がる火を背に、ディートリンデはその瞳をギラつかせた。
(本当に、お世話が大変なお嬢様だわ)
コルドゥラは内心舌打ちをする。
しかし、今はディートリンデへの苦言よりも、燃え広がりつつある火をどうにかする方が先だ。
(この場にいるのがリーゼロッテ様なら水魔法で消せるのに)
幸いまだ、火は小さい。
「早く火を消さなければ……」
「……こんな思い通りにならない世界、燃えればいいのよ……」
ディートリンデの呟きは、鞭を打つような火の音にかき消された。
心ここに在らずといった彼女の腕をコルドゥラは引く。
「厨房に水を取りに行ってきます! お嬢様は早くお逃げく……?!」
コルドゥラの耳に、何かが複数パリン、と割れた音が響く。
──精油の瓶。
「お嬢様!」
「……え……?」
二人の影が折り重なるように合わさるその瞬間、影すら打ち消すほどの光が爆ぜた。
地下を進むユリウスとアンゼルムの頭上から、微かな音と砂が落ちる。
「……揺れましたね」
「ああ、上で何かあったのかもしれん……」
ユリウスは立ち止まった。
黙り込んだ彼をアンゼルムは静かに見つめた。
どうすべきか考えているのだろうが、アンゼルムの答えは決まっていた。
「私は戻ります」
「…………アンゼルム」
アンゼルムは廊下の先を見つめた。
あの向こうに姉が──おそらく父に捕われているのだと思うと、揺れなど気にせず先に進みたい。
しかし、地下に響くほどの音と揺れがただ事でないことが起こったと示している。
(……ユリウス様の方が姉上を助けられる確率は高い)
悔しそうに視線を戻すと、ユリウスに頭を下げた。
「……姉上をよろしくお願いします」
「……わかった。そちらも気を付けろ」
彼の無念を受け取るように、ユリウスは重々しく頷いた。




