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73.お姉様の思い通りにはならない

「リーゼ!」


 ユリウスとアンゼルムはリーゼロッテの部屋に踏み込んだが、彼女の姿は無かった。


 燭台に灯っていたであろう灯りは消えてからずいぶん経つのか、煙すら立ち上っていない。


 開け放たれた窓から吹き込んだ風でカーテンがはためく。


 がらんとした部屋には、ほのかに何かが燻ったような匂いが残っていた。


 ベランダに出て確認してみたが、誰かが侵入した形跡も出て行ったような形跡も見当たらない。


(やられたか……)


 ユリウスはベランダの柵に拳を叩きつけた。


「ユリウス様……リーゼは……」


 イーヴォの言葉にユリウスは首を振る。


「窓を開けて証拠隠滅、もしくは盗賊の仕業と見せかけた、といったところか……」


 ベランダから室内に入ると、イーヴォの顔色が悪いことに気がついた。


 よく見ると耳や尻尾が垂れ下がっている。


「……イーヴォ、大丈夫か」


「ええ……この匂い、少し痺れる感じがします……」


 辛そうに顔を歪めたイーヴォは、部屋に来る前からハンカチで鼻から下を覆っていた。


 しかし、布越しでも匂いが分かるのか苦しそうに肩で息をしている。


「あまり吸うな。おそらく気絶させるような成分が含まれた香だろう。長時間吸うとやがて意識を失う」


「よくご存知ですね」


 アンゼルムの顔を一瞥すると、ユリウスは僅かに顔を俯かせた。


「……昔、少しこの手のものに詳しくなる機会があってな」


 王城でテオの従僕をしていた頃、似たような香を嗅いだことがある、とは言えなかった。


 第一王子たるテオの暗殺や誘拐の危機を事前に察知できるように、その手の(たぐい)の香や毒は一通り特徴を掴んで耐性も得ている。


 テオは、自分は王位継承順位も低いからそこまでやらなくても良いとは言ったが、世話になっている手前そういう訳にもいかなかった。


 それに幼い彼自身の中に、両親を殺した者への復讐心がなかったわけでもない。


 それらの知識がいつか役に立つのではないかと、必死で身体を慣らした。


(……まさかそれがこんな形で役に立つとは……)


 ユリウスは皮肉めいた笑みを浮かべる。


「しかしいったい誰が姉上を……」


「…………まだそれは分からないが……」


 ユリウスは言葉を濁した。


 大体見当はついているものの、それを今言ってもいいものか。


 彼は未だ苦悶の表情で立っているイーヴォの肩に手を置いた。


「イーヴォ、お前は香の匂いがしないところまで避難してくれ」


「ですが……」


「匂いを辿ればリーゼには辿り着くだろうが、イーヴォに倒れられたら困る。安全なところにいてくれた方が、こちらに何かあったときに心強い」


 主人にこうまで言われ、ややあってイーヴォは頷いた。


「分かりました……それでは私は厩舎(きゅうしゃ)周りを探してみます。ユリウス様も……お気をつけて」


 イーヴォがよろめきながら部屋を立ち去るのを見守ってから、ユリウスもまた部屋から出ていこうとノブに手をかけた。


「ユリウス様、ここから距離はありますが、兵の詰所がございます。至急、賊を追うよう手配いたします」


「……ああ、外に逃げたならそのようにすべきだな。だが……」


 アンゼルムの申し出に、ユリウスは確信めいた声色で言った。


「リーゼはまだ屋敷の敷地内のどこかにいる」















 廊下に出た二人は、いくらか千鳥足のディートリンデがこちらに向かってくるのが見えた。


 月明かりひとつない中、点在する蝋燭の灯りに照らされ、まるで浮かんでは消える亡霊のように不気味だ。


「ああ、誰かと思ったらユリウスとアンゼルムじゃないの。リーゼロッテはどこよ?」


「…………姉上、酔っていらっしゃるのですか? 僕はともかく、呼び捨てなどユリウス様に失礼です」


 アンゼルムのやや険のある冷静な言葉に、赤ら顔のディートリンデは不愉快そうに顔を歪める。


「五月蠅いわね。酔ってなんかいないわよ。ていうかあんた、一番不人気な攻略対象のくせに生意気よ」


 アンゼルムを指差した彼女の視線は焦点が合わず、彼は若干眉をひそめた。


 いくらか呼気が酒臭い。


 どうやら本当に酔っているようだ。


 攻略対象、という聞いたこともない言葉に二人は首をひねる。


 意味はわからないが、蔑みを含んだ物言いだということだけは分かった。


「……? 何を仰っているのです?」


「分からないならいいのよ。説明してもどうせ分かりっこないでしょうし」


 馬鹿にしたように鼻で笑うと、彼女は窓に手をついた。


「……悪いがそこを退いてくれ。急いでいる」


「嫌よ」


 そう言って彼女はユリウスを睨みつけると、大仰な態度で立ち塞がった。


 微かに動いたユリウスの眉を確認すると、彼女はにたり、と口端を上げる。


 まるで邪魔をすることで相手が困るのが楽しいかのような彼女の表情に、ユリウスは目を細くした。


「もしや、ディートリンデ姉さんがリーゼロッテ姉さんを……!? 姉さんをどこにやったんだ!」


 アンゼルムが上げた声に、笑うのをやめた彼女はゆっくりと首を傾ける。


「リーゼロッテ? なにがあったのか知らないけど、私もあの子に用事があるの。退いてくれる?」


「……彼女はここにはいない」


「いない?」


 聞き返した彼女にユリウスが無言で頷く。


 するとしばらく口の中で何かをぶつぶつ呟いた彼女は、突然糸が切れたように笑い出した。


 壊れた人形のように高笑いをする彼女を前に、二人は顔を見合わせる。


「私イライラしてるの。フリッツも、リーゼロッテも、父親も、みーんな私の思い通りに動いてくれないのよ。たかがゲームの世界の人間のくせに」


 ひとしきり笑った彼女は、ろれつの回らない口で意味のわからない事を口走ると、ユリウスを力一杯指差した。


 その表情には明らかな敵意が含まれている。


「特にあなた! ユリウス、なんて攻略対象でもなければフリッツのセリフに一回出てきただけのモブ中のモブなのに!」


「……さっきから聞いていれば、ゲームの世界? もぶちゅうのもぶ? 一体何を言っている……?」


 その場で地団駄を踏む彼女を、彼の紫色の瞳は冷静に捉えていた。


 たかだか酔っ払いの話だ。


 しかし聞き流すには少々長すぎる。


 彼の冷静な瞳の奥に、じれるような焦燥感が宿るのをすぐ横にいたアンゼルムは感じた。


「ディートリンデ姉さん、何を言ってるのか分からないがユリウス様に失礼だ」


「だから五月蠅い! その名前で呼ばないでよ! 私はあんな悪役令嬢なんかじゃないってば!」


 再び駄々っ子のように地団駄を踏んだ彼女を、ユリウスは怪訝な表情で見つめた。


(まただ。攻略対象、ゲームの世界、もぶちゅうのもぶ、悪役令嬢……なにかの暗号か……? しかし、それにしては私たちにベラベラとそれを喋りすぎている……)


 酒で妄想が垂れ流されているのか、それとも本心が垂れ流しにされているのか。


 詳しいことは何一つ分からないが、彼女が彼らを傷つけようと声を荒げているのだけはわかった。


「……なんで……」


 踏み締めた白い床を見つめ、俯いていた彼女はぽつりと呟いた。


 顔を上げ、憎悪に満ちた視線をユリウスに投げる。


「……なんであんたなんかに……双子の見分け方がわかっちゃったわけ?! なんで父親も全部わかってたわけ?! おかしいわよ!」


 呆れ返ったユリウスは微かに首を横に振った。


 アンゼルムも、高圧的で幼く他罰的な彼女に辟易したような表情を浮かべている。


『直感』が形作る黒いもやは、もう彼女の全身が見えないほどに竜巻のようにとぐろを巻いている。


 しかし、もはやこうなっては『直感』などなくとも、誰の目から見ても彼女たちの区別はつくだろう。


 長年共に過ごしたであろうヘンドリックならば尚更、彼女らの見分けはつくのではなかろうか。


 しかし周りの冷ややかな反応にも関わらず、彼女はなおも驕慢(きょうまん)な態度を崩さない。


「教えてあげる。あなたもこの世界も全部作り物よ! ここは乙女ゲームの世界で私はこの世界を作った人物と同じ世界の人間よ! この世界の神様と同じなのよ!」


 ふんぞり返ったディートリンデは勝ち誇った笑みを浮かべる。


 もはや貴族令嬢としてもいかがなものな態度に、ユリウスは顔を背けた。


「驚きすぎで何も言えないでしょ? あなたたちはただの人形。プログラムされた人形なのよ! 分かったら早くプレイヤー(わたし)の思う通りに動きなさいよ!」


「アンゼルム……」


 意味不明な言葉の羅列に、ユリウスは思わずアンゼルムに意見を求めた。


「……酔っていないのなら、彼女はなにか錯乱しているのかもしれません」


「私は正気よ!!」


 ヒステリックに叫んだ彼女は、赤ら顔を怒りで真っ赤にさせた。


 ぶつぶつと「どうして信じてくれないの、本当のことなのに」と呟きが聞こえるが、そもそも彼女に対して信用などないのだ。


 その彼女の口から出る荒唐無稽な話を、信じろと言う方が難しい。


「……もう一度言う。退け。さもなくば斬る」


 ユリウスは腰に差した剣に手をかけた。


「い、良いわよ! どうせここはゲーム世界なんだから、私は死なない!」


「姉さん、何言ってるんだ。斬られたら死ぬ。そんなことも分からなくなったの?」


「死なないってば! プレイヤーは死なないの!」


「姉さ……」


「アンゼルム、いい」


 説得しようと声を上げたアンゼルムを、ユリウスは制した。


 多少気になる点はあるが、酔っているのは明白だ。


 酔っ払いに説得など通用しないだろう。


「分かった……ならば斬るのみ」


 ユリウスは鞘から一気に剣を引き抜くと、ディートリンデに向けた。


 燭台の火に照らされぬらり、と剣身が妖しく煌めく。


 ディートリンデは、彼の瞳だけでなく、その身体、剣身の先までもが鋭い殺気を放っているのを肌身で感じた。


「ひっ………! きょ、今日はこれくらいにしておいてあげるわ……! お、覚えてなさい!」


 先ほどまでの威勢は何処へやら。


 ディートリンデは捨て台詞を吐きながら脱兎の如く逃げ出した。


「……」


 彼女の背中が完全に見えなくなるのを確認し、剣を鞘に戻す。


「……愚姉が失礼を……申し訳ございません」


「……アレは捨て置く。そのうち大きな過ちを起こして自滅するだろう」


「……やはりディートリンデが姉上を攫ったのでしょうか?」


 アンゼルムの問いかけに、ユリウスは首を横に振った。


「いや。彼女はやってない。おそらくリーゼが連れ去られたことも知らない」


「では誰が」


「…………それを今から確かめる。その前にアンゼルム、使用人たちにひとつ指示を出してほしい」


 重々しい口調のユリウスは、ディートリンデが去ったその先を射抜くように見つめていた。

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