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68.リーゼロッテは騙される

 翌朝、食堂に降りたリーゼロッテは狼狽する父の声を聞いた。


「なんだと? どういうことだ」


 あまり感情を表に出さないヘンドリックが珍しく焦っている。


 リーゼロッテは食堂に入っていいものか、と咄嗟に扉の後ろに隠れてしまった。


「で、ですから……どうやら昨晩にかけての豪雨で辺境伯領へ向かう街道が寸断されてしまったようでして……」


 口ごもる従者に、ヘンドリックは舌打ちした。


 予定ではユリウスを今日帰すつもりだったが、これでは追い出せない。


「……辺境伯には」


「先ほど早朝の散歩中にお見かけしお伝えしました」


「散歩だと?」


 ヘンドリックの声に厳しいものが混じり、従者の肩が震える。


「どこを歩いていた」


「は、花の道ですっ。話を聞かれてすぐにお部屋に戻られましたっ……」


「ほう、あれは花の道というのか。すばらしい庭園だった」


 ヘンドリックは鬼気迫る表情のまま振り向いた。


 いつの間にかリーゼロッテの背後に、ユリウスとアンゼルムが立っていた。


 少し離れたところにイーヴォもいる。


 ユリウスはリーゼロッテに一瞬頷くと、彼女を連れ立って食堂に入った。


「……お褒めいただきありがとうございます。ですが勝手に出歩かれては困ります」


 苦虫を噛み潰したように微かに頬を引きつらせると、ヘンドリックは従者を下がらせる。


「それはすまなかった。ところで、街道寸断の件だが」


「今しがた聞きました。お気の毒なことで……」


 頭を下げたヘンドリックを、ユリウスは無言で見下ろした。


(街道が寸断されたとなると別の街道を迂回するか、復旧まで待つか……でも)


 リーゼロッテは不安げにユリウスの横顔を見つめる。


 迂回するとなると通常ルートよりさらに時間がかかる。


 復旧を待つにしても被害規模が分からないため、どのくらい時間がかかるかすら分からない。


(……ここはお父様がユリウス様をお引き留めするべきなのですが……)


 昨日の様子ではそれも希望が持てない。


「……あなた、辺境伯様はもう少し滞在していただきませんか? 幸い部屋もたくさんありますし……」


 見かねたナターリエがとりなすが、ヘンドリックは拒絶するような視線を送るだけだ。


「……ナターリエ、少し黙っててくれないか?」


「いいえ。昨日からあなた、おかしいでしょう。せっかくいらしてくださったのに、あの物言いでは失礼ですわ。いくら娘が可愛いからと言って婚約者に嫌われてしまったら元も子も」


「ナターリエ!」


 大声で言葉を遮ると明らかな怒りを込めた視線を彼女に向けた。


 そのあまりの剣幕に、ナターリエも首をすくませる。


「……妻が失礼を」


「いや」


 ユリウスの短い返答に、ヘンドリックは諦めたようにため息をついた。


「……分かりました。復旧の目処が立つまで我が家に、留まりください……私はそろそろ失礼します」


 出て行くヘンドリックと入れ替わりに、ディートリンデが食堂に入ってくる。


 場の緊迫した空気に気づいたのか、彼女はやや間延びした声で


「あら、何の騒ぎ?」


 とひとり首を傾げた。












 食事後、リーゼロッテは屋敷に横付けされた馬車に乗り込んだ。


 言われた通り、彼女が準備した真紅のドレスに身を包んでいる。


 ディートリンデと一緒に乗ろうと待っていたのだが、「少し遅れるから先に乗ってて」と言われたため、仕方なく乗り込んだ。


 後から何故かコルドゥラが乗り込み、御者が扉を閉める。


「それでは出発いたします」


「え……?」


 呆然としているうちに馬車は動き出してしまった。


(……まさか!)


「と、止めてください……!」


「お嬢様……?」


 コルドゥラが不審そうに、しかし「またか」とげんなりするような表情を向けてくる。


「まだディートリンデが乗っていません。止めてください!」


「……どういうことですか?」


 必死の訴えに、コルドゥラはやはり眉をひそめるだけだ。


 どうやらコルドゥラはディートリンデだと思っているようだ。


 それもそのはず、今日の格好はディートリンデとほとんど一緒である。


 違うところといえば、ユリウスからもらったバレッタをつけているところだが、はたしてそれで信じてもらえるか。


「私は……リーゼロッテです」


「……」


「信じてください、コルドゥラ……」


「……!」


 名前を呼ばれてはっとしたように、コルドゥラは目を見開いた。


 未だ進み続ける馬車の中に沈黙が落ちる。


 リーゼロッテは喉を鳴らした。


「……分かりました。信じます」


「それでは……」


 表情を明るくさせたリーゼロッテを一瞥すると、コルドゥラは抑揚のない声で答える。


「いえ、このまま目的地に向かいます」


「そんな……」


(早く帰らないと……)


 ディートリンデの企みが一体何なのかは分からない。


 しかし、妙な胸騒ぎがする。


 目に見えて気落ちした彼女に、コルドゥラは申し訳なさそうに頭を下げた。


「申し訳ございません、リーゼロッテ様。ですが先方に取りやめを連絡するにも遅すぎます。このまま向かい、途中で体調が悪くなったと事情を説明するのがよろしいかと」


 コルドゥラの冷静な説明に、リーゼロッテはやや釈然としないものを感じる。


(……誰かと約束している……? その身代わりに私を……? でも、誰に……?)


「この馬車はどちらに向かわれているのでしょうか……?」


「王城でございます」


「……!」


 王城、の一言にリーゼロッテは固まった。


 今までもリーゼロッテが身代わりにされることはあった。


 しかしそれは全て悪事の肩代わりだ。


 他人と会う時に身代わりになったことは一度もない。


 加えて、ディートリンデはフリッツとの逢瀬を楽しみにしていた節がある。


 そろそろ結婚するという相手の元に、身代わりを送るなど意味がわからない。


 言葉が出ないリーゼロッテを気遣うように、コルドゥラは口を開いた。


「……なるべく早く、屋敷に帰れるように尽力いたします」


「……ありがとうございます……」


 彼女の気遣いもむなしく、無理やり笑顔を作ったリーゼロッテの心は沈んでいく。


 ディートリンデと話し合わなければ、向き合わなければ、と思っていた。


 一緒に出かけるというのも、何か含むものがあるだろうとも思っていた。


 すんなりはいかないだろう、とも。


 しかしどこかでディートリンデも同じように、自分と向き合わなければならないと思っているのではと期待してしまった。


(悔しい……迂闊……でした……)


 リーゼロッテの瞳が緩やかに潤んでいく。


 まだ泣くわけにいかない。


 誤魔化すように首を振ると、彼女は前を向いた。


(ユリウス様……なにもないとよろしいのですが……)


 リーゼロッテの脳裏に、ディートリンデの妖しくも危うい笑みが思い浮かんだ。

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