67.リーゼロッテは彼女たちと向き合いたい
(……やっぱりお継母様に直接お伝えしないと……!)
ナターリエが去ってからややあって、思い立ったリーゼロッテは部屋から飛び出した。
しかし、すぐにその行動を後悔した。
「あら……奇遇ね。ちょうどあなたに用があったの」
「お姉様……」
扉を開けた彼女の目の前に、ディートリンデが壁にしなだれるように立っていた。
彼女の部屋はリーゼロッテの部屋からかなり離れている。
わざわざ会いにでも行かなければ、鉢合わせることはない──そう思っていて油断していたのだ。
思いがけない邂逅にたじろいだリーゼロッテは数歩後ろに下がった。
全く同じ顔の、全く違う性質の相手が何を考えているのか分からず、冷や汗が流れる。
「そんなに怯えないでよ」
くすり、と笑った彼女に、リーゼロッテは戸惑い怪訝な顔を向けた。
彼女特有の艶かしい笑いではある。
しかしそこにどこか一線を超えてしまったおぞましさのようなものが含まれているようで、思わず眉をひそめたくなった。
押し黙るリーゼロッテを、いつものように恐怖で動けないのだと勘違いしたディートリンデは、満足するように笑った。
「これまでのこと、ごめんなさいね。だからこれまでのことを水に流すためにも、明日、お出かけしない?」
「お出かけ……ですか……?」
「そ、二人っきりで。お揃いのドレスでも久しぶりに着ない?」
ディートリンデの気易い口調に違和感がある。
(お姉様はこんな……方だったかしら……?)
彼女の知るディートリンデは元々令嬢らしくないところはあったが、対外的には規範的で社交的な令嬢だった。
しかし今の彼女は令嬢らしからぬ言動が目立つ。どこか幼く、それらを隠そうともしない。
先ほどの謝罪も口先だけだと、リーゼロッテでさえ分かるほどに白々しい。
彼女の悪意はこんなにも分かりやすかっただろうか。
(……まるで何かに焦っていらっしゃる……ような……)
いずれにせよ、彼女が変なことを考えていることだけは分かる。
「……ドレスは……あいにく持ってなくて……」
「あら、あなたが帰ってくるって聞いて作らせたのよ。もちろん、お揃いのね」
「……ですが……ユリウス様をお一人にするわけには……」
「大丈夫よ。もういい大人なんだしひとりでも。というか、彼、明日帰るんでしょう? 別に放って置いたらいいじゃない」
ディートリンデの乱暴な物言いに、さらにリーゼロッテは首を傾げる。
元々強引なところはあったが、それでもまだ常識の範疇だった気がする。
流石に婚約者候補を放置しろなどは言い出さなかった。
そんなことをすれば婚約者候補の不興を買う。
そこからもしかしたら彼女の悪事が表に出るかもしれないのだ。
これまで他人に本性がバレることに対して細心の注意を払っていたディートリンデが、そこに配慮しなくなっている。
(やはりどこか焦りがある……)
冷静に分析できている自分に、リーゼロッテは内心驚いていた。
前までは彼女の前に立つだけで言葉も出ず、ただ暗澹たる思いに沈んでいくだけだった。
しかし今は彼女の稚拙さが手にとるように、とまでは行かなくとも、思考の方向性がうっすらとわかるようになってきている。
「……でもそれならなおさらご一緒に」
「別にいいじゃない。二人きりで大事な話をしたいの。いいでしょ?……それとも」
ディートリンデの声色が一段下がり、リーゼロッテは肌がぴりつくような怖気を感じた。
彼女の纏う雰囲気に呑まれないよう、懸命に足を踏ん張る。
「……あなたの力のこと、フリッツ様にお話しても良いのだけど」
「!」
何も言えず目を見開いたリーゼロッテにディートリンデは一層笑みを深くさせる。
(殿下に……お話しする……そうなったらもう、私は……)
フリッツに知られるということは、聖女として認定され聖殿に引き上げられるということだ。
リーゼロッテは第二の癒しの聖女ではない。
王城には彼女をよく知るテオもいるのだ。
おそらく、時の聖女として迎えられ迫害されることもないだろう。
しかし、聖殿に上がった聖女は一生を聖殿の中で過ごす。
もちろん婚姻など許されない。
つまり──。
(ユリウス様と……お別れする……)
リーゼロッテは手をぎゅっと握った。
握り締めて初めて、震えていたことに気づく。
彼女は怖くなった。
聖女と知られることよりも、ディートリンデに甚振られるよりも、父に婚約を認められないことよりも、ユリウスと離れ離れになることがいっとう恐ろしい。
(……私は、ユリウス様と離れたく……ない)
リーゼロッテの瞳に、強い光が宿る。
いつかは彼女と対峙しなければならない。
それが今だっただけだ。
「わかり……ました。私も二人で、お話ししたいと思っていたのです」
リーゼロッテの鋭い眼光に、ディートリンデは一瞬気圧される。
が、すぐにいつもの小馬鹿にしたような薄い笑みを浮かべ、「そう」と短くせせら笑った。
リーゼロッテは目を開けた。
目の前には空のティーカップ。
向かいにも一つ。
そのカップに手を伸ばしたのは、年端もいかない幼女──幼い頃のディートリンデだ。
(また……いつもの夢……)
顔の下半分ほどはありそうなカップを手に持つ彼女は、眉が下がり、より子どもらしさが強調されている。
相当泣き腫らしたのか、幼いディートリンデの目の下は赤く、瞳もまだ若干潤んでいた。
先ほどまで現実のディートリンデと話していたせいか、目の前の小さな女の子ととても同一人物とは思えず苦笑した。
「……どうして、わらったの?」
気分を害したようで、彼女は少し頬を膨らせる。
確かこの間の夢では、途中で途切れてしまったものの「彼女ではない誰かがいるせいで家に帰れない」と嘆いていたはずだ。
リーゼロッテは慌てて首を振った。
「すみません、ディートリンデさんがとても可愛らしかったので……つい」
「むー……いいよ。リーゼちゃんはおともだちだから、ゆるすの」
まだ少々むくれてはいるが、機嫌は直してくれそうだ。
「友達、ですか……?」
「うん、だめ?」
首をこてん、と倒した彼女に、リーゼロッテはゆっくりかぶりを振った。
「いいえ、嬉しいです」
リーゼロッテの答えに、幼いディートリンデは満面の笑みを浮かべると、嬉しそうに足をぷらぷらさせた。
(なんだか、実の姉に友達と言われると……夢でもちょっと複雑ですね)
これだけ連続した夢を見るなら、ただの夢ではないということは分かる。
ただ、この夢が何を暗示しているのか、幼いディートリンデが何を言いたいのかまではいまいち考えが及ばなかった。
「ねえ、リーゼちゃん」
「なんでしょう?」
おもむろに、幼いディートリンデはリーゼロッテに呼びかける。
その表情は子供なりにも懸命なもので、思わずリーゼロッテは居住まいを正した。
「わたしを、たすけてほしいの」
思いのほか切実な声に、リーゼロッテは目をしばたたく。
「こんなこと、リーゼちゃんにしか、たのめないの。リーゼちゃんは、このいえのこと、よくしってるから」
再び泣きそうになった彼女は、涙をこぼすまいと目に力を込める。
(助ける……家を知ってるって……家の中のディートリンデを追い出せってことでしょうか……?)
彼女の言うことがよく分からないリーゼロッテは、一つ一つの疑問をはっきりさせようと彼女に問う。
「どうして……知っていると……?」
「だってリーゼちゃんはこのいえの──」
幼いディートリンデの言葉はまたも途切れ、目の前の光景が溶ける。
彼女の悲しげな瞳が最後に残り、消えた。




