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65.二人は反対される

 少々込み入った話がある、と馬車に乗り込んだアンゼルムにユリウスは苦笑した。


「屋敷の者が出迎える、とは聞いていたが……まさかアンゼルムとはな」


「いえ、ちゃんとした出迎えは別の者が。ユリウス様はうちに関わるのは初めてでしょうから僭越ながら少しご忠告を」


 居住まいを正した彼は、正面に座るユリウスとリーゼロッテを一瞥すると硬い表情を作った。


「単刀直入に言います。父と姉……ディートリンデはあまり信用しないでください」


「アンゼルム」


 リーゼロッテは首を振り、彼を嗜める。


 彼女自身、ユリウスには父と姉に気をつけて欲しい、とは思うものの、面と向かって言う勇気はなかった。


 家族を早くに亡くした彼に、家族を悪く言うのは気が引けた。


 それ以上に果たして自分が虐げられてきたからといって、これからユリウスの義理の家族になるのだ。


 彼らに対する自分の印象をユリウスに話してしまっては、要らぬ先入観を持たせてしまうのではないかと悩んでいた。


 しかし、アンゼルムは珍しく姉に鋭い視線を向ける。


「姉さん、ユリウス様が姉さんと婚約するということは、今後うちと付き合いを持ってもいいと意思表示したようなものだよ。だからできるだけ内情を知ってもらっていたほうがいい」


「それは……分かります」


 アンゼルムの言い分も分かる。


 彼はまだ十二歳と若いが、次期当主としてそれなりの教育を受けている。


 事前に相手の情報を得る大切さも理解している。


 だからこそ、今、ユリウスにできるだけの助言をしようとしている。


 しかし、家族に家族を信用するなと言われる光景に物悲しいものを彼女は感じた。


「それに……」


「皆様、ハイベルク家に到着いたします」


 話を続けようとするアンゼルムを遮り、イーヴォが御者台から声をかける。


 リーゼロッテは窓から外を覗き込んだ。


 見慣れた、懐かしい白亜の屋敷が見える。


 ふと、ユリウスの方を振り向くと、彼は何故か怪訝そうに眉をひそめ、視線だけを方々に散らしていた。


「……分かった。アンゼルム、話は食事会の後でもいいか? 私も後で聞きたいことがある」


「はい」


 アンゼルムに頷き返したユリウスは、どこか硬い表情でリーゼロッテの手を握った。













「リーゼロッテとの婚約の件ですが、大変申し訳ない。白紙とさせていただきたい」


 皆が席につき食事会が始まるかといったところで、ヘンドリックの言葉にその場の誰もが凍りついた。


「お父様……!?」


「あなた、そんな話は……!」


 リーゼロッテと継母のナターリエがほぼ同時に戸惑いの声を上げる。


 咄嗟にナターリエが自分の口を押さえたのをユリウスは冷静に一瞥すると、ヘンドリックに視線を戻した。


「……その理由を伺いたい」


「…………」


 若干の怒気を孕んだ紫電の瞳をヘンドリックは沈黙で受け止める。


 その表情は変わらず無表情で、どこか刺々しい視線をユリウスに向けている。


「娘はこの通り、不出来な娘です。辺境伯の妻になどとても……」


「不出来だなど。彼女は奉公人としても婚約者候補としても申し分のない仕事をしてくれていました。彼女のような芯のある女性と私は夫婦になりたいと思っております」


 ユリウスはリーゼロッテに一瞬優しく微笑むと、丁寧に、しかし有無を言わせぬ口調で彼に反論する。


 それを見て、ナターリエが「まぁ……」とため息にも似た小さな感嘆を上げたが、それは誰にも聞こえなかった。


 辺境伯は本来、伯爵より上だ。


 よってユリウスがヘンドリックに敬語を使う必要はない。


 しかし彼は、婚約するのならば一定の筋は通したい、と考えていた。


 そんなユリウスの気も知らず、ヘンドリックは微かに首を振った。


「いえ、元々は娘の不始末でそちらに伺わせた身でございます。いくら聖女から許されたとはいえ英雄の妻が罪人など、外聞が悪すぎます」


「彼女はやっていない」


 強く断言したユリウスの言葉に、ヘンドリックは神経質そうな眉をぴくりと動かした。


 反論されたことを煩わしく思う苦い表情、というよりは、どこか意外なものを見つけたような顔だ。


 あるいは怪訝、ともいうべきか。


「……共に過ごす中でそう確信いたしました。外聞など関係ない」


「あら、なら私がやった、ということでございますか?」


 それまで黙っていたディートリンデが高圧的な声を上げた。


 リーゼロッテに瓜二つの彼女は、ユリウスをやんわりと()め付ける。


 そのどこか獲物を捕らえ恍惚とした蛇のような視線に、リーゼロッテは危機感を覚えた。


「……ディートリンデ、やめないか」


「お父様、娘が侮辱されててお黙りなりますの?」


「話がややこしくなる。今は黙れ」


 諫めるのも心底煩わしい、といった声色でヘンドリックは彼女を制止する。


 ユリウスに向けた視線はそのままに、彼女は肩をすくませた。


 口元にはいつもの美しい笑みが浮かぶ。


 彼女の邪な考えが一瞬、リーゼロッテの頭をかすめ思わず身震いした。


「娘が失礼いたしました」


「……とにかく、今挙げた理由は急に婚約を撤回するほどの理由ではない」


 感情のこもらない声で謝罪したヘンドリックに、ユリウスは鋭い声を上げる。


「……ですが、もう、この子には修道院に入らせると決めたのです。あれだけのことをしておいて社交界、しかも地位あるお方の妻に収まるなど許されることではありませんから」


「お父様、ですが……」


「リーゼロッテ、お前もいいな?」


「…………」


 抗議の声を上げたリーゼロッテだったが、威圧的な父の態度に閉口し、俯いた。


 ヘンドリックがこのように意見を促すときはもう、決定されたことなのだ。


 重々しい沈黙が落ちた。


「……明朝、私は仕事でここを発ちます。御車代をお出ししますので、御容赦ください」


 おもむろにヘンドリックは立ち上がると、冷めた視線をユリウスに送る。


 金は出すから娘は置いて帰れ、ということだと、その場にいる誰もが理解した。


 ユリウスの視線が厳しくなる。


「私は仕事がありますので、これにて失礼いたします」


「あなた」


 ナターリエが止めるのも聞かず、ヘンドリックは出て行った。


 再び沈黙が落ちる。


「……当主が大変失礼いたしました。きっと娘が取られるようで照れているのだと思います。今日は我が家の料理人が腕によりをかけて作った料理をお召し上がりください」


 仕切り直すようにナターリエがとりなしたが、主宰者(ホスト)を失った食事会は重苦しい空気のまま終了した。














 理想とはかけ離れた食事会が終了し、リーゼロッテはユリウスが滞在する客室を訪ねた。


 屋敷の二階にある彼の客室は非常に豪奢な作りだ。


 おそらく、客室の中では一番上等な部屋だろう。


 それだけでも、決して辺境伯を侮っているわけではないことがわかる。


 だが、食事会での父の態度にリーゼロッテは解せないものを感じていた。


「父が大変失礼なことを……」


「謝らなくていい。リーゼのせいではない」


 部屋に入るなり開口一番、謝罪した彼女の頭を上げさせる。


「ですが……」


「リーゼ」


 なおも言い連ねようとする彼女の身体を抱きしめる。


 少年の時とはまた違う、広く逞しい胸板に抱かれ、リーゼロッテの胸は痛いほどに早鐘を打ち始めた。


 心臓に悪い、と彼女は彼の上着を小さくつまむ。


「反対されようが私はリーゼのことを想う気持ちは変わらない」


 頭上から降る低く落ち着いた声に、彼女は小さく頷く。


 彼に言葉にしてもらって初めて認識できる。


 自分も同じように思っていて、同じ気持ちであることに安心できることを。


 しかしそれ以上に、何を考えているのか分からない父と、ディートリンデのあのおぞましい視線が気になっていた。


(今だけは……ユリウス様のことだけを考えたい……)


「……少し落ち着いたか」


「はい……」


 ユリウスは彼女の後頭部に手を当てた。


 そこにあるのは彼が贈ったバレッタだ。


 愛おしげに指先で撫で、髪を解くように指を入れる。


「御父上様には折を見て考え直してもらうよう話をつける。御母上様の様子を見るに、どうやら今回は御父上様の独断のようだからな」


「……はい」


(独断……)


 ユリウスの見立ては間違ってはいない。


 問題はその、父の独断が家族の総意と等しいことだ。


 父の決定を覆すことなど、あのディートリンデでさえ不可能なのだ。


 いかにユリウスといえど、難攻不落とも思える父には苦戦するのではないか。


(……ダメ。私が信じないで誰がユリウス様のことを信じるというの……?)


 どこか沈んだ様子の彼女の声に、ユリウスはもう失ってたまるかと彼女を抱く力を強めた。


「心配するな……もう夜も遅い。リーゼも休め」













「ユリウス様、よろしいでしょうか」


「アンゼルムか……入ってくれ」


 リーゼロッテを部屋に帰した直後、入れ替わるようにしてアンゼルムが訪ねてきた。


 申し訳なさそうだったリーゼロッテと違い、その表情はいささか挑戦的にも見える。


「いかがでしたか」


 一瞬何の感想を聞かれたのかと思ったが、すぐに彼の(いびつ)な家族のことだと思い当たり、小さくため息をついた。


「……頭が痛くなるな、貴君の長姉殿は」


 皮肉を込めて呟き、ややうんざりとした表情を作った。


 ああいった高飛車な手合いは貴族令嬢には少なくない。


 特に、ユリウスの元に奉公人として送られてくる令嬢に多かった。


 彼が煙たがるのも致し方がないだろう。


 アンゼルムは予想通りの反応だったのか、肩を振るわせ苦笑した。


「彼女はいつもあんな調子ですよ。他人の間違いは(あげつら)い、自分の間違いは他人……主にリーゼロッテ姉さんのせい、です」


「……分かりやすいと言えば分かりやすい、か。御母上様は随分と気を遣われていたようだが」


 ユリウスの言葉に苦笑をやめたアンゼルムは、少々苛ついたように顔を引きつらせた。


「……あの人は立場の弱い後妻ですよ。常に父に遠慮してディートリンデにも強く出れず、そのしわ寄せが全部姉さんに……」


 悔しそうに顔を(しか)めた彼は両の拳を握りしめる。


 父にも継母にも頼れず、長姉に虐げられている姉を間近でどんな気持ちで守り続けていたのか。


 ユリウスは彼の震える拳を見つめると、前髪をくしゃりとかき上げた。


「……彼女はこんなところに何年もいたのか……」


 彼女が育った環境を『こんなところ』などと言うのは本当は良くない。


 それでも救いのないこの家の中で、弟を守り守られながら過ごしていたかと思うと、なおさら彼女を手放すわけにはいかない、とユリウスは決意を固くした。


「…………ユリウス様………おそらく、父……ヘンドリックは何かを企んでおります」


「ああ、急に婚約を白紙にするなどと言い出したこともそうだが……他にもな」


 ユリウスは頷くと、口元に手を当て声を低くした。


「時にアンゼルム、御父上様はどうも用心深い性格のようだがいつからだ」


「あ……はい、いつから、と言われますと難しいですね。私が物心つく頃には既に家庭に無関心な父でしたし……姉上に聞けば分かるかもしれませんが」


「それはいい。無用な心配はかけたくない」


 首を振ったユリウスにアンゼルムは内心苦笑した。


 この辺境伯は相当姉が大切と見える。


「では姉上以外にそれとなく探ってみます」


 言った後に、これではまるでユリウスのために働いているように見えるではないか、と十三歳という複雑な時期のアンゼルムは慌てて両手を振った。


「か、勘違いしないでくださいねっ。私が今回ユリウス様につくのは姉上のためであって、決して婚約を認めたとかそういう話ではありませんから!」


「分かっている」


 いつも通り、姉を第一に考えているアンゼルムが微笑ましく、ユリウスは「頼もしいな」とくすりと笑った。


 その笑いに居心地が悪いアンゼルムは、若干頬を赤くした。


 姉のため、というのは本当だ。


 このまま姉がここに残ることになれば追放前と同じ、虐げられる生活に戻ることになってしまう。


 それだけは避けたい。


 でもだからといって、ユリウスとの婚約がうまくいくのもまた妙に反発したくなる。


 相手に自分が敵わないこともわかっているが、認めてしまえばまるで姉への想いが負けたような気がして悔しい。


「……ですがなぜ父が用心深いと……?」


 このままでは分が悪い、とアンゼルムは話題を変えた。


 すると先ほどまでの笑みをすっと消したユリウスは難しい顔を作る。


「屋敷全体に特定の魔力を完全に阻害する障壁が張ってある……主に魔力感知や探索魔法の類を無効にする、な」


「ですが、それくらいならばどこの屋敷でも張ってあるものでは?」


 アンゼルムの言うことはもっともだ。


 大体の貴族は家の中に財や富を蓄えている。


 それを狙って盗賊に入られることも、昔からよくある事だ。


 盗賊が手っ取り早く盗むために探索系の魔法具を使うことも、よくある事だった。


 それらを防ぐ手立てとして、障壁を張ることも。


 ユリウスは頷いた。


「特定の場所や人間にならばな。屋敷のある敷地全体、しかもそれが完全に防がれるものとなると私が知る上では王城でしか使われていない」


 大掛かりすぎる、とユリウスはハイベルクの敷地に入った瞬間に思った。


 すぐさまリーゼロッテのバレッタに込められた魔力を探知してみたが、隣に座っているのにもかかわらず、全く反応が受け取れない。


 それどころか屋敷内の全員が魔力を有していないように感じられる。


 ごく普通のどこにでもありそうな屋敷が、ここまで強い障壁を張っている理由──。


「……まさか」


「ああ」


 アンゼルムの呟きに、ユリウスは確かに頷いた。


「御父上様……ハイベルク伯爵は外部はおろか、家人にすら知られたくない何かを隠している」

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