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64.お姉様は画策する

「それでは、行ってくる」


「留守は任せよ」


 ユリウスはエルと挨拶を交わすと馬車に乗った。


 ハイベルク家との食事会に出発するためだ。


 リデル家の一件があってから、隣国との諍いは大幅に減少したものの、まだ情勢は不安定だ。


 食事会に出かけている間、辺境伯がいないというのもまずいため、代理としてエルがその役を買って出てくれた。


 とはいえ、領地経営はからっきしな彼女が行うのは軍事的な部分のみになるので、出番があるかは定かではないのだが。


 当のエルは屋敷に滞在中は、ザシャの食衝動を抑える呪術具を開発するつもりらしい。


 出発直前まで水を得た魚のように彼の身体をいじり倒していた。


(……完成すればザシャにとってもいい話だが、それまでが苦労しそうだな)


 内心苦笑しながら窓の外を見ていると、リーゼロッテが言いにくそうに口を開いた。


「あの……行き先は王都の屋敷なのですよね?」


「ああ、そうだ」


「そうですか……」


 どこか考え込むような彼女の顔をユリウスは覗き込んだ。


「何か気になることでもあったか?」


 問われてリーゼロッテはぎくり、とした。


 王都の屋敷には夢で出てきた硝子貼りの温室がある。


 父以外、何人たりとも入室禁止にされたそこは、今思えば不穏な場所だった。


 それはもう、幼いディートリンデが出てくるには不釣り合いなほどに。


 今からそこに入るわけではないのだが、そこに近づく可能性を考えるとぞわり、とした悪寒が走る。


 夢の話はまだ彼にはしていない。


 なんとなくだが、暗示めいた夢の話など彼を心配させるだけなのではないかと、リーゼロッテは踏ん切りがつかなかった。


「い、いえ……その、領地の方ならもしかしたら少しご案内できるかと思ったのですが……王都はユリウス様もご存知ですよね」


「それなりに、な。しかしここ数年は領地にかかりきりだったからな。最近のことはめっきり分からない」


「そうなのですね」


 なんとか誤魔化せた、とほっとしたリーゼロッテは何度も頷いた。


「ああ、時間が空いたら少し王都の様子も見てみたい」


「分かりました。お気をつけて」


 まるでお留守番はお任せを、とばかり微笑んだ彼女に、ユリウスは首を傾げた。


「何を言っている。リーゼも来るのだろう?」


 当然の如く言い放つ彼に、リーゼロッテは戸惑った。


「よ、よろしいのですか……?」


「ああ。もちろん御父上様の許可は必要だが」


 頷く彼に、彼女は顔を綻ばせる。


 その嬉しそうな表情に彼は、


(落ち着いたら二人で何処かへ旅行に行くのもいいな……ハイベルク領もいつか一緒に行ってみたいものだ……)


 と、この先の未来に思いを馳せた。













 一方その頃。


 王都のハイベルク家には、珍しくヘンドリックが書斎で仕事に励んでいた。


 一体いつどこでどんな仕事をしているのかは分からないが、家を空けることの多い彼がいるのは珍しい。


 もっと言えば、いつ帰ってきているのかさえ分からない。


 仕事がない日もいつの間にか姿を消し、かと思えば従者も付けずふらり、と帰ってくることもあった。


 今のタイミングを逃せば次はいつになるか分からない。


 ディートリンデは書斎の扉をノックした。


「お父様、今よろしいでしょうか?」


「……なんだ」


 中から返ってきた答えは短く明らかに不機嫌だ。


 しかしそんなことはお構いなしに、彼女は扉を開けた。


 太く古臭い書物を積み上げたその奥に、ヘンドリックは声通りの不機嫌そうな表情を見せる。


 その表情すら、ディートリンデはものともしない。


「リーゼロッテの件ですが」


「……ああ、ちょうどその件でお前に伝えることがあった」


「あの子は聖女ですわ」


 ディートリンデの冷えた声は、書斎によく響いた。


「…………今なんと言った」


 ややあって、ヘンドリックは琥珀色の瞳を丸くさせてようやく言葉を絞り出す。


 ──食いついた。


 その反応に目を細めた彼女は、畳み掛けるように続ける。


「ですから、あの子、リーゼロッテは聖女ですわ。幼い頃でしたが私しかと見ましてよ。あの子が金色の魔力を発動して私の傷を癒しましたの。きっと癒しの聖女ですわ」


「……………金の魔力」


 低く呟いた声は口元に押し当てられた手によって遮られ、彼女には届かない。


 ハンカチを取り出した彼女はわざとらしく目元に当てる。


 涙など一滴も出ていないがそこは雰囲気だとばかりに、臭い演技に拍車をかけた。


「今までずっと、あの子のために黙っておりましたが、私が王太子妃になったあかつきにはあの子も聖殿に上げるよう殿下に進言するつもりですわ」


 ハンカチで押さえた口元は醜く歪んでいる。


 癒しの聖女は既にいる。


 第二の癒しの聖女は迫害対象にされたようなものだ。


 しかし子供に無関心な父ならば子供が害されようが構わないだろう。


 むしろ第二の聖女と知ってリーゼロッテに辛く当たるかもしれない。


 それとも、すんなりと聖殿に追いやろうとするか。


 いずれにしてもリーゼロッテは苦境に立たされることになるだろう。


 ディートリンデの笑みが深くなる。


「………そうか。分かった。よく言ってくれた」


 いつも冷え冷えするようなヘンドリックの声が、ほんの少しの温かみを帯びたことに彼女は気づかない。


「それで、お父様のお話というのは」


「……四日後、辺境伯とリーゼロッテを含め、食事会を開く」


 それだけ言うと、彼は背を向けてしまった。


 どうやら話はおしまいのようだ。


「……そうですか。分かりました。失礼いたします」


 小躍りしたい衝動を堪え事務的に挨拶を交わすと、ディートリンデは書斎から出て行った。


 ヘンドリックは動かない。


 その口元には娘たちにも見せたことのないような笑みが宿り、瞳は興奮で滾っている。


「やっと……見つけた………よもやこんな近くにいるとは……」


 笑いを噛み殺した彼の呟きは不気味に響いた。












「もうすぐです」


 御者席からイーヴォが張りのある声を上げた。


 ユリウスの屋敷を発って四日。


 王都に着いた彼らは貴族の屋敷が立ち並ぶ、所謂貴族街の中を馬車で走っていた。


 本当は昨日の時点で着いていたのだが、さすがに約束の前日にハイベルク家に行くわけにもいかない。


 王都の宿屋で一夜を明かし馬車に乗り込んでいる。


 ちなみに宿屋に泊まる前に、リーゼロッテはユリウスに聖女の力を使い青年化させている。


 聖女の力も安定はしてきたが、まだまだ思い通りにとはいかない。


 特にユリウスは、彼自身の少年化に向かう魔力と拮抗するため、微妙な年齢調整がうまくいかない。


 うまくいかなかった分を彼の吸魔(キス)でなんとか補っているが、婚約者となるとは言えさすがに毎回吸魔をしてもらうのも忍びない。


(今度こそはうまくできるようにならなければ……!)


 人知れず頷いたリーゼロッテは、ユリウスに話しかけた。


「ユリウス様、お疲れではないですか?」


「いや、リーゼこそ長旅は疲れただろう」


 などと話していると、突然馬車が止まった。


 もうすぐ、と言いながらもまだハイベルクの屋敷は見えない。


 ユリウスがイーヴォに声をかけようと小窓に手をかける。


「…………」


 手をかけたままの姿勢で止まった彼を不審に思い、リーゼロッテも小窓から少し顔を出した。


「アンゼルム?」


 彼女が声を上げたのと、アンゼルムが視線に気づいたのはほぼ同時だった。


 見習い騎士の訓練か、と思ったが、鎧でも甲冑でもなく、貴族が身につけるごくごくスタンダードな平服だ。


 今日の食事会はそこまでかしこまらなくて良いということなので、おかしくはないのだが、こんなところで一体どうしたのだろう、と彼女は首を傾げた。


 姉の表情に人懐こい笑みを浮かべ、アンゼルムは二人の乗る馬車に近づいてくる。


「お待ちしておりました。ユリウス様、姉さん」


「どうしてアンゼルムがここに?」


 馬車の外から声をかけた彼に、リーゼロッテは戸惑いつつも聞く。


 彼は意味ありげに微笑むと、ユリウスに向け小さく頷いた。


「お出迎え、ですよ」

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