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63.二人は踊る

 視察から帰ったリーゼロッテは、この日何度目になるかわからない大きなため息をついた。


「何しけたツラしてんだ」


「ざ、ザシャさんっ」


 いつの間にそこにいたのか、彼女の前には呆れた顔でソファにもたれかかるザシャの姿があった。


 といっても、今いる使用人控え室は厨房と隣り合わせだ。


 したがって彼がいても不自然なことはないのだが、ひとりだと思って思いっきり気を抜いてしまっていた時に突然声をかけられ驚いてしまった。


「そんな辛気臭ぇツラしてたら幸せ、逃げんぞ」


 言いながら、それでもユリウスは逃げないだろうが、とザシャは思う。


 彼女の意思を嫌というほど尊重する彼が、今更逃げるはずがない。


 これまで何度も奉公人が逃げられた経験を思い出した使用人から「リーゼは仕事を辞めさせて、二人の時間をもっと作るべきでは」という意見が出た時もそうだ。


 その時も、リーゼロッテの「今まで通り、奉公人としてユリウス様を支えます」の一言で、使用人の声が反映されることはなかった。


 言い出したら聞かねぇやつと甘いご主人様だな、とザシャは内心苦笑した。


「……そんなに酷い顔、してましたか……?」


「まぁまぁ酷いな」


「……………」


 難しい顔で沈黙したリーゼロッテを、ザシャは微笑ましいものを見る目で見つめた。


 大方、辛気臭いと言われた表情を出さないよう顔に力を入れているといったところだろうが、そんなことは彼にはお見通しだ。


 そんな無駄な努力をする彼女が可愛らしくて、思わず緩みそうになった口元を隠した。


「……ちょうど今暇だし、少しぐらいなら話聞いてやるよ」


 何かを誤魔化すようにぶっきらぼうに言うと、彼はソファから身を乗り出した──。


「……………なるほどな。そりゃあんな顔にもなるか」


「……はい……」


 かいつまんで状況を説明すると、ザシャはあっさりと答えた。


「なら簡単だ。食事会が嫌なら、食事会の先にある楽しめそうなことを考えたらいい」


「先、ですか?」


「ああ、なんかないのか? 誕生日とか」


 言われて少し考えてみる。


 今まで食事会が気が重すぎて、その先を楽しみにするという発想はまったくと言っていいほどなかった。


(……誕生日……は、かなり先ですし、正式な婚約……あ)


「……婚約披露パーティー……」


 呟いた彼女を眺めていたザシャはニヤリと笑った。


「決まり、だな。婚約披露パーティーのことでも考えてりゃ、めんどくせぇ食事会なんざすぐ終わる。嫌なことばかり考えるよりは気が楽だろ?」


「ふふ、はい」


 切り替えの早いザシャらしい回答に、リーゼロッテは自然と笑みが溢れた。


「じゃ、休憩終わり。さっさと仕事に戻れよ」


「はい。あの、ザシャさん、ありがとうございます」


「おう」


 礼を言うと、彼女は控え室から出て行った。


 扉が閉まる音に、脱力するようにザシャは大きく息を吐いた。


 ──良かった、普通に話せてる。


 好意を持った女性を喰らう人狼の(さが)は未だ彼の中にある。


 彼女への想いがあるうちは、なるべく接触しない方がいいだろう。


 そうは言っても、悲壮感たっぷりの彼女の顔を見ていたらいてもたってもいられなかった。


 ──俺も大概、ユリウス様のことを甘いなんて言ってられねぇな。


「……さて、俺もパーティーのメニューでも考えるか」


 彼はしなやかに伸びをすると、厨房の奥へと消えていった。













 夕食後の片付けも終わり、後はもう自室で細々とした針仕事を終えれば寝るだけ、というところで、リーゼロッテは大広間の扉をそっと開いた。


 この部屋は今まで長い間使われていなかった。


 ユリウスが社交界から退いて以来という話だから、当たり前と言えば当たり前だ。


 見習い騎士の逗留で、作戦室として使われることでようやく長い冬眠から目覚めた形だ。


 リーゼロッテは燭台に火を灯すと、辺りを見回した。


 玄関ホールと似て装飾は華美すぎず、かといって簡素すぎず。


 数十人が同時に踊り出しても十分なスペースが取れそうなほど広い。


 彼女は足元を確かめるように足先を滑らせた。


 磨いたばかりの床が、蝋燭の火に照らされて淡い波紋を描いている。


(少し……滑りそうですが、少し練習するだけですし大丈夫でしょう)


 リーゼロッテは右手を横に伸ばし、左手で何かを抱くように構えるとゆっくりとステップを踏み出した。


 薄暗い大広間に、しのびやかな靴音だけが響く。


 昼間、ザシャに「婚約披露パーティーのことを考えろ」と言われた彼女は素直に考えた。


 その結果、たどり着いたのが『自分はユリウスと釣り合いの取れた淑女だろうか』という彼女らしい結論だった。


 今までの彼女といえば社交場でも持ち前の引っ込み思案が如何なく発揮され、ボニファーツの後ろで愛想笑いしているしかなかった。


 それでも彼のいない場で何度も場数を踏み、どうにか友人とも呼べる令嬢を数人作ることもできたが、それも全て追放されたことによりなかったことになっている。


 友人もいない、社交性もない、器量も良くない。


 無い物づくしのままで、ユリウスの隣に立ってもいいのだろうか──。


 そう考えた彼女は、立ち振る舞いから基本に立ち返ることにしたのだ。


 踊り終えた彼女は、大広間の中央で息をついた。


「……せめてユリウス様に、お恥ずかしい思いをさせないように……」


「私がどうした」


 聞き慣れた声に、リーゼロッテは肩を震わせた。


 おそるおそる振り返ると、壁に背を預け彼女に優しい視線を向けているユリウスがいた。


「ゆ、ユリウス様……どうしてこちらに……」


「ザシャにリーゼの元気がなかったと聞いてな……といっても」


 彼はゆっくりとリーゼロッテに歩み寄ると、その手を取った。


「……ひとりでこんなところにいるとは思わなかったが」


 呟いた彼は微かに息が切れている。


 心なしか握られた手がいつもより汗ばみ、熱い気がした。


(もしかして……ずっと探してくださっていた……?)


 それが嬉しくてつい口元が緩んでしまいそうになり、リーゼロッテは慌てて頭を下げた。


「勝手に、入ってしまい……申し訳ございません」


「いい。踊りたかったのだろう? 欲を言うなら、私を誘って欲しかったが」


 思わぬ言葉に身体が跳ねた。


 彼の表情を窺うように頭を上げると、少し悪戯っぽい笑みを浮かべた彼と目が合った。


「……急にどうした」


 言葉少ない問いかけが、『急にダンスなど練習し出してどうした?』という意味だと思い当たり、気まずさを感じた彼女は視線を落とす。


「……その……私は、あまり淑女としても優秀ではないので……せめて婚約披露パーティーまでにはダンスだけでも、と……」


「そうか」


 短く頷いた彼は考え込むように顎に手を置くと、


「少し、色々と気負わせてしまったな。性急だった。すまない」


 と申し訳なさそうな声色を上げた。


(そんなこと、ないのに……)


 彼の悲しそうな色を帯びた瞳に、このままだと勘違いされたままになる、と焦ったリーゼロッテは何度も首を振る。


「い、いえ! すごく、ものすごく楽しみです! だから食事会も、頑張れます……!」


「……そうか」


 彼は彼女の返答を噛み締めるように幾度か頷くと、愛でるように目を細めた。


「リーゼがそこまで気負うことはない。威張れることではないが、私などここ十年踊ってすらいない。正直言えば、リーゼの足を引っ張ってしまうのではないかと今からドキドキしている」


「ドキドキ……ユリウス様が……?」


 ユリウスらしからぬ単語に、リーゼロッテは目を丸くした。


 紫電の瞳はいつも通りの光を放ち、一見無表情に見える顔も口端が微かに上がっている。


 どう見ても余裕のある表情なのだが、本当に緊張などしているのだろうか、と彼女は首を傾げた。


「ああ、ほら」


「!」


 彼女に向けられた疑いの視線にユリウスは微笑むと、彼女の手を自らの左胸に当てた。


 大胆すぎる行動に、リーゼロッテは言葉も出ない。


 手からじんわり伝わる彼の若く力強い鼓動は、服越しにでも分かるほどに確かに速い。


 だがそれ以上に今、彼の胸に触れ赤面しているリーゼロッテのそれの方が確実に速いだろう。


 しかしそれを言い出せるほどの勇気は、彼女にはまだない。


「ゆ、ユリウス様でも、緊張、なさることがあるのですね」


 裏返った声に内心苦笑した彼はゆっくりと頷く。


「そうだな、ある意味戦場より緊張する」


 でも、と付け加えると彼は続ける。


「それ以上に楽しみだ。それに、知人しか呼ばないこじんまりとしたパーティーだ。多少の失敗は大目に見てくれるだろう」


 軽快に笑った彼の微笑みに、リーゼロッテはつられて笑った。


(ユリウス様も楽しみに思っててくださるのね)


 彼女はなんとなくだが、浮かれているのは自分だけだと思っていた。


 お互い婚約は望んだこととはいえ、二人とも種類は違えど人前で目立ちたくない性質(タチ)だ。


 特にユリウスは二人の時は臆面もなく愛を囁くが、ひとりでも他人がいれば領主とその奉公人という姿勢を崩さない。


 故に婚約披露パーティーも、領主として開かなければならないからやむを得ず執り行うのかと思っていた。


 どうやらそれは勘違いだったらしい。


(同じ気持ちだったなんて……嬉しい……)


 彼の胸元に手を置いたまま、上目遣いに彼を見つめる。


「……はい、私も楽しみです」


 彼女の心からの声に、ユリウスは満足げな笑みを浮かべた。


「……そこでリーゼ、少しお願いがあるのだが」


「はい。私にできることなら」


「いや、これはリーゼにしかできない」


 彼はそう言い切ると、照れ隠しをするように咳払いをひとつすると、意を決し口を開いた。


「もう少し、時が許すならでいいのだが、私も勘を取り戻したい……練習に付き合ってはくれないだろうか?」


 若干居心地が悪いのか、視線を明後日の方向に向ける彼の姿が、どこかおかしくてリーゼロッテはくすり、と笑う。


「はい、喜んで」


 彼女の返答にほっと息を吐いた彼は、軍服の上着を脱ぐと部屋の端に放り投げる。


 ネクタイを軽く緩めると、彼女の身体をホールドするとゆっくりとリードし始めた。


 はじめはお互いの歩幅を確かめるように慎重に、次第に息があってきた彼らはより動きが大きくなっていく。


 余裕が出てきたのか表情も生き生きとしてきた。


(……このまま時が止まってしまえばいいのに……)


 リーゼロッテは時の聖女が言ったら冗談にならなさそうな言葉を口にしそうになり、唇をきゅっと締めた。


 十年ぶり、などという言葉が嘘のような完璧なリードをするユリウスに目を奪われる。


 聖女の力を暴走させた時のように、胸がじわりと熱を帯びるのを感じた彼女は一瞬、そちらに気が削がれた。


「きゃっ」


「リーゼ!」


 踏み出しがうまくいかなかったのか、勢いよく滑った足はそのまま彼女の身体を傾けさせる。


 襲われるであろう衝撃と痛みに、彼女は両眼を瞑った。


 少し滑りやすいかもしれない──練習前にそう思ったことを今更ながら思い出す。


 しかし倒れた衝撃は来たものの、痛みはない。


 むしろ床よりも柔らかい感触に、リーゼロッテはおそるおそる目を開けた。


「……無事か?」


 彼女の眼前には、緩めたネクタイのせいで黒のシャツがはだけたユリウスがいた。


 どうやら転がる瞬間にクッションになってくれたらしい。


 白い首元が鎖骨の先ほどまで見える扇情的な姿に彼女の胸がどきり、と音を立てる。


 少年の姿でさえ魅力的なのだ。


 これが大人だったら一体どうなってたのかと、彼女は要らぬ想像をしかけ赤面する。


「は、はい! 申し訳ございません! すぐに退きます……っ」


 顔を真っ赤に染めたリーゼロッテは身体を起こそうとした。


 ──しかしそれは、ユリウスによって止められた。


 少々強引に腕を掴んだ彼に抱きすくめられ、彼女の身体はさらに熱くなる。


 彼の左胸近くにちょうど彼女の耳がくる形のこの体勢ならば、あられもない首元を見ることも赤い顔を見られることもない。


 しかしこれでは頭から爪先まで熱くなりすぎて目が回りそうだ。


「……もう少し、こうさせてくれないか」


「で、ですが……」


「嫌、か……?」


 少し沈むような切ない声音がユリウスの口からも身体を通しても聞こえて、リーゼロッテは抗議の声を上げ損なった。


「……狡い、です。ユリウス様……」


(ユリウス様にそんな声、出されたら……ダメだなんて言えないじゃないですか……)


 しかし彼女は知っている。


 本当に嫌がるだろうと思っていたら、ユリウスは「もう少し」などと聞いてこない。


 もっと言えば、「駄目」ではなく「嫌」と聞いてこられたら首を振るわけがない。


 そこも含めて、狡い。


 そんな狡い彼もまた好きなのだという思いに気付き、彼女はさらに身悶えた。


「……すまない……」


 彼女の心のうちを見透かすように微かに微笑むと、腕にゆっくりと力を込めた。

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